13.その名は誰も口にしていない
『なぁ、赤門』
犬人の声は狼の姿をしても、ヒトの姿をしていたときとあまり変わらない声だった。
それに対して赤門は、無言と視線で先を促す。だが、警戒は怠らない。両手をぶらりと下げて力を抜いているような姿勢だが、いつでも攻められ、いつでも守りに徹することのできる状態だ。
『お前は相変わらず空だよな』
「そう、か?いや...そうなんだろう。そう言われて俺にはそれを否定する材料が思い浮かばないからな」
一瞬考えたような様子を見せたが、結局一瞬だった。
「それでも、俺はここまで生きてこれて、薺にも会えた。それで充分だ。まぁ、まだ死ぬ気はないがな。死ぬ覚悟はある。いつ死んでもおかしくないとも思ってる。だが、生きていたいと俺は思ってる」
『そうか、せいぜい頑張ってくれ』
「これは厚意で聞くぞ。その狼たち、死ぬと思うがいいのか?」
『大丈夫だ。お前が変な物を壊さない限りには死なないさ。本体はここにはないが、消えはする』
「なら、これが最後だ。死んでくれるなよ」
空気が冷たくなり、重くなる。
その言葉を言い終わると同時か、否か、三匹の狼のうち一匹の狼の首がおちる。その後まもなく黒い霧になって狼の死体は消える。
赤門が木刀で狼の首を切り落としたからだ。
その光景を見ていたトルシスは数日前の銀行のことを思い出す。あのときの赤門の速さに比べると僅かに速い程度の速度だったが、やはり赤門に対しての疑問が減ることなどない。ましてや、増えていくばかりだ。
最初の一匹は咄嗟のことで反応できなかっただけらしく、他の二匹と犬人は赤門の攻撃を次々躱す。そして、そのうち犬人たちは、赤門の攻撃を躱しながらも反撃にうってでる。
そういった攻防が何度かあり、犬人たちにとっての絶好の機会が訪れる。
狼のうち一匹が赤門の左腕の傷を狙って噛みつき、さらにもう一匹が左足に後ろからタックルをしかける。左腕を咄嗟に庇うように避けた赤門は左足へのタックルで、ヒザカックンをされたときのような動きで片膝をついてしまう。
そこへ、上から赤門目掛けて犬人が右前脚を叩きつける。
その瞬間に犬人は勝利を確信する。噛みついたとしてもレオの硬さでは他の狼同様、赤門の血ではなく自分たちの血が出ることを承知していたために、叩きつけるという攻撃を選んだ。これなら殺せないまでも、気絶を狙うことはできると踏んだからだ。
トルシスはその一連の攻防を見ていて違和感のような、既視感を感じた。まだ何かあると、トルシスの直感が訴えてくる。
赤門は、不敵に笑った。その笑みに犬人は気づいたが、最早間に合わない。
赤門は銀行強盗のときや、一匹目の狼とは比べものにならないほどの速度を出す。
最早、見えているのはトルシスだけだった。だが、見えていると言っても、目で見えているのではなく感覚で追っていた。
そして、トルシスは確信する。先ほどまでの違和感の正体を思い出す。それは赤門の防衛本能の木刀と同じだった。こちらが勝利を確信したその瞬間の隙を狙って攻撃する。その瞬間が来るまで力を隠し、攻撃はほぼ必殺の一撃だ。
赤門がとった行動はまさにそれだった。右前脚を犬人が叩きつけ、赤門に直撃する直前に、赤門は今まで隠していた力を、速度を出し二匹の狼の首をほぼ同時に切り落す。
そして、そこから犬人の右前脚が地面に叩きつけられる直後の瞬間に、赤門はその脚を掴む。犬人は抵抗するが全く動かない。そのまま赤門は、犬人を背中から地面に叩きつける。間をあけずに赤門は、犬人の首に木刀をあてる。赤門は木刀を振りかぶって首を落としにかかった。
トルシスはその速度に、その強さに圧倒されていた。これが赤門の力なのかと、どれだけ手加減されていたのかと。
赤門が木刀を振りかぶったときに、犬人の体が光につつまれ先ほどのヒトの姿に戻る。それによってなんとか赤門の木刀から逃れることができた。
「待った!待った!!降参!降参っ!」
犬人は両手を上に挙げて青い顔で叫ぶ。
「ふん、仕方ない。でも、忘れるなよ。これでお前に果たすべき義理はなくなった。次があれば殺す」
「それでいいです、それでいいです」
その言葉を聞いてから赤門は、薺たちの下へ小走りで行く。
それを見ていて、次第に冷静になったトルシスは、今更気づいた。この魔法陣が自分たちを守ってくれていたことに。
赤門たちがいた地面はクレーターのようになっていて、そのめくれ上がった地面の破片があたりに散らばっていたのだが、その破片の一片、石ころ一つとてトルシスの視界にすら入らなかったほどの防御性能だった。
赤門は薺から木刀を入れて持ってきた袋を受け取り、木刀をしまった。それを見ながら薺は言う。
「お疲れさま。それと、きっとまた私のことを守ってくれたんだよね、ありがとう」
「おう」
赤門はそれに短く答えた。その頃にはもう既に赤門の目は普段の色に戻っていた。
赤門のあとから犬人が歩いてやってきて、トルシスに挨拶をする。
「えーと、トルシスちゃんでいいんだよね?」
「はい、トルシスです。あえて姓名を名乗るなら、夢東トルシスです」
「そうか、俺は西冬犬人だ。まぁ、その、よろしくな」
「はい、よろしくお願いします」
「それと、いつまでも放置するわけにもいかないから聞くけど、トルシスちゃんはビーストの最強種だろ?」
「ええ、まぁ」
「意図的なら申し訳ないのだが、蛇の力が出てるのがいいのか?」
「え...?」
「その様子だと気づいてなかったか?そのミスディレクションの上位版の魔術で一般人には問題はないけど、赤門たちには直でガンガンあててたんじゃないか?」
「ちょ、ちょっと失礼します」
そう言ってトルシスは、屈んで右手を瞼の上から目を覆った。ものの数秒後に失意の声で小さく言う。
「ほんと、だ...」
ゆっくり立ち上がり、赤門たちの下へ行きトルシスは、深々と頭を下げて叫ぶ。
「ごめんなさーいっ!!お二人に蛇の力、いわゆるメドューサの力の一部をここ数日ガンガンあててました。すいませんでした!!」
「許してやってくれ。こことあっちじゃ空気が違い過ぎる。それで無意識に気が抜けて力が漏れるって形になったんだと思うから」
「『ここ』ってのは東の世界で、『あっち』ってのは南の世界のことでいいのか?」
「ああ、そうだ」
「そういうことなら、俺は実害はなかったし別に気にしないけど」
実害はなかったと赤門は言ったが、その手前の状態にまではなっていたんだと同時に思った。
最初にトルシスと出会ったときのあの硬直は、どうやらその蛇の力のこともあったらしい。
「うん、私も別に気にしてないから顔上げて」
「いえ!そうも行きません、何かしらお詫びを!」
「いや、娘に深々と頭下げられてると心持ちが悪いから上げてほしいのだが」
「はい、わかりました...」
そう言ってトルシスはやっと顔を上げる。
「それでもやはり何かお詫びを」
「そこまで言うなら一つ頼みがある」
「なんなりと」
「このことについての反省はいい、だが後悔はするな。それだけだ」
何が来るのかと待ち構えたトルシスにとっては存外軽くものだと思ったのも束の間。その頼みを頭の中で反芻して、その頼みが以外と辛いものだと気づいた。
「わかりました。反省はしても後悔はしないようにします」
それに赤門は頷いて返した。
その問題がひと段落ついたとみて薺が言う。
薺が怒っていると、雰囲気で犬人が察する。
「ねぇ、犬人君さ。赤門が空っぽだと言ったよね?」
「言いましたね」
「それに対して私は妻として、それを否定する義務があると思うので、全力の抵抗をします。と言うか、義務なんて関係なしに否定します」
「はい、どうぞ」
「赤門は確かに自分の意志があんまりないような人だけど、そんなことはないです!具体的な根拠と言われると私自身言葉につまってしまうことを恥じながらも、もう一度言います。そんなことはないです!!一番近くにいる人としてわかるものもあるんです!!」
そこで赤門は、薺に思わず抱きつき、そして言う。
「俺、薺と結婚できてよかった!俺ここまで生きてこれてよかった!ほんと、ありがとう!!」
「うん...」
とても嬉しそうな顔で言った赤門に、薺は幸せそうな表情で返した。
「なるほど...」
犬人はあまり納得したような様子ではなかった。
「別に理解してほしいとかっていうのではないので。ただ、否定したかっただけなので」
赤門は薺から離れて、薺と手をつなぎ言う。
「犬人、俺にも否定する材料はあったらしい」
「どんなだ?」
「俺は薺に対して、ソシャゲで課金しすぎて抜け出せなくなった、みたいな感情で薺と一緒にいるんじゃなくて、自分の意志でここにいる。他の誰かの思いを差し引いても俺は絶対にここにる。だって、自分のために誰かが泣いたり怒ったり、笑ってくれたりするってのはめちゃくちゃ嬉しいことだからさ」
「そうか」
今度は犬人は納得したらしい。
「ところで時間が惜しい。俺としては、赤門たちには南の世界にさっさと行ってほしいのだが」
「それは、私も同じです。赤門さんと薺さんにはできるだけ早く南の世界に行ってほしいんです」
「あっちには何か東の世界にはないものがあるのか?」
「あっちでの一日は、こっちでの一時間半ほどだからだ。長話ならあっちに行ってした方がいい」
「そうか、なら早く行こう」
「魔法陣の中全員入ったね。じゃー、まず戻るよ」
そう言って犬人は錫杖をぬいた。それを皮切りにさっきと同じように、魔法陣を中心として波紋が広がるように景色が変わっていった。最終的に、もとの瓦礫の山の目の前に帰ってきた。
「悪いが、最後に二つ、これだけは聞かせてくれ。トルシス、薺の心臓はどうなる?このままの状態で今以上の戦闘になったときに最悪の事態になりかねない」
「それについては問題ないですよ。最初の、私がお二人の家に行ったときに赤門さんが持っていた羊皮紙あったじゃないですか?」
「ああ」
「あの紙の内容は薺さんの前で音読しましたよね?」
「ああ、そうだな」
「なら、大丈夫ですよ。その時点で薺さんの心臓は治癒されましたから。それでもついてきてくれると言うのなら、私の、トルシスとしての故郷までついてきてください」
「そっか。薺はどうしたい?」
「赤門が行くところなら、どこまでもついて行くけど?」
「悪いな、どうしても気になることがあって...」
「いいよ、約束したし」
「まぁ、そう、なんだが...」
暫し迷ったような様子をみせ、その煮え切らないような返事から一変して、今度は鋭い視線を犬人に向ける。
「次だ、大兄のゴールドとオレンジをかたるのはどこのどいつだ?」
「それは───」
「赤門、招待状借してくれ」
赤門は犬人に招待状をわたす。
犬人は招待状をもって、また呪文のような言葉を言った。すると犬人の目の前で、空間に縦長で丸く、真っ暗な穴があいた。
「これを通れば南の世界だ。あとの話はあっちでしよう。あと、返す」
犬人は赤門に招待状を返した。
穴は大人が普通の体勢で、腰も膝も曲げずにすみそうなほど大きさの穴だった。
「まずはお前に行ってほしいな」
赤門が犬人に言う。
「はいはい」
そう言うと犬人は穴の中に入って行った。それを見てから赤門は相変わらず薺と手をつないだまま、穴の中を覗いてみる。が、しかし、穴はやはり暗い。
だが、まず赤門は右手を穴に向かってのばしてみる。そこから腕を入れ、肩をいれ顔を入れて見たが、見える景色は変わらない。やがて薺とつないでいる左手以外が穴に入ると、薺に声をかける。
「大丈夫そう」
「了解」
そう言って、恐る恐るながらも、薺も右手からどんどん入っていった。そして、トルシスは迷う様子もなく穴に入ってきた。
赤門たち三人が中に入ったことを確認すると、犬人は何やらゴソゴソと物音をたてて何かをすると、両脇の壁や道が、明かりが点き照らされた。それに合わせて入り口も閉じられていった。
誰から言い出したのか赤門たちは先へ進んで行く。
トルシスは口の動きから話の内容を理解する、読唇術のようなもので理解することはできなかった。ただ、トルシスは赤門たちの小声の会話を聞いていたにすぎない。
そこで多くの気になる点があった。それらの疑問が解決することを願いながら前へ進む。
他にも疑問はあった。誰もその名を口にしていなかったはずなのに、知っていたということ。
そして、なにより、何か見逃している気がしてならなかった。確実に何かあると分かっていながら、その正体が全く分からない状態にあった。
これで一章完結になります。やっと異世界です!なんとか異世界です!まずは、ここまで読んでくださりありがとうございます。これからもよろしくお願いします。12/20
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