姫君と機械帝国の王子
広々とした部屋の中、姫君は何をするでもなく、ベッドに腰掛けて物思いに耽っていた。様々なことが思い出される。優しかった父親との思い出、いつも着飾っていた兄弟姉妹たちの横顔、同年代の臣下との触れ合い、それに伝説の魔物との邂逅……。
今となっては全てが良き思い出だ。同時にもう二度と手に入らないかもしれないものでもあった。バルタニア王国の第二王女エルシリアは、まるで異世界のようなディレンセン帝国の、王城の中に設けられた私室で深い溜め息を吐いた。
室内を見渡せば、そこには彼女の理解の範疇を超えるものが山のように存在した。硝子製の大窓はまだ良いとしても、垂れ下がった紐を引くだけで点灯する照明や、室温に応じて自動で温風や冷風を放出する装置などは、全くもって彼女の常識の外にあった。魔法だとしか思えなかったが、全て人間の手によって生み出された機械なのだと言う。
「何なんだ、この国は……。本当に私は違う世界に迷い込んでしまったのか……?」
弱々しい呟きが漏れる。彼女はおもむろに立ち上がると、ふらついた足取りで大窓へ近付いた。クリーム色のカーテンを取り払う。すると、眼下にはディレンセン帝国の首都、ダルバレスクの全景が広がっていた。
色彩の乏しい街だ。エルシリアはそう感じた。ダルバレスクの家々はどれも暗い褐色、または灰色や黒色に統一されており、明るい印象はどうしても抱けない。硝子窓を閉めている今も、外からは金属を打つ音や軍隊の射撃訓練の音が聞こえてくる。
エルシリアは慣れない手つきで窓の鍵を開け、茶褐色に塗装されたバルコニーへ出た。祖国では見たことも無い機械式の銃器を手にした女性兵士が二人立っていたが、彼女たちはエルシリアを止めるようなことは特にしなかった。
◇◇◇◇◇
バルコニーに出て十分も経った頃。油臭い帝都の空気に顔をしかめながら、無機質な風景を眺めていたエルシリアに声がかけられた。言葉を発したのは石像のように立っていた二人の兵士の内の一人、長身で赤茶の髪色をした、三つ編みの女性兵だった。
「姫様、そろそろスタニスラフ王子がお目見えになります。室内に戻られた方が宜しいかと」
腕に嵌めた小さな時計に目を落としながら、兵士は流暢なバルタニア語で言った。エルシリアは特に何の抵抗も見せず、兵士の進言通り、素直に部屋の中に戻った。これから初めて会う相手は、確かに非常に重要な人物であったからだ。
スタニスラフ・ディミトリ・ディレンセン。現皇帝アルトゥーロ十八世の子息の一人であり、皇位継承権第七位の人物でもある。そして何より重要なのが、エルシリアの夫となる男ということだ。当然、エルシリアは納得などしていないが、相手をよく知るというのは大切だ。可能性は限り無く低いが、味方になってくれるかもしれないのだから。
その時、控えめなノックの音が響いた。遂に来たか。エルシリアは僅かに身構える。さぁ、どんな男が現れるのだろう。正直なところ、エルシリアはあまり良い予感はしていなかったのだが。
「……初めまして、エルシリア王女。僕がスタニスラフです。これからよろしくお願いします」
扉を開けて一人で入室してきた青年は開口一番、そう言った。飾り気の無い、至極丁寧な挨拶だった。かなり流暢なバルタニア語と、病的とさえ言える痩せ細った容姿に、エルシリアは思わず面食らってしまった。スタニスラフ王子は想像していた人物像とはあまりにかけ離れていた。
「取りあえず、まずは座って、ゆっくりとお話でもしませんか?」
優しげな声音でスタニスラフは言う。エルシリアは彼の柔和な物腰に戸惑い、翻弄され、短い返事を返すのがやっとだった。
◇◇◇◇◇
「王女様、この度は災難でしたね。突然のことに驚かれているでしょう?」
よく分からない機械で淹れた紅茶が入った容器を手に持って来ながら、スタニスラフ王子が言った。エルシリアは知ったような口を聞くなと思ったが、そこは障りの無いように小さく頷いた。
スタニスラフ王子はエルシリアに紅茶入りの容器の一つを渡す。彼女が素直に受け取ったのを見ると、彼は嬉しそうに微笑み、同じく白い革製のソファーに腰を落ち着けた。エルシリアとの間には、人間三人分程の距離を空ける。
「……夫となる者が僕のような男で、さぞがっかりされたでしょう?」
熱い茶を少しずつ啜っていたエルシリアは、スタニスラフの言葉の真意がいまいち分からず、首を傾げた。そんな彼女の様子を見たスタニスラフが微かに苦笑する。
「そのままの意味ですよ、王女様。ほら、ご覧の通り、まず第一に僕は特別良い男でもありません」
苦く笑うスタニスラフをエルシリアがまじまじと見つめる。確かに彼は彼自身が言う通り、そこまで男前でもない。特別醜悪というわけでは決してないが、はっきり言えば特徴の無い、普通の顔立ちをしていた。少しふわっとした明るい茶髪、優しげな印象を持たせる、茶色の瞳の垂れ目、それなりに高い鼻……。王族というよりは、どちらかと言うと、平民のような青年だった。
「おまけにこれです」
スタニスラフは言うなり、懐からある物を取り出した。それはエルシリアにも見覚えのある代物だった。眼鏡だ。ただ、エルシリアが知っているものに比べ、レンズが非常に厚かった。
「……僕、幼少の頃から視力が物凄く悪いんですよ。これを掛けて、やっと人並みなんです。だから、この眼鏡のせいで余計に野暮ったくて、何と言うか根暗な男に見えるでしょ?」
一瞬、頷きかけたエルシリアだったが、さすがに失礼だと思い、止めた。代わりに当たり障りの無い無難な言葉を探して、返した。
「そのようなことはないと思いますよ。少なくとも私は気にしません」
ありがとうと言って笑うスタニスラフの顔を見ると、人畜無害な人物に思えたが、それでもエルシリアは警戒を崩していなかった。当然だ。若い男と部屋で二人きりなのだから。状況的に何をされたっておかしくない。今はとある理由で魔法が使えないが、襲い掛かられたらすぐに反撃出来るように準備していた。
だが、いくら待ってもスタニスラフがそのような狼藉を働く気配は無かった。レンズを曇らせたくないのか、眼鏡を外し、暢気に紅茶を飲んでいた。そして、彼の方もエルシリアがかなり警戒していることに気付いたのだろう。カップをソファーの前のテーブルに置き、朗らかな笑顔を浮かべて言うのだった。
「大丈夫ですよ、王女様。僕は貴女に手を出すつもりなんてありませんから。恥ずかしながら人付き合いが苦手で……特に女性との色恋沙汰には疎いんです」
実は今も凄く緊張してるんですよ。そう言いながら苦笑するスタニスラフの姿はどこからどう見ても悪人には見えなかった。エルシリアの警戒心もようやく少しずつ解れ始めた。完全に心を開くのはまずいが、この青年相手にならば、少しぐらいは大丈夫かもしれないとの思いがよぎる。
「……スタニスラフ王子、色恋沙汰に疎いのは、実は私も同じです。故郷では武芸や魔法の修行ばかりしていましたから」
「成る程、僕たちは案外似た者同士なのかもしれませんね」
美男とは言えないものの、スタニスラフの見せる笑顔は優しい。その時、エルシリアはふとミズガルズの横顔を思い出してしまい、悲しみを覚えたが、すぐに振り払う。考えても仕方がない。もう会えないだろうから。
「エルシリア王女、遠方から無理矢理嫁がされてきた貴女に、いきなり僕の嫁になれだなんて、僕は言えません。それにどうせ……この結婚を命じた父も僕たち二人には特に何の期待も持ってないでしょう。あの男は人質である貴女を手元に置いておくことさえ出来ていれば良いのですから」
先程の笑顔から一転、憂いを帯びた表情をエルシリアに向けるスタニスラフ。バルタニアの王女は静かに彼の次の言葉を待っていた。
「貴女には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。祖国から引き離され、言葉も通じない外国で、知りもしない男の妻にされるなんて……僕がもし貴女の立場だったら、耐えられない」
エルシリアは何も言わず、代わりに首を小さく縦に振った。実際、彼女も当然ながら不安で押し潰されそうなのだ。本心でないかもしれないとしても、優しい言葉を掛けてくれる人がいるのは嬉しかった。
「だから、せめて僕だけは貴女の助けになりたいんです。それが僕に出来る罪滅ぼしだと思うから。夫として、僕を見なくて良いし、愛さなくて良い。本当に困った時、ずっと味方でいるような友人だと思っていてくれれば良いんです。それだけで僕は満足なんだ」
気恥ずかしさを押し殺して、慣れない台詞を吐いたからなのか。スタニスラフ王子の頬は赤くなっていた。膝の上で握っていた両の拳はぷるぷる震えている。それに気付いたエルシリアは場違いにも眼前の青年を微笑ましく感じ、出来る限りの笑顔を作って言った。
「ありがとう、スタニスラフ王子。私のことはエルシリアと、そのままお呼び下さい。ええと、王子のことは何と呼べば……?」
エルシリアの美貌を前に、スタニスラフは弾かれるように叫んだ。ますます顔を真っ赤に染めながら。
「ス、スタンと! スタンと、そう呼んで下さい!」
◇◇◇◇◇
それから、エルシリアとスタニスラフの談笑は一時間以上も続いた。その中で、エルシリアはスタニスラフについて様々なことを知ることが出来た。まず、アルトゥーロ十八世は一夫多妻を体現しており、複数の子息が存在する。皇位継承権を持つ者は実に五十四人。皇帝と正妃との間の子は七人いる。スタニスラフはその内の末っ子だ。
また、彼は父親のアルトゥーロ十八世と不仲であるらしい。何でも、スタニスラフは今年で十九歳になるが、幼少の頃より虚弱な体質で、皇帝には落胆されたようだ。その上、武術や剣術にも才能が無く、更には帝国人なら一般人でも大方の者が使いこなせるはずの銃器の扱いまで下手糞だったため、ますます毛嫌いされたのだという。それに反発している内に、いつの間にか口も利かない仲になったとか。
スタニスラフ曰く、「権力争いのことしか考えられない」他の兄弟姉妹たちが裏での駆け引きに必死になったり、足の引っ張り合いに熱を上げている間、彼はひたすら勉学に励んでいたそうだ。と言っても、王座に就くための勉強ではない。皇位を継ぐ気などさらさら無い彼は、自らが興味を持ったことを次々に学び、知識として吸収した。
例を挙げれば切りが無いが、例えばバルタニア語やアスキア語といった、外国語。それから世界各地の歴史や伝承、伝説の研究も進めた。まだまだある。数学、物理学、生物学、それに経済学もかじった程だ。幸い頭は良かったので、勉学を苦に感じることも無く、更には帝国内に流布する、他国や魔法、または亜人種や魔物などに対する偏った偏見意識にも染まらずに育つことが出来たらしい。
「……僕はね、常々思っているんだ。果たしてこの世界にとって、ディレンセン帝国は必要なのか、と。正直なところ、僕は要らないと思う。この国はそう……あまりにも異質なんだ。世界中でたった一国だけ、こんなに科学技術が進んでるなんて、異常だよ。はっきり言って、僕は不気味でさえあると思う」
確かにそうかもしれない。エルシリアもスタニスラフの言う通り、ディレンセン帝国には不気味な印象を抱いていた。スタニスラフの言ったことは的を射ている。異質、異常。そんな単語が帝国の印象にぴったりと当てはまった。世界の殆どの国々が魔法というものに大きな影響を受けながら存在しているのに対して、ディレンセン帝国だけはそうではない。この国を支配するのは異常発達した科学技術だ。
「スタン、帝国はいつ頃から魔法を見限って、科学に傾倒し始めたのですか?」
エルシリアの素朴な疑問を受け、スタニスラフの講義が始まった。
「うん、そうだね。帝国は一応、四百年近い歴史を持つんだけど。建国から丁度百年くらい経った頃……コンスタンティン七世が皇位に就いた時代、完全に魔法を捨てて、科学技術を推進する国家方針になったみたい」
そこで紅茶を一口啜り、唇を湿らせる。
「僕は魔法を使ったことはもちろん無いし、見たことすら無いけど、エルシリア……王女ならよく知っているでしょう? 確か、魔法の才能は個人差が激しくて、呼吸をするように簡単に操る人もいれば、全く扱えない人もいるって。恐らく、コンスタンティン七世はそういった魔法の効率性の悪さを嫌ったんです。正直、銃の方が誰にでも使えますからね」
そう言って、スタニスラフはカップを置いた。そして、不意に立ち上がると、窓に近付き、外のバルコニーに立つ女性兵士と何やら話し始めた。しばらくすると、ソファーに座るエルシリアの下にスタニスラフが戻って来た。その手には黒光りする何かが握られている。
「これが一般的な銃と呼ばれるものですよ、エルシリア王女。こんなもの、初めて見るでしょう?」
エルシリアがこくこくと頷いた。当然、銃を目にするなど、生まれて初めてのことだ。彼女が今まで触れてきた武器と言ったら、剣や槍、手斧や弓矢といったものばかりである。
「……銃は油脂や金属などを組み合わせて、組み立てられます。引き金を引くだけで金属の弾丸を高速で発射し、相手の命を容易く奪う……。無機質で冷たい、とても醜い人殺しの道具ですよ」
絶対に触らないで下さいねと言い添えて、スタニスラフが銃をテーブルの端、エルシリアの手が届かないところに置いた。そうしてから見せる彼の横顔は憂いに満ちていた。過剰に痩せているせいで、それまで以上に不健康そうに見えてしまった。
エルシリアは何か声を掛けてやった方が良いだろうかと思ったが、いざとなるとどのような励まし方をしてあげれば良いのかが分からなかったので、結局黙りこくってしまう。その間のスタニスラフはどこか遠い場所を見つめているかのようでもあった。
「僕、貴女と同じ国に生まれたかった。魔法が当たり前に存在する、この世界にとって普通の国に。例え、魔法の才能が全く無くても良いよ。こんな国じゃなく、魔法の国に生まれていることが出来ていればなぁ……」
と、そこで彼が何か思い付いたかのような顔をする。急に明るくなったスタニスラフはエルシリアの方に身体と顔を向けた。期待に満ちた表情と共に。
「そうだ、王女様! 僕に本物の魔法を見せてくれませんか? 簡単なもので良いんです。指に火を灯すとか、ものを浮かせるとか……。一度で良いから、この目で見たいんですよ」
心の底から期待しているスタニスラフを見ると、エルシリアは魔法を見せてあげたいと思う反面、残念な事実を教えなければいけないという罪悪感に襲われた。
「……スタン、それは無理な頼みです。本当は見せたいけど、ここに嫁いで来る前に、城の魔術師たちに魔封じを施されたから……」
服を捲り、彼女は右腕をスタニスラフに見せる。白い肌にくっきりと複雑な紋様が浮かび上がっていた。見方によっては刺青のようでもある。
「魔封じ……? よく分かりませんが魔法を封じる、封印みたいなものですか? でも、それが何故貴女に!」
「お分かりになりませんか。貴方を傷つけられないようにするためですよ」
憤慨するスタニスラフとは対照的な、エルシリアの冷静であるもどこか悲しげな笑み。彼女は服の袖を戻しながら言う。
「私はある程度強力な魔法も習得しています。もし魔法が封じられていなければ、貴方を炎で焼き尽くすことだって出来る。そんな状態のまま、私を王子である貴方の下に嫁がせるはずがない。……そういうことです」
酷く辛い、そして屈辱的な事実を言い切った。それを聞いたスタニスラフは顔を驚愕の色に染め、やがて下を向いた。魔法が見れなかったからといって落胆している様子は無い。ただただ質問したこと自体に彼は後悔していた。
「……すみません、忘れて下さい。愚かで浅慮でしたね。申し訳ない……」
その後、場を支配した気不味い空気に耐え切れなかったのか、スタニスラフは銃を手に取ると、隣の部屋にいるから有事の際は頼って欲しいとだけ言い残して、エルシリアの下から立ち去った。パタンと静かに閉まった木製のドアを、王女はいつまでも見つめる。
気が付けば、無意識の内に右腕を強く握っていた。もしも、魔法が今使えたならば、持てる知識全てを活用して逃げ出してやるのに。悔しい気持ちがエルシリアの胸の中で渦巻く。これからどうなってしまうのだろうという不安でいっぱいだった。このまま誰も助けに来てくれないのだろうか。それにスタニスラフのことも完全には信用出来ない。優しいし、手も出さないと言っていたが、そんなものどうとでも言える。いつベッドに押し倒されてもおかしくないのだ。
「……あぁ、もう疲れた……」
姫君は力無く呟き、ソファーに背中を凭れると、そのまま考えるのを止めた。




