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告白

 宝石の如く煌めく星々の間を縫うように、姫君を乗せた白蛇は飛び続ける。羽音だけが大きく響いていた。エルシリアはミズガルズの冷たい背中に頬を押し付け、流れ行く眼下の景色をジッと見つめていた。幾つもの黒い森、幾つもの大小様々な湖沼、そして平原の上を走る細い街道。もう外の風景など見られないと思っていたから、そんな他愛もない景色の数々が、やけに美しく思えた。

 これも全てはミズガルズが助けに来てくれたお陰だ。そう考えると、王女の胸の内には、こうしてゆるゆると飛翔を続ける白い蛇に深い深い感謝の気持ちが生まれた。どれほどのことをすれば、この恩に報いることが出来るのか見当もつかなかった。もっとも、そんな悩みを打ち明けたところで、ミズガルズが何か対価を求めることなどないだろうが。


『……エルシリア。奴らに変なことはされなかったか?』


 不意に蛇神がそんなことを聞いてきた。顔は前を向いているため見えないが、きっと心配してくれているのだろう。


「うん、私は大丈夫。何もされてないよ」


 そう言葉を返す。するとミズガルズが安心したかのように長い溜め息をついた。心配してもらえていたことが分かり、エルシリアは素直に嬉しかった。


「……それよりミズガルズ、どこか地上で休みたいんだけど……駄目かな?」


『駄目なわけがないだろ。今、降りるよ』


 ゆっくり羽ばたきながらミズガルズが降りた先は、人間の気配が全く無い草原だった。四方を小規模な森の塊に囲まれており、外からは見られにくそうだ。ミズガルズは柔らかな草地に静かに身体を横たえると、エルシリアをそっと下ろした。同時に魔力の翼も一旦解除する。蝶の鱗粉のように白い光の微粒子が舞った。


『……えっと、あの、ミズガルズ様。ノワールは少し見回りしてきますね! もしかしたら森の中に何かいるかもだし……!』


 突然、妙に慌てた様子で場を離れたのはノワールである。待て、と言う暇も無いまま、漆黒の姿は闇夜に消えてしまった。嘆息したミズガルズは首を回してフィーロスに目を向けた。すると彼女も何を思ったのか、「ノワール様の手伝いをして参ります」だのと言って、さっさと行ってしまったではないか。当然、後に残されたのはミズガルズとエルシリアだけだ。もしかすると、竜蛇と猫は気を使ってくれたのかもしれない。そうだとしたら嬉しかった。

 その時、エルシリアが小さくあくびをした。それを見たミズガルズが尾先を軽く振る。すると、そこに天蓋付きの大きめなベッドが出現した。エルシリアが面食らう。ミズガルズは彼女とベッドを外界から守るように、草地に円を描いて横たわった。


『今日はもう寝た方が良いんじゃないかな?』


 エルシリアはベッドにおずおずと近付き、柔らかい布地の上に腰を落ち着けた。そして悪戯っぽい笑顔を浮かべて、ミズガルズを見上げる。


「……嫌だ。もう少し話をしてたい」


『しょうがないな。付き合うよ』


 そうは言うものの、ミズガルズはもちろん嫌なはずがなかった。頭上では星々が煌めき、姫君の美しい顔を照らしていた。



◇◇◇◇◇



「ふぅん……色々と大変だったんだな、ミズガルズ」


 ここまでの道中に起きた出来事について、ミズガルズが一通り話し終えた後、エルシリアは言った。そんな彼女もよくよく見れば、疲労の色が濃い。一人きりで異国に連れて来られたのだ。無理もないだろう。言動が大人びているから時折忘れそうになるが、彼女はまだ十六歳の少女なのだから。


「出来ることなら、一緒に旅をしたかったな……」


『何言ってるんだ? 今は一緒にいるんだから、これからはそう出来るだろ?』


 不思議そうに蛇神が言うなり、たちまちエルシリアの頬が赤くなった。わざとらしく毛布に倒れ込み、両足をバタバタと動かす。気恥ずかしさを誤魔化すような、くぐもった声が聞こえてきた。


「そ、そ、そうだったな。私としたことが……今のは何でもないから忘れてくれ……!」


『あ、ああ……』


 お陰でミズガルズまでもが気まずいような、恥ずかしいような、そんな何とも言えないむずむずした気持ちに襲われた。気になる女の子と二人きりというのは、存外難しいものであるようだった。

 そうした戯れの最中、ミズガルズはあることに気が付いた。雪のように白いエルシリアの右腕、ちょうど手首辺りのところだろうか。何やら刺青のような紋様がくっきり浮かび出ていた。あまり良い感じがしない。


『……エルシリア。その右手首の模様はどうしたんだ?』


 訊かれた少女は思い出したかのように跳ね起き、しかめっ面を作って、自らの手首を見た。


「これか? これはな、バルタニアを出る前に施された魔封じの印だよ。早く解きたいんだけど……」


『……王女に魔封じなんか掛けたのか』


 ミズガルズの声音に若干の怒りを感じ取ったのか、エルシリアが慌ててフォローを入れた。


「怒らないでくれ。城の皆は操られてるだけなんだから。言ったろう? 父上が魔物に乗っ取られたって。……皆は悪くないんだ」


『あ、や、分かってるよ、それは。そんなにしょげないで欲しいんだけど』


 同じようにフォローを入れてから、ミズガルズは瞬く間に身体を小さく縮めた。せいぜいエルシリアの背丈と同じくらいの小さな白蛇となり、少女のベッドの傍まで這い寄る。上体を起こし、鎌首をもたげると、ベッドの上で四つん這いになる少女と目が合った。

 クリッとした赤い瞳で見つめながら蛇神は首を傾げた。すると一転して笑顔になったエルシリアに、彼は頭やら顎の下やらをこれでもかとばかりに撫で回された。普通の蛇だったら咬まれること間違いなしだが、そこはミズガルズだ。何も言わず、されるがままでいる。相手がサネルマならともかく、エルシリアを咬むわけがない。それにしても、この王女様、間違いなく蛇好きである。


『……その魔封じ、俺が解くよ。手首、出して』


 おずおずと差し出される白い腕。まるで腕輪のような魔封じの印のすぐそばにミズガルズが顔を寄せた。彼が何をするか分かったのだろう。エルシリアの表情が少し強張った。


「……ミズガルズ、痛いのかな……?」


『ん、少しだけね』


 言うなり、ミズガルズは口を開いた。赤い口内には小さくて細かい歯が整然と生え並ぶ。それらの牙の列の最前には、僅かに湾曲した一際大きな牙がある。

 唇を結んだエルシリアの細い手首に、ミズガルズはその二本の大きな毒牙を刺した。魔封じの上を赤い血が流れる。一瞬だが、王女の口からは苦悶の呻き声が漏れ出た。彼女は涙を零さぬよう力を入れつつ、白蛇が静かに咬みつく腕を見た。消えないと思っていた魔封じの黒色がだんだんと薄くなっていく。それから十秒も経たない内に、魔封じの紋様は完全にその姿を消した。元通りとなった手首にはシミ一つとして無い。


『何か魔法を使ってみてよ。もう大丈夫だと思うからさ』


「う、うん」


 吃りながらもエルシリアは小声で短い呪文を唱えた。すると彼女の指先に大きめの炎が点る。橙色の炎は闇夜を照らし、ミズガルズとエルシリアの顔を浮かび上がらせた。確かに魔法が使えた。魔封じは解除されたのだ。


「ありがとう……」


『気にするなよ。良かったな』


「……なぁ、ミズガルズ」


 首を曲げようとした白蛇を、姫君がむんずと掴んだ。急に掴まれたせいで息が止まりそうになった白蛇は、次の瞬間には姫君の胸元で抱きすくめられていた。彼にしてみれば完全に不意打ち。ほんのりと温かい少女の胸に抱かれて固まるしかない。今は蛇体だから良いものの、これが人間体であったなら赤面している。


「こうして話していると、やっぱり人間らしいな。年の近しい友達が出来たみたいで嬉しい」


『……まぁ、もともとはただの人間だったからね。人間らしいってのも、ある意味当然だよ』


 白蛇の赤い瞳と姫君の翡翠色の瞳が合う。視線と視線がぶつかった。


「なあ、前の人間としての生活と今の生活、ミズガルズはどっちの方が良いんだ……?」


 そんなエルシリアの問いかけ。ミズガルズの場合、どちらなのかと迷う必要は無かった。答えなんて、とっくのとうに出していたから。


『今の生活の方が良いよ。嫌なこともあったけど、良いことも同じくらいあった。それに……親はいないけど……友人がいて、守りたい仲間がいるから』


 それを聞いた王女は微笑むと、優しげに呟いた。


「そっか……ミズガルズが幸せなら、それで良いんだろうな……」


 エルシリアの手の力が少しだけ緩んだ。白蛇はするりとそこから抜け出して、柔らかいベッドの上に下りた。女の子の胸の中にずっといるのは、精神的にあまりよろしくないのだ。


『えっと、あのさ。もうそろそろ眠った方が良いんじゃないかな?』


「い、や、だ」


 困ったことに即答である。しかも面白くなさそうな顔をして。一体、何が不満なのだろう。


「……ミズガルズ。せっかく再会出来たのに素っ気ないぞ。私はお前に会うのをすごく楽しみにしていたんだからな」


 言うなり、身体を起こしたエルシリアは、そのままベッドから飛び下りた。そして、ミズガルズの鼻先に腕を差し出して、登るように言う。白蛇が言われた通りにすると、少女は嬉しそうな笑顔を見せた。それから空を見上げる。頭上に広がる果て無き星空を。


「……ずっと思ってたんだ。ミズガルズ、お前と二人きりの時間を過ごしたいって。私は初めて会った時、お前の姿を見て、見惚れてしまった……柄にもなくね。お前は美しい上に優しくて……」


 エルシリアの薄く朱に染まった顔をまともに見れず、ミズガルズはひたすら地面を見ていた。夜風に吹かれた草たちが、さわさわと歌う。まるで、ミズガルズのヘタレっぷりを笑っているかのようだ。だが、それも致し方ない。熱っぽく語られるエルシリアの言葉は、ミズガルズからしてみればほとんど愛の告白も同然だったから。


「……私は王族で、一国の王女だ。庶民の恋愛感覚なるものは、いまいちよく分からない。この気持ちだって何なのか……はっきりとは説明できないんだ」


 そこでエルシリアは急にかがんで、ミズガルズをそっと地面に下ろした。蛇神は逃げるようにして草地に滑り降りる。小さな心臓はばくばく言っていた。もし、蛇の姿でなければ顔から火が出ているところだ。


「言っていいかな?」


『な、何を?』


 ふんわりと咲いた満開の笑顔。輝く月と星空を背景にしたその笑顔を、ミズガルズは生涯忘れることは出来ないだろう。例え、何百年、何千年、永遠に時が流れても。



「ミズガルズ、私はきっと貴方のことが好き。これからも私のそばに居てくれませんか?」



 時間の流れが止まったようだった。エルシリアのそれは完全に告白。しかも、愛の。瞬間、ミズガルズは舞い上がりそうになったが、すぐに衝動を押し留めて、ひたすら冷静に努めた。


『……エルシリア、よく考えろ。俺は蛇の魔物なんだぞ?』


「でも、中身は人間だ」


『それはそうだけど、けどさ』


「……ミズガルズは私のこと、嫌い?」


『や、そんなこと、あるわけないだろ!』


 絶世の美少女に寂しげに俯かれてしまっては、否定しないわけにはいかない。とんだ反則だ。


「ちゃんとした答えは今じゃなくたって良いよ。私だってまだ出せてないから。だから、まずは友達から始めよう?」


『……エルシリアが良いなら、それで良いさ』


 月光に照らされる王女の横顔を見て、思う。彼女を助けることが出来て本当に良かった、と。そして、この世界に来たのは間違いでは決してなかった、と。異界から渡って来た少年は、今はいない白き蛇神に改めて深く感謝したのだった。

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