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竜との出会い

 大蛇の目覚めのきっかけは、何となくだった。ふと気がついたら、頭にかかった靄が消え去っていて、眠気がどこかへ飛んで行ってしまっていた。

 起きたミズガルズが最初に見たものは、寸分違わぬ洞窟の風景と自らの身体に寄りかかっているケネスの姿だった。大きな寝息を立てていることから、彼がまだ夢の中にいることが分かる。本当は気が引けたのだが自分が動けないので、ケネスには起きてもらうことにした。


『おい、ケネス。起きてくれ。動けない』


 ミズガルズが身体を軽く揺り動かすとケネスがやっと目を開けた。彼は一度大きな欠伸をすると、凝り固まった身体をほぐす為に太い腕を思い切り伸ばした。


「……もう朝か?」


『いや、分からないな』


 ミズガルズは短く答える。実際、外から隔離された洞窟の中では、今がいつ頃かなど分かるはずがない。知りたければ、ここを出ること、ただそれだけのことだ。

 ズルズルと巨体をうねらせて、蛇神は出口へと向かって行く。ケネスはそれに慌てて付いて行こうとしたのだが、彼らの間には埋めがたいサイズの差があって、どうにも危なっかしかった。白銀の巨体にケネスが下敷きにされてしまいそうだった。


 そして何を思ったのか、ケネスは助走をつけ見事な跳躍を敢行した。しがみついた先は、ミズガルズの頭のすぐ後ろ。凄まじい運動神経の良さを見せつけた大男は器用に大蛇を乗りこなしていた。


『重いんだけど』


「何を言うか。俺一人ぐらい、どうってことないだろ?」


 軽い調子でそんなことを言われて、ミズガルズはそれきり黙ってしまうのであった。



◇◇◇◇◇



 ミズガルズが洞窟から首を出すと、既に外は朝を迎えていた。正確に何時頃なのかは分からないが、太陽が徐々に昇ってきている様だ。昨日と変わらない窪地の美しい風景が蛇神を出迎えた。同時に、これが夢でも幻想でもなく、紛れもない現実であることをミズガルズは改めて感じ取った。この美しく、広大な世界が今や現実のものなのだ。


「んじゃ、世話になった。俺は我が家に戻るとしよう。ありがとうな、ミズガルズ。まさかガキの頃に絵本で見た魔物に実際に会って、助けられるとは思ってもいなかった」


 ケネスはそう言って歩き出し、律儀に残されていた縄梯子に手を掛ける。アロンソたちが使ったまま持ち帰るのを忘れたのだろう。つくづくいい加減な連中だ。


『お前のことはよく分からないけど、捕まったりするなよな』


「ははっ、美味いメシを食いに帰るんだ。あんな間抜けどもに捕まるわけにはいかねえな」


 その間にもケネスは縄梯子を登りきり、崖の上まで到達していた。服に付いた汚れを軽く払った後、悠然と森の中へと消えていった。


 大男がいなくなると辺りが一気に静かになった。これで騒がしい珍客たちは全員帰ってくれたことになるのだが……。ミズガルズには、少し前からずっと困っていることが一つ残されていた。


『……腹が減った』


 そう、空腹だ。思えばミズガルズは目覚めてから何も口にしていないのだ。こうなるのは、当たり前のことだろう。彼は元人間の矜持としてアロンソたちは襲わなかったが、よく考えれば人間が一番襲いやすい獲物かもしれない。事実、大蛇はあの場で全員を食い殺すことだって出来た。けれど、それは最後の一線だと蛇神は感じていた。少なくとも、エルシリアやフォンス、ケネスたちに対しては、そんな行動を取りたくなかった。


『……でも腹は空いたな……』


 今しばらくは人間を食らうことは避けるとして、とにかく食料探しには出掛けなくてはならない。既に腹の虫は限界まで暴れていた。




 ……なかなか、手頃なサイズの獲物は見つけづらいもので。ミズガルズはセルペンスの森を先程からずっと這い進んでいた。森のあちこちで木が薙ぎ倒され、下草が潰れていた。もちろん、それはミズガルズが通った跡だ。ぐねぐねと曲がりくねった大きめの獣道と化していた。

 野鳥たちの軽やかな歌声を耳にしながら、ミズガルズはくねくねと進む。空腹のせいで機嫌はあまりよろしくない。そろそろ何かしら口に入れたいのに、上手い具合に適した相手は一向に現れなかった。


 突然、視界が綺麗に開けた。森の中にポッカリと穴が空いていて、上空から明るい陽光が射し込んできている。そこだけくり抜いたように木は一本も生えておらず、小さい草原が広がっていた。

 そして、何よりそこには獲物がいた。灰色のブタの様な格好の獣だが、大きさはカバほどもある。よほど鈍いのか、ミズガルズに気付いている素振りすら見せない。牙も角も無い容姿と、熱心に草を食んでいる様子から、恐らくは大型の草食動物なのだろう。とにかく大人しそうで人畜無害に見える生き物だった。初めての食事として申し分ない生き物を前にして、ミズガルズは自分の血が沸き立つのを感じた。

 ミズガルズは出せる限りのスピードを出して、草を食む獣に飛び掛かった。彼がこれほどまでに全力を出したのは、小学生以来初めてだった。


 大きいとは言っても、やはりブタはブタだ。動きは遅い。ミズガルズの鋭い牙は簡単に獲物に突き刺さった。自身の牙が肉に深く刺さる感触と、相手から噴き上がる血に驚いて引き下がりそうになりながらも、ミズガルズは必死でブタに食い付いた。

 視界の端に、もう一匹が逃げ去っていくのが見えたが、目の前の獲物に手一杯で二兎は追えない。諦めて、見逃すことにした。


 しばらくするとブタが動かなくなった。小さな痙攣すらない。どうやら、息を引き取ったらしい。ミズガルズはゆっくりと牙を抜いた。一応、確認としてブタを鼻先で突っついてみる。獣はピクリとも動かなかった。

 ミズガルズ自身はまだ知る由もないが、彼の牙には恐るべき猛毒が仕込まれていた。その猛毒にかかれば、人間を含めどんな生き物も助からないだろう。実際、ブタも体中を激しい毒が巡ったことで即座に絶命してしまった。


 空腹のミズガルズは毒と出血によって死んだブタに食らい付く。牙は鋭利なナイフの様に肉を切り裂き、蛇神は乱暴にそれを飲み込んでいった。

 味は……よく分からない。とにかく腹は満たされていくが、どんな味なのかと言われると返答に困った。生肉に味も風味も、いちいちあるわけがない。

 半分ほど胃に収めた後、ミズガルズは段々生の肉に飽きてきた。息を吸い込み、細い炎を吐き出す。するとブタの死骸は良い感じに焼けて、辺りに香ばしい匂いが漂い始めた。


 堪らなくなってかじりつけば、まさに焼き豚その物の味だった。




◇◇◇◇◇



 しばらく進んだところで、恐らく先程のブタと同じ種類の獲物を二頭も見つけ、平らげたミズガルズ。獲物のサイズが大きかった為か、それなりに満足した彼は、セルペンスの森を意気揚々と散策していた。この森はよほど面積が広いのだろう。体の大きなミズガルズが積極的に動き回っても、視界から背の高い樹々が消えることはなかった。

 そうして地面を這い進んでいると、ミズガルズはあることに気付いた。森を形成している周囲の樹々が、進むにつれて段々と太く大きいものになってきているのだ。中には幹の表面が苔むしているものまであった。

 雰囲気を徐々に変え始めた森を不思議に感じながらも、大蛇はそのまま進んでいった。やがて樹々の間から顔を覗かせると、淀みに淀んだ沼が眼前に広がっていた。沼の水はどろりとして黒ずんでいた。樹々に遮られて風も届かないからか細波ひとつ立っていない。


『……エルシリアはこの森に魔物はいないとか言ってたけど。どう見ても出そうだよな』


 辺りにはおどろおどろしい雰囲気が漂っていた。よく見れば、沼の上には薄い霧もかかっていた。沼を渡るか迂回するかミズガルズが悩んでいると、濁った水面が揺らめいた。ミズガルズはそれを見逃さない。身構えていると、水面に泡が立つ。元々、沼自体が濁っているので分かりにくいが、大きな影が水中から浮かんできた。


 水面を割って飛び出してきたのは、どこからどう見ても魔物としか思えない生物だった。全体的には地球のヒルに似ていて、大きさは推定三メートルほど。毒々しい紫と橙色に染まった身体は怪しく光り、ヤツメウナギの様な円形の口が先端に付いていた。鋭く尖る刃が、肉食であることを示している。目が無い様だが、匂いなどに反応するのだろう。現に今も、ミズガルズに向かって激しく威嚇を繰り返している。


『……小さいな』


 呟いた刹那、上空から巨大な何かが飛んできて古木の枝や葉を突き破るようにして現れた。沼の上に蹴散らされた枝葉が降り注ぎ、来襲者の頑強な足爪が目の前のヤツメウナギもどきを掴み取った。ミズガルズが驚いていると、着地の騒音とともにすぐ横で土埃が舞った。ミズガルズは何事かと、ますます身を構えた。


『まぁ、オマエにとっては小さいだろうな、ミズガルズ』


 鋭利な爪でヤツメウナギもどきを引き千切っていた者が、蛇神に声を掛けた。土埃が晴れ、その姿が明らかになる。


『……いや、正確には蛇神ミズガルズの名を継いだ……人間かな?』


 親しそうに話すのは、真紅の鱗に身を包んだ巨竜だった。

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