109話 嵐の前の何とやら
3回の表。
熊捕から始まる攻撃で、ストレートを思い切り引っ張った。
「「長打コースだ!」」
三塁線を破ろうかという打球。
確かに、抜ければ二塁打になるが。
「俺の守備範囲だ!」
サードの火野を抜くには少しだけ勢いが足りなかった……が。
ボスッ、と打球が三塁ベースに当たる。
「なん……だと……!」
結果的に内野安打となり、無死一塁に落ち着く。
「ふぅ、ラッキーじゃったな」
熊捕がヘルメットを外して汗を拭いながら独り言を呟く。
「それは、貴女にとって、ですか?」
投手がセットに入る束の間に、ファーストの海乃が声をかける。
「そりゃそうじゃろう。ベースに当たらなければ捕られとったからの」
「ですが、茜は例え捕ったとしても、暴投してました。これは単なる、直感ですが」
「そりゃ凄いの。送球のモーションに入ったなら兎も角、捕球前に分かるんか?」
「外れる時もありますけどね。付き合いが長いと、感覚で分かります。きっと貴女も、いつか分かりますよ」
続く9番の左門が送りバントを容易く決めると、打順が一回りして先頭の小鳥遊に戻る。
スタンド上の応援は賑やかだったが、対照的にグラウンド上の雰囲気はピリついている。
「試合はここからだな。決勝で相まみえることを考えれば、コールドゲームにならない程度に荒れてくれるのが望ましいが」
「天下の立浜クラブ、そのキャプテンともあろうお方が嘆かわしいわね。そんな相手の弱体化を願うなんて」
「望むだけなら誰でも自由だろう? ……まあ、私が望むまでもなく、試合はそうなる」
「でしょうね。嵐の前の何とやら、といった雰囲気ですもの」
1番の小鳥遊へ投じたスライダー。
当たり損ないのゴロは、丁度ピッチャーとファーストの間に転がった。
どちらがボールを捕り、どちらが一塁に入るか。
スタンド上で俯瞰的に見えていた天ノ川や高峰は一瞬で判断できた。
……しかし。
海乃が投手の松葉に指示を出すのが少しだけ遅れた。
小鳥遊にとっては、その「少しだけ」の時間で十分だった。
「セーフ!」
一塁塁審の腕が大きく開かれて、状況は1死一・三塁。
「自分が捕った方が速いことは海乃もすぐ判断しただろう。だが、投手が捕った方がプレー自体は単純だ。交錯プレーを嫌がったのが裏目に出たな」
「想定以上に小鳥遊さんの足が速かった、ということかしら。それはそうよね。一塁到達タイムで言えば、私の次に早いもの」
「……ちょくちょく自慢を挟んでくるな、高峰は」
「あら? 自覚がないのかしら。それはお互い様でしょう?」
兎にも角にも、相模南は得点の絶好のチャンスを手に入れた。
そこで、今まで動きがなかった監督が腰を上げる。
「盗塁……いや」
「ここでエンドランか」
二宮の打球は、無人となったセカンドへ飛んでいく。
「「抜けろー!」」
セカンドの決死のダイビングも虚しく、打球はライトへ抜けていく。
「「やったー!!」
同点に追いつきなおも1死一・三塁のチャンスに、相模南のベンチも、スタンドもお祭り騒ぎとなる。
続く一ノ瀬に対する1球目。
それは、松葉の得意球ではあるのだが。
「直球ど真ん中か。有効な場面もあるが、ここではただのヤケクソだ」
天ノ川の言葉通り、一ノ瀬は軽打にもかかわらず大きく飛距離を稼いだ。
犠牲フライで逆転。
ライトからの送球はそもそもホームに送られることなく小鳥遊は小走りでホームベースを踏んだ。
2死一塁と、チャンスと呼ぶには物足りないが、4番の友希に対しスタンドからの応援はピークを迎えていく。
友希に対する2球目。
外角に要求していたスライダーが真ん中に入っていく。
「捉えた!」
絶好球に友希は歓喜の声を上げる。
三塁線を抜けようかという強烈なライナー。
……だが。
「今度こそ俺の守備範囲だ!」
火野は、同じくサードが本職の友希が惚れ惚れするような美技を見せた。
横っ飛びで、友希の火の出るような打球をダイレクトキャッチ。
打席から2歩進んだところで、苦笑いを浮かべながら立ち尽くすことしかできない。
抜けていれば、二宮の足なら生還していたかもしれない。
そんなことも頭に浮かばないほどに、火野の守備は完璧だった。
打球反応、ジャンプのタイミング。それだけなら、友希でもなんとかこなすことができるかもしれない。だが、身長が足りない。
「今のが捕球できるのは、全国見渡しても火野さんくらいですわね」
「だろうな。ゴロなら暴投する可能性が高いから何とも言えんが」
火野の超ファインプレーで流れが傾くかと危惧するも、投山は3回の裏を3人で終わらせ、4回を迎える。
……だが、試合が本に荒れるのはここからだった。
大しけの嵐が間もなく来る。




