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家に帰ると食事の芳ばしい匂いが彼の鼻を刺激した。
エプロンを着てエルマーの前に姿を見せたのはベルティアナだった
「おかえり、エルにぃ」
「ただいま、ベル。ごめんな、いきなりお客さん呼んじゃって」
「大丈夫だよ。事前に連絡してくれたおかげで結構準備できたし。それにリステリアさんも手伝ってくれてるし、何とかなりそう」
「リステリアってことは……」
「そう。テトラちゃんも来てるんだよ。今は二階でクロちゃんたちに遊び相手してもらってる」
ベルティアナは二階を指さしてそう言った。
エルマーはしかたないなあ、と溜息をつくとその足を今度は二階へと運ぶ。部屋をノックし開けると、そこにはテトラが二人とじゃれ合っている姿が確認できた。
「ようテトラ。最近よく遊びに来るなあ。ほぼ毎日ここに来てるじゃないか」
「別にいいじゃないデスか!ちゃんと家の人に許可をもらってるデス」
「それならまあいいんだけど。でも今日は早く帰った方が良い」
「えーっ!今日も晩ご飯までごちそうになろうと思ってたんデスけど!」
「今日はお客が来るんだ。部外者のお前がいると変だろ」
「だったら、その客が帰るまで部屋でじっとしてるデス。それならいいデスよね?」
「それならまあいいかな」
テトラもまんざらでもない様子だったのを見て、微笑ましくなった。リステリアも料理を手伝ってくれているし、二人が予想以上に早く妹や弟たちに馴染んでいるのを見て嬉しくなった。
「それで、どうするの?お兄ちゃん。できる限り家族全員で食事って言うのがルールだけど、大事なお客さんがいるなら部屋でご飯ぐらい良いでしょ?」
「ああ、それでいい。後で食事を持ってくるよ」
エルマーは部屋をあとにした。
それから十分ほど遅れてシオンが到着した。
エルマーは彼を快く迎え入れると、まず工房に案内することにした。自慢の工房というわけでは決してなかったが、シオンに今の現状を有りのまま伝えた方が、あとで色々と詮索されるよりもずっと効率的だった。
一通り説明し終わると、最後に彼を晩餐の会場へと案内する。
「ここが嫌だということではないんだが、別に他の店でも良かったんだぞ。こちらから誘ったんだ、料理代ぐらい僕が出してやったのに」
「いいじゃないですか。それに一応ここも料理を提供している店なんです。味には自信がありますよ、シオンさん」
エルマーは席に着いたシオンに妹の作ったおすすめの料理を勧める。
「確かに味は中々のものだ。家庭的な味がする。嫌いじゃない」
「ありがとうございます」
ベルティアナは嬉しそうに顔を赤らめると、後は任せるね、と兄に言い残して部屋を退室した。シオンと二人きりになった空間で、エルマーは食事に手を付けながら相手の様子を伺っていたが、先に話を切り出したのは、シオンの方だった。
「どうして僕の提案を断った。この家の工房で君が満足に研究できるとは思えないんだが」
「それは金持ちの感覚ですよ。いくら最新の設備を持っていても結果を出せない人は出せない。大事なのは本人の能力と、やり方の工夫ですよ」
エルマーは思っていた本音を包み隠さず答えた。シオンもそれを肯定するかのように首をしきりに縦に振っていた。しかし、最後にこう付け加える。
「でも本当にそれだけか?」
「どういう意味ですか?」
「ヘンリエッタ・フランクリンの変な入れ知恵のせいじゃないのかと尋ねている」
すぐには肯定も否定もできなかった。彼女の影響下にあるのは事実だが、まるで彼女に操られているという言い方をされてはそれに賛同することは到底出来なかったからだ。しかし、その沈黙でシオンにとっては十分だったようで、更に付け加えてこう言った。
「知っているかもしれないが、僕の父も彼女と同じ内政官だ。そして彼女は僕たちエトワール家の人間を目の敵にしている。どうせ僕たちのことは信用するなとでも言われたんだろう。だから僕の提案を断った。違うか?」
「だとしたらどうなんですか?」
「君は彼女に騙されているとは思わないのか?」
その言葉にエルマーは思わず食事の手を止めた。
「彼女は君が思っているほどいい人間ではないぞ。実際にあの女の策略で失脚した内政官も少なくない。口では綺麗事を言っていても、おそらく本心では君を政治利用したいんだろう。政治利用何て実にくだらない。僕たちはただ純粋に研究がしたいだけなのに。だから僕はそうなる前に君を保護する意味でも研究所に誘ったんだ。僕の所に来れば彼女も干渉はできない。もちろん僕の父にもだ。僕はただ純粋に君と研究がしたいだけなんだ。君ならわかってくれるだろ?」
しかし、エルマーには彼の話を聞いて思うことが一つあった。
「だったらどうして設計士なんかになったんです?設計士は人工装束を作るのが最終目的の国家プロジェクトです。当然政治利用されることなんて目に見えてます。それに研究が遅れればそれだけペナルティもある。自分の好きな研究なんてしてる余裕ないんじゃないんですか?それに俺のような貧相な研究者ならまだしも、シオンさんは別に設計士の肩書にすがるほど金や地位に困っているわけじゃないじゃないですか」
それを聞いた途端、彼は苦虫を磨り潰した様な表情を浮かべた。
「その通りだ。でも父の頼みを断れなかった。それに装束設計士の肩書には希少価値がある。持っていれば人が集まるんだ」
それを語ったシオンの表情はやはり今まで見てきたどれよりも違うものだった。
「わかるだろ?いくらエトワールの名前があっても三賢人の肩書には勝てない。だから優秀な奴らは皆そっちに行く。だから僕の研究所に来るのは三賢人の研究所に行けなかった奴らばかりだ。結局一番じゃなきゃダメなんだ。一番最初に魔法を体系づけしたり、一番最初に魔力石を作ったり、魔力兵器の開発に一番貢献したり。だから僕は一番に人工装束を作って歴史に名を残すんだ」
そのために君の力がいずれ必要となるだろう、そんな風にシオンは締めた。しかし、そんな彼の熱意に勝てるだけのものを残念ながらエルマーは持ち合わせてはいなかった
「正直、俺はただ安定した収入を得るために国家資格という仕事を選んだ面もあります。自分の技術には自信がありましたから、座学の方を必死で勉強しました。もちろん一発で採用されるなんて思いもしませんでしたから、ダメで元々という気持ちでした。他の研究所にも履歴書を送りましたけど、全部だめでしたよ」
でも、一番可能性が低いと考えていた装束設計士に彼は選ばれてしまった。運命の神様というのは時々何をするのかわからないものである。
「でもおかげで大事なことを知りました。結局、収入だけが全てじゃないってこと。設計士になって以来色々なことに巻き込まれてきましたけど、やっぱり家族との時間はちゃんと持ってやりたいと思うんです。独り善がりになってしまったり、周りが見えなくなったりしても、家族だけはちゃんと自分のことを気にかけてくれている。利害関係なしで味方でいてくれるのって、やっぱり家族だけだと思うし、俺もそう言う人たちを家族として愛してやりたいと思うんです。だから極端な話、俺、家族のためなら設計士やめてもいいと思ってます」
それを聞いて、シオンは驚いたような表情を見せた。
「本気で言っているのか?」
「極端な話って言ったじゃないですか。それぐらい家族のことを大事に思ってるって話ですよ。これぐらい宣言しとかないと、シオンさん諦めてくれないと思って」
その言葉が予想以上に効いたのかは知らないが、食事の席ではそれ以上は追及してこなかった。しばらく無言で食事を口に運んでいたが、一度時計を確認するとこう告げた。
「もうそろそろ行かなくては。今日はありがとう。おいしかったよ」
「いえいえ、こちらこそ。良かったらいつでも来てください」
シオンと腹を割って話せる機会を得ることができたので、今回の食事会はエルマー自身にとってはとても実のあるものになったと感じていた。
「ああ、きっとまた来るよ」
シオンはにっこりと笑ってそう言った。その時、シオンの声と重なるように階段をドタドタと降りてくる足音が彼らの耳に届いた。
「お兄ちゃーん、お客さんもう帰ったよね?」
声の主はシロエだった。時計を見るとあれから結構な時間が経っていたようで、彼女はもうお客さんが帰ったものだと思っていたらしい。手には空になった食器類を抱えていた。
「ごめんね、僕はもうすぐ帰るから」
ちょうど帰り支度をしていたシオンはアルルの声に反応し、優しい声でそう返した。彼女はシオンの姿を視界に捉えると、少し慌てた様子で足を止めて普段は見せないような猫かぶりを見せる。
そんな彼女の様子が奇異に映ったのか、しばらくシオンの視線はシロエの方を向いて止まっていた。いや、正確には彼が見ていたのはシロエではなかったのかもしれない。彼の見せた表情は好奇とかそういう類いのものではなく、どちらかというと動揺、それも自分の精神面をひどく揺さぶられた時に見せるそれに近かった。
「テト……ラ……?」
そのときの彼は確かにそう言葉にした。事実、アルルの後ろにはテトラがいたしその事に関しては疑問を呈する余地もない。ただ不可思議な点を挙げるとすれば、シオンが彼女の名前をいつ知ることができたのか、ということだ。少なくともエルマー自身の口からそのことを言及した覚えはなかった。とすると考えられるのは、以前からシオンはテトラのことを見知っていたということ。しかしテトラの方は事の状況が把握できていないようだった。
「あなたは誰ですか?」
彼女の口調は疑問というよりむしろ反語のそれだった。
シオンが踵を返して彼女の方に足を向けると、テトラは彼から逃げるようにしてさっきまでいた二階へと続く階段に足をかけた。けれども、気が動転していたテトラはその拍子に派手に転んでしまう。その間にだんだんと距離を詰める二人の間に立ち塞がったのはリステリアだった。
「リステリア。これはどういうことだ?僕はこんな報告聞いてないぞ」
リステリアはシオンの方をキッと睨んで口を開くとこう言った。
「あなたには嘘の報告をしたかもしれません。しかしこの場は私に任せて下さい」
それは突き放すような口調だった。リステリアがそのとき示した拒絶の態度がシオンには気に食わなかったのか、自然と彼の腕の押さえつけは強くなっていた。次第にリステリアの表情にも苦痛の色が混ざり始め、シオン自身の表情も怒りというより悲観を示すものになっていた。
「お前にそんな判断をする権利はない。俺には俺の考えがある。黙って従えばいい」
「テトラさんはもう色々知っています。それでいて今までにないくらいいい状態にあるんです。もう黙って彼女のことを見守ってやることはできませんか?」
「……ッ!」
シオンが何か強い言葉で反論してくるものだと思っていたが、彼女の言葉を聞いたシオンの反応は、想定していたものとは少し異なっていた。シオンは握っていた手の力を緩めると、弱々しい言葉で静かに、そして観念したようにこう告げた。
「そうか。アルトアリスにいたあの女の話を聞いたのか」
シオンのその言葉はある事実を内包していた。テトラがその事に気付いたとき、彼女はその場から逃げ去ることも忘れて兄の顔をじっと見つめ返した。
「あなたはお母さんのことを知っているんデスか?」
知らない、とは彼は口にはしなかった。そして彼はこう言う。
「僕はお前の兄だ。それでお前の本当の名前はテトラ・エトワールなんだ」
シオンの独白にテトラは少なからずショックを受けているようだった。
「僕はいつでもお前の味方だったさ。今までも、そしてこれからも」
シオンはテトラに対して手を伸ばす。
そのとき今まで黙って聞いていたエルマーがテトラの前に立ち塞がった。
「シオンさん、今日の所はおとなしく帰ってくれませんか?残念ながら今までの会話を聞いていると、シオンさんにいい印象を持つことは俺にはできませんでした。家庭環境がどうであれ、今の状態の彼女を連れて帰らせるわけにはいきません。彼女のことはしばらく俺たちで面倒を見ることにします」
理解はできるが納得はできない、そんな表情をシオンは浮かべた。彼にとってはエルマーは部外者であり、自分達のこともよく知らないただの若造としか写っていなかったのかもしれない。けれども、そう捉えられるのはエルマーにとっても不本意だった。だから彼はより強い口調でいい放った。
「ではこう言い換えましょう。確かにテトラはあなたの家族かも知れません。でも同じ母親を持っている以上、テトラは俺たちの家族でもあるんです。俺がどれほど家族を大事にするのか、さっきの俺の話を聞いたあなたなら知ってますよね?」
その言葉が最終的には彼を動かした。シオンは身を翻すと、勝手にしろと言わんばかりの態度でアルテット家を後にした。シオンの姿が見えなくなったのを確認すると、今度はエルマーは何も言わずテトラに手を差し伸べる。しばらくはテトラはその手を握らずに顔を下に向けていたが、自分に向けられるそれが客としてではなく、家族としてのものだと理解すると、今度はその手を優しく握り返した。
「ありがとう……ございます……」
そのときの彼女はどうみても一人のか弱い少女だった。




