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海の養い子  作者: jun
5/5

海の養い子(5)

「従者って何」

田舎町の海岸沿い、初老の男と少年が並んで座っている。

太陽もやや傾き始め、堤防に沿って並んでいた釣り人たちも、この時間になるとほとんど残っている者はいない。

深みを増し始めた海の青につられて、波音も2人に語りかけるように強く優しく響いた。

「船守の従者というのは、船守つまり海の養い子の世話をする役割を持った人のことだな。

身の回りの世話をしたり、船員たちとの橋渡しを行ったりしながら、船守と同じように船から降りることなく一生を海の上で過ごすことになる」

男は相変わらず少年を見ず、海の方へ向かって話している。

「じゃあおじさんは、そのライを海守の従者にしたの」

少年は男を斜めに見上げながら問いかける。

「いや、俺はライを従者にはしなかった。出来なかったというべきかな」

「どうして。ライは従者になりたいって言ったんでしょ」

「そうだな、確かにライは従者になりたいと言っていた。

でも、そんなに単純なことではないんだ、従者になるということは」

男はゆっくりと視線を海から少年へ移した。

「従者になるということは、海の一部になるということなんだ。陸での一切は捨てなければならない。

ライには船乗りになるという夢があった。

従者になったら、叶えられない船乗りという夢の傍らで、私と共に死ぬまで過ごすことになる。

ライはいつか俺を恨むことになるだろうと思ったのだ」

男の額には遠い日の苦悩を映し出すように、深いシワが浮かんだ。


「それでおじさんは、ライを従者にしなかったんだね。

陸で生きてもらうために。

でも、おじさんは今は陸にいるから、従者にしても良かったんじゃないの。

今のおじさんは、何だか少し寂しそうだよ」

男は力なく微笑んだ。

「そうだな、俺はあの頃からずっと寂しいのかもしれない。

ライもそんな俺の気持ちを感じ取っていたんだろうな。

でも、あの頃の俺はそんな自分の気持ちを認めることができなかった。

自分は誰よりも優れていて、一人でも十分やっていけると思っていたんだ」

斜めに差し込んだ夕日が、男の横顔を照らした。

「おじさんは海に帰りたいの」

「そうだな、やり残したことをずっと終わらせに行きたいと思っていたよ。

今日がその日なのかもしれないな。

さっき、光る魚が釣れただろう」

少年は頷く。

「うん、さっき食べた珍しい魚だ」

男も頷く。

「あれは、私たちの島では契約の魚と呼ばれているんだ」

「契約の魚」

少年は男の言葉の意味を確かめるように繰り返す。

「そう。海の養い子にしか釣れない魚だ。

この魚を養い子がさばき、従者にしたい相手に食べさせることで、海とその相手の契約が成立する」

男の言葉の後をついで、波の音が僅かな沈黙を満たす。

「えっ、どういうこと。さっき食べた魚が。

僕が従者になるっていうこと」

少年は事態が理解できず、声を荒げ、片膝になって男に詰め寄る。

男は落ち着いた様子で視線を少年から海へ移した。


「この魚が釣れたのは、俺が船を降りて以来だ。

今日は海に出るにはいい日なのだろう。

俺は海へ帰り、今度こそあの場所の先へ行くと決めた。

月明かりの導くあの海の先へ」

男の目は、海の先へ沈もうと揺らめく夕日をまっすぐに捕らえていた。

頭上では気の早い一番星が、夕暮れを待たずに輝き始めていた。

「人と違う運命を手に入れた気分はどうだ」

夕日を背に浴びた男の顔は影になり、口元の動きだけが僅かな見てとれた。

「どうして、勝手にそんなこと。僕はまだ何も言ってなかったじゃないか」

少年は立ち上がり、男の肩を握り締める。

「これは俺からお前へのプレゼントだ。

お前は普通の人生には興味がないと言った。

本心かどうかは俺には関係ない。

運命とはそうしたものだよ」

そう言うと男は立ち上がった。


「もし得られた運命を捨て、普通の人生を歩みたいなら、海には近づかないほうがいい。

お前はもう陸のものではなく、海のものになった。

夜の闇に紛れて、波音がお前を誘いに来るだろう。消して答えないことだ」

男は少年の手を握り、目を覗き込む様な姿勢で続けた。

「だが運命を受け入れるなら、風に帆を張り海へ出ろ。

どんなに小さな船でもいい。

海風がお前の行くべき道を示してくれる」

少年の瞳には、海面を反射した夕陽の最後の明かりが揺れていた。

遠くで、近くで、波音が響く。

いつまでも耳の奥に残りそうな残響だ。

男は海風を背中に受けながら、堤防の先へと歩いていった。



海の上に一人の男が立っている。

顔は影になり、年齢を伺い知ることはできない。

背筋はきちんと伸びているが、少年のようにも、年老いた男のようにも見える。

周囲をぐるりと水平線に囲まれ、くるぶし程までの海水の下には、砂浜のような白い砂がずっと先まで敷き詰められている。

見渡す限りの海は、磨き上げられた鏡のように、澄んだ夜空を写していた。

男が一歩足を進めると、足を中心にして波紋がゆっくりと広がっていく。

不自然に大きな月が水平線の先に浮かび、青白い光を海面に投げかける。

男は月へ向かって数歩足を進めては、広がる波紋を見つめるようにうつむいて足を止めた。

海風が月へ向かって一つ吹いた。

海面を滑るように、一艘の小舟が男の足元へと流れ着く。

背後では見慣れた海が波を揺らし始めた。

男は長く息を吐き出すと、腰に手をあて空を見上げた。

真横から差し込む月光を全身に浴び、男の影が背後に長く伸びた。

凪いだ海と見慣れた海が男を境に交わる。

月明かりは徐々に細くなり、波の音が大きくなってきた。

約束の夜がもうすぐ終わろうとしていた。



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