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勇者と蛇神

 ……洞窟から帰還を果たした白銀の蛇神たちが、サン・ミグリアの宿で寝息を立てていた頃。遠く離れたバルタニア王国の首都ティルサに一人の男が到着した。その男は赤銅色の甲冑に身を包み、緩やかにカーブのかかる黒い長髪を夜風に揺らしていた。

 馬に跨がった彼の後ろには、同じく馬の背の上で凛とした佇まいを見せる、十数人もの騎士たち。全員が鈍い光を放つ青銅色の甲冑を着込んでいた。

 彼らは人々の寝静まった大通りを抜け、王宮へと歩みを進めた。城門の両脇に立っていた門番が速やかに門を開く。何とも自然な動きで王宮へと足を踏み入れる騎士たち。警備を行っていた多数の兵たちが次々に歓声を上げ、敬礼をする。

 それもそのはず。王都へと戻ってきた騎士たちは、バルタニアお抱えの王国騎士団の精鋭たちであり、先頭に立って後続を率いるのは、王国騎士団団長トビアス・トラショーラスなのだから。


「トビアス、無事だったようだな」


 愛馬からヒラリと舞い降りたトビアスに男の低い声がかけられた。黒髪の優男が目を向けた先には、騎士団の副団長であるヒルベルト・カレーラスの姿があった。ヒルベルトはトビアスとは違い貴族の家の出身ではない。彼は寂れた農村の生まれである。実力一つで、今の地位にまで登り詰めてきたのだ。

 そのような背景を持つヒルベルトのことを、トビアスは正直なところ見下していた。格式高いはずの王国騎士団の中に身分違いの者が混ざっているだけでも気に喰わないのに、ましてやその男が自らの部下なのだ。クビにしたくとも、トビアスには出来ない。ヒルベルトの剣の腕は確かだし、何よりも団員たちに慕われている。


「……なんてことはない。たかがオーク狩りだ。俺の強さはお前だって身を持ってよく知っているだろ? ヒルベルト」


「…………ええ、知っていますとも」


 嫌味ったらしく言ってみせたトビアスとヒルベルトの間に険悪な雰囲気が漂い始めた。それを感じ取った騎士の一人が、トビアスに進言した。


「団長、国王に帰還の報告を知らせに行かなければ」


 短く返事を返した騎士団長はヒルベルトに背を向けて歩き出す。その横に騎士団の中でも三番目に強いと言われるエミリオが並んだ。実を言えば、エミリオもヒルベルトを慕っているのだが、こういった時に団長であるトビアスの機嫌を下手に損ねてはまずい。この対応は致し方無いのだ。

 完全にトビアスの姿が見えなくなった途端、残された騎士たちから不満の声が口々に上がった。とても国を守るべき騎士団には相応しくない光景に、苦労人の副団長は深い息を吐いた。彼を包み込む夜の空気はただひたすらに冷たかった。



◇◇◇◇◇



 バルタニア王国現国王アシエル・アルメンダリス十四世に謁見を終えたトビアスは、城中にある休憩室の椅子にふんぞり返っていた。付き合わされているのはエミリオで、二人の手には酒瓶が握られている。酒に強くないエミリオは、既に頬をほんのりと赤らめていた。

 齢十九で王国騎士団団長を務め、バルタニアの新たな勇者として民衆に崇められ、絶大的な人気を誇るトビアスは……浴びるように酒を飲みまくっていた。既に目はどんよりとしており、吐く息全てが酒臭かった。彼は飲み始めてまだ幾ばくも経っていないというのに既にだいぶ酔いが回ったようで、気分が良くなってきたのか、次第に饒舌になる。


「エミリオ。俺がいない間に、何か面白いことは無かったのか?」


 また始まったよ……と思いつつも、エミリオは顔には出さない。勇者様の機嫌を損ねたりしたら大変だ。酒に手を付けず、エミリオは疲れを隠さずに言った。


「面白いことは特に無いですけど、全然笑えないことならありますよ」


「何だ? 言ってみろよ」


 程よく酔って、顔を赤くしていたトビアスだったが、エミリオが放った次の一言に身を硬くした。


「ミズガルズっていう神話上の魔物が封印から復活して、同じく神話級の竜、炎竜イグニスと組んで大暴れしたんです。しかも、今は人間の姿でティルサのどこかに紛れ込んでるとか」


「……ミズガルズ?」


 そんな馬鹿なと、トビアスは唸った。一気に酔いが覚め、眉間にしわが寄る。ミズガルズ、その名を知らぬわけがない。教養ある者ならば、誰だって知っている。神話、文学、歴史……あらゆる所に現れる名前なのだから。

 だからこそ、トビアスの頭は信じることが出来ずにいた。ミズガルズ……伝説に名を残すばかりの魔物が実在していただなんて。しかもそれがティルサのどこかにいるだなんて。


「で、そのミズガルズが暴れたって?」


「えぇ」


 エミリオがつらつらと話す内容に、トビアスは戦慄を禁じ得なかった。聞いているだけで身体が震える。それが恐怖からか、それとも歓喜からかはよく分からない。

 エミリオ曰く、炎竜の草原で優秀な冒険者たちを皆殺しにし、草原の緑を血で赤く塗り替えたとか。後で国の役人たちが事実確認に赴いた際は、言葉に出来ぬ程、むごい有り様だったと言う。


「国境警備隊の者が言ってました。ザラフェとの国境近くの山岳地帯が大変なことになっていたって」


「具体的には?」


 身を乗り出したトビアスの前で、エミリオは興奮気味に話し始めた。


「酷い山火事でいくら水をかけても治まんなかったって。それから、近くには氷漬けになった巨人の群れがいたそうです。恐らく、これも例のミズガルズとイグニスの仕業でしょう」


 あぁ、怖い怖いと言って、エミリオはぐびぐびと酒を身体に流し込み始めた。どうやら吹っ切れたらしい。そんな彼の存在を忘れてしまったかのように、トビアスはどっぷりと思考の海に浸かっていた。

 大貴族トラショーラス家の長男であり、十九歳にして王国騎士団の団長を務める。富もあれば盤石な地位も手にしている。王からも重用されているし、女だって好きなだけ寄って来る。はっきり言って、順風満帆の人生だ。……ある一点を除けば。


(エルシリア……)


 そう、彼女の存在だけが足りない。どんな女よりも気高く、美しい王女。トビアスはエルシリアが欲しかった。腕の中で抱き締めて、自分だけのものにしたかった。今のままでは満足出来ない。エルシリアとトビアスは決して仲は悪くないが、恋人同士ではない。少なくともエルシリアはトビアスに何の恋愛感情も抱いてはいまい。

 武勲が必要だとトビアスは己に言い聞かせた。彼女に振り向いて貰うためには、もっと大きく、もっと輝かしい勲章がいる。蛇神と炎竜の首を取る……それは間違いなく栄冠を手に入れたことに等しいだろう。そうして強い男だと見せ付けるのだ。きっと、彼女は振り向いてくれる……。こんなことを考えている辺りは、結局トビアスもアレハンドロと同じ穴のムジナであった。

 そこで酒を飲みまくっていたエミリオが思い出したように声を上げた。トビアスが黙っていると、エミリオは勝手にペラペラ喋り続けた。


「そういや皆殺しにされた冒険者たちの中で一人だけ生き残ったのがいるらしいです。よく生き長らえてますよね……普通なら殺されるはずだ。俺が魔物だったら絶対に殺すのに」


 何気なく飛び出した一言に、トビアスの思考が大きく動いた。閃いたと言うべきだろうか。その生き残った冒険者が今も無事に生き延びているのには、理由があるはずだ。魔物たちに殺されない何らかの理由が。だから、その冒険者を調べれば何か分かるかもしれない。

 エミリオから生き残った冒険者の情報を聞き出したトビアスは、楽しげに口元を歪ませた。



◇◇◇◇◇



 翌日の真っ昼間、勇者トビアスの姿はティルサの街中にあった。石畳の上を人々が忙しなく行き交っていた。市民たちと同じように薄い生地のズボンとシャツを着込み、道行く人々を観察するトビアス。唯一変わっている点は、腰に剣を差しているところぐらいだ。

 トビアスの目は先程からある男を捉えていた。焦げ茶色の髪を短くして立たせている、とある冒険者だ。彼が誰なのか調べは既についている。……カルロス・パルド。ティルサの冒険者ギルドに所属する二十七歳。歳の割には冒険者としての力量も優れており、同業者たちからも一目置かれている。そして出身はスラム街で、ここ数ヵ月女性と縁が無い。

 そのカルロスはまるで尾行されていることに気付いていないらしい。狭い路地をぐねぐねと曲がり、トビアスにつけられたまま目的地まで辿り着いてしまった。


(宿屋……?)


 注意しなければ、それとは気付けない小さな宿屋のようだ。これまた小さい看板に『隠れ家亭』と、白いチョークで書かれていた。丸みを帯びた字だから、もしかしたら女性が書いたものかもしれないとトビアスは思った。

 カルロスが宿の前で日光浴をしていた老人に何か話しかける。しばらくして老人が連れてきたのは、水色の髪を持った美少女と、漆黒の髪を持つ金色の瞳のスラッとした美しい女だった。そして彼女たちに遅れて、炎のような真紅の髪の青年が現れた。


「……何だ? あいつら」


 トビアスは直感で怪しく思った。人間の姿だが……いやに美しい。視線の先の集団は、普通の人間と雰囲気が何だか違っていた。もしや、あの赤髪の男が炎竜だろうか。ならば、ミズガルズはどこにいるのだろう。青年の横にいる二人は恐らく違う。蛇神も炎竜もオスと聞いているから。

 やがて彼らはカルロスを加えて、歩き出し始めた。トビアスの記憶が正しければ、彼らの進む先には大規模な市場があったはず。昼食を摂りに行くつもりなのか。


(……追いかけるか……)


 そう思い、再び尾行しようとしたトビアスだったが、新たに現れた人物を見て、思わず足を止めた。それは勇者も知っている女だった。目が覚めるような鮮やかな緑髮と地味な眼鏡。トビアスがよく知っている女だった。確かセレスティナとかいう名前の侍女だ。よくエルシリアにくっついているのを見る。

 城で働く侍女が、こんな小さな宿屋に何の用があるのか。不審に思っていたトビアスだったが、次の瞬間出てきた人物に戦慄を抱くことになる。


「あいつは……?」


 少年だろうか。いや、それとも少女だろうか。流れるような銀髪が美しい。陽光に当たって、きらきらと輝いている。宝石のように輝く瞳は怪しい鮮血色だった。王都は広いが、銀髪赤眼の人間を見るのはトビアスも初めてのことだった。

 いや、人間かどうかは疑わしいと勇者は目を細めた。よくよく集中しなければ感じ取れないくらいのものだが、銀髪の少年からは魔力が漏れ出ていた。隠そうとしたが、隠し切れなかった……といった風に。

 銀髪の少年は寝起きなのか、目元を腕でこすった後、大きなあくびをした。そうすると、鋭く尖った牙が見え、トビアスは半ば確信した。こいつは少なくとも普通の人間じゃない。それどころか、例の蛇神である可能性が高い。


「……尾行、続行だな」


 何やら楽しげな雰囲気を醸し出しながら歩き出す二人を睨み、トビアスは言った。



◇◇◇◇◇



 街中を流れる水路のすぐ脇にある緑地帯に、ミズガルズとセレスティナは座り込んでいた。端から見れば恋人同士のようだが、実際のところは違う。ミズガルズはセレスティナに秘密の頼み事をしていた。サン・ミグリアで購入した土産物をエルシリアに渡して貰いたかったのだ。


「ごめん、セレスティナ。なんか、アゴで使っちゃってるみたいで」


 いえいえと、侍女は首を振った。


「気にしてないですよ……。それにエルシリア様も喜ぶと思います……こんな綺麗な腕輪」


 ミズガルズが買って帰った腕輪は珍しい素材で出来ていた。光に当てれば虹色にきらめく鉱物で、ミグリア島でしか産出しないものらしい。それなりに値段の張る代物だったが、エルシリアが喜んでくれればいくら掛かってもいいと蛇神は思っていた。


「ちゃんと渡す代わりに、今度リンさんの魔物としての本当の姿を見させて貰いたいです」


「物好きだなぁ。また今度、時間がある時に見せるよ」


 腕輪の入った紙袋を大事そうに抱えて、セレスティナはその場を去った。しばらく芝生の上に寝転がっていたミズガルズも、起き上がって街の散策に赴こうとした。しかし、いま彼の前に一人の男が立ちはだかった。


「何だ、さっきのは? 魔物のくせにエルシリアに物を贈って、気に入って貰おうとしてるのか? 気に食わないな」


 口元に薄い笑みを浮かべ、相手をとことん見下したような顔をしている男のことをミズガルズは知らなかった。初めて見る顔だし、初めて聞く声だ。


「お前、誰?」


「俺か? 俺はトビアス。覚えなくて良いぜ、魔物め」


 お前はここで死ぬんだからな。そう言って、トビアス・トラショーラスは伝説の魔物に向かって刃を向けた。

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