[物語]世捨て人
ー いつか、人を引き込んで離さない話が書きたいですね。
読み終わるまで本の世界に沈み込んでいられるというか、現実を忘れられるというか……。
そういう話を。 ー
新人賞受賞時のコメントより
彼は変人揃いの作家界でも群を抜いて変人であった。
作家とはいえ職業。食べるために書く、という一種の割り切りというか、プロ意識とも言い換えられるものを持っているものだ。
しかし、彼は物語を書ければそれで良く、食うに困って手持ちの原稿を新人賞に出したところ見事大賞を受賞したのだ。
その時点で、書き上げていた作品は500を優に越え、そのどれもが受賞作「夜を待つ人々」に比肩する出来であった。
その後、出版社からの打診でその作品らを次々と書籍化し、毎月刊行どころか、毎週刊行にさえ届くほどの勢いであったという。
その連続刊行は一年以上も続き、ブームに止まらない、一つのお祭りのような状況であった。
けれど本人はあくまで驕らず、「書ければ良い」と言い続け、出版社のパーティなどに参加しても、誰と話すでもなく食事時間を減らすためと言わんばかりに黙々と料理食べ続けていた。
業界の奇人変人作家をして「あの人にはかなわない」と言わしめた所以である。
ただ、彼が唯一人並みに喜んだのは、ファンレターだ。
編集者が彼の自宅へファンレターを送るたび、届いたファンレターのひとつひとつに目を通し、実に嬉しそうに笑みを零す。
本人は「理想の物語を書くために生の声は参考になるから」と言い張っているが、それが事実なのか、照れ隠しなのかすら判断出来る人はいない。
パソコンを使わず未だ紙の原稿に物語を綴り続ける彼が、物語を書けなくなったのは彼のデビューから二年に差し掛かろうかという時であった。
作家としての彼の誕生祭と題して、「歴代最高の一作」と彼が自賛する作品を大々的に売り出そうとし、その打ち合わせに編集者が家を訪れた時だ。
彼は人間に必要不可欠な食事、排泄、睡眠時以外は書斎に篭っている。
チャイムにも反応しないのはいつものこと、と編集者が書斎に上がりこむとそこには誰も居なかった。
珍しいな、と家の中を探しても気配がしない。
ふと書斎の机に目をやるとそこには完成したと思われる作品の原稿。
その後、彼の作品が出版されることは無かった。