表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/109

分断

 帰らずの洞窟には、二つの入り口が存在する。一つは観光客の為にに開かれたもの。中に入ると、およそ数百メートルだけ洞窟内部を冒険出来る。ただし、そこから先は立ち入り禁止だ。観光地化されていないし、当然のように危険な魔物が待ち構えているからだ。

 そしてもう一つが、命知らずにも本気で洞窟に挑む者たちの為の入り口である。さすがに観光客用と比べると、人の数は明らかに少ない。


 だが、そこにミズガルズたちは立っていた。誰ともなしに暗闇の中へ入り始める。それぞれの持つ松明のみが、唯一と言って良い光源だ。また、冷えた洞窟内では丁度良い熱源にもなってくれる。

 息が詰まるような湿った通路を進んで行く。岩壁は水滴で、しっとりと濡れていた。あまり気分の良い場所でないことは確かだった。


「……すっげぇ」


 唐突にカルロスが立ち止まった。感嘆の声が漏れたが、それも仕方の無いことだろう。彼らの目の前には、想像を絶する眺めが広がっていたのだから。

 先程までの狭苦しい通路を抜けた先、旅人たちの前に広がるのは巨大な空間だった。特筆すべきは、そこに森があるということ。それも普通の森ではない。緑の海を形成しているものは、奇岩を覆い、垂れ下がっている巨大な苔植物やシダたちだった。

 一行は恐る恐る、苔とシダの森に足を踏み入れていく。どの葉にも数え切れないほどの水滴が付着していた。大気中に微かに霧が掛かっているところを見る限り、多湿な環境なのだろう。


「……柔らかい」


 リューディアが人差し指の腹で、黄緑色の苔を突いた。水を含んだスポンジのようだ。強く押すと、透き通った雫が溢れ出てくる。

 湿った森を歩き続けると、次第に苔やシダの種類も豊富になってきた。緑色だけの世界は、もうそこにはない。黄色や赤、紫色に薄い橙色が散りばめられている……。まるで、深い森の中に鮮やかな花が咲き始めたかのように。

 形も様々だった。カルロスやイグニスよりも背の高いシダ植物たちが、まるで樹木のようにそびえ立っていた。最早ここまで来ると、ただのシダと言い切っていいのか疑わしいほどだった。


「おい、誰かいるぞ?」


 カルロスが小声になって言う。後ろに続くミズガルズたちは前方を見た。なるほど、確かに森の中に何者かがいた。動きやすそうな軽装をしている。防寒対策よりも身軽さを優先したらしい。

 何やら熱心に苔を観察していた男だったが、一行の気配を察知したのだろう。半ば座り込んでいた姿勢を改め、立ち上がる。


「これはどうも。初めまして、冒険家の方々」


 分厚いレンズの眼鏡を掛けた男が近寄って来る。冒険者……には見えない。ひょろっとしていて、頼り無さそうだ。

 そんなことをミズガルズが考えていると、ふと男が自己紹介を始めた。彼はチャーリーと言って、サン・ミグリアに住む学者らしい。洞窟性の動植物を観察する為に、よくここに来るのだと言う。


「この森には危険な生物は出ないんですよ。だから、私一人でもここまでは来ることが出来るんです」


 にこやかに笑うチャーリー。だが、急に表情を険しいものに変えると、彼は冒険者たちを真っ直ぐと見据えて、静かに尋ねた。


「……しかし、安全なのはこの森まで。ここから先は、そうはいかない。……貴方たちは進むのですか?」


 真剣なチャーリーに少し気圧されながらも、アレハンドロは肯定の返事を返した。それを聞いた学者は落胆したようだった。だが、それでも止める様子はない。軽く頷くと、彼は道を冒険者たちに譲った。


「気をつけて。……願わくば、貴方たちにまた会えますように」


 冒険者たちはチャーリーの横を通って、先へと進んで行く。恐らく、チャーリーは毎回こういうやり取りをしているのだろう。浮かべた笑みには憂いの色があった。彼の目は小さくなっていく冒険者たちの後ろ姿をいつまでも捉えていた。



◇◇◇◇◇



 チャーリーと分かれ、苔の森を抜ける。一行の前に現れたのは川だ。洞窟のずっと奥の方まで続いているようだ。流れの先は暗闇に飲まれていて分からない。確かなことは、先に進む為には川沿いの細い道を歩いていかなくてはいけないということ。

 道の幅は狭く、恐らく一列にならなければ進めないだろう。そのため自然に列が形成された。先頭がカルロスで、二番目がイグニス。炎竜の後ろには、当然のようにリューディアが並び、その後ろにアレハンドロ、フランカと続く。しんがりがミズガルズだ。

 緩やかに流れる地下河川の脇を彼らは慎重に進んだ。足元は滑りやすい。気を付けて歩かないといとも簡単に転倒するだろう。しかし、そういった時こそ、物事は悪い方向に転がるものだ。


「キシャアアアアアアアアアアア!」


 耳をつんざくような叫び声が暗闇の中から轟いた。剣を抜いたカルロスの視線の先に、そいつはいた。ギョロッと、怪しく光る瞳が彼を睨んだ。カルロスは苛立ちを隠さずに舌打ちをする。


 それは魔物だった。虎のような体躯だが、身体の特徴はネズミ。本来二つあるはずの目は一つしかなく、だらしなく開いた口からは鋭い牙が見えた。明らかに肉食の生物だった。

 唸り声を上げる魔物は一行にギラギラした視線を送る。獲物を見つけた時の、喜びの叫びが響いた。次の瞬間、黒い大ネズミは凄まじい勢いで飛び込んできた。


「お前ら、下がってろ!」


 大きく一歩踏み込んだカルロスの剣が、大ネズミの体に向かって虚空を切った。真っ二つになった魔物は地面に叩き付けられる。血の匂いが辺りに漂い始めた。


「なんてことはないな、図体だけだったか」


 安心したように、カルロスは剣を鞘に収める。一行は再び歩みを再開させた。最後に大ネズミの遺骸を見たミズガルズは、一つ目に睨まれているような気がして怖気を覚えた。



◇◇◇◇◇



 行けども行けども、洞窟は暗く、そして深い。終わりが見えないと言うのが正しいだろうか。得体の知れない何かが、この洞窟には渦巻いている。ミズガルズには、そんな風に思えた。

 カルロス率いる一行は、相変わらず地図も何も無い洞窟を、手にした松明のみで突き進んでいた。先程から、何度も魔物に襲われている。初めは大ネズミのように単純な攻撃ばかりを仕掛けるものばかりだったが、次第にもっと狡猾なものたちが増えてきた。

 地面にへばり付いて待ち伏せする魔物、蝙蝠のように天井から垂れ下がっているヤツ、苔や岩に擬態するヤツ、毒やら棘やらを飛ばしてくる魔物……。

 カルロスとイグニスの睨みが効いたのか、次第に現れる魔物の数は少なくなってきた。洞窟の天井から雫が垂れ落ちる音と、アレハンドロとフランカの喋り声だけが響く。とは言っても、アレハンドロが一方的に話し続けているだけだ。フランカの方は、聞いているんだか聞いていないんだかよく分からない表情で、ただ相槌を打つのみ。まさか彼女が死を望んでいるなどとは夢にも思わず、アレハンドロは話し続けていた。


 ピタリ、と。カルロスが足を止める。行進は止まり、アレハンドロのお喋りも思わず止んだ。


「これは……厳しいな」


 彼らのすぐ隣を流れていた川、それが一本の滝となり、遥か眼下に流れ落ちていく。そこは巨大な滝壺であった。洞窟の底が円形に深く抉り取られ、周りの岩壁から何本もの滝が注ぎ込んでいる。白い糸のような滝が流れ落ちる先には、轟々と音を立て、飛沫を飛び散らせながら渦を巻く滝壺が。彼らの立つ場所からそこまで、いったいどの程度の高低差があるのだろう。十メートル、二十メートルでは足りない。人間が落ちたら、間違いなく死ぬ高さだ。

 向こうに行く為には、岩で出来た天然の橋を渡るしかない。方法はそれだけだ。手すりが無い分、吊り橋よりも最悪だが、向こうに伸びる道はその一本のみ。ここは洞窟で、しかも狭い。イグニスが元の姿に戻って運ぶというのは無しだ。第一、彼らが護衛しているのはフランカという、言わば部外者だ。正体を見せるわけにもいかず、その選択肢は初めから無い。


「ゆっくり……渡ろう」


 じりじりと亀のように、もしくはナメクジが這うかのように石橋を渡る。ただでさえ細く、不安定な石橋は、運の無いことに濡れていた。苔までもが生えている。それらの水滴と苔のせいで彼らの足は上手く動かない。

 滝壺が奏でる轟音のみが辺りを支配する。その他の音は全て飲み込まれ、聞き取ることも出来ない。冒険者たちには短い時間が永遠に感じられた。呼吸は荒くなり、心臓は早鐘を打つ。

 だが、そんな極限の状況の中にあっても神は味方をしてくれなかった。冒険者たちがようやく石橋の中程まで来た、丁度その時だ。最後尾にいたミズガルズは物凄く嫌な予感を感じ取った。そして、それは的中する。神は彼らに天使ではなく、悪魔を遣わしたのだ。


「アレハンドロッ! 先に進むなっ!」


 少年の鋭い叫びに振り返ったアレハンドロ。彼の向こう側に艶やかな黒い足が現れる。それは橋の裏側に静かに潜み、獲物が通り掛かるのを待っていたのだ。

 冒険者の列を真ん中で分断したそれは橋の裏から這い出て、全貌を露にした。艶めいた漆黒に身を染めた、普通では考えられない大きさの大蜘蛛だった。


「なっ……!」


 息を飲み、硬直するアレハンドロ。大蜘蛛は金属を擦り合わせたような、やかましい鳴き声を発した。無力な獲物を小馬鹿にするかのように一際高く、蜘蛛は鳴いた。

 大蜘蛛の鋭い足が振られる。先端がアレハンドロの胸を掠めた。衣服は一薙ぎで切り裂かれ、鮮血が宙に舞う。青年の痛々しい悲鳴が洞窟に響き渡った。彼はそのままよろよろと後退り……。


「アレハンドロッ!!」


 青年は落ちていった。


「いやあああああああああああああ!」


 絶叫するフランカを、大蜘蛛はちらりと一瞥した。襲われる。誰もがそう直感した。だが、大蜘蛛は期待を裏切る。まるで五月蝿いとでも言いたげに、フランカを足で殴り飛ばしたのである。

 激流の中へと身を落とすフランカ。銀髪の少年は顔を歪め、小さく舌打ちをした。目の前の大蜘蛛の向こうにいる仲間たちに向けて叫ぶ。


「後で必ず! 全員で生きて合流するから!」


 返答を待たずに、銀髪の少年は石橋から飛び降りた。後には大蜘蛛の叫び声と、滝壺の轟音だけが残された。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ