10話 始動、するよ!
朝、小鳥の鳴き声と共にいち早く目を開けたのは、熊捕だった。
「8時過ぎとる……さすがに眠いのう。ほれ、みんな目を覚ますんじゃ」
「「うーん……」」
熊捕の掛け声に、友希と小鳥遊が反応した。
朝日が窓から差し込むが、いつもより少し夜更かしをしたためか、身体はまだ睡眠を求めている。
「練習は午後からだし、朝とお昼ご飯を同時に済ませばいいから、あと二時間くらい寝れるよ……」
「なに寝呆けたことを言っとるんじゃ友希。昨日お主の母親が、朝ご飯は作って机に置いてくれる言うとったじゃろう」
「でも、まだ寒いよぅ」
夜よりも、朝方の方が冷え込む。友希は小鳥遊と身を寄せ合うように、布団から出ることを拒んだ。
「ぼ、僕も、もうちょっとだけ、このままで居たいな」
「……みずきは、いつもは男らしいんにのう」
熊捕は小鳥遊の耳に近づいて、小さな声で囁いた。
「そう言えば、昨日の風呂上りは顔が真っ赤じゃったのう。何があったんか、詳しく聞かせてもろうてもええじゃろうか?」
今まで寒そうにしていた小鳥遊が、一瞬にして耳を赤くすると、もぞもぞと布団から出てきた。
「なんだか、暖かくなってきたし起きようかな。おはよう、良い朝だね」
「……現金なやつじゃのう。まあええ、問題はこやつじゃ」
熊捕と同じ布団で寝ていた投山は、敷布団および掛布団の7割を占有している。
熊捕は、自分がいち早く起きれたのは、身体が冷えていたからじゃないかと勘繰ってしまう。
「そうかそうか。なら、この布団を引っぺ返せばええんじゃな」
思い切り掛布団を引き剥がすと、今まで幸せそうな寝顔だった投山の表情が曇る。
だが意地でも瞼を開きたくないのか、閉じたまま手探りで掛布団を探している。
「まったく。じゃが、立ち上がらん限り掛布団には手が届かん……わっ!」
しかし、投山の手が掴んだのは、熊捕のジャージの裾だった。
勢いよく引っ張られてバランスを崩した熊捕は、まるで布団のように投山の身体の上に覆いかぶさる。
「あったかいのだ……」
「く、わしを倒すとは、思った以上に力があるのう。体が冷えておったせいか、桜の体温が……あ……」
一部始終を傍から見ていた小鳥遊は、なんだかもやもやした気持ちとなる。
「紅葉ちゃん、自力で起き上がれないんだったら、僕ももう一度布団に戻るけど、良いよね?」
「……わかっとる、すぐ起きるけえ。ほれ、桜も目を覚ますんじゃ」
ほっぺをピシピシと叩くと、投山はようやく重たい瞼を開いた。
「うーん、よく寝たぞ。紅葉、我が寝ている間に、変なことをしなかっただろうな」
「こやつ……。変なことをしてきたのはお主の方じゃ。さて、あとは友希だけじゃのう」
投山が二度寝する前に熊捕は一方の布団をたたみ、友希の方を見る。だが、待ってるだけでは起きる気配がしない。
「友希ちゃんは昔から朝弱かったからね。もしかして、僕もさっきの紅葉ちゃんみたく、布団を奪えば同じような状況に……」
「そうはさせん」
小鳥遊を遠ざけ、熊捕は友希の布団を思い切り剥ぎ取る。
丸くなる友希を投山と二人掛かりで抱き起し、窓から照らされる日の光に直接当てる。
「眩しいよぉ……」
「ふふっ。友希ちゃんってば、まるで猫みたい」
脇とひざ裏を抱えられ、宙ぶらりんになっている友希はそれでも自力で立とうとしない。
「くっ、友希は無限の闇に取り込まれてしまったと言うのか! みずき、笑っていないで手伝うのだ!」
「まあええ。こうなったら最終手段じゃ」
「ま、まさか! 紅葉、ここでファイナルフォースを使うと言うのか! しかし、ここは友希の自宅だぞ!」
「……お主はわしに何を期待しとるんじゃ」
頭側を支えていた紅葉は、友希の耳元に近づいていく。そして、小さな声で囁いた。
「のう友希。このまま眠り続ける言うんなら、お主の唇がみずきに奪われるけえ」
目をつぶったままだったが、身体を支えていた二人は、すぐさま友希が起きたことが分かった。
少しの間、友希は硬直したままだったが、やがて自ら支えを振りほどいて立ちあがる。
「や、やだなぁみずき! 流石に冗談でも過ぎると言うか……ほら、ね?」
「え? 僕は、何も言ってないけど?」
「……まさか紅葉ちゃん、私を騙したの?」
「お主がはよ起きんのが悪いんじゃ。ほれ、朝ごはんを食べに行くぞ」
残った布団を片付け、4人は一階へと降り、歯磨きと洗顔を済ませて、食卓へと向かう。
友希の母親が作り置いてくれたのは、おにぎりだった。
「「いただきます」」
中には鮭や昆布、明太子などがランダムに入っていた。
「急に押しかけたんにもかかわらず、ありがたいのう」
「いやーでも、紅葉ちゃんも何て言うか、お母さんみたいなところあるよね!」
「確かに、皆を起こしているところは僕の母親にも似てたよ」
「それなら我も知っているぞ! ……えーと、ばぶみ? というやつなのだ!」
「……よしてくれんか」
朝ごはんを食べ終わり、後片付けをした後にまた友希の部屋へと戻った。
一度それぞれの自宅に戻ろうかとも考えたが、練習着は洗濯して乾燥までしているので、別段帰る必要もない。
暇だったので、友希の部屋で野球談議することとした。
「……ふむふむ」
「相変わらず、行儀が悪いのう」
カーペットに寝そべって、投山は『週刊野球少女』を熟読していた。
「おっ、これはカッコいいぞ!」
何を見つけたのか、気になった他の三人は上から投山が開いていたページを覗き込んだ。
投球フォームが特集されており、そこに書いてあったのは、『クロスファイア』だった。
「ふっふっふ、我はこの投球フォームを練習するぞ!」
「クロス、ファイヤー? まさかお主、名前がカッコいいからとか言わんじゃろうな?」
「そ、そんなことはないぞ!」
あからさまに図星、という表情を浮かべる投山に、熊捕は溜め息を吐く。
しかし、小鳥遊の方から助け舟が出された。
「いいんじゃないかな? まあクロスファイアは投球フォームの事じゃなくて、対角線のストレートの事だけど。桜ちゃんのフォームは元々特殊だからね。投球フォームは、個性があればあるほどいいんだよ」
友希は紙とペンを取り出して、さらに説明を付け加える。
「例えば、プレートの一番端に立って、かつちょっと横にステップするでしょ。それでサイドスローなら、普通に投げるのと比べて凄い角度がつくんだ! 左右にかかわらず、桜ちゃんのフォームなら打ちにくいんじゃないかな?」
「お、おう……。理屈はよく分からないが、凄いという事は分かったぞ! 紅葉、今日はこれを練習するからな!」
「しゃあないのう。友希よ、今日もわしらは投球練習をしとればええんか?」
熊捕は違う週の『週刊女子野球』をパラパラと捲りながら尋ねる。
「うん。投げ過ぎると体を壊しちゃうから、7~8割くらいの力でね。途中で守備練習とかも挟むと思うけど」
「そうじゃな。まあ臨機応変に対応するけえ」
ふと投山の方を見ると、さきほどのは飽きたのか、違う週の雑誌を読んでいる。まじまじと見つめているページにあったのは、昨日も読んでいた変化球の特集だった。
「我が魔球に相応しき変化球は、やはりスライダーか。いや、フォークと言うのも……、シンカーと言うのも捨てがたいぞ」
「変化球も大事じゃろうが、さすがにまだ早い気もするのう……」
悩める投山と熊捕を見て、小鳥遊はポンと手を叩いた。
「そう言えば、初心者向けの変化球があるよ。チェンジアップっていうんだけど」
小鳥遊の言葉に、投山はページを捲ってチェンジアップの項目を探す。
「チェンジ、アップか。……ううむ、しかしこれは、変化球なのだ?」
「うん。どちらかといえば打者のタイミングを外すことが主目的だけどね。ストレートに比べて回転を少なくすることで、沈むようにも見えるんだ。肩や肘にあまり負荷をかけないって聞くし、投球の幅も広がると思うよ」
「みずきが言うなら間違いないな! よし、今日はクロスファイアとチェンジアップなのだ! ふふふ、我が著しい成長に驚愕するが良い……」
「それは練習が終わってから言って欲しいのう。……ん、そろそろ時間じゃな。出る支度をするか……って友希、お主、その大量の雑誌をどうする気じゃ」
「えー、言ったじゃん! これを部室に持ってって、みんなが読めるようにするんだ!」
何年前から保管していたのか、厚い雑誌ではないとはいえ冊数は三ケタをゆうに越えている。
友希が雑誌を入れた紙袋を持ち上げると、取っ手の部分が痛そうに手に食い込んだ。
「友希ちゃん、僕も手伝うよ。ほら、分けて」
「そうじゃのう。街中で紙袋の底が抜けても困るしの」
「我が助け……求めよ! されば与えられん!」
「じゃあ、お言葉に甘えるね! 紙袋はたくさんあるからねー」
自宅を出て、途中でファミレスに寄って昼ご飯を済ます。
コンビニで飲み物を買って、集合時間の30分以上前に部室へ着いた。
しかし、それにもかかわらず上級生はすでに部室で着替えを始めていた。
「優美先輩、もしかして私たち、集合時間を間違えてました?」
「むしろ早いですわよ。アイリさんがどうしても早く行きたいと言うので、少し早めに出ましたの」
「イエース! ゲームもいいケド、やっぱり実際にプレイしたいネ!」
「そうなんですか。僕たちも、暇だから早めに来たんです」
いち早く着替え終わった二宮は、みんなの姿を見て嬉しそうに笑顔を見せた。
「うんうん、やる気があって良いねぇ。じゃあ時間を前倒して、練習を始めよっかぁ」
そして今日から、本格的な練習が始まっていく。
クロスファイアといえば、漫画『ダイヤのA』の主人公の武器がそうですね。
Denaは左腕が多いこともあり、よく言及されるかもしれません。




