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少女の涙

 深い深い森の中に、ぽっかりと開いた大きな広場があった。そこには所狭しと白い花が咲き誇っていた。そこは帰らずの洞窟からさほど遠くない場所にある廃村の跡なのだが、今では訪ねる人間もいない。時折、草食の動物がやって来ては、陽光をたっぷりと浴びた草を食んで帰るぐらいだ。

 静けさと平穏を保っていた野原に、突如眩しい光が現れた。地面に広がった魔方陣がうっすらと消えていく頃には、魔物たちの巨体がそこにあった。炎竜は窮屈そうに翼を折り畳み、蛇神はとぐろを巻いて縮こまっていた。


『ふむ、人間たちの匂いがするな。この近くに集落でも出来たのか?』


 辺りをきょろきょろと見回すフェリルがそう言った。洞窟の入り口前に広がっている冒険者や観光客用の集落があるからだろうと、ミズガルズは答える。フェリルは納得した様子で頷いていたが、今頃になって気付いたのか目を見開いて驚きの声を上げた。


『……白銀の鱗、血色の瞳。もしや、貴方は魔界に名高き蛇神ミズガルズか?』


『ご明察だよ。とりあえずよろしく』


 感激したらしいフェリルは落ち着きなく歩き回った。実際、彼女はこれ以上無い幸運に感謝さえしていた。遥か昔、血で血を洗う魔界を恐怖の底に叩き落とした伝説の魔物、炎竜イグニスと蛇神ミズガルズ。おまけに水竜までいる。彼女にとって彼らは素晴らしい面々だった。彼女が危惧している事態を阻止することができ得る力を持つ者たちだったからだ。

 そこで重要な話をしたかったのだが、ここには人間もいる。煙草の煙を燻らせている冒険者と、くしゃみをしている青年、そして何故だか分からないが沈んだ様子の少女。フェリルは今更人間を恨んではいなかったものの、心を開こうと思っているわけでもなかった。何よりこの話は魔物の間だけでしたい。だから、イグニスがカルロスに頼み事をしたのは、魔狼にとって渡りに船だった。

 服が無いイグニスはカルロスたち人間組に服を持ってきて貰うように頼んでいた。この廃村跡から洞窟の入り口前までは、そう遠くない。せいぜい十数分で着くだろう。ご丁寧に細い獣道まで伸びていた。人間だけでは心配なので、イスマエルも同行すると言う。


「服だけで良いんだね?」


『あぁ、食事は人化してから、街で摂れば良い』


「任せてくれ!」


 胸を張ったアレハンドロは、そのまま駆け出してしまった。僕に続けーだの何だのとはしゃぎ回りながら。その後ろをフランカが危ない足取りで付いて行き、更にカルロスと大サソリが続く。冒険者と魔物がお喋りしている光景はどこか不思議だ。


『お二方には改めて礼を言いたい。封印から放っていただき本当に感謝している』


 感謝されっぱなしの竜と蛇は互いに謙遜し合って、照れ臭そうに顔を見合わせた。そんな様子を見てフェリルは心底安心した。とても良い魔物たちに助けられたものだ。これでようやく本題に入ることが出来ると、彼女は気を引き締めた。


『いきなりこんな話をしてしまって悪いのだが、聞いて欲しい。私の血筋は代々……未来を予知することが出来てな。それで私は悪い未来を見てしまった。だから居ても立っても居られずにいたところ、私の封印を解くことが出来る力を持った貴方たちが偶然にもやって来た。……そこで私は咄嗟に助けを求めたんだ』


『……悪い未来というのは、具体的には何なんだ?』


 自然と力の入るイグニスとミズガルズ。リューディアはいまいち状況が分かっていないようで、明らかに困惑していた。フェリルは押し出すように、苦い言葉を吐き出した。


『長い長い暗闇の中で夢を見た。……もうじき魔界を統一する魔王が現れる』


 魔界。それは西のオキディニス大陸から見て北西の海上に浮かぶ、人間が足を踏み入れることの叶わない地。魔王というのは、魔界に蔓延る魔物どもを支配下に置くことに成功した者。魔王が世に現れた時、この世界は争いに包まれる。人間を支配せんと企む魔族と、それをさせまいとする人間の戦いが始まるのだ。

 ミズガルズは信じられなかった。魔王なんて、そんなものがいてたまるか。せっかく新しい世界で新しい生活を始めることが出来たのに。ようやっと、この世界にも馴染み始め、毎日が楽しいと思えてきたというのに。


『俺は……信じたくない』


 そう呟いたミズガルズを見つめて、フェリルは申し訳無さそうにする。


『……信じたくない気持ちは分かる。実際、私自身も信じたくはない。けど、私の一族の予知は昔から外れたことがない。私たちの一族は長い間ミグリアの地を治めていたが、その間、長の地位を継いできたのはずっと私の血筋だけなんだ。どうしてか分かるか?』


 絶対外れない予知の力を持つからだ……。溜め息をつくかのように、フェリルは言葉を絞り出す。ミグリア島に住んでいた魔狼族たちは、予知能力を持つ血筋の者を長にしてきた。何故、その血筋にだけ予知能力が発現するのか。理由は彼らには分からなかったけれども、予知が外れないということだけで、彼らが長の一族を崇拝する理由としては十分だった。


『魔界か……。しばらく訪ねていないから、どうなっているか全く分からないな』


 炎竜が唸りながら考え込む。はっきり言ってとても突拍子の無い話だが、可能性が無いわけではない。第一、これがフェリルの嘘や狂言であると考えたところで、おかしい。彼女に特別なメリットがあるわけでもないのだから。

 それに真っ直ぐに炎竜を見つめる金色の双眸からは、負の感情を感じ取ることは出来なかった。誰ともなく黙り込んでしまった中、不意にリューディアが声を上げた。少女は少し嬉しそうな様子でさえあった。


「どのみち魔王が現れるんだったら、いっそのことイグニス様かミズガルズ様がなったら良いんじゃないですか?」


 名指しで言われた竜と蛇はお互い顔を見合わせ、瞳をキラキラさせているリューディアに向けて言った。


『魔王の地位には昔から興味がなくてな』


『俺もそんな地位、どうでも良いよ……』


「えぇ~、何かもったいないです……。せっかくお二人とも強いのに」


 強いだけじゃ駄目なんだよ。イグニスが笑いながら返した。確かに魔王たる者、力が強いだけでは務まらない。もちろん、自身の強さも必要だが、それ以前に知力が無ければ話にならない。魔物たちを纏め上げるためには、豊富な知識と機転の良さ、そして圧倒的なカリスマ性がいる。

 イグニスとミズガルズは純粋な力の強さこそ圧倒的だったが、カリスマ性という点では疑問符がついた。二人とも生来、率先して誰かの上に立とうとするような性格ではなかった。


 むくれるリューディアと、彼女を宥めるイグニスをよそに、ミズガルズは暗い気持ちに包まれていた。仮にフェリルの予知が本当に当たるとしたら、大勢の魔物を相手に戦わなければならない。そう分かっていたから。

 憂鬱な気分に浸るミズガルズの隣に、フェリルが寄って来る。どうやら蛇神のことを心配してくれているようだ。


『すまないな、ミズガルズ殿。疲労している時にこのような話をしてしまって』


『……いや、全然気にしてないから。それより、その呼び方やめてくれ。呼び捨てで良いからさ』


 フェリルはきょとんとして、途端に『とんでもない』とでも言うかのように、首をぶんぶんと振った。彼女曰く、自分よりもミズガルズの方が強いし、格上なのだから呼び捨てなど出来ないとのこと。それに個性の問題だと言う。

 ミズガルズとしては堅苦しい呼び方はやめて貰いたかったけれど、あまりにフェリルが頑なだったため、諦めることにした。そこで彼は話題を変えた。


『魔王が現れて、人間たちと争いを始めたら……フェリルはどうするんだ?』


 美しい狼は少し考えてから答えた。


『私は……中立だ。誰の味方もするつもりはない。けど、私を助けるために来てくれた貴方たちの頼みならば、貴方たちの味方になって戦う。……それが人間側だろうと、魔物の軍勢の一員だろうと』


 それを最後に、魔狼は黙り込んでしまった。白銀の蛇神は遠くの空を見つめている。魔王となる何者かも同じ空を見ているのだろうか。そう思うと複雑で仕方無い。今あるこの世界を壊されたくない。彼は苦々しげに息を吹いた。カルロスたちは未だ戻って来なかった。



◇◇◇◇◇



 その頃、カルロスたち三人は服を買い込んでいた。場所は洞窟前の“町”である。今も多数の観光客で溢れ返っている。カルロスが店内で会計を済ましている際、外のベンチにアレハンドロとフランカがいた。相変わらず沈んでいるフランカをアレハンドロが必死に宥めている。ちなみに大サソリのイスマエルは森の中で待機中だ。人前に出てきたら退治されてしまう。


「……アレハンドロ。私はこれからどうしたら良いの? もう何も残っていないのに」


 死ぬことは結局叶わず、生きる上でも希望を見出だせない。フランカには帰る家も無いのだ。この先、どうやって生きていけば良いと言うのだろう。大商人の一人娘だったフランカはもういない。今の彼女は冷たい世間に一人放り出された、か弱い少女だ。

 かすれた涙声を絞り出すフランカの手に、青年の大きな手のひらが重ねられた。暖かく、安心感のあるアレハンドロの存在にフランカは改めて目を向けた。彼は笑っていた。優しい微笑みだ。こういった表情を見せる時、アレハンドロの端正な顔立ちはますます輝いた。磨かれた宝石のように。


「ならさ、ボクの家で働けば良いよ。エルストンドの家に来れば良いんだ」


 フランカがアレハンドロの言葉の意味を理解するのに、数秒の時間を要した。彼女は震える唇から、弱々しく疑問を返す。


「私が……エルストンド家に仕えるなんて……。そんな、良いの?」


 エルストンド家は大国バルタニアでも有数の大貴族。王都に荘厳な邸宅を構え、国内に広大な領土を所有している。そのような歴史ある貴族の家で働くことが出来るなどとは思ってもいなかった。フランカは夢を見ているような気分に包まれた。

 アレハンドロはフランカに不安を感じさせないように、少女の手を優しく、それでいて力強く握った。彼女を元気付けたいがために、彼は自身に出来る最高の笑顔を見せた。

 フランカを一人になどさせたくない。大事な友達を死なせたくない。だから、アレハンドロは言うのだった。


「君にはまだ……ボクがそばにいるよ。だから、死にたいだなんて言わないで欲しい」


 その一言だけで、フランカは胸の奧に詰まっていたものが流されていく気がした。もうどうしようもなくて、これ以上は我慢出来なくて、少女は青年の胸に顔を埋めた。くぐもった泣き声だけが、二人の間に響いた。

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