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珍客たち

 ミズガルズが入り込んだ洞窟を始め、先程までエルシリアたちがいた窪地全体を見渡せる大きな大木が崖上に生えていた。樹齢は優に二百年は超えているだろう。青々とした大きな葉に覆われた立派な老木だった。複雑に枝分かれしたその老木に、一人の男が器用に絡みついていた。その大男は息も押し殺して蛇神と姫君のやり取りの一部始終を見ていた。


「で、で、でっけぇ~。何じゃ、あの竜みたいな蛇は……。あんなのがいたら、おいそれと洞窟に入れないじゃねぇの」


 目を真ん丸にしながら呟いているその男。名をケネス・キャロウという。浅黒い肌の大男で、スキンヘッドに真っ赤なバンダナ、そして身体中に刻まれた入れ墨をトレードマークとしている。この男、バルタニア王国では相当名の知れた悪党で、違法な薬草の組織密売、売春宿の経営、希少な動植物や武器の密売買……などを行い、王都の暗黒街の顔役とも呼ばれる人間だった。今回も警備団の目をかいくぐり、森に生えた希少な植物や幻覚作用を持つ危険な薬草をこっそり採取したうえで、かねてから目を着けていた「蛇神の洞窟」にも潜入してみよう、などと思っていたのだが……。

 どうやら、今まで入らなかった彼は幸運だったらしい。お宝どころか、あんな化け物が住んでいたとは思わず彼は木にしがみついたまま身震いした。「蛇神の洞窟」だなんて名前だけだと彼は思っていたが、それは大いなる間違いだったと改めざるを得なかった。王都の人間たちは自分たちが住む町のすぐ近くにあんなとんでもない魔物が潜んでいることに誰も気が付いていないのだろうかと思うと、ケネスは全身の毛が逆立つように感じた。


「……長居は無用だぜ。帰るとするか」


 滑るようにするすると木から降りた彼は、回れ右をした。歩き出そうとしたところで、ケネスは何者かの声が近づいてくることに気付いた。しかも、一人じゃない。複数人の声だった。少なくとも三人はいるだろう。慌てて身を翻し、近くの茂みに隠れようとしたケネスだったが。


「むっ……! 姫様ですか?」


 声の主は手に持ったランタンを掲げ、ケネスが隠れようとした茂みを明るく照らした。その白光の下に照らし出されたのは、片足を深い茂みに突っ込んでいたケネス。帰りの遅い第二王女を捜索しにわざわざやって来たバルタニア警備兵三人は眉をしかめた。気付かぬうちにすれ違ったとは知らず、深い森まで入って姫君を探しに来てやっと見つけたと思ったのに、そこには姫君と似ても似つかない大男がいたのだから。


「お、おうおう。こんな遅い時間まで……。大変なんだな、国の警備兵さんたちは」


 ここ最近剃っていないために無造作に生えまくった無精ひげをしきりに触りながら、ケネスは誤魔化そうとした。だが三人の警備兵の眼は疑いの色に染まり切っていた。


「あ、あああああああああ! こいつ、地下街のケネス・キャロウですよ! アロンソさん!」


「なに本当か!? フォンス!」


 三人の中で一番若そうに見える兵士がケネスを指さし、ランタンを持っていた先輩の兵士が驚きに目を剥いた。この不審な大男がケネスだと分かった途端、アロンソ以下三人の警備兵は一気にやる気が出てきた。彼らは下っ端も下っ端の警備兵だったが、そんな彼らが王都の地下街を仕切るケネスのような大物を捕らえたら昇給どころか一気に出世することも叶うかもしれなかったからだ。彼らの眼はぎらぎらと光り出し、すぐさま戦闘態勢に移ろうとしていた。目の前に千載一遇のチャンスが転がっていて、それを掴まないはずがなかった。


「大悪党ケネス・キャロウ! 何故ここにいるのか知らんが、セルペンスの森への立ち入りは禁じられているはずだ。大人しくお縄につけ!」


 アロンソ、フォンス、そしてイニゴ。三人の警備兵がケネスに飛び掛かった。頬を引きつらせたケネスは間一髪でそれを避けて、小枝で身体のあちこちに引っかき傷を作りながら逃げた。そんなことを繰り返している内に、四人はいつの間にか森から飛び出していた。気付いた時にはケネスは崖のふちまで追い詰められていた。あと一歩でも後退すれば、彼は下に転落するだろう。だが、それでもケネスには悪党なりの意地があった。いつの日か捕まるにしても、こんなところで下っ端の警備兵たちに追い詰められて捕まるのは彼の本意ではなかったのだ。


「へっ……! 残念だったな。お前らみてぇな三馬鹿に、誰が捕まるか!」


 不敵な笑みとともにケネスは真っ暗な闇へ向かって、自ら崖を飛び降りたのだった。



◇◇◇◇◇



 冷えた洞窟の中、蛇神の白銀の巨体が蠢いている。その巨躯はどうにも落ち着きがなかった。あっちに動いてはこっちに動き、静かになったと思えば再び身体をくねらせたり……。

 その夜、ミズガルズはなかなか寝付けなかった。一旦は眠りにつきかけたのだが、どうも目が覚めてしまった。その後はいくら寝ようと思っても寝ることが出来なかった。この巨大な白蛇は夜行性なのだろうか。そんな疑問が彼の頭に浮かんだ。元々ただの人間だった以上、当たり前だが彼の頭には人間の感覚が残っており、夜になればどうしても眠りにつきたかったのだ。


 発光性の苔と、飛び交うコウモリたちの鳴き声がミズガルズの眠りを妨げる。もっと奥の方まで行くべきだろうかと彼が思いかけた時だ。誰かが土を踏む微かな音が彼の耳に届いた。ミズガルズは長い首をひねって後方に目を向ける。そこにいたのは、傷だらけの大男だった。洞窟の壁に片手を押し当て、苦しげな呼吸を繰り返している。


『……お前、誰だ?』


 その問い掛けに大男は答えない。ミズガルズが訝しげに見ていると、なんとその男はそのまま洞窟の地面に倒れこんでしまった。突然の出来事にミズガルズは大いに焦った。こういう時、人間同士だったら手当のしようがあるだろう。例えば、心臓マッサージとか、人工呼吸とか。だが蛇である彼にそれは出来ないことだった。


『おい! おい、どうしたんだよ! 起きろって!』


 何も出来ないまま必死に呼びかけたが、大男から返事は返ってこなかった。もう完全に眠気は無くなってしまっていた。横たわる大男を見つめ、蛇神は困った様に呟いたのだった。


『参ったな……』



◇◇◇◇◇



 身体中に負った擦り傷の痛みに、ケネスは意識を呼び起こされた。ゆったりと起き上がると、額に張り付いていた何かが落っこちる。何かと思って手に取ってみれば、洞穴に生息するヒカリゴケの様だった。水で濡らしてあるのか、冷たく湿っていた。続けざまに尻に冷えた感触を覚え、彼は立ち上がった。周りを見回せば随分と広々とした空間だ。何故、こんな場所に寝ていたのだろうか。状況を把握できずにいると、低く響く声がケネスに降りかかった。


『起きたか。死んでなくてよかったよ。骨も折れていないのは、相当運が良かったな。滝壺にでも落ちたのか?』


 ケネスは声の主の方に振り向いた。そこには目を疑うほどに大きな蛇がいた。地底湖に半身を浸けたその大蛇は、鋭く光る真紅の瞳でケネスをじっと見つめていた。今まで数々の修羅場を潜り抜けてきたケネスだったが、この時ばかりはさすがに固まってしまった。こんなに巨大な魔物と対峙したことなど一度たりとも無かったからだ。口も利けず一歩も動けないケネスに、ミズガルズは言った。


『安心しろよ、お前を襲う気なんて少しも無いからな。そんなことより、ここは人間にとっては寒すぎるか?』


「あ、ああ。ちょっと涼しすぎるかもしれない」


 助けてくれたのか? そう言って、ケネスはミズガルズを見た。緊張のあまり、男の膝頭は震えていた。自分は今とんでもない存在の魔物と言葉を交わしている。ケネスはその事実に改めて全身の毛をぞわぞわと逆立たせていた。魔物の中でも人間と言葉を交わせるものは少ない。そしてそういった魔物は多くが長い年月を生きてきた伝説級のものであることを彼は知っていた。この蛇はそんな魔物のうちの一体なのだ。


「俺はケネス・キャロウっていうんだ。……アンタの名前を聞いてもいいか?」


『ミズガルズだ』


 蛇神は言いながら湖からその全身を露わにした。何という大きさか。ケネスが唖然としたのも無理はないだろう。幾つもの水滴に濡れた白銀の鱗が、光を反射して輝きを放った。後頭部から尾の手前にかけて背に真っ直ぐと生える黄金色の棘はいっそう光り、大蛇の妖しげな美しさを際立たせていた。ミズガルズは湖岸で大きなとぐろを巻き始める。ケネスが続けて、何か話しかけようとした丁度その時だった。


「いたぞー! やっと見つけた! ケネスがいた!」


 突如響き渡ったその声にケネスも蛇神も揃って振り返った。向こうの方に小さく見えるのは、ケネスを見つけて得意げに指差しているアロンソと同僚の二人だった。辿り着くまでによほど苦労したのだろう。警備兵の制服には埃が付き、切り傷が刻まれている。最も若年のフォンスは、明らかに疲労の色が濃く息を切らしていた。


『……今夜はどうも珍客ばっかりだな』


 疲れた様な調子で、ミズガルズは言葉を漏らした。

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