101話 最後の打席
9回の表、1点ビハインドの中、2死満塁のチャンスを作り、打席が回ってきたのは1番の小鳥遊だった。
対するマウンドの華園は、ワインドアップポジションを取る。
初球、ストレートが小鳥遊の内角を抉る。
「ストライク!」
バックスクリーンに映し出された球速表示は120km/h。
「途中まで本気じゃなかったとはいえ、ここにきて120km/hか……。いや、そう来なくっちゃね」
ストレート、ライズボールにチェンジアップを織り交ぜながら、カウント2—2で迎えた5球目。
(ストレートかチェンジアップ……!)
華園が放ったストレートは、唸りを上げながら小鳥遊の内角へ切り込んでくる。
「速い……!」
バックスクリーンに球速は表示されなかったし、されたとしても見ている余裕などない。
だが、小鳥遊にとってそのストレートは初球よりも速く感じられた。
それでも、それでも。
「負ける、かああああ!!」
バットの根っこに当たったそれは、いつもの小鳥遊ならボテボテのファーストゴロか、小さな内野フライだっただろう。
力がないことは知っている。
それでも振り抜け。技術なんてどうでもいい。持てる力を全て振り絞って、球の飛距離を稼げ。
ギィン!! と聞いただけでも痛みを感じさせるような音とともに、打球が上がる。
手の痺れなんてどうでもよかった。
飛距離が稼げるなら、何百ボルトの電流が流れるほど痺れたっていい。
打球、打球は……。
頭上をライナーで抜けようとする球を、ファーストがジャンプし、体を思い切り伸ばしてミットに収めようとする。
「「超えろー!!」」
小鳥遊だけではない。ファーストコーチャーの友希も、ベンチの皆も、監督も、スタンドで応援してくれるクラスメイトの皆も。
示し合わせたかのように身を乗り出して叫ぶ。
……小鳥遊には分らなかった。
ファーストが打球を捕球したかどうかが。
ファーストが後ろへ倒れこんだあと。
思いを乗せた打球は、ライト前に転がっていた。
食いしばっていた歯の力が抜け、思わず頬が緩んだ。
走りながらも小鳥遊は、感覚が少し麻痺している左手で握りこぶしを作る。
「紅葉! ゴー、ゴー!!」
一方、打球など目もくれず走っていた熊捕は、三塁コーチャーの右京の指示で本塁へ突っ込んでいく。
本塁へ還ってきたのは、送球ではなく。
熊捕だった。
バチン、と本塁で出迎えていた真中の頭を熊捕が思い切り叩く。
「い、ったいわね!」
「はっはっは、そう言うてお主も笑みが零れておるがな」
「それは! ……仕方ないじゃない」
ベンチとスタンドがお祭り騒ぎになるような中、一塁上の小鳥遊はまるで時間が止まったかのような錯覚に陥っていた。
手の痺れが、段々と小鳥遊を現実に引き戻していく。
「みずき!」
一塁コーチャーの友希は、目を赤くさせながら笑っていた。
「友希ちゃん……まだ試合は終わってないよ」
「うん。うん……」
「その、僕、かっこ良かったかな?」
「うん。とっても。かっこ良かったよ」
「そっか。ありがと!」
小鳥遊が差し出した手に、友希はハイタッチで応えようとした。
そのはずなのに、友希は小鳥遊の手の前で勢いを止めると、数秒間指を絡め続けた。
「友希ちゃん、そろそろプレーが始まるよ。ほら、ベンチに戻らなきゃ」
「……うん」
友希は真中とコーチャーを変わると、ベンチへ戻っていく。
「……さぁて、3-2と逆転したことだしぃ、9回の裏もびしっと決めていこーかぁ」
「ニノ、今の初球ポップフライは何ですの?」
「いやぁ、勢いで何とかなると思ったんだけどねぇ。あれをヒットにしたずっきーはやっぱり凄いねぇ」
元々身長がある一ノ瀬は、初球でサードフライに倒れた二宮をさらに見下すような視線で睨みつける。
「反省の色が見えませんわね。次の回、もしエラーでもするようなことがあったら、どうなるか分かりますか?」
「緊張させるようなこと言わないでほしいなぁ」
9回の裏。流石に体力が尽きかけてきた投山だったが、熊捕が心配するような投球ではなかった。
だが、簡単に終わるような相手でもない。
「まだ……、まだ負けてない!」
ワンアウトを取った後、5番の胡蝶が外角のチェンジアップを上手くすくい上げて二塁打にすると、次の6番がセカンドへ進塁打を放つ。
そして。
2死三塁で巡ってきたのは、7番の華園だった。
今日ここまで、全く打つ気を見せなかった華園だったが、事ここにきては本気で取り組むしかない。
元々、華園は打撃が悪いわけではない。
チャンスで巡ってこなかったため打つそぶりを見せなかっただけで、後続の打者よりかは打撃能力がある。こんな場面のために、投山の球筋はこれまでの打席でちゃんと見ていた。
だが、それでも……。
カウント1-2で追い込まれた4球目。
投山が放った高めのストレート、誘い球に釣られて手を出した華園だったが、バットは虚しく空を切った。
その瞬間、相模南のナインは手を叩き、ホームベースへ向かってくる。
「ヘイ雨音! ハグをするネ!」
「もう……。仕方ないですね」
「雨音ちゃん、うちにもハグしてや~」
「敦子先輩はそんなキャラじゃなかったでしょうが」
和気あいあいと自分の方へ向かってくる相手チームの喜びようを見て、華園は小さく呟いた。
「……いいなぁ」
華園も、河咲女子の面々も、1回戦の試合終了後はそうだった。
試合に負ける日が来るなんて、その時は微塵も考えに浮かばなかった。
自分の実力で全国優勝だなんて、夢のまた夢だということは。いつかはこんな瞬間がやってくるということは。
分かっていたけど。
「早いよ。早すぎるよ。ハマスタに、行ける。最後の。チャンス、だったのに……」
ぽろぽろと、意に反して涙が零れ落ちる。
澄み渡った秋空を見上げても、滲んでぼやけるだけだった。




