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トトリがヘンリエッタの部屋から出ると、彼女は手持ち無沙汰な様子でうろうろしていたエルマーに出会った。そしてエルマーはトトリの姿を見つけ、嬉しそうに近寄ってくる。
「げっ!まだいたのでありますか……」
ただ待っていただけなのにそんな反応をされると思っておらず、エルマーは少々肩を落とす。
「おい、その言い方はないだろう、トトリ」
「気安く名前を呼ばないで欲しいのです。それと、私は幼く見えますが、一応、立場は上なので敬語を使ってください」
「いい……ですけど、そしたら俺に対して常に敬語っぽい言葉遣いをしてるトトリは、俺のことを目上に見てるってことになりませんかね?」
彼がそう指摘すると、トトリは表情を歪めた。
「ぐっ……不覚でした。では立場は関係なくあなたには私に対しては常に敬語を使用することを要求するのです。それと私に接する態度もへりくだった感じでお願いします。でないと私が優越感に浸れないので」
「面倒なのでそれは却下で」
「なに!」
彼女は多分、今までエルマーが聞いた中で一番大きい声でそう反応した。周りを歩いていた人々が振り返ったのに気づくと彼女は恥ずかしそうに声をしぼめて続けた。
「……まあ、いいでしょう。私も遊びが過ぎました。私の中のSっ気が思わず出てしまったようです。二人の関係は対等と言うことで妥協しましょう」
トトリの提案にエルマーはにっこりと笑って同意した。
「それでどうしたんです、エルマー殿?こんなところで待ちぼうけを食らわずにさっさと帰ればいいじゃないですか」
「俺もそうしようと思ったんだけど、何だか変な気分が抜けなくて。なあ、あの先生、俺に対して変な魔法を使ってなかったか?」
「使ってたかもしれませんし、使ってないかもしれません。それは私の考えが及ぶところではないのです」
「なんだよ、曖昧な返事だな」
「ヘンリエッタ先生は偉大なる魔法使いなのです。先生自身のおっしゃってた、この国で一番強い女、というのは誇張でも何でもなく事実なのであります。先生は先代の十本柱の一人なのですよ。カルロスブルームでの戦いと言えば先の大戦での有名なエピソードのひとつです。もちろん私などが到底追い付けるはずもありません」
「そういうもんなのか。やっぱり世の中俺の知らないことだらけだな」
エルマーは気合いをいれるように自分の頬をぱんぱんと二回叩くと、叫んだ。
「よっしゃ。元気になった。じゃあ早速帰るとするか、トトリよろしく」
それを聞いてトトリはキョトンとした顔で返した。
「え、歩いて帰ればいいじゃないですか。私が命令を受けたのは、連れてくる所までなのです。っていうか私はあなたのことが嫌いなので歩いて帰ってください」
「そんなふくれ面するなよ」
「しますよそれは。行きにあんなことがあれば」
ここまで来たときのことを思い出して、トトリは拒絶するように言い放った。しかし、エルマーは駄々をこねた。
「えー、嫌だよ。結局トトリのせいで昼御飯も食えなかったし、家まで帰る体力はもう残ってないよ。それに帰ってる途中で襲撃されたらどうするんだよ。トトリは俺の用心棒なんだろ」
「さっきごろつきたちをぼこぼこにしてた人が何を言ってるのでありますか!護衛に関しては私の風読みの力で離れた場所からでもあなたの危機を察知できます。だから常にあなたに付き従っている必要はないのです!まあそれもあなたが瞬殺されない限りですけどね!」
「え、俺って常に監視されてるの?」
「危機を察知できるだけです!別にあなたの私生活を覗いてるわけではありません。わかったらいい加減早く帰ってください。でないと警備隊呼びますよ」
警備隊という言葉に彼女の本気を感じたエルマーはこう言葉を帰ることにした。
「じゃあ、こういうのはどうだ?今夜、俺の家でパーティーやることになってるんだ。俺の設計士就任パーティー。それにトトリも招待する。つまり俺とトトリがこれから向かう方向は同じってわけだ」
「やっぱりこの人アホです。警備隊呼びます」
トトリは一向に態度を改めようとしないエルマーに対してそう宣言した。エルマーは必死に制止したが、彼女はすでに大声をあげて近くにいた警備隊らしき人に合図を送っていた。しかし、その声はすぐに掻き消された。ある人物がやって来たからだ。その人は警備隊ではなかった。目の前にやって来たのは背の小さな顔に幼さを残した魔法使いだった。
「こんなところで何を言い争っているのですか、トト」
「ユキちゃん……ちょっと仕事上のトラブルがありましてですね。今この男を外に摘まみ出そうとしているところなのです」
ユキちゃんと呼ばれた少女はエルマーに顔を近づけると、珍しいものでも眺めるかのように、じーっと見つめた。そしてひとこと言い放つ。
「だれ?」
「お前こそ誰だよ。俺の顔に何かついてるか?」
「いえ、別に……」
その後も少女は無言のままエルマーの顔を見つめ続けた。そんな二人を見かねたのか、トトリは二人を引き離すと仲介に入ってお互いを紹介した。
「ユキちゃん。彼はエルマー殿なのです。今日付けで八人目の装束設計士になった人なのですよ。そして今は私の護衛対象。そしてこちらはユキウサギちゃん。私の友達なのです。彼女も私と同じ十本柱の一人なのであります。まあ見た目からわかるようにユキちゃんはまだ十四歳なのです。最年少っていうところがエルマー殿と一緒なのでありますよ」
「どうもです。十本柱所属、【氷】の装束所有、ユキウサギです。そしてこちらは私の守護精霊のニト。よろしくー」
ユキウサギは自分の頭の上を指差した。そこには眠るようにうずくまっている守護精霊の姿があった。トトリの守護精霊であるポッチと違って、あまり活動的ではないらしい。
お互いに紹介が終わると、今度はユキウサギが不満そうに身の上話を始めた。
「トトの今度の仕事は護衛任務ですか……。トトは仕事があっていいですね。私なんかまだ子供扱いされていまだに碌な仕事をもらえないのです。せっかく特殊部隊に所属しているのですから、S級とまでは言いませんが、せめてA級任務くらいは任せてほしいものです。最近は国から任される正規の仕事より魔法学院の特任講師として呼ばれる仕事の方が多い気がします」
「まあ学校の先生も立派な仕事だと思うよ」
「聞いてください、トト。あいつら私を年下だと思って見下しているんですよ。何回凍らせてやろうかと思ったことか……」
「凍らせちゃダメだよ!」
エルマーは二人の会話が終わったのを確認すると、急かすようにもう一度言った。
「ところで俺を送り届けるという話はどうなった?」
「だから、自力で帰ってください」
その二人のやり取りを聞いてユキウサギは鼻で笑うように、ふふっ、と声に出した。エルマーが、なんだ?と尋ねると彼女はトトリの顔を見て心配そうに告げた。
「護衛対象がわがままだと大変だな、と思っただけです。なんなら私がこの男の護衛任務を代わってあげてもいいですよ?」
「お前みたいなお子様に護衛されてもなあ」
「な……お子様、ですか……。あなたも私を子供扱いしますか。別にあなたをこの場ですぐに凍らせてもいいんですよ?」
ユキウサギは抑えられない怒りを露わにしながら言った。実際、辺りの気温が下がったかと思うと、彼女の周りには氷の結晶が舞い始めていた。
「エルマー殿、やっぱり気が変わったのであります。今すぐ家に帰りましょう。私が送り届けるのであります!」
そう言うとトトリはエルマーの腕を掴んで空中へと身を乗り出した。
「ありがと。でもどうしたんだ急に」
「エルマー殿、ユキちゃんを子供扱いするのはダメなのであります。あやうく氷漬けにされるとこでしたよ」
彼女の言葉はどうやら事実のようだった。
エルマーが後ろを振り返ると、先程までエルマーが立っていた場所は氷漬けにされていた。エルマーはトトリの手をぎゅっと握り返すと、ほっと胸を撫でおろした。
家の前に到着すると、二人を出迎えるようにベルティアナが家から出て来る姿が見えた 。
「おかえり、エルにぃ。トトリさんもお疲れ様です」
ベルティアナはトトリの方を向いて丁寧に挨拶を済ませた。トトリもあまり長居するつもりはなかったので、軒先で歩みを止め、エルマー、ベルティアナの双方の顔を見て告げる。
「エルマー殿を無事送り届けたことを確認しました。では、私はこれで失礼します」
トトリは体を百八十度回転させ、一歩を踏み出そうとした。
「待った!寄っていかないのか?招待するって言っただろ?」
「あの約束は本当だったのですか……。でもあなたが良くてもベルティアナさんの都合が……」
「いえいえ、私は別に構いませんよ。トトリさんの都合さえよければうちとしては準備できますので」
ベルティアナは畳み掛けるようにエルマーに同意した。エルマーも彼女の手をつかんで家の中へ引っ張り始めていた。
「やめてください」
「これから仕事があるのか?」
「それは、ないですが……」
「だろ?だったらいいじゃんか」
「強引に誘ったらかわいそうだよ。そういうのエルにぃの悪い癖だと思うよ」
ベルティアナに注意され、エルマーは残念そうにトトリの手を離した。
「ごめんな、トトリ。でも仲良くしたいのは本当なんだ。お前は俺のこと嫌いでも、俺は嫌いじゃないからさ。次の機会でもいいから気が向いたら来てくれよな」
申し訳なさそうにエルマーの姿を見送るトトリ。その隣にベルティアナは並び立った。
「エルにぃが度々ご迷惑をお掛けします」
「いいえ、お気になさらず」
「マスターはなぜ彼の誘いに乗らないのですか?」
エルマーの姿が見えなくなるのと同時に、今度はポッチが姿を現わす。
「マスターは過度に人との接触を避けてるように見えます。どうしてですか?」
「ポッチ……。ただ私はこういう場に慣れていないから……。長い間ひとりぼっちだったから」
トトリは胸の辺りを再び押さえつける。彼女のその行為の意味を知っているポッチは悲しそうな表情を浮かべたが、事情を知らないベルティアナは彼女の胸に当てられた手の意味に疑問を持つことはなかった。その代わり、トトリの言葉に呼応した返事をした。
「気にしなくても良いと思いますよ。もともとは私たちの家族だってひとりぼっちだったんですから。戦争孤児って言うんですか、私達は全員お母さんに拾われ、ただ同じ屋根の下に暮らしてただけの孤児にすぎません。血なんて繋がってないんです。だって髪の色も目の色もエルにぃと私では全然違いますし」
「知りませんでした。ごめんなさい」
「いえいえ、でもひとりぼっちというのは決して悪い意味ではなく、ただの距離感の問題だと思うんです。しかも私にとってはなぜだかそれが一番居心地が良い距離感なんですよね。本当の家族というほど近い距離ではなく、他人というほど遠くもない。プライベートを守りつつ疎外感や寂しさも感じさせない。私たちはそういう兄妹なんです。だからエルにぃはああ見えても人一倍人間関係には敏感なんですよ。まあでもそれは私の考えすぎで、エルにぃの女たらしの側面が出ているだけかもしれませんけどね」
トトリは、その通りかもしれない、とくすりと笑うと、自分の帰る場所を探すように空を見上げた。
その様子を、立ち去る前動作だと理解したベルティアナは最後に言った。
「また遊びに来てくださいね。私たちはいつでも歓迎なので」
それを聞いたトトリは踏みとどまった。
「私は……私もちょっとだけ似ているかもしれませんね、皆さんに。なんだかヘンリエッタ先生が私にこの仕事を任せた理由、何だかわかる気がします。わかりました。今日は特別です。ちょっとだけ甘えても罰は当たりませんよね?」
彼女の表情がちょっとだけほころんだ。