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「ごちそうさまでした」
それがテトラとリステリアが食事を出されてから放った、最初の言葉になった。
というのも、料理の匂いが彼女たちの嗅覚を刺激した瞬間に我慢の限界が来たのか、終始無言で料理を貪っていたのだ。
きっと相当お腹が空いていたのだろう、彼女たちはそれぞれ二人分に相当する量の食事を簡単にたいらげてしまったのだ。
特に、スープに至っては鍋が空になるまで二人で何杯もおかわりしていた。
「アルテット家特製の根菜スープだよ。お母さん直伝の味。そんなにおいしかった?」
「スープもそうですが、こんなにおいしい料理は食べたことがありません。本当に感謝してもし切れないくらいです。ありがとうございます。姉様もそう思いますよね?」
しかし、リステリアがそう投げかけるとテトラは小さく頷いた。
「確かに考えを改める必要がありそうデス。人の皮を被った悪魔から、話の通じる一般人くらいには認識が変わったデス」
「お前は今まで俺たちをそういう風に思ってたのかよ」
「当たり前デス。だって……」
テトラはそこで言葉を途切れさせる。
「まあいいデス。話が通じるのならきちんと話し合いをしましょう。少々強引かもしれないデスが、これで解決するなら仕方がないデス」
「姉様、まさかそのような」
テトラが懐のガンホルダーから取り出したのは、魔法銃だった。
それも銃身は鈍色に妖しく光っており、見るからに鉱物質だった。
魔法技術の発達した現在では、魔法銃の材質は幅広いものが採用されているが、昔はそんなに発達していなかったため、魔法銃を作るのに魔力の籠っている特別な天然鉱物が用いられることがあり、その外見から鉱石魔法銃と呼ばれた。
そうやってできた魔法銃は特徴的な光を放つ。
今ではその技術は他のものに取って代わられたため、わざわざ探し回らなければ手に入らないくらい希少価値のあるものになっていたが、テトラが持っているのは間違いなくそのうちの一つだった。
「この銃、どのくらいの値段になるデスか?」
「触っていいか?」
エルマーは彼女から許可をもらうと丹念にその銃身を観察する。
そして口を開く。
「これはどこで買ったもんだ?」
「プレゼントされたものだから詳しいことは知らないデス。欲しいって言ったのは私デスけど……、入手経路までは……」
「そんな貰い物を売るって、どういう心境の変化だ?」
「うるさいデスね。本当は売りたくなんかないんデスよ!でも私が持ってるもので一番高く売れそうなのがそれだったんデス!それより鑑定の方はどうなんデスか?」
「うん、これはこの辺ではなかなか見られない作りをしている。おそらく、ここよりもっと東部の地域の職人の手で作られたものだろう」
テトラは理解したような顔をしていたが、リステリアを含めその周辺の人間は不思議そうにしていたので、エルマーは続けて詳しい解説を行った。
「銃の構造は国によって違いが出る。まだこの辺一帯がいくつかの小さな国に分裂していた頃は、西の方は領土問題で小競り合いが頻繁に起きていたから、こういう武器は国が主導で小型化や量産化に取り組んでいたんだ。一方で、東の方は一つ一つの国の国土が広かったし、陸続きじゃなかったこともあって、そこまで争いが起きなかったんだ。だから職人たちの手によって独自に進化してきた」
「つまり結果はどうなるんデスか?」
「つまり出回ってる数が少ないっていうこと。希少で高値がつく」
「高値と言うのは具体的には?」
「俺もそこまで詳しくないからはっきりとは言えないけど、最低でもこの家にある台所回りの大型設備を揃えられるくらいの値段にはなる。しかもそこそこの性能のやつだ」
「じゃあ最高だったらどれくらいになるデスか?」
「交渉次第だと思うけどな。お前はいくらぐらいを望んでるんだ?」
「この家が買えるくらいの値段デス」
「家ひとつか……」
テトラは即座に首を横に振る。
「違うデス。言葉通りの意味で本当に私はこの家が欲しいのデス」
「俺たちが住んでるのにか?」
「だから、あなたたちはいくら積まれれば、この家を出ていってくれるのか、と聞いているんデス。この鉱石魔法銃ひとつじゃ足りないなら、家からたくさん高そうなものを持ってくるデスよ」
「落ち着け。やっていることが無茶苦茶だ。ここは俺たちの家だ。お前のものじゃない」
「本当にそう思っているんデスか?」
テトラの訝しげな発言にエルマーは疑念を抱かざるを得なかった。
「どういう意味だ?」
「偶然この場所に家が建っていて、偶然誰も住んでなくて、偶然手頃な値段で買えた。そんな都合の良いことが偶然に起こる確率はどれくらいだと思うデスか?」
答えは明白だった。彼女の目が、これは偶然などではない、とそう語っていた。
「この家はもともと私とリステリアが住んでいたんデス。それがある日、急に悪い人たちがやって来て私たちを追い出したんデス」
「悪い人……?」
それはテトラが先程からしきりに口にしていた単語だった。
「悪い人ってどんなやつらだ?」
「それは私たちが聞きたいデス!わけもわからずなぜ私たちは追い出されなければならなかったんデスか!あなたたちはその人たちに関係があるんデスか?教えて欲しいデス」
彼女らから見れば追い出された住居にひと月と待たずに住みはじめたエルマーたちは、その悪い人呼ばれている輩と何らかの関係があるように見えるのかもしれない。しかし、実際のところ彼らにとっても初めて知らされる事実である故、関係者であるという推測は全くの的外れなのであった。
「私達を追い出すとき、あの顔に傷のある女は私達なんか全然見ていなかったんデス。きっと奴らの目線の先にあったのは自分の利益だけ。私たちのことなんか、道端に落ちてるかわいそうな野良猫ぐらいにしか考えてないような目をしていたデス」
「ちょっと待て。顔に傷のある女……だと?」
そのフレーズだけでは当てはまる人は何十といるだろう。もしかしたらエルマーの思い違いなのかもしれない。けれどもその時の彼の頭の中を占めたのは、以前彼に接触してきたある人物のことだけだった。
「あの内政官……」
そして、残念ながらその推測を裏付けるような事実をエルマーは知っていた。先日、ヘンリエッタに聞いた話である。彼女自身がエルマー達のために陰ながら支えてきたと自白していた。それはつまり、エルマーの与り知らぬところで障害となるものを消していたと言い換えることもできる。
「テトラ。俺の考えていることが本当なら、お前にその理不尽な仕打ちをした張本人にたどり着けるかもしれない。お前のその屈折した思いも全部まとめて今日この場で決着をつけよう」
「一体どうするんデスか?」
すると、何を思ったか彼が手にしたのは一本の小型のナイフだった。
「前から不思議に思っていたことがあるんだ。俺の周りに俺の意図しない別の魔力を感知することがあるんだ。最初は気のせいだと思っていたんだが、考えた結果、どうやら俺は監視されているらしい、という結論に至った。で、こうなる」
シュッ、という空気を裂く音が聞こえたと思った次の瞬間、ナイフを握った彼の右手は、テーブルに置かれた彼の手の甲に向かって真っすぐと振り下ろされていた。
はずだった。
その距離わずか数センチ。
ナイフの先を遮ったのは目に見えない空気の壁だった。
「は?」
「え?」
テトラもリステリアも、そして周りで見ていた誰もが理解できない現象がそこでは起きていた。
そして、その場でただ一人その理由を理解していたエルマーだけが声を挙げる。
「トトリ!見ているんだろ!姿を見せろ!」
すると玄関の扉から、突風と共に勢いよく入ってきたのは以前から何度かこの場所を訪れていた少女だった。
「まったく、あなたがそこまで無茶をする必要はないのですよ」
「やっぱり俺は監視されてるんだな。一体お前らの目的はなんなんだ?」
「不快な思いをさせてしまったのなら謝るのです。しかし、あなたは特別なのですよ。その事をお忘れなく、なのです」
「だれかの犠牲の上に成り立つ特別なんて俺は要らない。どうして彼女たちをここから追い出す必要があったんだ?知っているのなら説明をしてもらいたい」
そう言葉を返したとき、トトリは一瞬だけ顔を曇らせたように見えた。しかしすぐに表情を戻すと気付いた時には彼の視界から消えていた。
正確に言うと視界から消えたというより、信じられないような高速移動で彼女はエルマーの横を通り過ぎて、テトラを床に組み伏せ拘束した。
「痛いデス!何をするデスか?」
「感情に流されてはいけないのです。彼女たちが嘘をついてる可能性を考えなかったのですか?前にも言ったのですよ。エルマー殿を狙う勢力に気をつけろ、と。彼女は暗殺者の可能性があります」
トトリは警告のつもりでそう言ったのかもしれない。しかし、エルマーはあまりにも横暴なトトリの行動を目の当たりにして彼女の言葉に耳を貸そうなどと思いは芽生えなかった。彼はトトリを止めようとした。
けれども彼よりも早く行動を起こした人物が隣にいた。
「姉様を離して下さい。私達は暗殺者ではありません」
リステリアはテーブルに置いてあった鉱石魔銃を手に取るとその銃口をトトリの頭に向けた。「こいつらは魔法銃を持っているのです。危険な存在には変わりがないのですよ」
「違う。それは売り物だったんだ。ちゃんと動作するかもわからない骨董品。戦闘の意思はない」
「けれども現に私に銃口を向けているのです」
「リステリアも落ち着け。そんなことしたって状況を悪化させるだけだ。そもそもそんな武器じゃ彼女を倒せない」
そういうとリステリアは渋々彼の言うことに従い、銃口を下ろした。
「トトリ、そいつらを信用できないのならそいつらに危害を加えない範囲で拘束しても構わない。でもその前にヘンリエッタに通信を繋いでくれないか?」
ヘンリエッタの名前を口にした時、トトリは表情を変えた。
「先生はお忙しい方です。言伝なら私が引き受けますが」
「そういうわけにもいかない。これは俺達の信頼に関わる重要な問題だ」
「わかりました。少々待って欲しいのであります」
トトリはそう念を押した後、ヘンリエッタへと通信をつないでくれた。ただ、テトラに対する警戒は解いていないようで、時折、鋭い目つきで彼女を牽制している様子が見て取れた。
そんな中、ヘンリエッタと通信がつながるのは、意外にも時間がかからなかった。
「あ、ヘンリエッタ先生。お忙しところすみません。風の知らせで危険を察知して突入したのは良いんですが、どうやらややこしいことになっているようで。一度先生とお話がしたいと、エルマー殿が」
「確かに、実に面白い展開になっているようだな」
ヘンリエッタは詳しい話を聞くことなしにそう言った。というのも、現在二人が用いている双方向の通信機器は、音声と映像を送ることができる。したがって相手の顔とその背後が映像として投影されているのだ。そしてトトリの立っている位置から考えて、おそらくヘンリエッタにはテトラとリステリアの顔が映っている。だから彼女はいまここで起きていることの一部始終を把握できたのだ。
「顔に傷のある女……。間違いない。私たちを追い出した悪者デス」
テトラは最大級の憎しみを込めたような目で画面の中のヘンリエッタを睨み付けた。
「おいおいそんな目で睨まないでくれ。私は君たちからその家を奪うつもりはなかった。君たちを助けたかっただけなんだ」
「助けるって?どういう意味だ?」
「その家は名義上はその子たちとは全く関係ない人物のものになっていた。しかしその子たちがその家に住んでいたのも事実だ。問題はその場所。その二人は物置から見つかった」
エルマーは混乱した。それは誰が聞いても同じことだろう。テトラたちが住んでいたのは事実。しかし見つかったのは物置。ではいつからそこに?答えはヘンリエッタが教えてくれた。
「二人は監禁されていたんだよ、その家に」
ヘンリエッタが頭を抱えているのは画面越しでもわかった。
「正直言って想定外だ。監禁されていた子供が監禁されていた家に戻りたがるなんて考えもしなかった。なぜかはしらないが相当にその家に思い入れがあるようだ」
「うるさいデスね。私たちはこの家を取り戻すまで諦めない。そのためにはどんな手段でも使う覚悟デス。そんな私たちが気に入らないのなら力づくで止めればいいデスよ」
「この家を譲る気はない。その前にじっくりと話し合うんだ」
「交渉決裂デスね。ならば残された手段は一つだけ。私とあなたで決闘をするデス」
テトラはそう言った。
「その勝負、私が仲介しよう」
今度はヘンリエッタが口を挟んだ。
「一対一で喧嘩して、その勝負の結果を見て私が判断しよう」
しかし、テトラは首を横に振り、指を二本立てた。
「おこがましいようデスが二人……こちらは私とリステリアの二人でお願いしたいデス。その代わりそちらは三人でも四人でも構いませんので」
「よっしゃ。だったら俺も参加させてもらうぜ」
彼女の提案に喜んだのはアキトだった。
「ならもう一人、そちら側にはトトリを加えると良い。これで三対二だ」
「しかし先生。それではあまりにも戦力差がありすぎるのでは?」
「そうだな。ならトトリには魔法使用禁止のハンデで戦ってもらおう。でも油断はするな。トトリの強さは本物だが、もう一人、一般人が束になっても敵いっこない化け物がそこにいるからな」
「化け物、というと?」
「そこにいるリステリア・アルカードのことだよ」




