11.見上げた星座に誓いを
そして、赤門がトイレにて吐いているとトルシスが起きてきたという流れだった。そしてそこでふと、赤門は思う。鉄のような臭いがすると。まさに血のような臭いがすると。
「トルシス、怪我でもしてるのか?」
「え?そんなことは...あれ?...そんな、まさか...」
トルシス左腕に冷たい感覚がして袖を捲ってみると、白い綺麗な肌の二の腕に1本そこまで深くなくとも、5,6cmはあろうかという程の切り傷があり、そこから出る血が今まさに手の甲まで達しようとしていた。傷は深くないとは言え放置するわけにもいかなかった。
それを見た赤門はすぐさま手を洗い、口をすすぎトルシスの手をひいてリビングのソファーに座らせた。血が垂れてもいいようにとソファーにはタオルを敷いた。そして、赤門もトルシスの隣に座った。
「よし、触るぞ」
「は、はい」
そう言って赤門は傷口に右手をかざす。トルシスはまずは赤門に、夢の中での応急処置の適切さから信じて任せてみることにした。
ものの、手をかざし目を閉じるだけで何かをしているようには見えなかった。
「あ、あのー、赤門さん?」
「悪いがちょっと黙っててくれ」
「は、はぁ」
トルシス自身、傷に気が付かないほどに痛みがなかったので指示に従うことにした。そして、何より夢東赤門という人物が何をするのか興味があった。
赤門は目を閉じ、一つの半開きの扉をイメージする。先ほどの鉄の扉とは違い木製ではあるが、デザインにおいては天秤座がないだけで全く同じような扉が目の前に表れる。だが、あくまでこれはイメージであり、実際にはこんな扉は存在していない。これは赤門の身体の内側のことなのだから。
赤門は奥歯で舌に傷をつけ血を出す。口の中に広がる鉄のような味の不快感は、何度もやっているために慣れてしまった。
舌というのは柔らかい上に、口の中ということもあり唾液などで血が止まりやすいのだ。
赤門が見ている扉は徐々に開いていき、完全に開け放たれた。
トルシスはいつの間にか腕から、僅かしか無いながらも自己主張をしていた痛みがなくなっていくことに気づく。赤門が手を離すと、傷は完全に無くなっていた。
「回復、魔術...?いや、魔法ですか?」
「さあな、俺は魔術も魔法もよく知らないからな」
「そう、ですか」
「そうそう、傷も無いしさっさと寝ちまえ」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
「はい、どういたしまして」
傷を治してもらった手前、「これ以上聞くな」と暗に言われてしまっては引き下がるしかなかった。
赤門の方にも気になることがあった。傷を見つけた時のトルシスの驚きようがなんとも、傷に対して大仰に見えてならなかった。箱入り娘じゃあるまいしとも思ったのだが、他人から知識を与えられた、と言っていたことを考えると可能性を捨てきれはしなかった。それでも、やはり傷がついてしまった経緯に何かあったのではないかと思い、傷がついた理由を聞けなかった。
トルシスは傷を見たとき、夢の中での薺の言葉が思い浮かんだ。
『赤門の方で負った傷は現実の体に影響する可能性も充分すぎるくらいあるから気を付けなよ?最悪死ぬから───』
やはり、今になって改めて考えてみても夢の中での薺は現実の薺に比べ変という表現は不適当かもしれないが、変であったと思う。具体的に挙げられる点で言えば、見た目に一切変わりはないはずなのに数年若くなったように思えた。
***
トルシスは二人に夢を見せている時、二人の心の中を覗いていた。人の心を覗くという行為は褒められたものではないが、仕方がなかったと思っている。全てはこの二人を思うがためなのだから。
人の心の中は海のようになっている。心の深いところに行くには深層を目指さなければならない。だが、浅いところなら問題はないが、深ければ深いほどに現実に正確に戻ってくるということが難しくなる。そのため正確性を求めるなら、わざわざ深層に行った後に、浅いところまで戻って来なければならない。それは相当な手間であり、行きでも帰りでも、その心の主人の防衛本能に襲われることもある。
だいたいの場合は、トルシスなら難なく防衛本能の攻撃も躱し無事帰って来るのだが、この度のこの二人は明らかに違った。この二人のことで、もう二度と誰かの心の中に入るのはやめようと固く決意してしまうほどには恐ろしかった。
ここからは薺の心の中での出来事である───
まず、トルシスが作り出した夢の中の空想の街に、薺の意識に空想の身体を与え、街に送り出す。
すると、薺は空を見上げ何かつぶやくと、見えていないはずのこちらに顔を向け微笑んできた。人混みで見え隠れしながらもしっかりと目をあわせてきた。
瞬間トルシスは、背筋が凍るとはまさにこのことなのだろう、と思わざるを得ないほどにゾッとした。
あちらからは確実に見えていないはずだった。そういう作りだったはずだった。それでも目をあわせてしまった。この時点から薺は変だったのだ。
それに、薺がつぶやいたことも分からなかった。言葉としては理解したが、自身の解釈が納得できなかった。
『ああ、夢か。だから』
それから、赤門を模倣した者に、他の女性と親しげに話させるなどしたのだが、そこにおいても変だった。ここにおいては薺の赤門へのイメージは具現化されやすいのだが、具現化された事象は異様だった。
この点はやりすぎたと、赤門の時には具現化するレベルを下げるなど様々な調整をした。
赤門が薺に気づき、その女性と別れて薺の元へ来ると、突如として赤門は倒れた。口の端から血を一筋描いて死んでしまった。そして薺はまたもこちらに顔を向け目を向け言った。
「私の嫉妬心量るなら、もう少し、赤門のあの女の人への思いを弱めないと。じゃないと嫉妬心量る前に、赤門が死んじゃうから」
最早これ以上は無意味と、トルシスは薺の前に姿を見せることにした。
「やあ、クロ、久しぶり。あと、おかえり」
「私がクロだと、何故そんなにも断言出来るんですか...?」
これがトルシスのほぼ精一杯の抵抗だった。薺のことが全く分からなくなってしまったトルシスは、どんな反撃が来るのか怖かった。
「『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』だよ」
「なるほど、そうでしたか。貴方には最早適う気がしませんよ」
「ハハッ、そんなこと言ったら、赤門の方のぞいたときに帰れなくなっちゃうよ?」
笑いながら言うが目は本気だった。
「私、結構強いですよ?」
「それは分かってるよ。その上で言ってるの!
ヒトにはそれぞれ、のぞかれたくない部分というものがあるわけで、例えばそう、今クロが行こうとしてるその右の方とか」
そう言った薺の目はトルシスを射抜くような鋭い視線だった。
そして、同時に薺の心の中の最深層まで来て、左と右で色の違いが出ているところまで来た。左と右それぞれどちらも赤いのだが、比較すると右の方が左に比べ暗い、濃い色をしていた。そして、まさに右へ行こうとしているトルシスの肩に誰かの手が置かれた気がして、振り向くと薺がいた。
街の方の薺は、続けてこんなことを言う。
「赤門は喜ぶだろうね、誓いをたてなくてもトルシスもクロも大差ないから」
「誓い、ですか...?」
トルシスの表情が険しくなる。
「そう、誓い。そして、その赤門が死んだことも、誓いのせい。忌々しいことに赤門は星座に誓いをたてた。その上、その記憶が赤門にはないと来たから余計忌々しい」
「そんな、状態なんですか...」
トルシスの表情が先ほどとは別の意味で険しくなる。
「はい!この話はここで終わり!私から始めたようなものだけど、終わり!!」
「は、はぁ。あ!折角なので聞いておきたいことがあるんですけど───」
「では、私からクロに言わねばならないことが3つ、あります」
「はい、なんでしょう?」
「まず、一つ目は、夢の中での、この状態での私についての一切を赤門に言うことを禁じます。必要とあらば適当に答えてください。こちらが嘘を言ったら赤門ならそれ以上そのことについて、ほぼほぼ言及してこないので。
二つ目は、私のことなら大丈夫です。嫉妬心で行動が鈍るなんてこともありません!
三つ目は、これから赤門の方に行くなら気をつけなさい。私の方なんて、出られなくなってもいつかは出口が見つかるからまだましだけど、赤門の方はそうもいかないから。
赤門の方で負った傷は現実の体にも影響する可能性が充分すぎるくらいにあるから本当に気を付けなよ?最悪死ぬから。特に、1番気を抜いたときが1番危ないから」
「は、はい、分かり、ました。気を、つけます」
トルシスとしては、今この状態において捕まるかもしれない、と言われた時点で今すぐ逃げたしたかった。
そんなことを考えていると、心の中の方で、薺がトルシスを浅いところに向かって押してくれた...と思いきや、そんな優しいものではなく強制的に退場させられた。そして、薺は見えなくなるまでトルシスに向かって手を振っていた。
肌や髪も赤い色を反射していたので、そのときの薺の目が赤く見えたのは背景の影響だったと思う。
***
赤門の心の中はとてつもなく深かった。そして、最深層にたどり着く頃には暗くほとんど何も見えないような状態だった。だが、かろうじて何かがトルシスに向かって飛んでくるのは分かったので避けてみると、木刀だった。余裕をもって避けられるくらいの速度だったが、いかんせん何往復もしてくるために、仕方なく帰ることにした。薺の忠告もあり怪我をするのは出来るだけ控えたかった。
他のヒトの心の中だったとしたなら、怪我をしても無事に現実に帰る可能性が僅かに低くなる程度のものなのだが、回避に専念していた。
そしてトルシスは、浅いところに近づくにつれ木刀の攻撃も少なくなり油断してしまった。本当に危なかった。薺の忠告がなければ確実に死んでいた。それでもまた同じものが来たら、次は確実に避けきれないと確信した。その一撃は自分の直感に頼っていた。まさに運だった。
トルシスが油断した瞬間、今までの速度が嘘であったように圧倒的速さで、今までの数十倍の速さでトルシスの背中から心臓を、木刀は貫こうとした。トルシスは直感に任せて右へ大きく避けるとギリギリのところで、避けきれたかのようにこのときは思っていた。
痛みも何もなかった。ただ、あるのは恐怖だった。木刀1本に殺されかけたという事実が、赤門という人物への恐怖に無意識につながった。そこからのトルシスは一切油断することなく、一撃も攻撃をもらうことなく現実に帰って来ることが出来たと思っていた。
だが、現実は違った。避けたと思っていた攻撃はトルシスにしっかり傷を残していた。
今回の二人は本当に異常だった。片や防衛本能に一人の人格が備わり、片や殺されかけたともなれば最早もう、二度と人の心の中をのぞこうとは思えなかった。
長いながらも最後まで読んでくださりありがとうございます。今回のはほんとに長かったです。作者も頑張りました。12/5
1/10本文修正しました。




