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海の養い子  作者: jun
2/5

海の養い子(2)

「海の養い子って何のこと。そんなの聞いたことないよ」

少年は堤防に腰かけたまま、見上げるようにして男の顔を覗き込む。

足元から吹き上げる風に乗って、潮の香りが少年の鼻をくすぐった。

男は縮れた髪をなびかせる。

「俺はこの辺りの生まれじゃなくて、若い頃は、もっとずっと南のほうで暮らしていたんだ。

小さな島でな、独自の風習なんかもたくさんあった。

海の養い子というのも、そのひとつだ」

「海の養い子だと、どうして餌がなくても魚が釣れるの」

「海の養い子というのは、つまり海の子供のことだ。

子供が健やかに育っていけるように、生きるのに必要な食べ物を海が運んでくれるのさ」

そういうと、男は身体を少し前のめりにし、視線を落とした。

海の深い場所を覗き込んでいるようにも、海と会話をしているようにも見える。

海面に反射した光が、男の瞳の中を泳いだ。



月の光の射さない新月の夜、空から隠れるようにして、海の養い子は生まれると言われている。

古い養い子が死ぬか、姿を消すかした後、新月の夜に生まれた子供が次の養い子となる。

島にいくつかある船団の母船に、それぞれ1人ずつ、守り神として乗せられる風習になっていた。

養い子の乗った船は嵐に会うことはなく、豊漁に見舞われることが多い。

それは自分の子供を育てる船乗りたちへの、海からの贈り物だと信じられていた。

通常、海の養い子は生涯を通して船から降りることはなく、船の上で一生を過ごす。

怪我をしたり、病をえたりすることはほとんどないが、寿命を全うすることも、また稀だった。

多くの養い子は、生まれた時の様な新月の夜に、誰にも知られることなくひっそりと姿を隠してしまう。

船乗りたちは、養い子が海へ帰ったと盛大な宴を催し、見送るのが通例だった。

そして船を港へ戻し、次の養い子が生まれるのを待つ。

すぐに生まれることもあれば、何年も生まれないこともあった。

その間、船乗りたちは遠い沖へ出ることはなく、近海で生きるための最低限の漁をして暮らす。

海とともに生き、波に任せて生きる海の民の島だった。



「それで、おじさんがその海の養い子だったの」

少年は遠い異国の話に興味を引かれたのか、身体を男の方へ寄せながら口を開いた。

「まあ、そういうことだな」

「でも、養い子は船の上で暮らさないといけないのに、おじさんは何でここで釣りをしているの」

少年の言葉に、男は苦笑いを浮かべた。

「それはだな、俺が出来そこないだったからだろうな、多分。

他の養い子に出来たことが俺には出来なかった。

だから海を離れ陸に上がって、こんな年になって、こうして釣りをしている。

いや、釣りをすることしか出来ないんだ」

少年は黙って男の横顔を見ていた。

周囲では相変わらず、老人たちが釣り糸を上げ下げしている。

「おじさんは僕と一緒なんだね」

ぽつりとつぶやいた。男は少し驚いた表情をしている。

「こんな中年を捕まえて、自分と一緒とは面白いことを言うな。

お前さんはまだまだ若い、俺とは全然違うだろう」

少年は何度か首を横に振った。

「僕は何をしてもだめなんだ。足も遅いし、成績も悪いし。

みんなが当たり前に出来ることが出来ないんだ。

それで、どこにいても、いつも一人なんだ。ね、おじさんと一緒でしょ」

男が声を立てて笑った。

周りの釣り人たちが、迷惑そうに顔をしかめるが、男は構わず笑い続けた。

「それは、確かに俺と一緒だ。俺も長いこと一人だったからな。

こんなに笑ったのも、いったいいつ以来か」

少年も男を見て微笑んだ。

「だがな、本当のところでは、やっぱり俺とお前は違うんだ。

俺にはそれしか生きるための道が用意されていなかったし、それすらも上手く出来なかった。

でも、お前さんには、たくさんの可能性と未来が残されている。

羨ましいじゃないか」

「僕にはおじさんのほうが、羨ましいよ。生まれた時から特別なんて、かっこいい」

波の音が大きくなり、色彩の一部が失われたように、海の色が暗くなった。

それまで子供を諭す父親の様だった男の口調が、ひとつ低くなる。

「人ではなく海の子として生まれ、一生を海の上で生きる、そんな人生が本当に羨ましいか」

「うん、普通よりもずっといい」

「そうか」

男は腰から使い込まれた肉厚なナイフを取り出すと、握っていた魚を手掴みのままおろし始めた。

ほとんど無意識に、流れるように手が動き、見る間に魚が切り身にされていく。

男は一口大の切り身を少年の前に差し出した。

陽の光を浴びて輝いていると見えた魚の身は、身そのものが光を放っているような、淡い海色の輝きを放っていた。

「これなんて魚」

男は少年の問いかけには答えず、食べてみろと切り身を差し出す。

少年は仕方なく切り身を受け取り、手掴みで口へと運んだ。

さっきまで泳いでいたとは思えないほど身は柔らかく、海水のほのかな塩分がより甘さを引き立てた。

「美味いだろう、それが海の養い子にだけ許された海の恵みだ」

男がにっこりと微笑んだ。

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