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地底の海

 渦を巻く滝壺の中に、アレハンドロとフランカが落ちた。着水したアレハンドロが流れに逆らおうともがく。しかし、それはほとんど無駄な抵抗で、彼はすぐに飲まれてしまった。フランカは初めから意識を失っていたらしく、何の抵抗も無いまま、渦の中に消えていった。二人が消えた大渦を睨み、ミズガルズは舌打ちしたくなる。こんな激しい流れの中に放り込まれたら、人間など間違いなく死ぬだろう。少なくとも自力で抜け出すことなど出来ない。


(仕方ねぇ……!)


 銀髪の少年が水面に触れる直前、滝壺が眩しい光で満たされた。そこにはもう華奢な少年の姿は消えていた。代わりに白銀の鱗が輝いた。荒れ狂う激流をものともせず、大蛇は水の中に身体を沈める。周りを一度見渡して、目的の二人が見当たらないことを確認する。そして躊躇することなく頭を水中に突っ込んだ。

 流れは馬鹿みたいに強く速いが、幸いなことに透明度だけは高い。おかげで隅々まで見渡すことが出来る。大蛇はすぐにフランカを見つけた。滝壺の底の岩に引っ掛かっている。目は力なく閉じられていて、口の端から気泡が漏れ出ていた。彼女の薄桃色の長髪が水に揺れている。

 ミズガルズは急いで彼女に近付き、助けようとする。口にくわえようとして……やめた。うっかり噛んで死んじゃいました……なんて事態になったら元も子もない。水中で器用に身体をくねらせ、長い角に彼女の服を引っ掛けた。そのまますぐに水面の上に顔を出す。ミズガルズ自身はまだまだ水中でも息が保てたが、フランカはそうはいかないだろう。


『フランカ! 起きてくれ』


 呼び掛けても少女が目を覚ます気配はない。顔色が悪く、唇も青い。このままだとまずいな……。そう思ったミズガルズは荒療治に出た。首の後ろを曲げて作った小さなとぐろの上に少女を上手く滑り落とし、絞め殺さない程度に、骨が折れることのないように、繊細な力加減をした上で、わずかに力を込めた。

 腹を圧迫されたフランカは苦しげに咳き込むと、大量の水を吐き出した。頬は赤くなり、涙やら何やらで顔はグショグショだ。そんな酷い有様になっていた彼女だったが、次第に意識を取り戻すと己を取り巻く状況に気付いたらしい。


「う、うわああああああああああああああああああああ!?」


 盛大な悲鳴が上がる。それも致し方ない。彼女の目の前には巨大な蛇の頭があるのだ。真っ赤な光を放つ双眸が彼女を見据える。何本もの毒牙が見え隠れする口先からは、先端が二股に分かれた長い舌がちろちろと出入りしていた。この状況で、恐怖に叫ばない人間がいるのだろうか。答えは否だろう。自らを丸飲み出来るほどの大蛇に捕らえられ、睨まれているのだ。平静を保てる方が変だ。


「ひっ……あああ……!」


 言葉にならない悲鳴を漏らし、フランカは逃げ出そうともがいた。けれども、それは無駄な努力である。人間より遥かに大きい蛇に巻き付かれたとあっては、その拘束から逃れることは不可能だろう。酸欠に陥ったかのように、フランカは口をパクパクさせた。あまりの恐怖で少女は喋ることすら出来なかった。


『落ち着いて、フランカ。俺はさっきまでお前の後ろを歩いていたリンだ』


 淡々と言うミズガルズ。フランカも徐々に落ち着きを取り戻したのか、血の気の引いていた顔に色が戻ってくる。


『いいか? しっかり掴まっていろ』


 フランカは両腕を回して必死で蛇にしがみつく。ミズガルズの頭の後ろにある角を両手で掴み、濡れた鱗に身体を密着させた。

 轟音が辺りに轟く中で、一人の青年の声が聞こえた。フランカはそれに気付く余裕も無かったようだが、ミズガルズには確かに届いた。

 周囲を見渡せば、必死になってもがいているアレハンドロがいた。顔と腕を水面から出し、彼は苦しげな様子で叫んでいた。


「助けてくれ! どんどん流されてる!」


 そう言っている間にも、アレハンドロの身体は向こうの方に運ばれていく。懸命に足掻いているが、全くの無駄だった。

 慌てて近寄ったミズガルズの目の前から、アレハンドロの姿が急に消える。水中に沈んだか? 咄嗟に思ったが、それは違った。


『おいおい……! 何なんだよ、この洞窟は……!』


 成す術なく落下するアレハンドロ。水の流れはここで終わりではなかった。まだまだ続きがあったのだ。それも、うんと巨大な滝となって。大量の水が流れ落ちている先がどうなっているのか、そこからだと見ることも叶わない。

 ただ一つ言えることは、ミズガルズがどうにかしなければ、アレハンドロは死ぬということ。


『……アレハンドロッ!』


 白銀の蛇神は、暗い暗い闇の中へと、巨体を投げ入れた。



◇◇◇◇◇



 強い引力が掛かる。あまりに大量の水が一気に流れ落ちているせいで、鼓膜がおかしくなりそうだ。水の飛沫のはずが、まるで石礫のようだ。


『くっそ……!』


 ミズガルズは早い段階で、アレハンドロを救出していた。貴族の青年は蛇神の長い身体の中程にしがみついている。

 蛇神は何とかして上に戻りたかったが、それは無理だった。どのくらい高低差があるのか分からないが、相当な高さから落ちてきたのは間違いない。最早、彼の眼には上が見えなかった。


 不意に一際大きな水飛沫が上がる。滝の底にミズガルズが落ちたのだ。衝撃はあったが、ダメージはない。かなり水深が深く、それがクッションになったようだった。

 水面から顔を出したミズガルズの目に映った光景。それは思わず言葉を失うものだった。

 湖と表現するには、あまりにも広すぎる。水面が波立ち、遥か彼方に水平線まで見える様は、まさに海。地下に人知れず広がる地底海がそこにはあった。


「おっ、溺れる!」


 地底に隠された海に目を奪われていたミズガルズの首に、アレハンドロとフランカがよじ登る。二人とも、泳ぎは下手だ。息遣いも荒かった。アレハンドロがぼーっとしているミズガルズを叩いた。ペチペチと場にそぐわない間抜けな音がした。


『ん? どうした?』


 蛇神が気の抜けた声を出す。アレハンドロは呆れた風に溜め息をつき、また鱗を叩く。


「どうしたじゃなくてさ。……どこかに陸地は無いのかな?」


 陸地か……。蛇神は辺りを見渡した。残念ながら見当たらない。周りには、大きく波立つ海が広がるばかりだ。

 ふむ……と、蛇神は頷く。考え込んでいたって仕方がない。動き出さなければ始まらないのだ。どのみち、上に戻るのは不可能みたいだから、この先をどうするかが問題である。


『しばらく、泳ぐぞ』


 憔悴しきった二人を頭の上に乗せて、ミズガルズは地底海を泳ぎ始めた。



◇◇◇◇◇



『くそっ、島の一つも見当たらないな……』


 蛇神は苛立たしげな呻き声を上げた。さっきから、ずっと陸地を探しているが全く見つからない。頭の上の二人も、いい加減に冷えてきただろう。早いところ、暖まることの出来る場所が欲しかった。

 苛々していたミズガルズの目に、地下の海にあるはずのないものが映った。向こうの方に、小さな船が浮いていた。思わず大蛇は目を疑った。誰が乗っているのだろう。先に洞窟に挑んだ、別の冒険者か? ……有り得ないことではないが。


「おわああああ!? 何じゃ、あれは!」


 小舟に乗っていた何者かがミズガルズに気付いたらしい。慌てて船を漕ぐ動きからは、焦っていることが伺えた。

 蛇神は先回りをする。悠々と泳いで近付くと、小舟の周りを長い身体で取り囲んだ。小舟の主は逃げ出せなくなってしまい、両手を上に上げた。


「うわっ! 勘弁してくれ! 俺を襲ったって、食う場所なんざどこにも無いよ!」


 妙にしゃがれた声で叫ぶ彼を見て、アレハンドロとフランカはもちろん、ミズガルズまでもが思わず息を飲んだ。

 ……小舟の主は人間ではなかった。ぶかぶかでボロボロの黒い服を着た骸骨が命乞いをしている。物凄く現実離れした、不気味で不思議な光景だった。


『……確かに食う場所はどこにも無いな』


「だろ!? 無いだろ!? だったら、見逃してくれよ!」


 実際にカタカタ音を鳴らしながら震えている骸骨。かなり良くない状況だというのに、ミズガルズは彼を見ているうちにどうも気分が和んでくるのを感じた。もっとも、和んでいるのはミズガルズだけで、彼の頭に乗っかっている二人は生きた骸骨が言葉を操っている恐怖に震えていた。

 そんな二人の様子には全く気付かないまま、ミズガルズは骸骨に尋ねる。


『お前を食うつもりはどこにも無いよ。その代わりに、陸地まで案内してくれないか?』


 骸骨はしばらく拍子抜けしたように、きょとんとしていたが、やがて無い胸を張って蛇神たちを先導し始めた。



◇◇◇◇◇



「俺のことはジェフって、呼んでくれ」


 ようやっと蛇神たちは大きな島に着いた。浜辺に上がるなり、骸骨ことジェフがそんなことを言った。今更ながら、このジェフは何者なのだろう。人間……ではないはずだ、絶対に。だって、どこからどう見たって彼は骸骨だ。

 ジェフは唸りながら小舟を引きずり、砂浜から突き出た岩と岩の間に横倒しにした。汗なんて出ないだろうに、額をボロ布で拭う。ウケを狙っているのか何なのか、ミズガルズにはよく分からない。

 ミズガルズが首を傾げていると、いつの間にかアレハンドロとフランカが砂浜に降り立っていた。貴族の青年は勇気を振り絞って、ジェフと相対する。


「あ、貴方はいったい何者なんだ?」


 ジェフは顎をカタカタと鳴らし、例のしゃがれ声で嬉しそうに話し出した。


「信じられんだろうが、元人間といったところだな。俺も百年前までは君と同じ、生身の人間だったのさ……」


 表情など無いはずの骸骨の顔が、何故だか楽しそうなものに見えた。

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