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次の日【工房アルトアリス】の看板を店先に出そうとすると二人の来客が門戸を叩いた。
噂を聞きつけたトトリがその守護精霊ポッチだった。
「おいしいお菓子が食べられると聞いたので様子を見に来たのです」
「ありがとうございます、トトリさん。ちょっと中に入って待っていてください」
トトリは促されるままに中に入ると暇つぶしに店内をぐるっと一周した。そこには大小様々なステンドグラスが展示してあった。それらは全てエルマーが製作したものである。
「うん。気合い入ってますね。その制服も似合ってるよ、妹ちゃん。ところで私はお酒が飲みたいな。この店に置いてあるのかな?」
トトリは右手でグラスの形を作り、お酒を飲む仕草をしながら尋ねた。
彼女がどこまで本気なのかはわからなかったが、当然お酒など販売できるわけがない。
「お酒はうちには置いてません。ごめんなさい」
「モーマンタイ。冗談だよ。私も一応、こう見えて勤務時間中だし酔っぱらってたらいろいろ問題になるのです。だから酒飲みはまた別の機会にでも一緒にしましょう」
「私お酒飲みませんから!」
ベルティアナはきっぱり断る。
「そうですよ、マスター。あまり彼女を困らせてはいけません」
お目付け役のようにトトリをそう諌めたのは、守護精霊のポッチだった。
「わかってるよぅ。ちょっとからかっただけじゃないですか」
「全く、マスターらしいというか……。次の仕事に支障が出てはいけませんのであまり長居はできないと言ったのに、わざわざからかいに来たんですか?呆れました」
「うるさいやい。すぐに仕事に戻るさ」
トトリはそう言ってふてくされて見せた。
忙しい身でありながらわざわざ店に足を運んでくれたのだとわかると、ベルティアナは何だか嬉しい気持ちになった。
「良かったらおひとついかがですか?」
「くれるの?ありがとー」
キッチンに残っていた昨日のカップケーキを、どうぞ、と手渡すとトトリは三秒ほど眺めた後にパクリと食らいついた。
「んーっ、おいしぃー!まあ、妹ちゃんが作る料理はおいしいって前に夕食をごちそうになった時に身をもって知ったんだけどね、今回のは別格だよ。ぐっじょぶ」
そしてトトリはその味を、まるで頬が落ちるような美味しさということを表現した。
その後何口かで食べきったあと、時計を確認して玄関へと向かった。
「トトリはこれにて退散します。お客さんいっぱい来るといですね。……それとポッチ、ここに私がいたのは仕事の一環としてですからね!別にサボりに来たわけじゃないんだからね!上に報告しないで下さいよ!」
ポッチはそれを聞いて、やれやれと言いたげな表情を浮かべていた。
騒がしかった二人が立ち去った後、ベルティアナは店内を一通り見渡す。
「エス・イス卜・グー卜。準備よし」
そう呟くとベルティアナはベルを鳴らした。
しかし、それから三十分経っても一時間経っても客は現れなかった。
気が付いた時にはとうとう正午の鐘が鳴っていたが、それでも客足はゼロという成果だった。
しまいにはクロノとシロエは工房に姿を消し、アキトも客のいない店の中で筋トレを始める始末だった。
しかし、残念ながらこれはいつもの光景である。ベルティアナも客足が絶えない光景などは想像していなかったし、むしろこんな風に閑散とした穏やかな店内が好きだった。
しかし、問題点が一つ。
「ねえ、アキにぃってば。筋トレなら他のところでやってよ。お客さんが来てもアキにぃ見たら逃げちゃうよ」
「別に逃げるような客も現れてないだろ。どうだお前も暇なら一緒にやらないか?」
「それだけは絶対に嫌」
とは言いつつも、他にやることがないのも事実。お昼を過ぎると、用事で町に出ていたエルマーも戻ってくる予定だったがそれまで何かをして時間をつぶそうとベルティアナは適当に本を開いていた。
しかし、結果はただ眠くなるだけだった。
太陽もてっぺんを過ぎ、欠伸の一つでもしたくなるような、暖かな気候の中、ベルティアナは客を待つということ以外に何もできない状況に置かれていた。
「あぁ、暇で暇で死にそう……。ねえフロライト。お話ししよ?」
「かしこまりました。しかし困りましたね。話のネタがありません」
「それは困った」
そんな会話を二人が交わしていた時だった。からんころん、という音がベルティアナの耳に届いた。それは扉につけたベルが鳴る音、つまり客が訪ねてきた時に出る音だった。
「い、いらっしゃい……ませ……?」
反射的にそう言ったが、その声は疑問符のつくような語尾と共に虚空へと消えた。
ベルティアナが見たものは、扉を細く開けて、顔だけを出してこちらを覗いている女の子の姿だった。
顔が出ている位置から考えて背はそんなに高くはない。まだ子供と言っていい。警戒しているのか、なかなか店内に入ってこようとはせず、ひたすら目をきょろきょろさせていた。
その目がようやく店の奥に立っているベルティアナと合ったとき、その目はまるで熊でも発見したかのような怯えた目に変わりその少女は固まった。
ベルティアナも固まった。
しばらくその状態のままじーっと見つめあっていた二人だが、少女が顔を引っ込めようとする動作をしたところでベルティアナは声を上げる。
「逃げないでーっ。ほらアキにぃが変なことしてるから怯えてるじゃん!」
その声に反応したのか、少女は顔を半分だけ引っ込めたところで動きを止める。
「そんなとこで突っ立ってないで、さっさと入ったらどうだ?お、客、様?」
「ひゃあ!」
痺れを切らしたアキトが店の扉を勢い良く開けると、驚いた少女は思い切りしりもちをついて、ぶるぶるとおびえた表情でアキトを見上げた。
「だめだよ、アキにぃ。怖がってるじゃん。ねえ大丈夫?」
ベルティアナが手を差し伸べると、少女は少しためらったが、決心したようにその手を握り返して立ち上がった。
「あ、ありがとうございます」
「とりあえず、お客さんってことでいいんだよね?」
少女は声を出さないまま、こくん、とうなづいた。
少女の立ち姿を見て初めて分かったことだが、やはり彼女の身長はそんなに大きくはなく体躯だけ見ればまだ子供だった。
店内に案内すると、ベルティアナはドリンクを一杯少女に差し出した。最初は戸惑っていたが、サービスだと告げると、その甘い匂いに誘われて少女は一口だけ口をつけた。
「どう落ち着いた?」
「はい、すみません。……あ、迷惑ですよね。すぐに出て行きますので」
「いいよ別に。ゆっくりして行って」
「いえ、そういう訳には……」
そう言うと、少女はまた困ったような顔をするのだった。
「もしかして緊張してる?」
「え、あ、その……はぃ」
それは弱弱しい肯定だった。
「えへへ。お互いに初対面だしやっぱり緊張するよね。私の名前はベルティアナ。ベルって呼んで。ところであなたの名前は?」
「リステリアです」
そのとき彼女のお腹がぐぅとなったのが聞こえた。
「お腹空いてるの?食べて食べて」
「こ、これ以上は頂けません!」
リステリアは今までで一番大きな声で否定した。
「ごめん、多かったかな?初めてのお客さんで私も舞い上がっちゃって」
「そうではなく……」
言葉に詰まるリステリアにベルティアナは首をかしげた。しかしそう言った理由を彼女はこう答えてくれた。
「今日ここに来たのは別の用なんです」
「別の……用?」
ベルティアナはそう繰り返した。リステリアは肯定するように何度も首を縦に振っていた。そしれ、彼女は短い言葉でこう言った。
「あなたたちは悪い人ですか?」
ベルティアナは質問の意図がわからず、アキトと顔を見合わせてどうしようかと考えあぐねた。
しかし彼女の口から答えが出る前に店の扉が開き、エルマーが帰ってきた。
「ただいま」
「お、おかえりなさい、エルにぃ……?」
ベルティアナがそう語尾を弱めたのは、彼の後ろに金色の髪の女の子が連れ添っていたからだ。
自分の兄が仕事を終え戻ってきたと思ったら、金髪の美少女をお持ち帰りしてきた、という事実にベルティアナは驚きを隠せないでいた。
「離せ、離せ、離すデース!」
しかも、その少女はエルマーから逃れようと必死に抵抗しているように見えた。
「エルにぃ、その人は誰なの?」
ベルティアナは尋ね返す。
「ああ、こいつは……」
「助けて下さい!私この人に誘拐されたデース!」
最後まで言葉を言い終わるより先に、金髪の少女がそれを遮るように叫んだ。
「兄貴が女たらしだとは薄々気づいていたが、まさか犯罪に手を伸ばすとは……」
アキトは呆れた様子でそう言い、ベルティアナは言葉を失った。
「違ぇよ!俺は何もしてない!俺の話をよく聞け!」
「犯罪者はみんなそう言うデス」
「お前は黙ってろ!金髪女」
エルマーは少女の頭を、ボコッと殴った。
少女は痛さのあまり言葉を失いその場にうずくまった。エルマーは彼女がおとなしくなったのを確認すると、二人に事情を話し始めた。
どうやら、金髪少女は店の前で身を潜めて窓から中の様子を確認していたらしく、帰宅したエルマーがそれを発見、あまりにも怪しかったので中まで引っ張ってきたという話だった。
その話を聞いて誤解が解けたらしくベルティアナはほっと胸を撫でおろしていた。
「うぅ、……痛い、ひどいデス。痛いデス。ぐすっ……」
「おい、大丈夫か?そんなに痛がるとは思ってなくて」
エルマーが少女の頭を触ろうとすると、彼女はその手を弾き拒絶した。
「あなたの手は借りないデス」
そう宣言すると、彼女はすっ、と立ち上がり店の奥へと視線を向けた。そこには必死に視線を合わせないようにと身を縮こまらせていたリステリアの姿があった。
「リステリア!あなたのせいデスよ!あなたはどうしてこんなところで一人でくつろいでいるデスか!」
それを聞いたリステリアは、呆れた様子でこう返した。
「着いてきてたんですか、姉様。私は一人で出掛けると言っておいたのに」
「どうして私を置いてきぼりにするんデスか?」
「だってここに来るって言ったら、姉様はきっと止めたじゃないですか。だから一人で来たんです」
「当たり前デス。ここには悪い人が住んでいるんデス。だから私はリステリアを止めたんデス」
「待て。俺たちは悪い人じゃないぞ」
「そんな嘘を吐いたって無駄デス。私は見たんデス。その男が町中で通行人をボコボコにしてる光景を!」
指差したのはアキトだった。
「ついでに言うと、その隣にいる人だってこの前この店の前で暴れまわっていたデス。怖いデス」
少女が言っているのはおそらく、先日の乱闘騒ぎのことなのだろう。確かに客観的に見るとそう映るのかもしれない。
姉様と呼ばれた少女はゆっくりと振り向くと、その恐れ戦いた表情をエルマーに見せた。
「俺ってそんなに怖い?」
エルマーはそう聞き返した。
「見た目に騙されないデスよ。必要なら戦う覚悟はできてるデス。さあかかってこいデス!」
そのとき、部屋にいる誰もが聞こえるような、ぐぅーというお腹が鳴る音が響いた。
それはテトラのお腹から聞こえてくる音だった。彼女が空腹に苦しんでいることは誰の目から見ても明らかだったが、当の本人は今になって虚勢を張っていた。
「べ、別にお腹空いているわけじゃないデス。本当デスよ。さあ仕切り直して。かかってこいデス!」
テトラは必死に平静を装っていたが、隣の少女はそうではなかった。
「ひとつお願いがあります」
それはリステリアからだった。
「私はお腹が空きました。なので食事をしたいと思います。でも姉様はお腹は空いてないそうなので、放っておいても構わないです」
「ちょっと待って欲しいデス」
「どうかしましたか?」
そう言ってリステリアは少女の顔を見る。
少女は黙って首を振る。
「私はー、お腹がー、空いてーなーい、デス!さあ、かかってこいデス、コノヤロー」
テトラは彼女の提案を断固拒否した。
そんな彼女を見ていると、ベルティアナもエルマーも心を動かさないわけにはいかず、ベルティアナはエルマーに尋ねた。
「別にいいよね、エルにぃ?」
「仕方がないなあ。お腹を空かせた子供を目の前にして何も与えないというのも気が引ける。ご飯を食べさせてあげよう」
エルマーは少女に近付くと、その頭にポンと手を置いた。
「母さんだってきっと今の俺と同じことを言うと思うし、それに悪い人疑惑の汚名返上だ」
「でも、私は……」
それでもなお、テトラは食い下がった。
「ああもう!でも、も、だって、も聞きたくない!もう決めたことなんだから、ありがたくベルの手料理を食っとけ。なあ、ベルもそう思うだろ?」
半ば逆ギレ気味に押し切ったエルマーは、ベルティアナに尋ねた。
「私の作ったもので良ければ、お昼ご飯を提供するよ。ご飯は大勢で食べた方が作る方も作り甲斐があるし、料理もおいしく感じるもん」
ベルティアナがそう言ってにっこり笑うと、彼女も、勝手にしろ、と言わんばかりに顔をそむけたのだった。
「そういえばまだ名前聞いてなかったな。教えてくれよ」
「うっ……。名前はテトラ……そう呼べばいいデス」
彼女はそう答えた。