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秘密の計画

 当然のことながら、地下街には太陽の光は差さない。だからなのか時間の流れというものがあまり感じられず、人々の生活リズムは個々人によってバラバラだ。まだ薄明るい夕方の六時頃であっても、やることの無い者はさっさと寝てしまうし、そんなことはなくまだまだ元気にスラム街をうろつく者もいる。

 落ちぶれた元海賊ルーファス・ファシアータはどうやら前者に属するらしい。彼は酒を飲み終えてしまうと他にするようなことも無いようで、何処かから拾って来たベッドに倒れ込むと、そのままいびきを立てて眠りに就いてしまった。

 ミズガルズもたまには早く寝ようかと思ったのだが、あまりにルーファスの寝息がうるさかった。とてもじゃないが眠れない。そこで彼は小屋を出て、スラム街を少し見て回ることにした。

 ルーファスの小屋はスラム街の中でもまだましな場所にあると言えた。掃き溜めのようなこの街にも寂れきった場所と人が多く集まる中心地がある。ルーファスが自宅としている小屋が位置するのは中心地に極めて近い場所だ。粗悪ながらも日用品や食料を売る店が集まった市場が近くにはあり、貧しい住民たちの憩いの場とも呼べる酒場や広場も存在した。今も多くの人間やら亜人やらが集まっていた。


「よう。お前、見ない顔だな。どこから迷い込んだんだ?」


 汚れたシャツを着た小太りの男が歩いていたミズガルズに話しかけてきた。その目はどこか濁っていて不気味な雰囲気である。にやついた顔も醜悪さを醸していた。とりあえず完全に無視するのは後々面倒になると思ったので、ミズガルズは渋々ながらも答えた。


「俺はただの旅人だよ。一文無しなもんだから、ここに来たんだ」


 それを聞いた小太りの男は何が面白かったのか、ガハガハと大声で笑い出した。


「何だ、文無しの男かよ! 残念だったなぁ。お前が女だったら泊めてやったのに!」


 釣られて周りの他の男どもも笑い出した。たちまちばか騒ぎになって、辺りは騒々しいことになる。その光景にミズガルズは思い切り顔をしかめた。不快感は隠せなかった。


(下品な奴らだな……)


 さっさと踵を返して、そのまま市場の中をうろうろと歩き回る。雑多なものが所狭しと並べられており、賑わい振りはスラム街と思えぬほどである。どうやって手に入れたのかは分からないが、僅かばかりの貨幣を握った浮浪者の群れが生活の品を求めて溢れていた。漂う汗の匂いがミズガルズの鼻をいじめた。

 異様な熱気に覆われたスラム街の市場の中で、ミズガルズは幾つもの視線に晒されていた。それも致し方ないことだった。少年の容姿はここではあまりに目立つ。やや低い背丈、ともすれば女と間違えられかねない中性的で整った顔、極めつけはきらきらと輝く白銀の長い毛髪……。これで目立たないわけがなかった。

 向けられる視線には好奇心や羨望、それに嫉妬や欲望が込められていた。いずれにせよ、誰もがぎらぎらとしていて、気の抜けない状況だった。下手をすれば今ここで襲われてもおかしくないかもしれない。


「あっ! てめぇ! 何でここにいやがる!?」


「うん……?」


 脈絡も無く、突然響き渡った大声。ミズガルズにはどことなく聞き覚えのある声だった。いつどこで聞いたのだろうか。鬱陶しく思いながらも振り返ると、そこにはあの無駄に筋肉をつけまくった青年がいた。集団でコリンをぼこぼこに痛め付けていたヤツである。そういえば名前も聞いていなかったが……まぁ、どうでも良いことか。特に興味も湧かない。

 ミズガルズが何も言わないで、そのうえ顔を逸らして立ち去ろうとすると、件の青年……デズモンド・ダンカンはいとも簡単に怒り出した。ミズガルズは面倒な奴に出会ってしまったぞと、内心でやきもきとしていた。やはり小屋の中で大人しく寝ていれば良かったかと、彼は遅すぎる後悔をする。


「てめぇ、昨日はよくもやってくれたな。のこのこ俺の前に現れやがって! 良い度胸してんな、あぁ!?」


 勝手に一人でいきり立つデズモンドを二人の取り巻きが必死になって宥めようとするが、デズモンドはまるで聞く耳を持たない。挙句の果てには取り巻きの内の一人が突き飛ばされた。よく見ると、ミズガルズに股間を蹴飛ばされたブライのようだった。


「てめぇ、このクソチビ! 俺と一対一で勝負しろ! 負けたらてめぇは俺様に土下座した上で、さっさとここから出て行きやがれ! 良いな、分かっ……」


「なら、お前が負けたらどうすんだよ?」


 デズモンドの台詞を遮って、言った。出鼻を挫かれた彼は顔を怒りで赤く染めるが、勢いに飲まれて何も言えない。ミズガルズはフッと短く笑い、デズモンドを鋭く睨んだ。


「……俺が負けたら、土下座でも何でもしてやるさ。じゃあ、お前は負けた時、俺に何をしてくれる? 金でもくれるか? ……もしくは……」


 冷たく、獰猛な笑みにデズモンドは微かに震えた。


「それ以上のものでもいいぞ、お前の命とかな」


 プレッシャーに耐えきれなくなり、獣の如く叫び声を上げて、デズモンドが襲い掛かった。彼の顔面に余裕の表情は無い。そこにはただ、焦りと明確な恐怖が貼り付いていた。

 恵まれた巨体から繰り出される攻撃をミズガルズは上手く避けた。その後もデズモンドは空気を薙ぎ払いつつ、重いパンチや蹴りを放ち続けるが、どれも当たらない。それどころか、まるで掠りもしない。何度も何度も避けられてしまう。ミズガルズがデズモンドの動きを全て予測して回避しているかのようだ。

 デズモンドは怒りや苛つきよりも焦燥感に支配されていた。正確に言えば、攻撃が全く当たらないことから生まれる焦りの念が同時に生じる怒りより遥かに大きいため、結局焦燥感だけしか感じられないのだ。

 攻防を繰り広げる二人の周囲にいつの間にか多くの人々が集まっていた。普段から退屈な日々を過ごしている彼らにとって、こういった喧嘩を見物するのはなかなか良い暇潰しになる。彼ら見物人たちはここぞとばかりに大いに盛り上がり、囃し立て、場の勢いを増長させる。

 見物人の群れが発する熱気を受けて、デズモンドはますます焦った。これだけ多くの人間が見ている前で敗北を喫するわけにはいかない。それに何より、一度負けた相手に再び負けるなど、彼の自尊心が決して許さなかった。


「うっ、うおおおおおおおおおお!」


 無理矢理自分を奮い立たせるかのような雄叫びを上げ、攻撃を仕掛けてくるデズモンドの姿を見ながら、ミズガルズは随分と冷めた気分になっていた。どう見てもデズモンドは体力の限界が近付いている。先程までは鋭かった身体の動きも今では大振りで雑だ。攻撃を避けるのも、より簡単になった。

 外野からは「殺せ、殺せ!」と物騒なヤジが飛んで来る。はっきり言って、そんなことは簡単だと、ミズガルズは思った。最早人間でない以上、ただの人間との喧嘩など単なるお遊びに過ぎない。この場でデズモンドを殺すことは赤子を泣かせることよりも簡単だ。

 けれど、そんなことはしない。デズモンドを殺したところで意味も無いし、全くの無益だ。それをやったらあの魔王と同類である。だから、彼は攻め急いで防御することにまで頭が回っていないデズモンドに対して……。


「……よっと」


 ただ単純に、足を引っ掛けた。予期せぬ反撃に完全にしてやられたデズモンドはバランスを崩し、それは見事に転倒した。スラム街の汚い地面に叩き付けられ、彼はもんどりうっている。どうやら体力は限界を迎えたようで、荒い息を吐く彼は立ち上がることも出来ない。


「殺れよ、銀色のチビ! そのでけぇのに、とどめ刺しちまえ!」


 外野の誰かが叫んだ一言に、デズモンドの身体がビクッと震えた。本当に殺されると思っているのだろう。一歩ずつ近付いて来るミズガルズと目を合わせることも出来ず、ひたすら俯いている。

 起き上がれないデズモンドの横に銀髪の少年がしゃがみこんだ。デズモンドは完全に戦意を喪失していた。舌が上手く回らず、命乞いの言葉さえ出て来ない。ミズガルズが静かに言った。


「……おい、コリン・エヴァーレストには手を出すな。俺はあいつに恩があるんだ。それだけ守ってくれれば、お前に危害を加えるつもりなんて無い。分かるよな?」


 デズモンドが必死で頷く。それを見届けたミズガルズは腰を上げた。これでもう十分だろう。ここまで脅しておけば、いくらこの粗暴な男でもしばらくは大人しくしてくれるはずだ。


「おい、殺らねぇのかよ。面白くねぇな」


「……何だよ、つまらねえ」


「殺す勇気も無いってか。とんだ腰抜けだぜ……」


 すると、周りで見物していた連中が好き勝手言いながら首を振り、呆れたように嘲笑し始めた。下品どころか本当に救えない奴らだ。ミズガルズは心底うんざりして、早々に立ち去ろうとした。その時、未だ地面に寝ているデズモンドに硬い石つぶてが投げ付けられた。ミズガルズが目を見開いている間にも、生ゴミや割れた瓶などが倒れ伏した青年に向かって次々と放られる。


「この雑魚! そんなとこで寝てんじゃねーぞ! 目障りだから、とっとと失せやがれ!」


「俺たちはテメェに賭けてたのによ。カネ返せ、カネ!」


「ゴミ虫はゴミ捨て場に行きな! ぎゃはははははははっ!」


 頭を抱えて丸まるデズモンドはあちこちに痣を作り、鮮血を流していた。その光景を見て喧しい笑い声を浴びせる卑怯者どもの群れ。瞬間、少年の何かが切れた。自制心がどこかへ吹っ飛び、気付いた時には凄まじい魔力が溢れ出していた。


「……ゴミはお前らの方だろ! 周りで見てるだけの奴らが偉そうにするな! とっとと消え失せろ!」


 腕を一振りしただけで、デズモンドに投げ付けられていた様々な物が跳ね返され、物凄い速度を保ったまま見物人たちにぶつかった。彼らは悲鳴を発しながら、どたどたと倒れ込む。

 辺りが静まる。デズモンドは何が起きたか分からないといった顔をして、罵詈雑言を飛ばしていた者たちは皆一様に恐怖の色を浮かべていた。遠目から事態を見守っていたスラム街の子供たちは初めて目にした魔法に目を輝かせた。


「な、何だ、こいつ……。魔術師か……?」


 一人が呟くと、ざわめきがどんどん集団内に広がっていく。先程までヤジを飛ばし、デズモンドを痛め付けていた男たちは明らかに怯えていた。一人、また一人と足早に逃げ去る。やがて、そこにはデズモンドとミズガルズだけが残された。


「な、なんで、俺のこと……?」


 ルーファスの小屋に戻ろうとした刹那、地に伏した青年が小さく尋ねた。ミズガルズは少し考えてから答えを返す。


「……助けたいと思ったから、助けた。それだけのことだ。さっきのは見ていてむかついたからな」


 呆気に取られて硬直しているデズモンドをその場に置いて、ミズガルズは再び足を動かした。だが、その去り際にあれだけクズだと思っていた青年が発した一言を、ミズガルズの耳はちゃんと拾ったのである。


「……すまねぇ、ありがとう……」



◇◇◇◇◇



「いよぉ、まぁた……派手にやっちまったみてぇだなぁ……」


「……ルーファス。あんた、酔って寝てたんじゃないのか?」


 粗末な小屋に戻ると、その入り口に小屋の主である、ルーファス・ファシアータが立っていた。当然ながら、顔は赤い。吐く息もひどく酒臭かった。


「飲み過ぎて頭がいてぇのと、外が騒がしいのとで、不本意だがぁ、起きちまったんだよ……ひっく」


 飲み過ぎて頭が痛くなるぐらいだったら飲まなければ良いのに、と思ったが、敢えて言わないでおく。そこはミズガルズがどうこう言うところじゃない。酒を飲む、飲まないはルーファスの勝手だ。


「……なぁなぁ。俺ぁよ、今まで色んな場所で色んな人間に会って来たから、なぁんとなく分かるんだけどよぉ……。リン、あんた、本当にただの人間か……?」


 相変わらず赤らんだ顔を向けてくるルーファスを真正面から見返して、少年は笑ってみせた。


「そうだな、あんたの想像にお任せするよ」


「何だぁ、教えてくんねえのかよぉ」


 そう言いながらも、ルーファスはヘラヘラと笑って小屋の中へと引っ込んでしまった。特に追求はしないらしい。彼にとってはミズガルズが人間であろうが、そうでなかろうが、そんなことは大きな問題ではないのかもしれなかった。それならそれで構わないと少年は思う。詮索をしない人間は好きだ。彼はルーファスと巡り会ったことに満足を覚えていた。


「……行き当たりばったりも、悪くないかな」


 いつもこんな感じだな。少年は内心で自嘲しつつ、みすぼらしい小屋に入っていった。



◇◇◇◇◇


 潮の香りを伴った夜風がシャターラを吹き抜ける。貴族や裕福な商人の邸宅が立ち並ぶ一角は静寂の中にあった。地下のスラム街とはまるっきり正反対だ。そこで最も立派な屋敷にはシャターラを統治する貴族……ウェザリントン家の一族が住んでいた。ティラヴェリアの中心であるプレチエを治めるグレアリー家と比べれば数段劣るものの、由緒正しい家柄であることに変わりは無い。

 広大な敷地の中に、本邸の他に離れが存在した。離れなだけあって、本邸よりも随分と小さいが、それでも立派な建物だ。その離れはある男が生活の拠点としていた。ジョナサン・ウェザリントン。現在の当主スチュワートの息子の一人だ。まだ二十二歳と若いが、とある理由によって実父からは冷遇されていた。


「……ジョナサン殿よ。本気でやる気なのかな、例の計画を」


 そろそろ日付も変わる頃、ガラス越しに月夜を眺めていたジョナサンにしわがれた声がかかった。何も言わずに彼は声のした方向へ振り向いた。

 薄暗い室内にはジョナサンともう一人、怪しげな老人がいた。邪悪な魔術を操る者で、名をザムラスという。かなりの高齢だが、背筋は真っ直ぐとしていて、弱々しさを感じさせない。眼光は老人と思えぬほど鋭く、髭を蓄えた口元には常に不気味な微笑が浮かぶ。それは余裕の現れか、それとも秘められた狂気の印か。


「ザムラス、何度も言わせるんじゃない。俺がやると言ったら、やるんだ。あのくそったれのスチュワートに対する民からの信用はどんどん低くなっている。沖合での海難事故の多発とそれに関しての無策っぷり。相次ぐ鉱山の行方不明事故、税の引き上げ、経済の停滞、そして最後に」


「……シャターラ魔術学院の学院祭を襲う、悲惨な大事故。それで、ジョナサン殿。貴方の父、スチュワート・ウェザリントンは逝去し、ウェザリントン家は責任を取らされ、崩壊へと向かう。……それが筋書きであろ? ジョナサン殿」


 少しの間、ジョナサンはニタニタと笑うザムラスを睨んだが、短く息を吐き出すと晴れやかな表情に変わった。瞳の奥にはある種の狂気が見え隠れしていた。


「ちゃんと分かってるじゃないか、ザムラス。……その通りさ。次の標的は祭りだ。お前の操る魔物と、お前自身の力で全て壊してくれよ。一番最初に言ったように捕らえた人間や死体はお前の好きにして良いぞ。ここの地下室で存分に研究するが良いさ。俺がお前の面倒を見てやる」


 夢のような話を確かに聞いて、ザムラスはますます喜びを露にした。この男は邪悪な魔術師であると同時に狂気の研究者だ。非人道的な人体実験や生物実験を至高の快楽として、日々屋敷の地下にある秘密の部屋で繰り返していた。

 ザムラスの表向きの顔は、数多くいるジョナサン直属の部下の内の一人だ。普段は目立たないように主君の傍で書類仕事などをしていたりするが、本性はそんな生易しいものなどではない。若い主君に負けず劣らず欲深く、そして残虐な人間だった。


「ザムラス。お前は大好きな研究に更に打ち込み、俺はスチュワートのクソ野郎の絶望に染まったツラを見ることが出来る……。最高だろう?」


 狂気の老魔術師は主君の問いかけに対して、当たり障りの無いように頷いた。それ以外、余計なことは漏らさない。知っているからだ、ジョナサンがどれだけスチュワートを嫌悪しているかということを。こういった時には何も言わないでおいた方が良いと、ザムラスは今までの経験から悟っていた。

 ジョナサンはスチュワートの実の息子であるが、正妻が産んだ子供ではなかった。彼は身分の低い妾の子なのである。数年前に妾であったその母親も亡くなり、スチュワートにとってジョナサンは完全なお荷物と化していた。母親が亡くなった時にはある程度育ってしまっていたため、家から追い出すことも結局出来ず、半ば隔離されるような形でジョナサンは離れに追いやられたのだ。彼のスチュワートに対する恨みは海よりも深かった。


「もうすぐだ……もうすぐ、全部壊し尽くしてやる……」


 夜空には月が爛々と光る。闇夜の下、学院祭は確実に近付いていた。

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