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謎の声

 洞窟の中は薄暗く、時間の流れが分からない。今が朝なのか、夜なのか。それとも、まだ昼間なのかもしれない。空を拝むことの叶わない薄闇の中では、時が止まっている。

 小さな焚火を囲むようにして、金髪の青年と薄桃色の髪が目立つ少女、それにボロ布を纏った骸骨がうずくまっていた。青年と少女は、かすかに寝息を立てていた。夢の世界にいるらしい。彼らは無防備な姿を魔物の前に晒していた。

 二人と違って、骸骨は起きていた。寝る必要が無いのだ。既に彼は人間ではない。だから、食物を摂取する必要性も無ければ、定期的に運動を行う必要性も無い。同様に睡眠もとらなくたって平気なのだ。

 生きる骸骨はパチパチと音を立てて火の粉が弾ける焚火の中に、細い枝を投げ入れていく。赤い炎に照らされた顔には表情らしきものはない。本来なら目があるところには、黒々とした闇を抱く二つの穴がぽっかりと空いているだけ。

 そこには何が映っているのか。そもそも彼は眼前の景色を見て、何かを感じることが出来ているのか。いずれにせよ、それは骸骨本人にしか分からない。他の誰かには決して知ることの出来ない感覚だろう。

 ふと、何者かの気配を感じた骸骨は振り返った。そこには魔物がいた。遥かに巨大な魔物だった。暗い中でも、白銀色の鱗は目立った。一枚一枚が輝いている。赤い双眸が闇の中で光り輝いた。


「……間違ってたら、悪いんだけどさ」


 骸骨が唐突に口を開いた。言葉の余韻が静寂に飲み込まれていく。


「あんた……もしかしたら、もしかすると。伝説とか昔話なんかによく出てくる魔物……蛇神ミズガルズじゃないのか?」


 少年は驚いた。人間としては百年も前に死んだジェフに正体を当てられるとは思ってもいなかったからだ。それだけミズガルズという魔物がこの世界でよく知られている存在だということなのだろう。改めて少年は、自身が凄まじい存在に成り代わってしまったことを感じた。


『確かに、俺がミズガルズだ。……あまり、ひけらかしたくはないけどな』


 ぽっかりと空いた二つの闇に、畏怖の感情が宿っているような気がしてならない。ミズガルズは気恥ずかしさを感じたが、仕方ないことなのだろう。確かに両者の間には同じ魔物でも、埋めがたい格の違いがあった。例え、それがあくまで少年が他者から譲り受けたものであっても。

 難しいことを考えているうちに蛇神の頭は痛みを訴え始めた。さっきから考えすぎで眠りにもつけないし、若干疲れさえも感じられる。こんな時は少し頭を冷やすのが一番だと、彼は分かっていた。


『ちょっと気分を変えたいから泳いでくるけど……』


 必要ないとは思いつつも、一応ジェフに警告をしておく。なるべく、恐ろしく聞こえるような低い声で。


『俺がいない間に、二人に何かしたら……』


「わ、分かってるよ! あんたを怒らせることなんて、絶対するわけないって!」


 ジェフはガクガクと首を振った。いくら彼が人間でなく、動く骸であっても、ミズガルズに勝てる道理はない。多少ばらばらにされてもまた元に戻るが、毒や高熱で溶かされたり、粉々に砕かれたりしたら、再生は不可能だ。力の差は明白で、ジェフにはミズガルズに歯向かう気など全く無かった。

 ジェフが必死に頷くのを見て、ミズガルズは地底海に潜ろうと動いた。しかし、一旦思い止まって、ジェフに向かい合う。


『なぁ、どうして俺のことを知っていたんだ? 本か何かか? それとも、冒険者同士の噂かい?』


 間を置かず、ジェフは即答した。子供の頃に、冒険小説で知ったのだという。勇者が世界を救うために各地の魔物を打ち倒す旅に赴く……というありがちな内容らしい。子供向けの挿絵付きの書物で、その中にミズガルズが登場したのだと、ジェフは教えてくれた。現実には有り得ないが、勇者に倒される役だったそうだ。……少年はちょっぴり複雑になる。


「子供の頃はお伽噺の産物だと思っていたけど、あんたを見た時、あの小説の挿絵にそっくりだったから。……まさか、伝説の魔物に会えるなんてね。もう驚いたよ。長生きはするもんだ」


 骸骨の表情を読むことは難しいが、声の調子からどうも感動なり、興奮なりしているように思えた。むず痒い気持ちになったミズガルズは、返事も早々に暗い海に潜っていった。



◇◇◇◇◇



 翼のような余計な装飾の無い蛇体は、冷たい水の中を縦横無尽に駆ける。水の抵抗はほとんど感じられない。むしろ、緩やかな流れが心地よいくらいだ。

 地底海は本当に広く、そして深かった。ジェフたちが火を囲む島の付近では、浅瀬が広がっていたものの、沖に出れば出るほど、海の水深はどんどん深くなっていく。巨大なミズガルズでさえ、呆れてしまうほどの規模だ。これでは、外に広がる本物の大海と何ら変わりないではないか。もしくは、ここは本当は外の大海と繋がっているのか。いずれにせよ、ミズガルズはこの帰らずの洞窟に脱帽するばかりだった。彼の眼にはこの洞窟の全容がまるで見えなかった。


(……久し振りに一人きりになれたな)


 どこを目指すでもなく、ただ地底の海を漂う中、蛇神はそんなことを思いつく。考えてみれば、この異界に生まれ落ちて以来、ほとんどの時間を誰かと一緒に過ごしてきた。いつも、誰かが隣にいた。

 美しい姫君、どこか間の抜けた国の警備兵、真紅の竜に幼い水竜、調子の狂うエルフ、入れ墨だらけの闇市場の売人……。色んな者たちに出会ってきたが、自分は何をしたいのだろう。どこに行き着きたいのだろう。

 そろそろ自分の居場所をしっかり固めた方が良いのかもしれない。今の寝床だって、宿を長く借りているだけだし、きちんとした住処を持っているわけではない。行き当たりばったりの生活は止めて、地に足を付けるべきか。帰ったらこれからの生き方について、イグニスと相談しないといけないなとミズガルズは思いに耽った。まあ、その前に彼と再会するのが先か。

 ふと、目の前を大型の魚が横切る。今まで空腹感を忘れていたミズガルズだったが、その瞬間無意識に食らい付いた。哀れな魚は鱗も軟らかく、食べやすかった。味の方は今ひとつだったけれど。

 大蛇は大量の水と共に、魚を飲み込んだ。水上で飲み込めば良かったと瞬間、彼は一抹の後悔を覚えた。


(食い足りない……)


 新たな獲物を探そうと意気込んだ蛇神。この時まで彼は、しばらく海中で腹を満たしたら島へ帰り、骸骨に別れを告げ、人間二人を引き連れて、はぐれた仲間たちと合流した後は有無を言わさず洞窟を脱出しようと思っていた。

 最深部に眠る宝剣など彼は知ったこっちゃなかったし、フランカの自殺の希望も問答無用で却下だった。蛇神は彼女の思惑に巻き込まれてしまったことに、酷くうんざりしていた。


(……俺たちを巻き込むなよな)


 げんなりしていた、まさにその時だった。キィンという音と共に、鈴を鳴らしたような声が蛇神の頭の中に響いた。ミズガルズは大いに驚き、その場で動きを止めた。今のは明らかに何者かの声だった。蛇神は神経を研ぎ澄ませて、脳内に語り掛けてくる声に耳を澄ました。


『力有る……者よ……』


 力有る者? それは誰のことだろう? ミズガルズはそれが自分を指していることに気付くまで、数秒の時間を要した。すると、待っていたかのように再び声が紡がれる。


『私に辿り着いてくれ……。私を……戒めから、解き放って……くれ』


 それを最後に、謎の声はフッと消えてしまった。けれど、その代わりに今までは感知出来なかった、何か大きな力を感じ取れるようになった。洞窟の遥か先に、その力の源がある。理屈など関係ない。今のミズガルズには、とにかく分かるのだ。この洞窟のどこかで、何者かが助けを求めていることが。


 どうする? 放っておくべきか、それとも、呼び掛けてきた者の下へと進むべきか?


 しばらく悩んでいたミズガルズ。何にせよ、何か行動するなら、島で待つ二人の仲間と骸骨にも伝えなければ。思い立ったと同時に、ミズガルズは島に向かって泳ぎ出していた。



◇◇◇◇◇



 ミズガルズが島に戻ると、既にアレハンドロとフランカは目を覚ましていた。彼ら二人にも先程の声は聞こえていたらしい。それならば話が早いと、ミズガルズは事情を説明して、寝起きの二人の言葉を待った。


「助けに行こう。ボクは行く」


 アレハンドロから予想外の台詞が飛び出した。てっきり、今すぐ洞窟を出ようとでも言うかと思っていたミズガルズは素直に驚いた。やっぱりアレハンドロは変わっている。本当に貴族らしくない男だった。

 一方で煮え切らないのがフランカだった。未だに喋ろうとしない。口を開きかけては閉じ、開きかけては閉じ……を繰り返している。終いには俯いたまま、黙ってしまった。それを見たミズガルズは少しばかり苛立ってしまった。軽く怒気を含んだ声音で、少女に言い放つ。


『こうなった原因はフランカにもある。最後まで一緒に付き合って貰うからな』


 選択肢など与えない。ミズガルズの中では、最初から少女の同行は決定済みだった。そんなに死にたいならば、共に地の底まで来て貰えばいい。本当に死にたかったら、そこで死ねばいいのだ。冷たくて残酷な考えだろう。それでも、この状況下で優しくいられるほど、少年は出来ていなかった。


『決まりだ。頭の上に乗れ』


 感じ取れる何者かの巨大な力は、地底海の遥か先だ。辿り着くためには、暗い地底海を渡らなければいけない。どのくらい時間がかかるかも分からないが、何となく声の主に会わなくてはいけない予感がした。理由を問われても、ミズガルズは答えられない。ただ単に、本能というか直感としか答えようがなかった。

 そいつに会えば、これからの旅路が円滑に行くんじゃないか。ただ何となく、そんな思いがよぎったのだ。

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