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蛇神と姫君

「言葉を……話すのか。いったい、なんという……」


 エルシリアは蛇神に向かい、うわ言のように呟いた。声音は震えを帯びていた。口を開きっぱなしのまま呆然とミズガルズを見上げた。

 一方で王女と対する蛇神の方も、座り込む姫に目を奪われていた。所々カールのかかった眩しい金髪と、エメラルドグリーンにきらめく二つの瞳。今まで蛇神が会ったどの女よりも可憐だった。宝石のような少女が自らの傍にいるという、たったそれだけのことでミズガルズは落ち着きを無くしていた。赤くなるはずのない顔が赤くなっているように思えて、彼は気が気でなかった。


「くそ! 姫様から離れろ! この怪物め!」


 二人の間に横たわる静寂を裂くように叫びを上げたのは、若き魔導師ダミアンだった。彼から放たれた火炎の球がミズガルズを襲った。少女に見惚れて注意を払っていなかった蛇神の顔面に、特大の火炎球が直撃した。森にくぐもった爆音が響き渡った。ダミアンの隣では既にヒルベルトが剣を抜いていた。同じくしてエルシリアは我に返り、恐怖に襲われる。この蛇は自分を助けてくれたのに突然攻撃されたのだ。怒りを買ってしまったかもしれないと焦り出す。

 やがて、ダミアンの魔術が巻き起こした煙が薄れてくる。視界が晴れてきたところで、ダミアンは驚愕に両目を見開いた。大蛇は全くの無傷だったのだ。上級の魔法をぶつけても傷一つ無いなんて……。魔導師の顔が青くなっていく。隣に立つヒルベルトも、頬をひきつらせていた。


 煙が完全に晴れる。ミズガルズは思い切りダミアンを睨み付けた。ダミアンは、そのまま小さな悲鳴を漏らしながら固まってしまう。まるで、蛇に睨まれた蛙の如く。いよいよヒルベルトが前に出て、剣を構え始めた。


『……いきなり何しやがる! こっちはまだ寝起きなんだぞ!』


 今すぐ丸飲みにされるかと身構えていたヒルベルトは、ミズガルズの一言に意表を突かれた。すぐ目の前にいる大蛇は明らかに怒っていたが、襲ってくる様子は無かった。ヒルベルトは困惑しつつも、大蛇に語りかけた。


「く、食わないのか?」


『はあ? どうして俺がお前たちを食わなくちゃいけないんだ?』


 更に機嫌を損ねられ、ヒルベルトはますます困り果てた。明らかに脅威の存在のはずなのに、何故か大蛇からは人間に対する敵意や悪意を感じられなかった。そのことを感じたらしいダミアンも、徐々に落ち着きを取り戻した。


「お前は何者なんだ? まさか……」


『ミズガルズ。俺の名はミズガルズだ。他にも名前はあるけど……もう使わないからな、言う必要も無い』


 蛇神の言葉に、三人は息を飲んだ。各地の伝承に残る伝説の存在、蛇神ミズガルズ。神に並ぶとされる長命の大蛇。かつて全ての魔物の頂点に立った怪物。おとぎ話の世界の生き物に過ぎないと、その存在を信じていなかったダミアンは驚愕しますます顔を青くした。


『……ところで、お前たちは誰なんだ?』


 再びとぐろを巻いたミズガルズが、エルシリアに尋ねた。長い舌をちろちろ出しているが、もちろんミズガルズに少女を喰らう気はなかった。彼は好奇心のままに聞いただけだ。その様子にようやく安堵したのか、エルシリアは王族の娘らしく胸を張って答えた。


「私はエルシリア・アルメンダリス。バルタニア王国の第二王女だ。横の二人はダミアンとヒルベルト。私の護衛だ。……先程のダミアンの非礼は許してほしい。私たちはただ、ここに生える花を摘みに来ただけなんだ。貴方に危害を加える気は決してなくて……」


 最後の方が尻すぼみになるエルシリア。そんな彼女を見て、ミズガルズは少し戸惑う。憤りはしたが、引きずるほど大したことでもなかったからだ。そこまで彼も気は短くないし、彼は怒りですらすぐに飽きて忘れてしまう性分だった。何事にも冷めやすい性格なのだ。

 それよりもバルタニアだったか……一国の王女が何故こんな森に花摘みにやってくるのか、ミズガルズにはよく分からなかった。しかも、護衛はたったの二人だけだ。他人事ながら危険過ぎやしないかとミズガルズは心配になってしまった。どう考えても危険で常識はずれの行動だ。大人数の野盗にでも襲われたりしたら、それこそ命の危機だろう。


「このセルペンスの森には、魔物は生息していないし、王国の管理下にあるから盗賊の類も滅多に出ないんだ。だから私たちは、まさか貴方の様な存在がいるとは思ってもいなくて! どうか許してほしい。大切な妹の頼みなんだ、花を摘まさせてくれないだろうか?」


 そんなかしこまらなくても……と、蛇神は思った。第一、ここは彼の所有物ではないのだ。だから、花だろうが何だろうが好きに持って行ってもらって、全く構わなかった。その旨をエルシリアに伝えると、彼女はやはりかしこまった態度で花を摘みに駆け出した。蛇神はどうも調子が狂って仕方がなかった。だって、本当なら彼もエルシリアもほとんど同い年なのだから……。



◇◇◇◇◇



「あった……! これだ。おい、ダミアン、ヒルベルト! 来てみろ!」


 エルシリアの嬉しそうな声を聞いて既に崖下に降りていた二人が走り寄った。とぐろを巻いて横たわる蛇神は、彼らの姿をじっと眺めているだけだ。金髪の姫君は窪地に根付いた大木の根元にしゃがみ込んでいた。彼女の眼の先に咲くのは、薔薇によく似た花。色は綺麗な青紫色だ。一輪だけでなく、大木の根元近くに群生している。地球の薔薇と違って、茎に棘は無いのか、エルシリアは愛おしそうに花弁や葉を撫でていた。彼女はそのうちの一輪を根元ごとそっと抜くと、いつの間にやらダミアンが用意していた麻袋に大切に仕舞い込んだ。

 用事が済んだ彼女たちの様子を見てから、ミズガルズは声を掛けた。


『……随分、日が暮れてきてるけど。お前たち、良いのか? 城に戻らなくて』


 彼の一言は、エルシリアたちにとっては重い一言だった。あまり帰るのが遅いと厄介なことになる。いくら近場とは言え、勝手に出てきたことには間違いないのだから。国王を始め、城の侍女たちに何を言われるか、分かったものじゃない。姫君は急いで帰ることにした。けれど、どうしても彼女の心中はこの恐ろしげなはずなのに、どこか変わった蛇神のことが気になっていた。


「私たちはもう帰るが……貴方はこれからどうするのだ? ここはすぐ誰かに見つかると思うが……」


『俺はそこの洞窟にでも戻る。本当は冷たくて、狭いから気が進まないけど。まあ、仕方ない。あとさ、それから』


 一転、怒った様に真紅の瞳を細める蛇神に、エルシリアは息を飲んだ。


『俺のことは、貴方だなんて呼ばなくていい。ただのミズガルズだ。呼び捨てにしてくれないと、調子が狂って困る。頼むよ』


 本当に困った様に身体を揺らす蛇神。エルシリアは困惑気味にしばらく押し黙った後、小さく笑ってから言った。


「……分かった。また、会いに来られたら来るぞ。ミズガルズ」


 はにかむ彼女に、蛇神も頷く。表情は読めないが、満足したらしい。




 ――縄梯子を登って、森の中へと消えていった三人。彼女たちがいた方向を見つめ、ミズガルズはどこか寂しい気持ちになっていた。今や自分は蛇。彼女は人間。全く違う種族だ、天と地の差ほど違う。やっぱり、どうせ転生するなら人間のまま転生していた方が良かったのだろうか? そんなことを彼がいくら考えたところで、明確な答えは出て来ない。悩んでいる時なんて、意外とそんなものだ。


『寝るか……今日はもう』


 一人、いや一匹で呟きながら、ミズガルズはその長い身体を元居た洞窟の中に滑り込ませる。やはり、外と中とでは温度が違った。寝心地はあまり良くはないが、まあ良しとしよう。本格的な異世界生活を送るのは、明日以降に先送りだ。


 そうして、ミズガルズは異界に来て初めての夜を迎えたのだった。

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