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惨禍の始まり

 学院祭の一日目。そんな普段の日常とはかけ離れた日であっても、時間はいつも通り過ぎて行く。気付けば、もう夕暮れだ。真っ青だった大空も優しげな橙色に表情を変え、段々と夜に近付きつつあった。

 それでも学院祭はまだまだ終わらない。屋台を営む学生たちの声はますます大きくなり、客引きも積極的に行われていた。広大な学院を訪れる一般客の数も増える一方だ。教員や警備員の面々もいつも以上に忙しそうな様子で、あちらこちらを奔走中である。だが、その彼らでさえも楽しそうに見えてしまう。祭りというのは不思議なものだった。

 人々の頭上を箒に跨がった少女が飛んでいく。思わず下を歩いていた男たちが見上げて騒ぎ出した。そんな光景を見て、呆れる学院の女生徒たち。彼女たちよりずっと年下の子供の集団はそれぞれ好みの面をつけて、はしゃぎながら人混みの中を走り抜けて行った。

 何処かから迷い込んで来た野良猫も人々の足の間をすり抜けて、実に気ままに歩いていた。誰かの飼い竜であると思われる小さな幼竜が空を飛んだ。飼い主の少年が戻って来いと叫びながら追いかける。

 どこもかしこも騒々しい。喧騒が全く聞こえない場所を探すのも一筋縄ではいかないほどだ。それでもミズガルズはこんな風に騒がしい祭りも悪くないと思った。度を超えた騒音はもちろん不快だが、賑やかなことは悪いことじゃない。皆が楽しめているなら、それは良いことだろう。


「……でね、私は十歳の時にノワールを拾ったんだー。犬に食べられそうになってたんだから、この子。んで助けてご飯あげたら何だかなつかれちゃってさあー。それから六年ぐらい一緒にいるけど、一度も咬まれたことが無いんだよー!」


 相変わらず眠りこけている黒蛇ノワールの頭を撫でるミリーザ。彼女も祭りの空気に当てられて楽しそうだった。クラスの劇も終わって、ようやく祭りを見て回れることが嬉しいに違いない。先ほどから昔の思い出を次々とミズガルズに話してくれていた。ミリーザの隣に座るコリンも笑顔で幼なじみの話を聞いていた。


「……それにしても珍しい蛇だな。今まで見たこともない」


 暢気に眠っているノワールを見つめ、ミズガルズがポツリと呟いた。そうすると、コリンがここぞとばかりに知識を披露し始めた。

 彼の話によると、ノワールは竜蛇と呼ばれる生物の一種らしい。竜蛇はその名の通り、竜の特徴を備えた蛇である。竜と蛇の中間に位置する生物と言っても良いかもしれない。

 竜蛇は希少な生物で、マルゴーア大陸とオリエンシア大陸南部、それから周辺海域に点在する島々にのみ生息が確認されている。研究者の推測では魔界にも住んでいるだろうと言われていた。大きさは種類によって様々であり、成体でも二メートルに満たないものもいれば、成長が早く十メートルを軽く超すものもいる。性格は個体により色々と違ってくるものの、基本的に知能は高い。また、大抵のものは毒を備えている。


「ノワールは一体、どれくらい大きくなるんだろう? ミリーザ、下手したら君の部屋に入り切らなくなっちゃうんじゃない? 今だって多分まだ……幼体のはずだし」


「……むう、確かに。それでもー、私は最後までノワールの世話は続けるもん。絶対に捨てたりしないんだから」


 二人の会話を聞きつつ、ミズガルズは当のノワールの頭を優しく撫でてやった。この黒蛇はとても良い飼い主に巡り会ったものだ。幸せな奴である。……ミズガルズが微笑んだ時だった。


 がぶり。


「……あ」


 恐らく寝ぼけていたのだろう。銀髪の少年は思い切り咬まれていた。彼の細い右腕の手首辺りに黒蛇の毒牙がしっかりと突き刺さっている。当のミズガルズも唖然としているし、ミリーザに至っては顔を青ざめさせていた。


「わあああああああ! どうしようっ! ま、まさか咬みつくなんて!」


 ミリーザの取り乱しっぷりから察する限り、ノワールは今まで自分から人間に危害を加えたことは本当に無かったようだ。竜蛇の知能が高いのは本当のことらしい。もしかしたら相対する人間の言葉さえも、ある程度は理解しているのかもしれない。

 この世界に蛇毒血清が存在するかどうかは知らないが、ミリーザは半泣き顔で芝生の上をおろおろと歩き回っていた。コリンも懐から古びた杖を取り出した。治癒魔法でも施してくれる気なのかとミズガルズは思ったが、生憎そんなことはしてもらう必要が無かった。

 少年は手首に牙を食い込ませたノワールを優しく掴んで、そっと離して地面に置いた。肌に刻まれた咬み跡は少し痛んだものの、すぐに消えて無くなってしまった。その一部始終を間近で見ていたコリンとミリーザが驚きのあまり、小さく叫んだ。ミズガルズは何でもないといった風に笑った。


「ま、これで大丈夫だよ。俺はこの通り平気だし、ノワールもわざとじゃない。だから、一件落着だな」


「……い、いや! こっちは一件落着じゃないです! 今のは何ですか!? 説明を!」


「き、傷が……傷がどこにも無い……」


 コリンが鬼気迫る表情になって、ミズガルズの肩を掴み、ガクガクと前後に揺らしまくる。揺さぶられている方は堪ったものではない。


「お、おお、落ち着け……!」


 パッと手を離したコリン。ミズガルズは咳き込んだ。


「これはな、魔法というより……特殊な体質みたいなもんなんだよ。大抵の傷なら自然に回復する」


 平然と言ってのける少年を目の前にした二人は全くもって信じられないといった顔をしていた。当然だろう。傷が自然治癒するということ自体も驚異だが、確実に毒を受けたはずなのに苦しむ素振りすら無いのだから。


「リンさん、あなたは何者なんだ? 実は高名な魔術師だとか? もしくは……人外の存在ですか?」


「うーん、私も上位の魔物は人間に姿を変えられるって、聞いたことあるー。怪しいなぁ? 白状しちゃいなよ、リンちゃん!」


 意外に鋭かったりするから困る。さすがは魔術学院などというエリート機関に籍を置いているだけのことはあるな。ぐいぐい身体を寄せてくるミリーザをやんわりと押し退ける一方でミズガルズは感心していた。けれど、もちろん正体を教えるような真似はしなかった。そんなことを口走ったら、信じてもらえずに小馬鹿にされるか、もしくは、ならば証明してみろとばかりに延々と変化へんげを迫られるだろう。だから、ここははぐらかすことにした。


「……さぁ? 何のことか分かんないな。二人とも、気づかないうちに酒でも飲んじゃったんじゃないの? きっと、酔ってるんだろ」


 涼しい顔で誤魔化そうとするミズガルズの態度を受けて、ミリーザが口を尖らせた瞬間のことだった。芝生に座る三人からそう離れていない場所で甲高い悲鳴が上がった。驚く彼らの目に映ったのは、空中に噴き上がる血飛沫と、切断され夜空に舞い上がった人間の生首だった。

 その場の誰もが硬直した。一瞬、完全に音が消え、その直後に特大の叫び声が上がった。誰もが泣きわめき、我先にと蜘蛛の子を散らしたように逃げ出した。突然の喧騒の中、ミズガルズとコリン、そしてミリーザは見た。そこには何の表情も無い、鎧を着た泥人形たちが血濡れた刀を握って、静かに立っていたのだ。



◇◇◇◇◇



 ミズガルズたちが泥人形の一団と接触した頃とほぼ同時刻。学院内にある特別来賓室には一人の男がいた。高級なソファーに深く座り、心地よさそうに目を閉じている。祭りが続いているため、学院のどこもかしこも騒がしい状況だったが、この特別来賓室だけは別だった。ここだけは静かで快適な空間だった。

 来賓室を独占している彼の名はスチュワート・ウェザリントンと言った。そう、シャターラを統治する貴族、ウェザリントン家の現当主である。濃いグレーの髪をオールバックにし、同じく灰色の髭をほどよく伸ばしている姿からは威厳が満ち溢れていた。

 スチュワートがくつろいでいると、もう一人別の男が部屋に入室して来た。スチュワートのお気に入りの息子、ウィリアム・ウェザリントンだ。彼も父親譲りのダークグレーの髪を肩まで伸ばしていた。


「おぉ、ウィリアム。来てくれたか。座ると良い」


 促された息子はにこりと微笑み、父親の向かい側に腰を下ろした。


「父上、どうですか、今年の学院祭は?」


「ん? そんなこと決まっているだろう。この町の領主としても、お前の父親としても最高の気分だよ。何せ、シャターラは最近暗いことばかりだったからな。この大祭の成功は私の切なる願いだったよ」


「……確かに、皆楽しめていますからね……」


 言いつつも、ウィリアムの脳裏には腹違いの兄の顔が浮かんでいた。きっと彼は、ジョナサンは楽しんでなどいないだろうとウィリアムは気持ちに影を落としていた。実は今朝、ウィリアムは兄のジョナサンに学院祭に来てくれるよう頼んだのだ。引きこもり気味の彼が学院祭を訪れるとはかなり考えづらかったのだが、一か八か駄目元で聞いてみたのである。


『……そうだな。もし気が向いたら、行くかもな』


 ジョナサンはそう言った。けれど、一日目は結局来てくれなかった。ウィリアムは落胆したが、それでも失望はしていない。半ば分かっていたことだったからだ。ジョナサンは人との関わり合いを嫌う。ほとんど離れの屋敷から出て来ない彼が、わざわざ弟の学院祭にやって来るはずは無かったのだ。

 ウィリアムは思う。兄が来なかった理由の一つは、間違いなく目の前の父親の存在だ。彼はジョナサンのことを明らかに厄介に思っているし、ジョナサンも父親のスチュワートのことは嫌悪している。二人の間に存在する溝は埋まらないだろう。もう修復しようとしても遅すぎる話だった。

 スチュワートは上機嫌な様子で息子であるウィリアムに話しかけていたが、当のウィリアムは相槌を打ちながらも複雑な気分でいた。もっとも、だからと言って父の前でジョナサンの話を持ち出したりはしない。そうすればどうなってしまうか、結果など目に見えていた。ウィリアムにはそんな勇気は無かった。


「……ん? 何だか、外が騒がしくないか?」


 スチュワートが突然、笑顔を曇らせた。ウィリアムもついつい困惑顔になる。


「学院祭なんだから……騒がしいのは当然なんじゃ……?」


「いや、違う。何か、悲鳴のようなものが上がった気がして……」


 ふらりとソファーから立ち上がった父親につられて、ウィリアムも思わず腰を上げた。吸い込まれるようにして扉に近付いて行くスチュワートを呼び止めようと、ウィリアムが動いた瞬間。


「!」


 勢い良く開け放たれたドアの向こう側から泥で形作られた兵士が躍り出て、シャターラの領主に斬りかかった。

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