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学院祭

 その日、空には雲一つ無かった。見事なまでの快晴である。空は目が覚めるような青に染められ、どことなく澱んでいた感じが否めなかったシャターラも、常より明るい空気に包まれていた。

 港町の人々が丁度朝食を恋しく思い始めた頃、シャターラの町に大きな空砲の音が三度響いた。町一番のイベントである魔術学院の学院祭の開始を告げる合図だ。これを聞くことは町の人々にとって、とても喜ばしいことである。何せ、三日間もの間、盛大に開催される祭りだ。学院の生徒たちによる露店や見世物の数も多い。加えて、数の多さだけではなく、質の高さも素晴らしい。ほとんどの学生が積極的に、かつ熱意を持って動くために、その盛り上がりぶりは半端なものではなかった。

 シャターラからだけでなく、隣町のプレチエなどからも人々が集まり始めた頃、港町の郊外に二人の男がいた。そこは地上と地下のスラム街を繋ぐ大階段の付近であった。誰もいない早朝の寂れた公園の噴水で、細身で背の高い男が髪の毛を洗っていた。上半身は裸で、筋肉質な肉体には彫り込まれた幾つもの入れ墨が剥き出しだった。他にも無数の刀傷の跡が見てとれた。

 自身にこびりついた酒臭さを必死で洗い落とそうと奮戦しているルーファスを尻目に、ミズガルズは別段特徴の無い狭い公園内をぶらついていた。しかし、やはり特に面白いこともなく、結局はルーファスの近くに戻って来る。


「……なぁ、リン。コリンのヤツ、俺に気付いたりなんかしねぇよなぁ? 本当なら、俺ぁ……あいつに会わせる顔なんざねぇんだ……」


 かつては名が通ったらしい海賊の名士も今ではすっかり腑抜けてしまったようだ。それも無理も無いことかもしれない。仲間をほぼ全員失って、それ以降ずっとあんなスラム街で暮らしていたのだから。


「十年間も会ってないんだろ? しかもコリンは当時まだ六歳だ。……あんたのことをはっきり覚えてるとは、少し考えづらいんじゃないかな……」


「……あぁ、確かにそうだよなぁ」


 力無く漏らしたルーファスの横顔は安心したようであり、同時に寂しそうでもあった。哀愁漂う彫りの深い顔立ちが朝日に照らされて、やけに格好良かった。無駄に生えまくった髭を剃って初めて分かったことだが、ルーファスは海賊などよりも役者をやっていた方が自然なくらいハンサムな男だった。

 いかにも大人の男といった風貌のルーファスを見て、ミズガルズは少し羨ましく感じた。相変わらず彼自身は少年の姿だからだ。もちろん、長すぎる髪は少し切ってみたりもしたが、やはり大人の雰囲気はそこには無い。だが、最近ではこのままでも別に良いと、そう思えるようになってきた。やろうと思えばいつでも好きな容姿に変えられるのだろうが、どうにも今の自分の姿に愛着が湧いてしまったのだ。

 背中の中程まで垂らした白銀のポニーテールを指先でいじりつつ、ミズガルズは今は遠く離れた地にいる友人たちを思い浮かべた。彼らは皆、元気にしているだろうか。シャターラで学院祭を楽しんだら、彼はバルタニアに向けて再び旅に出るつもりでいた。


(……旅は楽しい方が良いからな……)


 見ればルーファスも身支度を終えたらしい。なけなしの金で買ったそれなりの古着に身を包み、愛用の剣を腰に差している。その他もろもろは置いてきたようだ。

 そうして、ミズガルズとルーファスも学院祭を訪ねるために、町の中心地区へと向かった。



◇◇◇◇◇



 まるで、王の住む城。それがミズガルズが最初に抱いた感想だった。そんなシャターラ魔術学院の前には多くの人々が集まり、既にとんでもない賑わいを見せていた。威厳溢れる正門の両脇に厳めしい門番が立ち、何やら声を張り上げている。多数の庶民に紛れて貴族の女たちが日傘を差しながら、優雅な足取りで学院の敷地内へ消えて行く。まだ学院の外側だというのに、大盛り上がりのようだった。


「はは……すっげぇな、これ……」


 あまりの熱気に何だか気圧されてしまい、ミズガルズは要らない気後れまで感じてしまっていた。学院祭……要するに文化祭のことだろうが、ここまでやるものなのだろうか。少なくとも元居た世界、少年が生まれ育った国ではこれほどの祭りは学校で実施しないだろう。そもそも実施したくとも、できないはずだ。

 敷地外まで呼び込みに来ていた生徒が教員らしき男に連れ戻されて行くのを見ていると、ルーファスがミズガルズの肩を叩いた。


「よぉ、固まってねぇで行こうぜ?」


「……意外と乗り気だな」


「あぁ。俺たち海賊って生き物はよ、元々お祭り騒ぎは好きだからなぁ」


 人混みに紛れて敷地の中へと入る。ルーファスは上手く隠したようで、剣は没収されていない。この抜け目無いところは確かに海賊らしい。まだ幼い子供たちがカラフルな飴や菓子を手に握りながら、二人の横を走り抜けて行く。後方から母親と思われる女性が小走りで追いかける。

 入ってすぐの場所には幾つもの屋台が並んでいて、店員を務める学生たちが数多の客を前に笑顔で接客していた。売る方も買う方も皆、楽しそうに笑っている。

 ミズガルズがふと横を向けば、ルーファスが若い女性三人組に話しかけられていた。制服らしきものを着用している姿から予想する限り、彼女らは恐らくここの生徒たちなのだろう。祭りとあって、張り切ったのか、うっすらと化粧の痕跡が見てとれた。

 どうやら、ルーファスは彼女たちに見惚れられてしまったようだ。若干頬を上気させた年若い娘にまとわりつかれている様子の彼も、まんざらでもないらしかった。今も狼狽しつつも、嬉しそうな顔である。

 そんな光景を目に映して、ミズガルズは何だか微笑ましく感じた。ここでは誰もが心から笑っている。そういう気がしたのだ。そして、その中に自分もいると思うと、不思議であると同時に何となく幸福でもあった。

 丁度、その時だった。見覚えのある人物を人混みの向こうに見つけたミズガルズが小さく声を上げた。ルーファスはまだ気付いていないようだが間違いない。薄茶色の髪、それなりに整った顔、それから青い瞳……あれはきっとコリン・エヴァーレストだ。

 未だに女の子たちと楽しげに歓談している元海賊を置いていき、人の波を掻き分けていく。混雑を抜け終わった後、目の前にいたのはやはりコリンだった。当の本人もミズガルズが突然現れたことに驚いている。目を見開き、何度か瞬きをした後、嬉しそうに表情を緩めた。


「良かった! 来てくれたんだ……」


「他にやることも無かったしな。……それより、何で一人ぼっちなんだよ? ……コリン、もしかして友達いないのか……?」


 哀れみの込められた少年の視線が、コリンの心にグサッと刺さった。確かに友人は多くないけど、全くいないわけじゃない。たまたま今はそれぞれの都合が合わなかっただけで、好きで一人でいるのではない。全くの偶然なのだ。……などとコリンが言い訳をしていると、銀髪の少年の他にもう一人、男がやって来た。その男に何だか見覚えがあるような気がして、コリンは急に不思議な気分に陥った。


「すまん、リン。ちょっと彼女たちに誘われちまってよぉ……少し別行動を取らねぇか……?」


 離れた場所に先ほどの女生徒たちを待たせている元海賊がミズガルズにすまなさそうに言った。ミズガルズは笑って、彼を送り出した。分かっていたからだ。ルーファスが別行動をしたかった本当の理由は、成長したコリンと共にいるのが辛かったからだろう。だから、ミズガルズはルーファスを無理矢理引き留めたりはしなかった。良い大人のあんな寂しそうな瞳を見てしまうと、彼の意思を尊重せざるを得なかった。

 最後にちらっとコリンを見た後、テンションの高い女子たちと行ってしまうルーファスを眺めていると、コリンがポツリと呟いた。


「あの人……どこかで会ったような気がするよ……」


「…………ふぅん、そっか。でも、そういうことって、よくあるものじゃないか?」


 そこは適当に言葉を濁す。本当のことは言わなかった。それはいつかルーファス自身がコリンに告白するべきことだ。それよりも今は祭りだろう。折角来たというのだから、楽しまない手は無い。早速回ってみたいがためにミズガルズはコリンを急かした。


「なぁ、コリン! 俺、こういうの初めてだからさ、案内してくれないかな?」


 一緒に回ってくれ、と言われていることに気付いたコリンは目を輝かせて快諾した。


「も、もちろんだよ。じゃあ、行こうか……」



◇◇◇◇◇



 王城のような校舎の中、広い廊下はどこも来校客で埋まっていた。他人とトラブルを起こさないように気をつけながら、ミズガルズとコリンも先を進む。波に流されているかのように歩いていると、コリンがとある教室を指差した。ここに入ってみようということらしい。ミズガルズは頷いた。

 教室の中では丁度何かの催し物をやっていたらしい。急設されたような小さなステージの上で、扇情的な衣装を身に纏った少女が舞っていた。その姿は露出度がやけに高く、きらきらと光沢を放つ薄い生地の服を通して素肌が透けて見えるほどだった。まるで、夜の酒場で雇われる踊り子のようだった。文化祭的にあれは大丈夫なのだろうか。ミズガルズはどう見てもアウトだろうと感じながら、流れるように踊る少女を見つめていた。


「あの踊ってる女の子、僕の幼なじみなんですよ」


「……へぇ、それは驚いた」


 なるほど、このいかにも純朴そうな好青年がほとんど初対面の知り合いをいかがわしい見世物に連れていくとは信じられなかったが、どうやら欲望に沿って動いたわけではないらしい。単に幼少の頃からの友人に会いに来たというだけか。それもコリンらしかった。

 気を取り直して見ていると、舞いはますます激しいものになってくる。貴金属の装飾の数々が動く度に擦れ合って高い音を奏でた。美しい肢体がダイナミックな動作を見せる。客のほとんどを占める男たちはすっかり魅せられて、一言も漏らさずにステージ上の光景に見入っていた。室内を見回せば、数々の照明も怪しく光り、ご丁寧に香まで焚いているらしい。そのおかげでそこかしこに妖艶な雰囲気が漂っていた。コリンまでもが真剣な眼差しを前に向け始めた。

 とても学院の祭りとは思えない怪しげな空気に飲まれないよう、ミズガルズが気を強く保っていると、舞台の裏から黒子が二人現れた。踊る女からやや離れた場所で抱えていた大きな箱を置く。流れる音楽の調子が急に変わった。鋭くて、不安を煽るような曲調だ。何が始まるのだろう。まさか、少女が最初から最後までずっとエロティックな衣装で踊っているだけの出し物ではあるまい。

 それまで興奮のせいで静まっていた観客の男たちもざわめき始める。舞台上の少女が別の黒子から渡された武器を手に取り、戦うように舞い始めたからだ。手にした得物は長槍だった。柄には幾つもの宝玉や金銀があしらわれ、煌びやかで派手なものだ。さらに彼女の周りの空中に突如として無数の火の粉が浮かび上がり、薄暗い室内を赤く照らした。どよめきが起こる。ミズガルズも感心を覚えた。恐らく別の誰かが魔法の類で発生させたのだろう。

 黒子の二人が素早く箱の上部を覆っていた板を取り去り、それを持ったまま裏へ消え行く。彼らの退場を合図として、舞台の表と裏とを仕切っている白い垂れ幕に絵が浮かび上がった。これも魔法が使えなければ成せない技だ。垂れ幕の表面に描かれた絵は信じられないことに動いていく。映画を見ているかのように次々と場面が変わった。そして巨大な竜が浮かび上がり、炎を吐き出し、垂れ幕を真っ赤に染めた瞬間、箱の中から何者かが現れた。


「うおおおっ! すげえ!」


 誰かが叫んだ。ステージには先程まで踊っていた少女の他に、大きな蛇がいた。頭部に二本のねじれた角を持ち、胴の中程には四対の……全部で八枚の翼を備えた漆黒の巨大な蛇だった。今までどうやって箱の中に入っていたのだろう。体長は少なくとも五メートルはある。とてもじゃないが、あの箱の内部にすんなり収まるとは思えなかった。

 漆黒の蛇はたたんでいた翼を広げ、身体をより大きく見せる。薄闇に覆われた室内に響き渡る鋭い噴気音。口を開き鋭利な牙を見せつける黒蛇を照明が照らし出す。少女は笑い、槍を突き出しながら再び舞いを始めた。黒蛇も繰り出される槍の動きを上手く見切り、踊るようにするすると身体をくねらせる。これは飼い慣らした蛇を用いた出し物だったらしい。


(……よく考えたんだな)


 思わず感心したミズガルズ。他の観客たちも同様だったようで、歓声を上げ、随分と満足している様子だった。踊りが終わり、拍手が鳴り響いたのはそれから少し後のことであった。



◇◇◇◇◇



「コリン! 見に来てくれて、ありがとぉー!」


 すっかり客がいなくなり、明かりのつけられた教室。そこでさっきまで踊っていた少女がコリンに駆け寄り、抱き着いた。ミズガルズを含む周りの人間の存在は気にしていないようだ。困ったものである。今もコリンは男どもから殺気の込められた視線を受けているというのに。


「ちょ、ちょっと! 離れてよ、ミリーザ」


 少女の名はミリーザ・マーレイ。コリンによれば四歳の頃からの幼なじみらしい。ミリーザの家が教会のすぐ近くにあって、よく遊びに来たのだとか。以来、ずっと友人同士だそうだ。


「すごかったでしょ、あれ。私がノワールを飼ってなかったら、このクラスは地味な菓子屋をやるはめになってたんだから」


「へぇ、そうだったんだ。それより、ノワールは随分大きくなったね」


 ノワールというのはミリーザが飼っている蛇の名前だ。ステージ上にいた、あの黒蛇のことである。そして、そのノワールは今、銀髪の少年にじゃれついていた。コリンとミリーザが目を丸くしているのを尻目に、ノワールは頭を撫でられては喜び、嬉しそうに尻尾で床をぺしぺし叩いている。


「お、お客さん、危ないですよ! その子、一応毒持ちだから……!」


 ミリーザがミズガルズのもとに駆け寄った。一方で少年はそんなに心配していなかった。多分、ノワールは咬んでこないだろうという確信めいたものがあったからだ。何故ならノワールとミズガルズは言ってみれば同族であるわけだし。それに仮に咬まれたとしても大事には至らないだろう。だってミズガルズは決して死なないのだから。


「大丈夫だよ、こんなに人懐こいんだし。……なぁ、コリン。もうちょっと、こいつと遊んでて良いか? 凄く気に入った」


「僕は構わないけど、ミリーザは?」


 ちらっと幼なじみを見るコリン。するとミリーザはいつの間にか弁当箱などを持って来ていて。


「うん、私も別に良いよ。この教室、しばらく使わないし。それにコリンが新しい友達作るなんて珍しいし、色々と話聞きたいなー」


 いそいそと弁当箱の包みを解き、ミズガルズの前に差し出すミリーザ。きょとんとする少年に向かって彼女は朗らかに笑って言った。


「よろしく~。良かったら食べてみて?」


 断る理由はどこにも無かった。翼をたたみ、とぐろを巻いてうたた寝を始めるノワールの傍でコリンとミリーザが楽しそうに笑っている。そんな二人を見ていると、ミズガルズも何とも言えない幸福感に包まれたのだった。

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