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洞窟のサソリ

 相棒の少年を始め、仲間三人を一瞬のうちに失ってしまったイグニス。少年が長い銀髪をたなびかせて落ちていく様を、ただ黙って見ているつもりはなかった。すぐにでも助けたかった。

 けれども、その思いを阻む者たちがいたのだ。急襲を仕掛けてきた大蜘蛛たちだ。黒光りする巨体を震わせ、金属を擦り合わせたような鳴き声を発する怪虫たち。

 炎竜と水竜にかかれば、二匹の蜘蛛などまるで相手にならなかった。だが、物事はそう上手くはいかない。いくら屈強な肉体を持つ人間でも、数億匹もの蟻にたかられたら負ける。それと同じだ。いくら竜でも、何十、何百の化け物蜘蛛に襲われたらたまらない。そう、怪虫たちは二匹だけではなかったのだ。


「うわあああ! い、いっぱい落ちてくる!」


 リューディアが可愛らしい悲鳴を上げる。だが、その声音とは裏腹に彼女の感じた恐怖は本物だった。石橋の遥か上方、三人の頭上から無数の大蜘蛛が襲い掛かってきたのだ。イグニスたちが知る由もないことだが、石橋のずっと上には大蜘蛛たちが築いた巨大な巣があった。

 大蜘蛛たちは集団で暮らし、集団で狩りをする。石橋を獲物が通り掛かると、信じられない速さで巣から降りてきて、哀れな人間たちに食い付くのだ。

 ただ、この場合。哀れだったのは大蜘蛛たちの方だ。彼らは狙う相手を間違えた。三人のうち二人は人間じゃない。魔物だ。それも竜という超弩級の魔物。

 頭上から糸を伝って降りてくる蜘蛛の大群に、リューディアは最初こそ気圧された。けれども、竜としての矜持が敵前逃亡を許さなかった。


「……なっめるなぁぁぁ!」


 高く振り上げられた、か細い腕。そこに大量の水がまとわりつく。気合い十分の叫びと共に放たれた水の刃が空を切る。十匹ほどの蜘蛛たちが身体を切断された。彼らは断末魔の悲鳴を上げて、ごうごうと唸る谷底へ吸い込まれていく。

 幼い少女が決死の覚悟で戦っている。その姿を見て自分たちがサボるわけにはいかないと、イグニスとカルロスが飛び出した。足場の悪い中で、二人は必死に攻撃を繰り出す。先輩の竜として、パーティーのリーダーとして。たかが、図体がでかいだけの蜘蛛たちに負けるわけにはいかない。


「このっ! 冒険者をなめんな!」


 正面から飛び掛かる大蜘蛛を、カルロスの長剣が捉え、真っ二つにした。飛び散る体液が彼の身体を汚す。カルロスは露骨に舌打ちをした。

 次々と襲い来る怪物の群れ。カルロスは剣を振り続けた。一振りごとに、闇色をした怪物どもは斬り伏せられていく。キィキィとやかましい声を立てながら。


「失せろ! 虫め!」


 イグニスが放った炎が十数匹の蜘蛛を飲み込んだ。効果は絶大なようだったが、全てを殲滅するには至らない。十匹が倒れたら、その後ろから新たな二十匹が襲い掛かってくる。はっきり言ってキリがない。蜘蛛たちの勢いは、むしろ増える一方だった。

 際限無く湧き出してくる蜘蛛の群れを目の前にして、さすがの竜たちも薄気味の悪さを感じ始めた。まるで、蠢く闇が迫って来ているようにも見えて、竜たちは思わず後退していく。ジリジリと下がり、彼らは不安定な石橋の向こうへと逃げ込んだ。前方には未知の暗闇へ続く、細く湿った道。後方には血肉を求める怪物たち。

 カルロスは選択を迫られた。パーティーのリーダーである彼には、仲間を守り、より安全な策を選択する責任がある。ミズガルズたちと離ればなれになってしまった今、これ以上誰一人として欠けてはならない。


「二人とも! 逃げるぞ、俺についてこい!」


 カルロスが叫んで、奥へ奥へと駆けていく。竜としての矜持のためか、悔しげに舌打ちをするイグニス。きっと、たかが蜘蛛の魔物から逃げ出さなくてはいけないことに苛ついたのだろう。それでも、彼は何も言わずにカルロスの後に続いていった。


「あっ、イグニス様! 待って!」


 最後まで蜘蛛の大群に強烈な攻撃を加えていたリューディアも、憧れる炎竜の後を追う。残されたのは、怪虫たちが発する不気味な奇声だけだった。



◇◇◇◇◇



「ちっ! たかが虫ケラごときに……!」


 狭い洞窟内に炎竜の悪態が響き渡る。一緒に進む二人の仲間は、さっきから沈黙を守っていた。

 重苦しい雰囲気に彼らは包まれる。光源は松明に点った炎のみ。薄ら寒いはずなのに、火に照らされたリューディアの額には汗が浮かんでいた。彼女は水を好む水竜だから、高温が苦手なのだ。

 懸命に足を動かす若い同族の姿を目にしたイグニスは、何だか居心地が悪くなった。自分よりも遥かに年若いリューディアの前で悪態をついている自分が恥ずかしく思えたのだ。


「……リューディア。大丈夫かい?」


「! は、は、ははい! 大丈夫です、イグニス様には迷惑かけません!」


 リューディアの熱で赤みを帯びた頬がますます赤くなる。熟れた林檎よりも赤い。きっと、原因は揺らめく炎だけではないはずだ。イグニスも、そのことはとっくのとうに悟っている。だから、彼らはお互いに少し気まずかった。

 積極的になれない恋人同士のようになった竜たちを尻目に、カルロスはついつい溜め息を吐いた。彼はもうすぐ三十路だが、結婚の予定が全く無い。顔馴染みの冒険者たちが女と遊んでいるのを遠くから見ているだけでも辛いのに、こんな至近距離で色恋沙汰をしないで欲しかった。勝手な都合だが、独り身の彼にとってはそれほど切実なのだ。


「お……?」


 肉体的にも精神的にも疲れていたカルロスが足を止めた。急に彼が立ち止まったため、後続の二人はつまずきそうになった。恨めしそうに顔を上げた二人の視界には想像を絶する光景が広がっていた。


「わぁ……」


 リューディアが子供らしく目を輝かせた。彼女の瞳に映るのは、白一色の世界。音も無く、何も動きの無い……白い砂漠の世界だ。

 誰が先導するでもなく、ごく自然に彼らは砂漠に足を踏み入れた。一歩進む度にサクサクと静かな音が静寂の世界に浸透していく。見渡す限り、白い砂で覆われている。違う色があるとすれば、時折、黒い岩が島のように屹立しているくらいだ。

 三人は無言のまま、歩き続ける。洞窟の天井は見上げても見えないほど高く、本当に夜の砂漠にいるような錯覚を起こさせた。長く生きてきたイグニスでさえも、洞窟内の砂漠は初めて見るのだろう。口が開きっぱなしだった。


「……誰もいないね」


 言いながら、リューディアは砂漠の白砂を一掴み分、すくい取った。幼い水竜の小さな手。指と指の間から、白磁色の砂粒がさらさらとこぼれ落ちていく。

 少女に相槌を打とうとしたイグニスだったが、視界の端に何か動くものを見た。途端、目を鋭く細めて、警戒心を剥き出しにしながら、問題の場所を睨み据える。

 問題の場所は砂漠にぽっかりと浮かぶ、一際大きな岩の陰だ。何かがいる。竜の鋭い感覚は、何者かの存在を確実に感じ取っていた。


「……ん?」


 岩陰から黄色っぽい、何か細いものが現れた。節くれ立っていて、先端がプクリと膨らみ、その先に鋭い針が付いていた。そんな怪しげな物体がゆらゆらと揺れる。まるで、人間が手を振っているかのようだ。

 カルロスたちは三人揃って、訝しげに眉根を寄せる。相変わらず、謎の細長物体は左右に揺れまくっている。誘っているのだろうか。怪し過ぎて、誰も近付かないと思うのだが……。

 いつまでも近寄らないカルロスたちにしびれを切らしたのか、細長物体の持ち主が姿を現した。


『これは、これは。珍しいお客さんですのぉ』


 しゃがれた声の主は、大きなサソリだった。体色はくすんだ黄褐色、大きさは先程の化け蜘蛛たちと同じくらい。ただ、尻尾を含めると、その二倍はありそうだ。


『そんな警戒せんでも、いいですわ。ワシは良いサソリですんでのぉ』


 人間の倍はある大サソリが、老人のような声で、そんなことを言った。二本の大きな鋏を振りながら。何だか、それはどこかシュールな絵面だった。


『ワシの推測では、そこの御二人は竜でありましょう? 少なくとも人間ではないと見受けますが』


 老サソリの言葉に、イグニスは少しだけ驚いた。そして感心したように問い返す。


「オレたちが竜だと分かるのか」


 短く肯定の返事を返したサソリは自身の名を名乗った。イスマエルというらしい。かれこれ五百年は生きていて、現在は洞窟内の不思議な砂漠で隠居中だそうだ。

 彼には他人の魔力の量を見ることが出来るという特技があり、イグニスを見た途端、驚いて思わず話し掛けたくなったと言うのだ。


『人間の冒険者は珍しくないんじゃが、竜が来たのは初めてぞよ。しかもお主……相当に強い竜と見た。お名前を伺ってもよろしいか?』


 炎竜は快諾して、「イグニス」と教えた。刹那、カチンカチンと鳴らされていたイスマエルの鋏が鳴り止む。硬直したイスマエルは突如、すっとんきょうな声を上げた。


『イグニス!? それはワシが生まれるずっと前! 魔界で名を馳せた炎竜のことではあるまいな!? そ、そそそ、そんな伝説の魔物がこんな場所に来るはずが……!』


 よっぽど動揺しているのだろう。イスマエルはバタバタと激しく身体を動かした。サソリ特有の尻尾が白砂をえぐり、その塊がカルロスの顔面にぶち当たった。小気味良い音が響いたと思ったら、パラパラと大量の砂が彼の顔から落ちる。我慢しているように、ぷるぷる震えているカルロス。右手が剣を抜こうとしているのを見たリューディアが、ちょっとだけ身を引いた。


(……見せれば落ち着くか)


 なかなか信じないイスマエルを前にして、イグニスは少し溜め息をついた。まぁ、信じられないのも無理はないけれど。

 幸い、ここは洞窟の中とは思えないくらい天井が高い。翼を広げても、十分な広さもある。イグニスは力を抜いた。柔らかく広がる眩しい光が辺りを照らした。


『これなら、信じられるだろう?』


 白と黒の世界に、真紅の竜が現れた。炎を纏うその姿を目にしたイスマエルは、空中に立てていた尻尾を地面に接するぐらい下げた。人間で言うなら、目上の者に頭を下げているようだった。


『ワ、ワシは強大な竜様になんて口を聞いてしまったのじゃ! 虫けらの無礼をお許し下されー!』


 ずざざざーっ!

 砂に埋もれそうなぐらい平べったくなった大サソリ。漫才のような光景に、炎竜は苦笑したが……同時に戦慄した。


 ……竜の姿に戻る時、気に入っていた服をおじゃんにしてしまったのだ。

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