海の養い子(3)
太陽は相変わらず高く、海は相変わらず青い。
海岸沿いに並んだ釣り人たちは、よく釣れた者から順に釣り場を離れ、家路へとつき始めた。
人影がまばらになった海岸線に、少年と初老の男が並んで腰を下ろしている。
男は竿に釣り糸を巻きつけると脇へ置いた。
「君には将来へ対する希望とか夢とか、そういうものはないんだな」
男は海を向いたまま少年へ語りかける。
「うん、大人になったって、どうせ良いことなんてないもん」
少年も海を向いたまま答える。
「俺みたいにだったら、してやれないこともない」
波音にかき消されてしまいそうな、か細い声で男がつぶやいた。
「それが幸せだとは思えないが」
「おじさんみたいにって、海の守り子になるってこと。
僕も海の守り子になれるの」
言葉を続けた男に食いつくようにして、少年は声を張り上げた。
「似たようなものになら、してやれないことはない。が君の幸せがそこにあるとは、俺には思えない。
俺の人生はそこにしかないが、君の目の前にはもっと多くの人生が広がっている。
選んでしまったら、戻るのは難しい」
男は視線を少年の方へ向けた。
波の音がまた少し大きくなる。
「少し昔の話をしようか」
海は何処までも続き、水平線の先で空へと続いていた。
海の上にも雨は降る。
幾層にも折り重なった積乱雲が、海の上に暗い影を落としていた。
大粒の雨が海面を激しく叩く。
俺は船首近くに立ち、雨に打たれながら海の匂いを嗅いでいた。
「海守。こんな雨だし、中に入ったらどうですか」
年かさのいったベテランの船乗りが話しかけてきた。
俺とは孫ほども年が離れていたが、船の上での海守(海の養い子)の権力は絶対視され、船長ですら敬意を払う対象となっていた。
軽はずみな言動は罰則を課せられることもあり、誰もが一定の距離を持って接することになる。
「雨はもうすぐ上がるよ。それに、この雨の向こうには、魚の群れが見える。進路を少し東に向けて進むように、船長に伝えて」
海の色さえも見えない土砂降りの雨の中、空を覆う雲はどこまでも続き、青空の影も見えない。
それでも船乗りは海守の言葉に従うほかないことを知っていた。
黙って振り返ると、雨の中へと消えていった。
雨は相変わらず降り続いているが、船の上は徐々に慌ただしくなり始めていた。
上半身をはだけた男たちが、女性の腕ほどもありそうな太い縄で編まれた網を肩にかけ、あっちへこっちへ走り回る。
俺は男たちの動き回る気配を背中に感じながら、船首に立って波の先や海の中を覗いていた。
声を上げなくても、俺が指をさすと船は自然とそちらの方へ曲がっていった。
どんなに天候が悪くても、船乗りたちが指示を見逃すことはない。
空を一面に覆っていた厚い雲に亀裂が走る。
太陽の光はいくつもの筋となり、海面へと手を伸ばした。
雨と風の切れ間を船は走る。
しばらくすると船の周囲を囲むように海面が泡立ち始めた。
「魚だ」
誰かが叫んだ。
船がにわかに活気づく。
「帆をたため」「網だ」「邪魔だ、どけ」
各人が思い思いの声を上げ走り回る。
威勢のいい掛け声とともに、網が海へと投げ込まれた。
船員総出で網を引くが、思うように網は上がらず、船は大きく傾いた。
男たちは歯を食いしばり、グイッグイッと縄を引く。
ようやく上げきった網には溢れんばかりの魚がぎっしりと詰まり、船の上は見る間に魚で覆われていった。
男たちは休む間もなく、網を投げ、引き上げる。
俺はその様子を男たちの背中越しに眺めていた。
魚の群れが通り過ぎる頃には陽も傾き始め、さらに釣り上げた魚の処理が終わる頃には、辺りに夕闇が漂い始めていた。
誰もが手も上がらないほどに疲れ果てていたが、予想以上の獲物を仕留めた興奮から、船には笑顔が溢れていた。
俺は一歩引いた場所から、そうした船乗りたちを眺める。
嫌いな時間ではないが、自分が仲間ではないことを強く感じさせる瞬間でもあった。
俺は道しるべであり、守り神。
仲間や友と呼べる存在を望むことは許されなかった。
夜が十分に更けると、大漁を祝う宴が開かれた。




