天上の決着
お前は永遠の命を手にする器じゃない。
確かに、そう聞こえた。魔王となった青年は一瞬、思考を停止させた。何を言われたのか、本当に分からなかったのだ。今日という日まで、非難されることも、反抗されることも、彼はほとんど経験してこなかった。何故なら、全てが思い通りだったから。欲しいものはすぐに手に入ったし、誰もが命令通りに動いたから。
そんな人生を送ってきたが故に、エイトは今しがた突き付けられたとてつもない侮辱に一瞬気付くことが出来なかったのである。
「あは、あはは……はは。俺は永遠の器じゃないだって? え? お前がこの俺を倒してやるだって? ……はは、ふふはは」
黒い髪は乱れ、端正な顔は歪みに歪み、醜悪なものへと変貌を遂げる。
「調子に乗んなああああああああぁぁぁぁあああぁあっ!!」
喉を枯らす勢いで、エイトが叫びを上げた。最早、人間のものとは思えぬ、野蛮で凶暴な獣のそれだ。耳障りで聞くに堪えない。ミズガルズはそう感じ、うんざりした気分になった。何故、同じ転生者なのに、ここまで違いが生まれたのだろう。元は同じ人間だったのに。
「俺のぉ! 邪魔をするなっ!」
懲りもせず、エイトは漆黒の爆炎を繰り出す。そんなことは何度やったとしても無駄だというのに。
(……馬鹿なやつ……)
黒炎は渦巻き、爆風が地面を抉る。大小の土の塊が勢い良く舞い上がる。熱気と煙に包まれ、視界は最悪。エイトからすれば、ミズガルズがどうなっているのか確認することすら難しかったに違いない。けれど、彼にとってはもしかしたらそのまま状況が見えない方が良かったのかもしれなかった。そうすれば、絶望を味わうことも無かったのだから。
霧が晴れるように、煙が引いていく。ゆっくりと、ゆっくりと、煙は消え、視界がはっきりとし始める。削れて凹み、形の変わってしまった地面が露になった。そして……魔王の絶対的な自信は、希望は、自尊心は、いとも簡単に崩れ去った。
『……気は済んだかよ?』
狂気と悪意、異様な自信にまみれていた魔王の顔に初めて恐怖の色が浮かんだ。考えてみれば当たり前のことだ。相対している敵は、何をしても死ぬことのない身なのだから。冷静になって考えれば誰だって分かる。どんなに強力無比な力を秘めていても勝てるわけがないのだ。勝負など初めから意味が無かった。二人の勝敗は戦わずして、既に決まっていたのである。
ずるい。ずるい。ずるい。
普通ではない喉の渇きを感じつつ、エイトの脳内ではそんな単語ばかりが駆け巡っていた。卑怯だ。ずるい。そんなのあんまりだ。セコいじゃないか。
なのに、彼は頭の中を駆け抜ける言葉を実際に口に出して言えなかった。口の中がカラカラに渇ききってしまったということもある。だけど、本当の理由などとっくのとうに分かっていた。
永遠の命を得たミズガルズを罵倒することも、非難することも、貶すことも出来ない。何故なら、エイト自身もそれを望んでいたから。その、ずるくて、卑怯で、セコい、永遠の命を欲していたから。結局は彼も同じだ。ミズガルズを恨むことは出来ても、永遠の命を求めたその姿勢を批判することなど出来ないのだ。
「お前さえ、お前さえ、いなければ……」
怒りで肩を震わせる。咆哮を上げて、魔王は蛇神に向かい、突撃を敢行した。そのスピードは最早人間のものではない。異常なまでに速い。そして、両手で握られた大剣が銀色の蛇体に振り下ろされた。だが、ミズガルズは避けない。避ける必要も無い。実際、魔王が負わせた深い裂傷は瞬時に光に包まれ、痕も残らなかった。
意味を持たない雄叫びが響く。魔王は剣を振る。太刀筋も何も無い。まるで滅茶苦茶だ。蛇神の身体から血が噴き上がることはない。傷が出来ても、すぐに治る。ただ魔王が一方的に疲れるだけ。
「くそっ! くそっ! ……だったら良いさ。作戦変更だ。お前の仲間から殺ってやる! はははっ! 嬉しいか? えぇ? どうなん…………」
飛び退き、嬉々として喚き始めたエイトが白銀色の尾で地面に叩きつけられた。すぐに起き上がるが、再び上から強烈な一撃が襲う。その都度、エイトは立ち上がろうとした。そして、また叩き潰される。その繰り返しだった。
どれだけ時間が過ぎただろう。平坦だった地形の面影は無く、天空の島にはいくつもの傷跡が刻まれていた。肌寒い空気に触れながら、エイトは走り続ける。何度も足元のよく滑る草につまずきそうになるが、それでも立ち止まることは出来ない。足を止めたら、死に直結する。生存本能がエイトに立ち止まることを許さなかった。
どこまでも続く雲海と、天空に浮かぶ神秘の島々。恐らくほぼ万人が息を飲むような絶景だが、今のエイトには自身の墓場にしか見えない。走っているうちに周囲には霧も漂い始めていた。冷たく、白く、そして濃い霧だ。時折現れる切れ目から天上の島々の風景が覗く。
こうなってしまえば、数歩先の地面もよく見えない。今いる場所が雲の上の島である以上、迂闊に動くことが出来ない。逃げなくてはいけないのに。生き延びなくてはいけないのに。身体が動いてくれない。震えが止まらないのだ。沸き上がる恐怖の感情。そんなもの、決して認めたくないものなのに。
『不思議なもんだよな』
聞こえてくる声は、深い霧の向こう側から。
『この世界の運命、未来、これから先の歴史が、本来なら異質な存在の俺たちに委ねられてるなんてさ』
濃霧を掻き分けて姿を見せた、巨大な存在。輝かしい白銀の鱗を持った、不死の蛇神だ。長大な体躯は生物としては明らかに規格外。見る者に畏怖を与えるその姿は今やまさに神と呼ぶに相応しかった。
如何なる攻撃も通用しないと分かった今、エイトの心は焦燥感と恐怖で塗り潰されていた。たちどころに復活再生する身体の前では、どれだけ高い攻撃力も全くの無意味なのだから。何をしたところで、最初から敵わなかったのだ。
「……畜生。こんな筈じゃなかった。本当は永遠の命はお前のものじゃなく、俺のものだったんだ! この世界も! 全て俺のものになる予定だったのに!」
ありったけの憎しみを込めて、エイトはミズガルズを睨んだ。ここまで来ると、ミズガルズも怒りを通り越して呆れさえ覚えてしまった。転生する前のエイトが一体どんな生活を送っていたのか、叶うならば見てみたいものだ。
『お前……本気でそう思ってるのか。考え方を変えられないのか?』
途端、エイトは顔を歪めて、唾を吐き捨てた。
「はっ、考え方を変える? そんなの無理だね。お前には分からないだろ? 全てを手にしていた状況から何もかもゼロの状況に突き落とされる感覚がさぁ!」
男は吹っ切れてしまったのか、急に口調に熱が入り始めたようだ。何だか長くなりそうだが、最後くらい好きに喋らせてやるか。
「俺の家は華族……旧皇族の家柄でね! 父は巨大な複合企業の社長だった。ガキの頃から手に入らないものなんか、何も無かった! 要望は全て通ったんだぜ。手下だって腐るほどいて、将来は俺がグループの後を継ぐ筈だった! ……それが普通だったんだ。なのに突然命を落としたと思ったら、何もないところに転生ときた。ふざけんなよ、俺には全てが揃っていたのに! もう一度! 無条件で取り戻したいと思うのが当たり前だろ?!」
一気に言い終えたエイトのことをミズガルズは静かに見下ろした。気分など、とっくのとうに冷めきっていた。多分、この男とは一生分かり会えないだろう。確証は無いが、否応なしにそう感じた。この男と理解し合える者がいるとも、全く思えない。
『自分の生まれた世界を捨てた俺も出来た人間じゃないけどさ』
紅い双眸が黒髪の男を射る。
『お前は自分勝手で救いようの無い、最低な人間だよ』
それを聞いたエイトは目を見開き、不気味に笑って、大きく叫んだ。
「……ははっ! 好きに言えば良い! どのみち、もう遅いんだ!」
強い光と共に、複雑な文字を用いた魔方陣がエイトの足元に現れた。すぐに激しい光の明滅が始まる。それと同時にエイトの身体が透け始め、輪郭が曖昧になる。嫌な予感がした。恐らくは移動魔法。どこに逃げるつもりなのかは分からないが、今逃してしまうことだけは許されない。
エイトの身体がほとんど消えかけたのと、ミズガルズが動いたのは、ほぼ同時だった。一帯は眩しい光に覆われ、ミズガルズは覚悟を乗せて、鋭利な尾を前方へと繰り出した。
確かな手応えを感じた。そして、光が不安定な煌めきを見せ、やがて消える。ゆっくりと目を開けた蛇神の視界には、一人の男がいた。端正な顔はひきつり、唇の端からは鮮血が止めどなく流れ落ちる。血に濡れて赤く染まった蛇の尾が、男の腹を貫いていた。
「……う、ぐっ。畜生……!」
呻き、吐血するエイトを見て、ミズガルズは自分が安堵していることに気付いた。終わったんだ。そう思うと、急に力が抜けてしまう。
(……? 何か、流れ込んでくる?)
安心も束の間、息も絶え絶えのエイトから不可思議な力が流入するのを感じ取る。それは女神から永遠の命を引き継いだ時と感覚が似ていた。
一方のエイトも己から強い力が抜け出ていっていることに気付いたのだろう。心底悔しそうな顔をして、ミズガルズを見ている。そうして蛇神は悟った。この不可思議な力は、かつての女神のものだ。命の尽きつつある肉体を離れようとしているのかもしれない。そして、女神の跡を継いだ蛇神に引き寄せられている。
「強くなれて嬉しいか!? お前も……お前もいつか俺のようになるぞ! 俺と同じだ! きっと、そうなる!」
声を張り上げて呪いの言葉を吐き出すエイト。ミズガルズはそれを一瞥して、尻尾ごと男を目の前に持ってきた。
『……お前はそう思っていれば良い。ただ、俺はお前と違って、世界の全てなんて望んじゃいないけどな』
そうだ。少なくとも今望むのは、この五月蝿い男の口を未来永劫塞いでやることぐらい。
「あ、ああああああああああ! クソッ、クソがぁぁあああぁぁ!」
首筋に、胸元に、二の腕に、そして足に鋭い毒牙が突き刺された。毒牙は皮膚を破り、肉を貫き、骨をも砕く。確実に獲物を死へ導く猛毒が流し込まれ、あっという間に身体中を巡り、魔王を目指した男は二度目の命の終焉を迎えた。
霧で濡れた地面に投げ落とされる頃には、溶け爛れたその身体が動くことはなかった。




