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リポグラム短編集〜『あい』を失った女〜  作者: 石河 翠


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『うえ』から落ちる

中絶を匂わせる表現があります。ご注意ください。


条件:「う」「え」を使用してはならない

 ある冬(ふゆ)の日(ひ)、わたしは婚約者(こんやくしゃ)と別(わか)れた。

 悪(わる)いがやっていけない。その一言(ひとこと)ですべてが終(お)わった。


 ぺたんこのお腹(なか)を撫(な)でつつ、わたしは出来(でき)たばかりのショッピングモールをひとり歩(ある)く。周(まわ)りを行(ゆ)くのは家族連(かぞくづ)ればかり。その姿(すがた)が、酷(ひど)く気(き)に障(さわ)る。


 不意(ふい)に目眩(めまい)がして、倒(たお)れかけた。二本(にほん)の足(あし)は確(たし)かに地面(じめん)についているはずなのに、まっ逆(さか)さまに下(した)へと落(お)ちている気(き)がする。


 座(すわ)り込んだまま一階(いっかい)を眺(なが)めていると、誰(だれ)かがわたしを呼(よ)んだ。赤子(あかご)だ。玩具(がんぐ)をねだる泣(な)き顔(がお)と、ばたつく小(ちい)さな手(て)。なるほど、ここへ来(き)たのは間違(まちが)いではなかったのだ。


 光(ひかり)に招(まね)かれて、わたしはすぐ近(ちか)くを行(ゆ)く父子(おやこ)を呼(よ)び止(と)める。そのまま、幼子(おさなご)を手(て)すりの先(さき)へ投(な)げ込(こ)んだ。ふわりふわり、ゆっくりと落(お)ちていく。


 これで安心(あんしん)だ。ひとりぼっちのあの子(こ)も、寂(さび)しくないに違いない。

 わたしはにっこりと、泣(な)き叫(さけ)ぶ父親(ちちおや)に礼(れい)を述(の)べる。わたしの婚約者(こんやくしゃ)だった男(おとこ)に。


 何(なん)の咎(とが)もない子(こ)どもたちは、仲良(なかよ)く天使(てんし)になるのだ。

「うえ」から落ちて、「うらみ」も消える。

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