助太刀
暴動が起こり続けるバチェ。悪魔族の住人たちは領主バルバストル家の一族が暮らす城に押し寄せた。警備を担当する兵士たちと住人たちとの間で、血を流す激しい衝突が起き、拘束される者まで出てきた。圧政を強いられてきた住人たちの怒りは収まらない。バルバストル家と支配階級の貴族たちが追放されない限り、この暴動は永久に続くだろう。
「……無理だよ。僕にはこんな状況を収められない」
城の最上階、王の間。玉座の上で頭を抱えている悪魔がいた。彼の名はリュドヴィク・バルバストル。ミズガルズに秒殺されたウスターシュの実の弟である。青い肌と禿頭は兄と変わらないが、隻眼ではない。兄とは違い、どこかおどおどしていて、頼りない印象を受ける男だった。
本来なら玉座に座っているのは弟のリュドヴィクではなく、兄のウスターシュのはずだ。今までリュドヴィクは周りからのプレッシャーと縁の無い生活を送ってきた。貴族たちや家臣たちから文句を言われるのは横暴な兄だけ。自分には関係ない……。ずっとそうなるはずだった。
状況が大きく変わったのは、つい先程。バチェの周囲の山岳地帯を空中から監視していた警備兵が、なんとウスターシュの遺体を発見してしまった。仕えている領主の変わり果てた姿を何の前触れ無く目の当たりにした兵士たちの取り乱しぶりは想像に難くない。ウスターシュの遺体は彼らによって城まで運ばれ、今は急遽用意された棺の中だ。
本来なら継ぐ予定の無かった王の座に就いたリュドヴィクは、この先のことを考えて戦慄した。今は戦乱の世なのだ。毎日のように魔界のあちこちで戦争が起きている。言うまでもなく魔界を統一して、魔王の座を射止めるために。そんな戦乱の世の中、いつ他国の侵略を受けるか、分かったものではない。これまでは何とかなってきたが、ここから先はそう上手くはいかないだろう。
何せ、バチェは港湾都市だ。魔界全体を見渡しても、最も人間の住む大陸と距離が近いのではないか。そのような都市を野心溢れる各国の指揮者たちが欲しがらないはずが無い。今まで攻め落とされなかった方が、余程不思議だったのだ。
「なんで、僕がこんなことに……」
嘆くリュドヴィク。馬鹿みたいに跳ね上がった税金を下げなければ、市民たちのクーデターは絶対に終わらない。だが、独断で税金を下げると、今度は貴族たちが反発し始める。全てはウスターシュのせいだ。彼が打ち出した悪政の数々が弟を苦しめている。
溜め息をつく。それとほぼ同時、家臣の一人が報告にやって来た。彼から伝えられる報告内容を聞くうちに、リュドヴィクの顔はますます青くなってきた。暴動はどんどん勢いを強め、警備兵たちも逃げ出す有り様だと言う。貴族の家は焼き討ちに遭い、死者が多数出ているらしい。ここに来て市民の不満は頂点に達したようだった。
「リュドヴィク様。言いにくいのですが、強制収容所も囚人たちの手に落ちたようです……」
「そ、そんな! ジャルマー所長は一体どうしたんだ!?」
報告に上がった家臣は首を振った。恐らく死んだということか。リュドヴィクはもう全てを投げ出してしまいたかった。他国との戦で滅びるならまだしも、国民の反乱で自滅するなんて……。それでは一族の恥さらしだ。何とかしなければいけないことはリュドヴィクも分かっていた。だが、何をすれば良いのか、彼には分からなかった。
「何を迷っているのですか、リュドヴィク殿。武力で鎮圧すれば良いだけです」
言いながら部屋に現れた男の悪魔。彼の名はジブリル。厳つい顔つきの大柄な悪魔で、軍隊の指揮権を持った男だ。バルバストル家が統治するファストル王国の中でも、あらゆる方面に巨大な影響力を有している影の権力者だ。ウスターシュとリュドヴィクの父が亡くなってからは、ますますその影響力を強め、今では裏の国王とも囁かれていた。
リュドヴィクは優柔不断だ。兄のように強気ではないし、自分の言いたいことをはっきりと言えない性格でもある。そんなリュドヴィクが野心家のジブリルに文句を言えるはずがなく、案の定黙り込む形になってしまった。
「お任せ下さい。私がうるさい虫の群れを叩き潰してきましょう」
マントを翻して部屋を出るジブリルを、リュドヴィクは止めることが出来なかった。そんな自分がどんどん嫌になる。一人、部屋に残され、彼は溜め息をつく。椅子から立ち上がり、窓の外を見つめれば、今日も曇り空が広がっている。嫌な予感ばかりがリュドヴィクの胸の内に積もるのだった。
◇◇◇◇◇
オキディニス大陸と魔界を隔てる嵐霧の大海の上を、一頭の竜が高速で飛ぶ。背には金色にオレンジ色を混ぜたような髪色のエルフが乗る。竜は急いでいた。一秒でも速く、相棒のところへと辿り着きたい。その思いから、自然と飛行速度は速くなる。背中にしがみつくエルフが文句を言ったが、竜には届いてないだろう。
(ミズガルズ……! 待っていろ……)
久方ぶりに人間の街へやって来たフェリルのために、イグニスたちは一日中ティルサのあちこちを案内して回っていた。全員が満足して帰路についた頃だ。血と泥にまみれたケネスが息を切らしてやって来た。浮かれ気分だった一行が驚いたのは言うまでもない。
何があったのかと問い詰めれば、突然襲ってきた魔族の男にミズガルズがどこかへと連れ去られて行ってしまったと言う。他に得られた情報は、襲ってきた悪魔はウスターシュ・バルバストルと名乗り、青い肌で長身の男だったということ。それに魔界のバチェという都市を支配しているということぐらい。だが、イグニスにとってはそれだけで行動を起こすのに十分だった。
宿を飛び出し、彼はサネルマを探しに行った。何だかんだ言って、彼女は戦力になる。攻撃魔法はもちろん、支援魔法も自由に使いこなすことが出来る。いざという時のための戦力としては申し分ないだろう。それに彼女はミズガルズのことを気に入っているから、喜んでやって来るはずだ。
案の定、サネルマは待ってましたとばかりに、頼みを了承した。その時の彼女の笑顔をイグニスはしばらく忘れることが出来ないだろう。それほどまでに満面の笑みだったから。どうやら、サネルマは退屈な王宮生活よりも、危険の伴う冒険生活の方が好きらしい。どこまでも変わり者のエルフだ。
『……サネルマ! 本当にミズガルズはバチェにいるんだろうな!』
翼で風を切り裂きながら、イグニスが声を張り上げる。間髪入れずに、サネルマも大声で返した。
「当たり前だろう! 私の水晶は絶対に外さない!」
返ってくる声は自信に満ち溢れている。まったく、久しぶりに会ったというのに、この変わったエルフは相変わらずだ。何時でも自信満々で自分のことを強く信じている。決して諦めないし、弱音も吐かない。相手がどんなに強かろうと、絶対に引こうとはしない。
イグニスはそこまで考えて心中で苦笑した。あれはいつのことだったろうか。もう何十年……いや何百年も前の出来事だったかもしれない。まだエルフとしては年若かったサネルマと初めて出会ったのは。魔界でのくだらない争いに嫌気が差し、人間界を転々としていた。気を許せる友人は自らと同等の力を誇るミズガルズのみ。そんな彼とも、お互いの都合で離れて、別行動を取っていたある日のことだった。
◇◇◇◇◇
『……竜の獲物を横取りしようとは。良い度胸だな? 代わりにオマエがオレの夕飯になるか?』
数百年前のオキディニス大陸。まだバルタニア王国が建国されたばかりのことだ。いつも通り、深い森の中で狩りを行い、手頃な餌を確保したイグニス。だが、少し目を離した間に一人のエルフの少女が大きな鉈を獲物に刺して、肉の一部を切り取ろうとしていたのだ。
動きを止め、その場で固まるエルフを睨み据え、イグニスは低い唸り声を漏らした。大抵の者はここで叫びながら逃げるか、泣きながら頭を地面に擦り付けて命乞いをする。この少女もそうするのだろう……。そんなイグニスの思いはすぐに裏切られることになる。
「……悪かった! 謝るから、この肉を分けてくれ! もう二日間、何も食べていない!」
……なんと、この少女は逃げるどころか怯えることもしなかった。鉈をすぐ脇の地面に突き刺し、しっかりと仁王立ちしていた。腰が引けることもなく、少女は真っ直ぐにイグニスを見つめていた。命の危機が迫っているというのに。全てを焼き尽くす炎竜を前にしているというのに。このか弱いエルフの少女は決して逃げようとはしなかった。
炎竜は驚嘆と感激に包まれた。この姿を前にして平静でいられた者は少ない。ましてやエルフなど、長命で魔法に長けていること以外は脆弱な人間と何も変わらない。竜にとっては取るに足らない存在であることは間違いない。
そんな吹けば飛ぶようなエルフの少女が立ち続けている。震えるようなこともなく、強く地に足をつけて。強気な瞳でこちらを見据え、挙げ句の果てには飯を分けろだのとのたまう。普通なら、この時点で少女は亡き者になっているだろう。だが、炎竜は気分屋だった。
『……生意気なエルフめ。誰に口を聞いているのか分かっているのか?』
だから、彼は笑って問い掛けた。
『……オマエの名は何と言う……?』
◇◇◇◇◇
『初対面で小さいエルフにあんなことを言われるとは思ってもいなかったな』
激しい空気抵抗などものともしないイグニスは楽しげに言った。真紅の竜の背に乗るサネルマは居心地が悪そうだ。不満な様子を隠しきれず、少しむくれていた。
確かにあの時は腹を空かしていて、みっともない姿だったが、そこまで笑わなくたって良いじゃないか。サネルマは機嫌を悪くして、ペチペチと炎竜の紅い鱗を叩いた。もちろん、竜は痒いとも思わない。
『おっと……。いよいよ見えてきたな』
いつの間にか笑い声は止んでいた。静かに前方を見つめるイグニスにつられて、サネルマも顔を前に向けた。雲が途切れ、巨大な大陸の影が見えた。悪名高い魔界だ。人間が未だ足を踏み入れたことの無い未知の魔境。そこに今から、長い人生で初めて降り立とうとしている。そう思うと、サネルマはわずかに身震いした。
『……さてと、待ってろよ、相棒。今度はオレが助太刀に行ってやる番だ』
炎竜はますます速く飛び始める。その声はどこか楽しそうでさえあった。




