104話 めんたるトレーニング!
「それで、ニノさんの家にやってきたが、一体何をするのだ?」
「何をする、というよりも、何もしないが、正確ですわね」
一ノ瀬の言葉に、投山は首を45度傾ける。
「まぁサタンちゃん、とりあえず座りなよぉ」
胡坐をかく二宮、正座する一ノ瀬、膝を伸ばす投山と、三様の座りかたをする3人の真ん中に、1本の棒が置かれた。
「……これは、どこかで見たことあるぞ」
「ご名答ですわ。これはGW合宿のお化け屋敷で使った警策です」
「ちょっとお腹が痛くなってきたのだ」
腹を擦りながら立ち上がろうとする投山の肩を、二宮が押さえつける。
「駄目だよぉ、試合中にそんなこと出来ないよねぇ」
凄みを見せる二宮の目つきに、投山は苦笑いを怯えながらも再び腰を下ろす。
「具体的には、我はどうすればいいのだ」
「わたくしたちも似たような思いを抱いていましたけれど、桜さんは、紅葉さんが言うには『感情の変動が大きすぎる』ということらしいですわ。点差だったり、相手の監督が出すサイン、ネクストバッター等、気にしなくていい情報まで考えこんだらベストなパフォーマンスは発揮できません。そういった類の情報は、キャッチャーの紅葉さんが考えてくれますから」
一ノ瀬は立ち上がり、警策で手をポンポンと叩きながら説明を続ける。
「ですから、何もしないことで動じない精神力を鍛えます。何があっても、心を静めてくださいね」
投山の視界の隅に、ちらっと二宮の姿が映る。
ごそごそと、デッキの下からテレビゲーム機を取り出し、テレビの電源を入れる。
「なっ!?」
「欲求にも惑わされてもいけませんわ」
パチン、と投山の右肩が軽く叩かれる。
「うっはぁ、今のラビッツ打線も悪くないけどぉ。やっぱこの時代は大正義だねぇ。軽くホームラン出ちゃうしねぇ」
「……思っていたより鬼畜なのだ」
演技なのか本気なのか、ゲームに熱中する二宮を横目に、投山は深いため息をつく。
「安心してください。何もするなとは言いましたが、呼吸はしてもらいます」
「……それが許可されなかったら我は3分くらいで死ぬぞ」
「ただの呼吸ではありませんわ。やっていただくのは腹式呼吸。精神を落ち着かせるために用いる呼吸法ですが、極めれば覚醒状態に突入し、桜さんの投げる球は一段階向上します」
……覚醒というのは一ノ瀬の出まかせでしかない。
投山が興味を示すワードを用いることでトレーニングに集中させるのも目的の一つだが、実際にはもう一つだけ理由がある。
腹式呼吸で精神を落ち着かせると、催眠状態に陥りやすくなる。
自分は出来る、自分は覚醒したと自己暗示にかけるのも催眠の一種だ。
投山は素直な性格で元々催眠にかかりやすいため、効果はてきめんだろう。
「桜さんは一度覚醒状態に入ったことがあるはずですから、似たような感覚を目指して頑張りましょう」
「分かったのだ!」
「ではまず、鼻からゆっくり息を吸ってください、10秒ほどかけて―――」
一ノ瀬が投山を指導している傍らで二宮はテレビゲームで野球の試合を続けている。
偶然、二宮が捜査しているラビッツの対戦チームはスターオーシャンズだった。
「ユッキーたちはどうしているかねぇ」
一方、友希と熊捕は、友希の家のリビングにいた。
「で、紅葉ちゃん、何をするの?」
「まぁそう慌てるな。取り合えずパソコンを点けてくれんか」
訝し気に思いながらも、友希は母親の所有物であるパソコンのパスワードを入力してデスクトップ画面を見せる。
「立ち上げたけど、どうするの?」
「ある動画を見る。主には地獄の思いかもしれんが、それでも見せるけえ」
熊捕はそう言うと、凄まじい速さでとあるページまでたどり着いた。
「こ、これは……」
スターオーシャンズのエラー集、サヨナラ負け集、大敗集。
負の歴史が、10年分ほど、この動画に詰まっている。
「トラウマ克服するどころか、抉って来てるんだけど……。ていうか今の速さ、紅葉ちゃんこの動画見たことあるよね!?」
「一回だけな」
再生ボタンをクリックしようとする熊捕の手を、友希が抑える。
「なんで、メンタルトレーニングがこの動画を見ることなの?」
「1週間これを見る訳じゃあない。じゃが、まずは自分の姿を見直すことが重要じゃ。この動画の選手は皆、試合終盤のビハインドで打席に入るお主と瓜二つじゃ」
熊捕は友希の制止を振り払って再生ボタンを押す。
目を覆いたくなるような惨劇に、友希は唇を噛み締めて耐えた。
……だが、確かに熊捕の言う通り、終盤ビハインドの打席に入る友希とそっくりだった。
気迫こそ失っていないように見えるものの、負けが決まった瞬間に「やっぱりか」とでも肩を下ろす姿は、友希の姿と被る。
どうしてなんだろうか。
もう少しで掴めそうな気がする。
「……もう終わったのう」
「いや、20分だったけど、体感時間は1時間くらいあったからね。もうこりごり」
「何を言うとる。20分で終わるわけがなかろう。この動画はpart5まであるけえ」
関連動画の欄を見せられた友希は絶句した。
確かに、ここ10年というには古いシーンしかないと思ってはいた。
「ちょっと、休憩を……」
ダメもとで頼んだ友希だったが、熊捕は軽く了承した。
「じゃあ、次はレッドスナーパーの動画を挟むかのう。一昔前は万年5位じゃったけえ、そういう動画には事欠かん」
オーシャンズじゃない分、少しだけ友希の心は安らいだが、それでも悲惨な場面であることには変わりはない。
「対戦相手にオーシャンズが少ないのは気のせいかな?」
「気のせい、ということにしといたほうがええじゃろう」
ちらっと熊捕の横顔を見たが、表情はいたって普通のままだ。
この時代の熊捕は野球すら見ていなかったのだから、友希とは思いの重さが違う。
それでも、過去とは言え応援しているチームの惨劇をここまで見せつけられて顔色一つ変えないというのは、尋常じゃない。
「……私は、どうすればいいのかな」
「トラウマを払拭するには2つの方法がある。記憶をデリートするか、上書きするかじゃ。わしはデリートするタイプじゃが、お主は違う」
「じゃあ……」
友希は縋るような眼で見たが、熊捕は涼しい顔をして受け流した。
「とにかくじゃ。Part5まで、水曜日までには見とくんじゃぞ」
「うへぇ……」
準決勝まではあと5日。




