怪物/現れる死の化身
何だアレ。この一時間に、何度こう思っただろう?
だがこれしか言葉が浮かばない。
アナンの体がドロドロに溶けた。
かと思うと、まるで水鉄砲のように吹き出した。
吹き上がった水柱は飛沫を辺りに撒き散らした。
黒い液体が当たった岩が、白い煙を上げた。
(これは……炎か酸? クソ、ここに留まっているのはマズい!)
シールドを頭上に展開しながら、俺は斜面を駆けのぼった。
相変わらずアナンだったものは噴出を続け、天まで届かんばかりだ。
鈍色の空を背景にしながらも、それは圧倒的な存在感を持っていた。
やっとこさ斜面を登るが、一息つく暇もない。
この状況が見えていないのか、彼らはまだ戦闘を続けていた。
あの化け物から、少しでも遠くに逃れなければ。
俺は人波の中を駆けた。
流れ弾を何発か喰らうが、しかし何とか突破することが出来た。
突如として、黒い液体の噴出が止まった。
何事かと思い、見てみると、事態は一変していた。
崖から身を乗り出すように、化け物がそこに立っていた。
海岸からここまでは5mほどの高低差がある。
だが、それは肩から先を崖の上に出していた。
少なくとも6、7mはあるだろう。
鷲のような嘴を開き、威圧するような声を出した。
瞳の色はアナンのそれと同じ金色、顔面には鳥のような特徴があった。
だが、鳥の腕は人間のように太くない。指だって5本もなかったはずだ。
怪物は腕を振るい、崖の上をさらった。
反射的に地面に身を投げ、振り払われる腕を避ける。
腕の軌道上にいた奴はなぎ払われ、指の軌道上にいた奴は掴まれた。
悲鳴を上げ、抵抗するが、それはまったく無駄だった。
アナンだったものはそれを口元へと運んで行った。
そして、誰もが予想したとおりに――それを口の中に入れ、咀嚼した。
嘴の端から赤黒い血が溢れ出す。
あの化け物は、人を食った。
誰もがそれを見て、言葉を失った。
この期に及んで、戦いを続ける奴は一人もいなかった。
誰かが悲鳴を上げると、それが連鎖した。
人々は走り出し、より安全な森へと駆け出した。
キィィィッ、という特徴的な音を聞いた。
それは、魔法を展開する時と同じ音だ。
化け物の周囲に、青白い光を帯びた魔法陣が浮かび上がって来る。
奴は腕からでなくても、魔法を使うことが出来るのか?
俺は岩の影に隠れた。それと同時に魔法が放たれた。
マジックアロー、だろう。俺たちの言葉でいうなら、だが。
白い光の帯が魔法陣から放たれ、地を穿ち、人々を押し潰した。
泥の飛沫を浴びながら、俺は魔法矢をやり過ごした。
だが、吹き飛ばされた。魔法矢が岩に命中し、粉々にそれを砕いたのだ。
「冗談だろ……いったいどうなってるんだよ、これは!」
これがあいつの言っていた『面白いこと』か?
ふざけるな、こんなのは悪夢だ。
周囲には魔法矢に押し潰され、吹き飛ばされた人々が転がっている。
誰も動かない、誰ももはや命を持たない。
そして、俺もその一つに加わるのだろう。腕を振り上げるのが見えた。
「待て待て待てっ、この化け物がッ!」
恐怖のあまり目を閉じた俺を救ったのは、マイトだった。
真っ直ぐ振り下ろされた爪に剣を叩き込み、その軌道を逸らした。
爪は俺の数センチ横に突き刺さった。
「すっげえバカ力……あのデカさなら、当たり前かもしれねえけどな」
「マイト! 気を付けろ、この化け物……とんでもない力だ!」
「そんなことは分かっている。こいつをどうにかせねば皆殺しにされる!」
続けてウルザが炎を纏った剣を構え、化け物に飛びかかって行った。
乱雑に振り回される腕を巧みに避け、懐に飛び込む。
そして、剣を一閃。
胸を覆っていた筋肉と体毛が焼かれ、化け物は悲鳴を上げた。
頭上にいくつもの魔法矢を生成し、ウルザ目掛けて放った。
ウルザは舌打ちしバックステップを打ち、魔法矢の攻撃を避けた。
「硬いな。生半可な攻撃では、こいつに致命打を与えることは出来ないだろう」
「分かってるって。こいつをぶっ倒すには、半端なことは出来ねえ」
マイトとウルザは歴戦のパートナーであるかのように並び立った。
周りを見ると、俺たちとウルザの仲間たちは一人として欠けていない。
あそこにいたアナンを除いては。
鳥のような化け物は地面を爪で掴み、上体を持ち上げようとした。
「! 上陸しようとしている! 絶対に上げるな!」
「分かってるって。砂浜にいる限りあいつの動きは制限される。
自由に動き回りてえのは当たり前だ。
だったら、俺たちはそれをさせなければいいッ!」
マイトとウルザは剣を構え、再び向かって行った。
左右に分かれ挟撃を仕掛けようとするが、しかし化け物は対応した。
魔法矢を再び生成、二人に向けて放った。今度は散弾だ。
一発一発が俺の全力を遥かに上回る威力を持つ。
マイトとウルザは散弾を避け、そして防がざるを得なくなる。
そうしている間に、化け物は陸に上がろうとした。
(あんなデカいのに襲われたらひとたまりもない……
どうすりゃいいんだ!)
だが、突如として化け物が掴んだ場所が崩れた。
化け物は体勢を崩し、海岸に向かって落ちて行った。
何が起こった? 言うまでもない、ミンクのアースドライブだ。
「あっ……上げなければいいんですよね?
こ、こういうのでもいいんですよね!」
咄嗟の判断であれをやるとは、上出来だ。
だが、それは敵にとって邪魔なもの。
「なるほど、高位魔法使いか。
その力、我々にとっては邪魔過ぎるな……!」
横合いの段差から、カトラスを持った男が飛びかかって来た。
カトラスは鋭利な輝きを放っている。
アナンのそれと同じく実剣だろう。ミンクは気付いていない!
だが、カトラスの男に向かって跳びかかる影があった。
それは無手の戦士、ロウ=ツィル!
彼女はカトラス男の手首目掛けて鎌のような軌道を取る蹴りを放った。
男の方もやるもので、即座にそれに反応。刀身で蹴りを受け止めた。
二人は反動でそれぞれ反対の場所に着地。
事態を把握出来ずにいるミンクの頭上で、すべては決した。
「ハッハッハ! これが防がれるとは思ってもみんかったわ!
素人ではあるまい!」
「そのようなことがいま、関係があるのか?
危険な技の持ち主、お前はここで殺す」
10m離れた地点で二人は睨み合った。
不可視の力場が発生しているかのようだった。
だが、俺は敢えてそこに踏み込んでいく。
魔法矢を生成し、カトラスの男に向かって放った。
カトラスの男は俺の奇襲をあっさりと防ぎ、更に後退。
この距離では魔法矢を完全に弾き落としてしまうようだ。
とてつもない実力差を感じる。
「ロウ、あいつは俺が足止めする。
マイトとウルザを助けてやってくれ」
「この男は危険だ。私が相手をせねばなるまい」
「だからこそだ。
こいつに時間と力を取られれば、化け物に対処することが出来なくなる。
俺じゃあいつらの役には立てないみたいだからな……頼む、行ってくれ」
俺は左に剣を構え、右に魔法矢を生成した。
いつものスタイル、これがどこまで通用するだろうか。
少なくとも、カトラスの男はロウに向けるような警戒感を持っていない。
「……分かった。だが、引き際は弁えておけ。お前に勝てる相手ではない」
ロウは化け物に向かって踏み出していった。
言ってくれるね、反論出来ないが。
「ミンク、モリア! 二人を助けてくれ。
魔法矢の軌道を逸らしたり、防御を誘発するくらいでいい。
決してあいつを倒そうと思うな。シールドも相当、強固そうだからな」
「わ、分かりました! クレインさん!」
「ちょっと、あんた如きがあたしに指図するっていうの!?」
非難するような声を上げるが、そんなことを気にしちゃいられない。
「レインズ、シャナリアは二人を守ってくれ。
流れ弾がそっちに行かないとも限らないしな。
でも助けに入らなくてもいい。
あくまで二人を守ることを優先してくれ。頼んだぜ」
「言われるまでもない。お嬢様と妹様は私が守る」
「あんなのにお姉ちゃんを殺させるわけにはいかないしね!」
レインズは盾を利き手に持ち替え、シールドを展開。
シャナリアも両手でシールドを展開した。
取り敢えず、前衛組には引き気味に戦ってもらわなければ。
「フェリック、状況に応じてサポートを頼む。大丈夫、お前ならやれるさ」
「わ、分かりました。クレインさん、あなたも気を付けてください!」
気を付けてください、か。
気を付けた程度でどうにかなる相手かは分からんな。
「遺言は言い終わったかな?
ならばそろそろ、キミには退場してもらおう」
「言ってくれるね。
途中で仕掛けられなかった三下如きが。さっさと手前が死ね」
カトラスの男は笑い、そして爆発的な加速を伴い踏み込んで来た。
俺はシールドと剣で攻撃を受け止め、炸裂弾を生成。
炎と熱が二人を焙った。
「この距離で炸裂魔法を使うのかね?
キミも無傷では済まんと思うが」
「無傷で勝てるような相手じゃねえだろ。
こっちもリスクとらにゃあなあ!」
炸裂弾を地面に向けて放つ。
凄まじい衝撃と爆発が、俺たちに襲い掛かって来た。




