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襲撃と失踪

 二人の男が広い湖の岸辺に座り込み、釣糸を垂らしていた。獲物はまだ一匹もかかってないようだ。傍らに置かれた木箱には小魚の一匹すら入っていない。それとは反対に二人の間に置かれている弁当の中身は次々と消えていくが。

 ティルサを出てから、歩いて十数分のところにレウペリ湖はある。面積の大きい湖で、住まう魚類の種類も豊富だ。沢山の人々が釣りに訪れても良さそうな場所だが、やって来る人間は滅多にいない。

 レウペリ湖の周りは深い低木林に囲まれている。森の中には危険な生物たちが溢れており、人間が一人で歩き回るのはかなり危険だ。さらに、この湖の周囲には広大な湿地帯が広がっている。レウペリ湖は標高の低い場所に存在する。湖に流れ込む川が自然豊かで湿度の高い森と湿原を形作っているのだ。

 だから、湖と岸辺の境界線はほとんどの場所で不明瞭で、一帯は大きな水溜まりのようになっていた。そんな不便極まりない場所にわざわざ人間がやって来ることは普通だったら無いのだが……。


「一回ここで釣りをしてみたかったんだが……やっぱお前みたいに強い魔物がいると、他の生き物はびびって出て来なくなんのかな」


 ケネスが呟いた通り、湖周辺に住む生き物たちは皆、ミズガルズという魔物を警戒して、姿を現そうとしなかった。おかげで二人は危険生物に襲われることなく、誰も入らない湖に入り浸ることが出来ているが、同時に何の収穫も得られないでいる。

 俺のせいかよ……ミズガルズがそうぼやいたきり、二人の間に沈黙が訪れる。遠くで鳥のさえずりが聴こえる。ケネスがあくびをした。ミズガルズもつられるようにして、あくびを一つ。鋭い牙が覗いた。

 沈黙に堪えかねた銀髪の少年が口を開きかけた、まさにその時だった。彼らの前方、湖に浮かぶ小島に一筋の光の柱が生まれた。天に向かって屹立していたその柱はやがて光の粒子となって消える。

 光が消え去った後に現れた者。それは異形だった。目算でも二メートルは超えていると分かる身長と引き締まった肉体。だが、肌の色は鮮やかな青色。禿頭の額からは一本の角が生えていた。


「……おい! 貴様がミズガルズとやらだな!」


 異形の男が叫ぶと同時に、どす黒い魔力が噴き上がる。空気がビリビリと震えた。森の中から鳥たちが一斉に逃げ出した。もし、ここに普通の人間がいたならば、その者は恐怖におののいていただろう。だが、ミズガルズもケネスも普通の人間とは少しずれていた。


「おいおい、誰だ、あいつ。お前の知り合いか?」


「いや、全然知らない人だけど……」


 ……ん? あれは人間なのか? 肌が青いが、人間と言って良いのか?


「じゃあ、俺らと同じ……釣り人だな」


「いや、それは絶対無いでしょ」


 呆れ果てていたミズガルズだったが、次の瞬間には沸き上がる殺気に身構えることになった。身体を硬くした瞬間、視界の端に動くものが見えた。同時にケネスに抱えられ、少年は横に跳んだ。ついさっきまで二人がいた場所が吹き飛ばされる。土の塊が空中へ跳ね上がり、大きな水飛沫が起きる。


「こんなものなのか!? 弱すぎる! 話になりやしない!」


 湖岸は大きく抉れていた。異形の悪魔ウスターシュは一瞬で距離を詰めていた。紫色の隻眼がギラリと光ったかと思うと、ミズガルズとケネスが立つ場所を取り囲むようにして大爆発が起きた。轟音と閃光が一帯を支配する。

 煙が晴れる。ウスターシュは目を見張った。今の攻撃でくたばったか……と思ったが、それは裏切られたようだ。

 氷の盾が銀髪の少年と大男を守っている。透き通った壁の向こうから、ミズガルズは襲撃者を睨み付けた。真紅の瞳の瞳孔は縦に鋭くなっている。それは強烈な怒りの印だ。


「俺はウスターシュ・バルバストル! 魔界の都市、バチェを支配する者だ! 俺が魔界統一を果たすために、貴様を俺の部下にしてやる! 負けを認めろ、ミズガルズ!」


 高らかに叫ばれた言葉を聞き、ミズガルズは耳を疑った。そして、その言葉の意味を理解するにつれ、顔が怒りで歪んでいく。理不尽、身勝手、礼儀知らず……。そんな単語がミズガルズの頭の中に次々と浮かんだ。いきなりやって来たと思ったら、即座に攻撃を仕掛け、挙句の果てには「部下にしてやる」など頭がおかしいとしか思えない暴言を吐き散らす。

 ミズガルズははっきりと怒りを覚えた。ぽっと出のくせにいきなり何を言い出すのだ。気の合う仲間は作っても、誰とも知れない他人の下につくことなど、少年にとってそれは絶対に有り得ない選択肢だった。


「ははははっ! 良い面構えだ、それで良い!」


 ウスターシュが腕を振り上げた。ミズガルズとケネスの頭上に、巨大な炎の球体が生まれる。悪魔の腕が振り下ろされる。間を置かず、暴れ狂う炎が二人を襲った。


「クソ野郎が……!」


 間一髪、銀髪の少年と大男は横に避ける。表情は切迫していた。瞬間、辺りを光が包んだ。湿気った森に現れた白銀の大蛇が鎌首をもたげ、凄まじい威嚇の叫び声を上げた。鋭い毒牙はぎらつき、真紅の瞳は怒りに燃えていた。そして大蛇の怒りを表すかのような冷気が漂い始め、周りの草木は音を立てて凍っていく。

 それでも、蛇神の姿を目の当たりにしても、ウスターシュは笑っていた。まるで自分の勝利は最初から確定しているとでも言いたげに。高らかに、耳障りに、狂ったように笑う。けれど、悪魔は対峙する敵の力量を見誤った。愚かにも、その傲慢な性格と若さ故に。


「な…………?」


 しろがね色の鞭が空を切り裂く。最早、その大きさは鞭と呼べるものではない。全てを弾き飛ばす大蛇の胴が、隻眼の悪魔を襲った。自由自在にしなる銀色の鞭がウスターシュの腹に直撃した。声を発する暇も無い。ミズガルズの胴は悪魔の鳩尾みぞおちを正確に捉えた。骨が砕け散り、内臓が押し潰される。そのまま、ウスターシュは弧を描きながら宙を飛び、湖の浅瀬に叩きつけられた。

 呼吸する度に、大量の血が溢れ出る。ウスターシュは混乱していた。最早、わけが分からなかった。たった一回の攻撃で。しかも、胴で薙ぎ払われただけで。ほとんど戦闘不能の状態になってしまった。立ち上がることもできなかった。

 けれども、まだ彼の瞳は死んでいなかった。激しく燃える狂気に満ちた戦意の炎は、まだその時までは消えてはいなかった。だから、隻眼の悪魔は膝に無理矢理力を入れて立ち上がり、そして吠える。


「この蛇がぁ! これ以上、調子に乗る……」


 言葉は続かない。突然、大量の液体を体全体に浴びせられたからだ。それは決して水などではない。数秒も経たないうちに、焼けるような激痛が魔族の全身を襲った。いや、実際に焼かれ、溶かされているのだ。蛇神の猛毒を防ぐ術は無い。それは全てを死に至らしめる毒だ。


「う、ぐおおああっ……!」


 崩れかけたウスターシュにミズガルズは巻き付き、空中で締め上げる。ぎりぎりと強い力で締め付けられ、ウスターシュは意味を成さない悲鳴を上げた。苦痛に呻く悪魔を睨み付け、ミズガルズはシューッと舌を鳴らした。


『お前、俺に何の用があるんだ! おい!』


 蛇神の詰問に悪魔は答えようとしない。苦しげに開いた口から漏れるのは低い声。何か長い……そう、例えるならば呪文のようなものを唱えている。

 ミズガルズが訝しげに首を捻った。そして、それを待っていたかのように、まさにその時、とぐろを巻いていたミズガルズを覆う程の巨大な魔方陣が現れた。光の柱が天に向かって伸びる。それはほんの一瞬のことだった。目も開けられないくらい激しく光の柱が明滅を始め、次の瞬間には消えてしまった。


 ざざぁ、と、風が湖を撫でた。湖岸は抉れ、辺りの湿地帯はぐちゃぐちゃに荒れ果ててしまった。だが、そこに白銀の蛇神の姿が無い。隻眼の悪魔も見当たらない。

 難を逃れた低木の陰から、慌てた様子の男が飛び出してくる。赤いバンダナを頭に巻き付けている。ケネスだ。彼は瞬く間に消えてしまった友人を探す。けれども、どこにもいない。彼には座り込む以外、選択肢が無かった。


「……嘘だろ。どこに行っちまったんだ……?」


 答えてくれる者は、誰一人としていなかった。

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