無神経な青年
喋る骸骨改めジェフは本名をジェフリー・シンプソンと言った。生まれは北方のセプテン大陸らしい。生粋の冒険家で、彼は十数人の調査隊の一員としてこの大洞窟にやって来たそうだ。ジェフを含んだ当時の調査隊は優秀で、洞窟のかなり深い場所まで辿り着いたらしい。
「けどね、奥に行くほど魔物も強くなっていって。まぁ、後は分かるだろ? 俺たちは力及ばず……」
死んじまったのさ。そう言って、ジェフは首を斬るような動作を見せた。軽い口調だったが、どこか寂しさも感じられた。
『待て。じゃあ、どうして今も動いてるんだ?』
「……んー。それが俺にも分からんのだよ。多分、洞窟の魔力にでも当てられて魔物になったってことなんだろう。この世は分からないことだらけさ」
薪を取ってこようと言い残し、ジェフは砂浜の向こうにある林の中へと駆けて行ってしまった。後に残された者たちの間には、自然と静寂が訪れた。誰も口を開かない。何か話題を見つけようと、アレハンドロがキョロキョロし始めた。だが、彼よりも先に口を開いたのは……今の今まで身じろぎもしなかったフランカだった。
「……どうして」
「え? なんだい、フランカ?」
俯いていたフランカは顔を上げると、アレハンドロのことをキッと睨んだ。睨まれた青年は訳も分からず、ただ気圧されるばかりだった。驚きのあまり押し黙る彼に向かって、少女は矢のように言葉を放った。
「どうして!? どうして一緒に来たの! 何で助けようとするの!? 私は、私はただ……」
呆気に取られる青年と魔物に向かい、フランカは力の限り大きな声で叫んだ。
「……一人で死にたかっただけなのに!」
甲高い叫び声の後には、痛いぐらいの静寂が続いた。誰も何も言わない。否、言えなかった。アレハンドロの表情は驚きから徐々に悲しみを帯びたものに変わっていった。
濡れた髪を額や頬に貼り付けたまま、フランカは嗚咽を漏らし始めた。少女のすすり泣く音だけが砂浜に染み込んでいった。
「あなたを呼んだのは思い出の場所で最後にあなたの顔を見たかったから。ただそれだけよ。……私には、もう何も残ってないんだから。もう何一つ……」
『アレハンドロがいるじゃないか』
蛇神はフランカの言葉を遮った。少女はゆっくり首を動かし、自らを見下ろす魔物を静かに見据えた。不思議なことに彼女の気の抜けた顔には恐怖も驚愕も、そして困惑すらも見受けられない。まるで、全ての感情をどこかに置いてきたかのようだった。
何かを言おうとして彼女は口を開きかけ、また閉じた。そして、何もかも諦めたような、うつろな笑みを浮かべた。少しでも触れたら壊れてしまいそうな歪んだ笑みだった。そして彼女は青年の方へと向き直り、蚊の鳴くような声で尋ねた。
「アレハンドロは、私のこと……どう思ってるの……?」
ある種の期待がこもった瞳。弱々しくも真剣な視線が、アレハンドロに刺さった。青年は一瞬言葉に詰まった。
「……決まってるじゃないか。大切な友人だよ!」
フランカの纏う悲しい雰囲気を振り払いたいがために、アレハンドロは妙に明るい声を出した。けれども、それで空気が変わることはなかった。それどころか、フランカはますます悲しげな顔を見せる。
「大切な、友人ね……。本当に鈍いね、あなたは」
アレハンドロは少女の言っている意味が分からず、困惑した様子で眉を寄せた。しきりに、「それって、どういうこと?」と、少女に尋ねる。
しかし答えを返さないまま、フランカは蛇神の方に顔を向けた。その顔には、隠しきれない恐怖の色が見て取れる。彼女なりに勇気を出しているらしい。
「そ、それよりも、あなた……魔物だったのね……」
『あぁ、本当なら最後まで見せるつもりはなかったんだけどな』
半身を水に浸け、もう半身を砂浜に横たえるミズガルズ。これで頭上に太陽が出ていれば身体も乾くし、彼としては言うことなしだったのだが。まぁ、洞窟の中でそれは言っても仕方の無いことだと彼は諦めて息を吐いた。
大蛇が水中に伸ばした尾を軽く振ると、浜辺に大きな波が立った。その動作だけでフランカはビクッと身体を震わせた。アレハンドロは彼女よりかは胆が据わっているのか、怯えるような動きは見せなかった。
ただ、驚いてはいるようで、しげしげと白銀の蛇神を眺め回している。アレハンドロがミズガルズの真の姿を目にするのは、実はこれでまだ二回目だ。一回目は以前に炎竜の草原で偶然出会った時だ。
「おおおお……! 蛇神ミズガルズ……やっぱりその姿だと威厳が違うな!」
『……要するにいつもは威厳が無いってことね。そう言えばお前にはほとんどこの姿を見せてないもんな』
アレハンドロは怖がるどころか、真新しい玩具を目の前にした子供のように目をきらきらと輝かせていた。彼の隣ではフランカががたがたと恐怖に身体を震わせているというのに、貴族の青年は蛇神の姿に興奮を隠せないでいた。そんな彼を見下ろしていたミズガルズは、改めてこのアレハンドロという青年の変人っぷりにもはや感心すら抱いていた。
「いや、だってね。普段のちんちくりんな姿との落差がすごいじゃないか。なかなか信じにくいよ」
『ちんちくりんとは何だ、失礼なヤツめ……』
「まあまあ、そう怒らず。ボクらは友人みたいなものじゃないか。親愛なる冗談だよ、冗談」
『友人、ねえ?』
人間より体力はあるはずなのに息が上がってしまう。久々に顔を出したアレハンドロのうざったい一面に、ミズガルズは溜め息をつきたくなった。
地底海を泳ぎ進んだことでただでさえミズガルズは疲弊していたというのに、そんな彼の気も知らずアレハンドロは相変わらずアハアハと笑っていた。全くもって、ろくでもないことことばかり考えるヤツだ。顔は良いし、生まれた家だって良いだろうに、どうしてこんな性格に育ってしまったのだろう。ミズガルズにとってそれは大いなる疑問だった。両親の教育が不味かったのか、それともこいつ自身の問題なのか……。
すると、何かを思いついたのか、アレハンドロは顔を上げた。物凄く嬉しそうな顔で。それを見た瞬間、蛇神は凄まじく嫌な予感を抱いた。
「今回はこうして有償で依頼を聞いて貰ったわけだけどさ、友人どうしなら次からタダで頼みを聞いてくれないか。代わりにディナーとか奢るよ?」
『はあ? おまっ、図々しいというかがめついというか……』
本気で呆れてしまうミズガルズ。そのまま不貞寝でもしようかと思った時だった。駄々をこねていた貴族の青年が不意に近寄ってきて、蛇神の顔のすぐそばで思いもよらない一言を囁いた。
「……まぁ、タダっていうのはさすがに冗談さ。実はね、前々から探していたんだよ。ボクを政敵や暗殺から守ってくれる護衛を。人化もできる君はうってつけなんだよ」
ミズガルズは動きを止め、『何だって?』と聞き返してしまった。そう聞き返さずにはいられなかった。元々は平和で平凡な暮らしをしていた少年だったミズガルズにとって、暗殺という単語はほとんど縁のないものだ。それ以前に、政敵なんて単語も滅多に使わなかった。物騒な言葉を吐き出したアレハンドロが信じられなくて、ミズガルズは真紅に光る双眸を青年に向けた。
だが、青年は何でもないような顔をしていた。まるで、暗殺という行為が日常の中に普通に存在するかのように。そのことが蛇神にはとても信じられなかった。もしかしたら、信じたくないという気持ちも多少混じっていたのかもしれない。
「君の目にはバルタニアは平和に見えるだろう? けど、裏では血生臭い事件だっていっぱい起きてる。それはボクら貴族にも無関係じゃない。むしろ、権力を独占したがるから、影での騙し合いや工作、それに暗殺なんか日常茶飯事なのさ」
ボクはエルストンド家の長男だ。そう前置きした上で、アレハンドロは続ける。
「エルストンド家は王国随一の名門だ。そして、ボクは仮にもその名家の嫡男。それ故に敵がうんざりするくらい多い。ボク個人としても、消せるなら消したいヤツはいる。こっちが潰される前にね」
苛立たしげにアレハンドロは言った。嫡男という自覚はあるんだなと内心で密かに思う蛇神の前で、青年は一人の男の名前を小声で口にした。それは蛇神が今まで聞いたことのない名前だった。
トビアス・トラショーラス。
エルストンド家とは犬猿の仲と言える大貴族、トラショーラス家の嫡男にして、若くして王国騎士団の団長に登り詰めた天才。容姿端麗で学業も優秀、更に剣の腕は大人にも負けないほど。まさに絵に描いたようなスーパーエリート。それがトビアスだ。
そんなトビアスとアレハンドロは非常に仲が悪かった。対立する貴族の嫡男同士という背景もあるが、まず性格が合わなかった。とにかくお互い気に入らないのだ。二人は通っていた学園でも、顔を合わせる度に言い争いを繰り広げるぐらいだった。
「何よりも許せないのは、ヤツとエルシリア様が仲が良いということだ!」
アレハンドロはなおも吠えた。トビアスのことを思い出すうちに怒りが収まらなくなったらしい。一方でミズガルズは動揺していた。言うまでもなく、エルシリアという名前のせいだ。蛇神の揺れる気持ちに気付くことなく、アレハンドロは収まらない怒りを吐き出し続ける。
「皆、アイツがどれだけ腐ってるのか知らないんだ! 君は知らないだろうが、学園内でヤツに嫌われたり、逆らった生徒は全員退学になったんだ。圧力ってやつでね。アイツは自分が中心じゃないと気が済まないようなヤツなのさ」
それ、お前もじゃね? ……喉元まで出てきた台詞を危ないところで飲み込み、ミズガルズは黙ってアレハンドロの話を聞いた。
アレハンドロ曰く、剣術の実技試験で対戦した際に、わざと時間をかけてなぶられたり、アレハンドロの取り巻きの生徒たちがトビアスの雇った不良たちにボコボコにされたり、学園内におけるいじめや家柄による差別を無くそうと活動していた女子生徒に乱暴を働いて、挙句の果てにそれを揉み消したり……。
トラショーラス家の威光を後ろ楯にして、トビアスは様々な悪事を行った。誰も彼を止める者はいなかった。否、止められるはずがなかったのである。トラショーラス家もエルストンド家と並ぶ大貴族なのだから。ところでアレハンドロ、お前ボコられまくりだな……と、ミズガルズは何故だか悲しくなった。
『お前も貴族だろ? どうにか出来なかったのか?』
「そりゃ……ボクなりに色々とやったさ。けど、いつもアイツの方が一枚も二枚も上手だったんだ」
深く溜め息をついた次の瞬間、アレハンドロは獣のように叫んだ。
「とにかくボクはヤツのことは許せない。あのクズはエルシリア様といずれ結ばれる為に、わざわざ王国騎士団に志願したのさ。そうすれば王女である彼女に近付けるからね。全くもって許せない! ヤツよりもボクの方が彼女に相応しいのに!」
場の空気が凍り付いた。後に残る余韻が重苦しい。アレハンドロの今の言葉はエルシリアのことを好きだと言っているのと同じだった。
ミズガルズはちらりとフランカの方を覗き見た。さっきから沈んでいたが、予想通りますます沈んでいた。彫像のように、ピクリともしない。表情は窺い知れないが、泣きそうな顔をしているのは間違いない。
死ぬために洞窟に入る前、人生の最期に会いに来て欲しいと言うぐらいだ。きっと、フランカはアレハンドロが好きなんだろう。少なくともミズガルズはそう思う。いや、誰だってそう思うはずだ。
それなのに、アレハンドロはフランカの前で別の女の子が好きだと、暗に叫んだ。これって結構……いや、疑いようもなく酷いことだろう。しかも、アレハンドロは自覚していなかった。その分、ますますタチが悪かった。
「……そうだよね。私は……ただの友達だもんね……友達……」
最早、同行していた仲間が魔物であったことも頭から消え去ってしまったらしいフランカ。彼女は身体を寄せて、小さく固まっていた。今、彼女に触れたら、砂のように崩れてしまうかもしれない。ミズガルズはそんな彼女に下手に声を掛けることもできなかった。
冷え冷えとした雰囲気にミズガルズが閉口していると、ようやく骸骨のジェフが戻ってきた。彼は火を起こす為、貧相な木の枝を両腕いっぱいに抱えていた。
「おーい、戻ったぞー……って、あれ? どうしたんだ? 何かあったのかい?」
空しく響く、やけに明るい声。蛇神は溜め息をつく代わりに、疲れたように目を閉じた。……遅すぎる。そう思ったけれど、彼は何も言わなかった。




