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バチェへ

 魔界での夜も明け、巨大な穴蔵の中にも陽光が斜めに射し込んでくる。先に目を覚ましたのは、ミズガルズの方だった。重たい目蓋を開き、鋭い真紅の瞳で辺りを見回した。朝の陽光の暖かさに誘われて、蛇神は大口を開けて眠たげにあくびをした。

 そして、白銀の胴にしがみつくようにして寝息を立てているリリアーヌを起こさないよう気を付けながら、長い首を穴蔵の外に出してみた。外は昨日の豪雨が嘘であったかのように、しっかりと晴れていた。青々とした大空が頭上に広がり、太陽が眩しい。

 穴蔵から見渡せる一帯に林立する奇岩はほとんどが黒色に近い。やはり植物の類は少ないらしく、荒涼とした雰囲気が漂っていた。何らかの生物はいるだろうが、今は何者も姿を現してはいない。ジリジリと陽光だけが照りつけている。

 そうしていると、丁度良いことにリリアーヌが目を覚ました。目元を細い腕で擦りながら、よたよたと歩いてくる。いかにも幼い子供らしい。彼女は背中を反らして大きな伸びをした後、まだ眠たそうな顔をミズガルズに向けた。


「……おはよーざいます……」


 そして、再びあくびをする。よっぽど眠いようだ。ミズガルズは和やかな気分に包まれながらも、本題を思い出す。まだ眠たそうなサキュバスの少女に、これからバチェに向かいたい旨を伝えた。すると、何故かリリアーヌは驚いた顔をして、とんでもないとでも言いたげに首を激しく振った。


「だっ、ダメだよ、バチェに行くなんて! あたしはそのバチェから逃げてきたんだから!」


 それは蛇神にとって初耳の事情だった。逃げてきたとは、一体どういうことなのか。逃げてこなければいけない理由でもあるのだろうか。


「新しい領主がすんごい能無しでね! 税ばっかり上げて生活が苦しくなっちゃったから、毎日町中で暴動が起きてんの。あたしのママも連行されちゃって……もうどうしたら良いか分からなくて逃げてきたのよ……」


 少女は最初こそ元気が良かったが、次第に涙声が混じってくる。リリアーヌはそのまましゃがみ込んでしまった。本当にどうしたら良いか分からないのだろう。もし、彼女と同じ立場だったら、自分もそうなっていたかもしれないとミズガルズは思う。それにしても、あのウスターシュとか言う悪魔。彼は一体どんな統治をしていたのだろう。町中で毎日暴動が起きるなんて、まさに異常事態だ。その話を聞いただけで、統治者としての才がまるで無いことが伺い知れた。思えば、レウペリ湖で最初に遭遇した時も、頭の悪そうな雰囲気を醸し出していたなとミズガルズは思い出した。

 それよりも、だ。ウスターシュのことなど、どうだって良いが、もっと大事なことがある。リリアーヌと、彼女の母親のことだ。


『……逃げてきたって言うけど、お前の母さんを助けに行かなくて良いのか? 今も捕まっているんだろ』


 リリアーヌは一瞬顔を上げたが、またうつむいてしまった。もう殺されてるよ、と。小さく、かすれた声で少女は言った。元々小さい背中が、余計に小さく見える。身体より大きい翼も元気が無い。


『最初から諦めるのは良くない……と思うぞ』


 自分でも格好つけた台詞だとミズガルズは思った。けれど、それでも彼はリリアーヌに諦めて貰いたくなかった。自身より年下の美少女が沈んでいるところを見て、楽しいわけがない。


「……戻って、もしママが死んでたら……?」


 脆い宝石のような瞳が、ミズガルズを見つめる。いたたまれなくなった蛇神は遠くに目を向けながら答えた。


『その時は……俺が責任を取るよ』


 どうやって取るのかも分からない癖に、蛇神はそんな台詞を思わず口に出していた。



◇◇◇◇◇



 バチェは海に面した都市だ。南方に海が広がり、他の三方を山々に囲まれている。すぐ目の前に海があることを生かして、長年友好国との貿易で栄えていたが、今はその面影は見えない。新しい領主ウスターシュによる失策の連続のせいで、街の経済は崩壊しているのだ。税金は以前と比べ、数倍に跳ね上がり、住民の生活は貧窮している。連日、至るところで暴動が発生し、罪の無い悪魔族たちが収容所に連行されていく。まさに地獄のような光景が街中には広がっていた。


「ほら、たくさん煙が上がってるでしょ」


 ミズガルズとリリアーヌの眼下にバチェが見える。確かにあちこちから黒煙が立ち上ぼり、明らかに普通でないことがよく分かる。蛇神とサキュバスがいるのは、バチェを取り囲む山々の中腹だ。街から見れば東に位置するところだった。

 本来の姿のまま、これ以上進んでしまったら、街の門番などに見つかってしまうだろう。そのことが分かっていたミズガルズは立ち往生をしていた。さて、どうしたものか……。


「ミズガルズ様、人の姿になったり出来るよね? あたし、街に入り込む良い方法を知ってるんだけど……そのままだと、さすがに大きすぎるから」


 淡いライトグリーンの瞳が困ったみたいな風に、ミズガルズに向けられる。なるほど、どういった手段かは分からないが、正面突破しなくていいというのは素晴らしい。けれども、ミズガルズが行動に移れない理由。それは目の前に女の子がいるということ。そして、その女の子の前で人間に化けなければ……つまり、裸にならなければいけないということ。しかも、厄介なことに少女はサキュバスだ。よりによってサキュバス。欲に忠実と言われる魔物の眼前で素っ裸になりたくなかった。



『今から人間に化けるけど。……絶対に襲ったりするなよ?』


「ん? 襲うって?」


 一応、釘を刺した後、ミズガルズは人化を行った。目も眩む光が周囲を包んだ後、そこには巨大な蛇ではなく、背中にまで届く白銀色の長髪が見事な少年がいた。彼は人化が上手くいったことに安堵していたが、呆けたように自身を眺めているリリアーヌに気がつくと、慌てて後ろを向いた。同時にしゃがみ込む。


「人間の姿も、凄く……綺麗……」


 おぼつかない足取りで、リリアーヌはミズガルズに近づいた。ライトグリーンの双眸は何かに取り憑かれたかのようにトロンとして、頬には赤みが差している。どこからどう見てもまずい雰囲気だった。


「それで!? それで、どうすりゃいい!?」


 何となく危険を感じた少年の大声で、リリアーヌは我に返った。自身の態度を恥じているのか、消え入りそうな声で説明を始める。


「えっと、あたしが転移の魔法を唱えるから、背中合わせになって欲しいなぁ……なんて……下手っぴだから相手と密着してないと上手く行かないんだよね……」


 背中合わせだって!? ミズガルズは心の中で悲鳴を上げた。相手はほとんど半裸と言って良い格好の女の子、自分はもろ素っ裸の男の子。こういう時こそ、ご都合主義に救って貰いたいというのに、世界は冷たい。ここで天から衣服が降ってくる可能性は限りなくゼロに近かった。結局、ミズガルズは裸のままサキュバスとくっつくしかないのだろう。

 もう、どうにでもなれ……と、投げやりな気持ちで、ミズガルズはリリアーヌと背中を合わせた。じんわりと熱が伝わる。その熱が伝染して、少年の頬も熱くなり、うっすらと赤みを帯びる。


「じゃ、じゃあ、行くよ! ……我、虐げられし者なり。闇よ、この身を包み、守りたまえ。希望の下に、いざ集うべし……!」


 可愛げたっぷりの声には似合わない重々しい台詞が飛び出したとミズガルズが思ったその瞬間、二人の姿は山肌から消えてしまっていた。



◇◇◇◇◇



 最初に感じたことは、何だかカビ臭いということ。次いで、目を開いた時、辺りがかなり薄暗いことに気付く。ここはどこだ? そう言おうとしたら、代わりに咳が出てきた。どうやら、カビ臭い上に埃っぽい場所のようだ。


「ミズガルズ様、大丈夫?」


 聞き慣れた声が耳に入り、名を呼ばれた少年が振り返る。案の定、そこにはサキュバスの美少女リリアーヌが立っていた。彼女の輝く笑顔から察するに、空間転移の魔法は成功したらしい。

 大丈夫だよと短く答え、少年は辺りを見回した。転移魔法が成功したということは、もう既にバチェの街中にいるということだろう。だとすれば、ここは地下の施設か。それならば薄暗いことにも納得が行く。


「リリアーヌ!? リリアーヌなのか! どうして、戻ってきた!?」


 突然、第三者の声が響き渡り、ミズガルズはびくっとなった。白銀の長髪がサラリと揺れる。薄闇の中、松明を持ってどこからか現れたのは、悪魔族の少年だった。年齢はリリアーヌとほとんど変わらないぐらいだろう。気が強そうな鋭い目付きで、髪色は濃紺色に近い。悪魔の少年はミズガルズを睨み付けた後、リリアーヌに向かって怒鳴った。


「リリアーヌ! なんでだ? 皆が頑張ってお前だけは逃がしたのに、どうして戻ってきた! 俺たちの努力を無駄にすんなよ!」


 物凄い剣幕で怒鳴られ、リリアーヌは口を開くことが出来ない。彼女が何かを言う前に、悪魔の少年は矢継ぎ早に言葉を飛ばしてくる。


「それに! コイツは誰だよ! 余計なヤツまで連れて来やがってよ! 本当にお前はろくなことしねーな」


 あまりの物言いにリリアーヌもミズガルズも固まってしまう。そうこうしている内に、薄い闇に包まれていた空間が無数の明かりで照らされた。地下に潜んでいたバチェに住む悪魔たちだ。彼らはリリアーヌを見て、一様に驚いていた。サキュバスの少女が、すかさず声を張り上げる。


「……皆! あたし、救世主を連れて来たんだよ!」


 嬉しそうに叫ぶ少女の横で、当の救世主様は裸のまま震えながら言うのだった。


「……良いから、早く服をくれ……」

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