帰らずの洞窟へ
その夜、海賊船を沈めた張本人がリューディアであることは、連絡船の乗客たちには知られなかった。彼らは海賊たちが退けられたのは神の救いによるものだと考えていたからだ。まあ、その方がミズガルズたちには好都合だったろう。要らぬ注目と詮索を浴びるより、よっぽど良い。
最初に襲撃してきた海賊船を除けば、他に不測の事態は起こらず、無事に大陸間連絡船は航路を進んだ。そして、その旅路もそろそろ終盤に近付いて来る。
「見えた! サン・ミグリアだ!」
青く輝く空の下、一人の男の声が甲板に高々と響き渡った。彼は望遠鏡を顔の正面から離し、回れ右をして、大きく叫ぶ。船内から出ていた乗客たちが、その声につられて乗り出すようにして前方を見た。
すると喜びの声があちこちから聞こえ始める。島影が見えてきたのだ。美しい保養地、サン・ミグリアの町並みが。
各国の鮮やかな色の旗を掲げた船たちが、桟橋の近くに何隻も停泊している。ミズガルズたちの乗る連絡船も、その中に混ざろうとしていた。
一行の船は港の中に入った。海の色は透き通るエメラルドグリーン。港のあちらこちらには椰子にそっくりな樹々が植えられている。道行く人々は誰もが薄着だ。ジリジリと照り付ける太陽の熱を少しでも和らげたいのだろう。
連絡船が錨を下ろす。巨大な船体が止まると、乗客たちが押し合いへし合いしながら列を作り、サン・ミグリアの地へと降り立っていく。
他の人間たちに混ざって、ミズガルズたちも船から降りた。カラフルな景色が旅人たちの視界に飛び込む。海のエメラルドグリーン、樹木の鮮やかな緑、咲き乱れる赤や黄色の花、広がる青い空……。
地球上で言うなら、サン・ミグリアの光景はハワイやミクロネシアを連想させた。そう、南国の風景だ。サン・ミグリアは観光と中継貿易で成り立っている都市なのだ。
ティルサとも、セルベダとも違った空気に、アレハンドロ以外は落ち着かない様子で、そわそわしていた。冒険者として様々な場所に赴くカルロスでさえ、このミグラシア王国の土を踏むのは初めてだったりする。
「アレハンドロ! 待ってたよ!」
初めて聞く、明るい声がした。一同が振り向けば、ひらひらのフリルをいっぱいにつけたドレスに身を包んだ少女が走り寄って来るところだった。
ミズガルズは瞬間的に察した。この少女がアレハンドロに手紙を寄越した、件の人物であろうと。その推測が正しいということは、アレハンドロの嬉しそうな表情を見れば一目瞭然だった。
「初めまして。私はフランカ・カルディナーレ。アレハンドロの御付きの方たちですよね?」
丁寧に挨拶をするフランカ。聞き取りやすく、透明感のある声が好印象だった。それに薄桃色の頭髪も美しい。毎日手入れしているのだろう。太陽の光を浴びる度、艶やかな桃色の髪は光を反射した。
フランカに合わせて、ミズガルズたちも同じように挨拶を交わした。早速、案内したい場所があるらしく、彼らはその場を後にした。
◇◇◇◇◇
フランカ・カルディナーレはケントラム大陸のアスキア王国に拠点を置く大商人の娘だ。アレハンドロとは、四年前に行われたセルベダの大きな祭典の時に初めて出会った。お互いに上流階級の家の長子同士であり、問題児と見なされていた二人。立場が似通っていることに共感したのだろう。彼らはすぐに仲良くなった。
海を挟んで、手紙のやり取りをし、家を勝手に抜け出しては、互いの中間地点であるミグラシアに渡って、会うことさえあった。フランカはアレハンドロの数少ない親友の一人なのである。
「さぁ、皆さん。着いたわ……ここがサン・ミグリア名物、帰らずの洞窟の入り口よ」
サン・ミグリアから馬車に乗って、およそ二十分。今の今まで道の両脇に広がっていた密林が、急に視界から消え去った。代わりに現れたもの、それは目を見張るほどの巨大な岩壁。その大きさたるや、山と見紛うほど。
岩壁と地表が接する所に、巨大な裂け目があった。横に大きく広がる様は、獲物を待ち構える魔獣の口のようでもあった。銀髪の少年はその大穴の不気味さに、ぶるりと背筋を震わせた。……まるで、人間たちを罠に誘っているかのようだったからだ。
大洞窟の不気味な雰囲気とは裏腹に、その入り口の前は草木が刈られており、何軒かの店が建っていた。武器屋や防具屋、簡素な宿屋まである。付近には、これから大洞窟に入っていくと思われる人間たちが集まっていた。きちんとした装備に身を包み、締まった表情をしている者もいれば、明らかに軽装でヘラヘラと笑っている者たちも見受けられる。
大洞窟を訪れる人間には何種類かのタイプがあった。一つは人生の全てを懸け、洞窟の最深部に財宝や伝説を本気で求める者。また別のタイプには、学術的な目的を果たすため洞窟に入る者がいる。そして最後が、完全に遊びの目的でやって来る観光客。彼らは有事の際のために冒険者を雇い、本当に安全とされる入り口付近までしか潜らない。そこで思い切り洞窟観光を楽しむのだ。
「アレハンドロ。この際だから、はっきり言うね。私はただの観光客じゃないの。あの洞窟に本気で潜るつもりでいるわ」
フランカがかしこまった顔をしてアレハンドロに見せたもの、それは若い娘には似つかわしくない防具一式だった。いずれも魔法効果などが練り込まれた上物である。重々しい防具を見たアレハンドロは、古い女友達が洞窟探索に本気で挑むつもりなのだと実感するしかなかった。
ミズガルズたちを外に置いてきて、アレハンドロとフランカは二人きりで宿屋の一室で話し込んでいた。ここにきて、貴族の青年の頭には幾つもの疑問が湧き現れて、彼はいよいよそれらを言葉にした。
「フランカ……。手紙を貰った時からずっと思っていたんだけど、どうして君が洞窟に行かなきゃならない? あんな洞窟の伝説なんて君は信じていなかったじゃないか。それに洞窟の財宝なんか無くても君には全てが揃ってる。だって、君は世界に名を轟かす大商人の娘で……」
フランカが笑って、アレハンドロの口を手でそっと塞いだ。驚き、目をパチパチさせる彼に、商人の娘は信じられない事実を叩き付けた。
「アレハンドロ。私の父はね、裏で随分と悪いことをしていたみたいなの。私も知らなかったわ……彼が国に捕まるまでね」
もう、大商人の娘なんかじゃないの。そんな悲しいことを、彼女は無理してはにかんだ顔で言った。アレハンドロは全く予想もしていなかったことに、何も言えなかった。
「カルディナーレ家は全てを失ったわ。財産も名誉も信頼も、何もかもね。母もあまりの疲労で体を壊して……旅立った。私にはもう何も残っていないのよ」
未だに一言も発することの出来ないアレハンドロを見つめ、フランカは話を続ける。
「知ってる? 洞窟の一番奥にある宝剣にはね、世界を変える力があるって言われてるんだって。きっと何にもならないだろうけど、素敵な話よね? もし、それを手に出来たらなぁ……」
アレハンドロはワナワナと震えた。彼は理不尽な現実を許せなかった。どうしようもない気持ちだった。エルシリアに振り向いてもらう為に走り回ったり、魔物たちと街で楽しく触れ合ったりしていた最中、フランカはずっと辛い思いを抱えていたのだ。海の向こうの友人を気にも掛けず、遊び呆けていた自分自身をアレハンドロは許せなかった。認めたくなかった。彼は他の貴族と同じ、カネのことしか頭にない馬鹿な人間にはなりたくなかった。だから友人の肩を掴んで彼は言った。
「……ボクも行くぞ。君が何と言おうとも、ボクも一緒に洞窟に入る! これはボクの義務だ! 嫌とは言わせない」
当然、フランカは拒否した。アレハンドロに来てもらったのは、最後に彼の顔を見たかったからだ。洞窟の中に一緒に来てもらいたかったからじゃない。それはアレハンドロに死ねと言っているのと同じだ。だというのに、彼は得意そうに言った。
「大丈夫、ボクだって何も勝算が無いわけじゃない」
そう言って、二人は宿を出た。
◇◇◇◇◇
再び頭を下げるアレハンドロ。それを複雑な表情で見つめるミズガルズたち。彼らはアレハンドロの頼みを聞くかどうか迷っていた。
よりにもよって、一緒に洞窟の中に入ってくれと言うのだ。渋るのも当然だろう。何より、当初の依頼をミズガルズたちは果たした。ここで危険を承知で、わざわざ洞窟内に入ってあげる義理は無い。なのに。
「……追加料金は貰うぞ」
なんと、カルロスが立ち上がったのだ。信じられないと言いたげに見ていたミズガルズを尻目に、なんとイグニスまでもが椅子から腰を上げる。
「リーダーのカルロスが行くと言うなら、オレが行かないわけにはいかないだろう……」
言い訳じみた台詞を口にして、イグニスは頭を掻いた。その横で、リューディアが慌てて立ち上がる。
「わ、私はイグニス様が行くなら……どこへでも……」
これで三人の同意は得られた。残りの一人、ミズガルズは選択を迫られる。仲間たちの『行ってやろうぜ』という表情。それと期待に目を輝かせるアレハンドロ。
ミズガルズは言葉に詰まる。彼としては本当なら、南国の雰囲気が漂うサン・ミグリアの港で一日中ゆっくり過ごしたかったのだ。島国ならではの食事、綺麗な砂浜、珊瑚礁、小舟で沖合の小島に向かって散策、それからのんびりとした釣りの時間……。そういう体験たちが待っていたはずだったのに。
洞窟は好きじゃないんだよなぁ……と、ミズガルズは胸の内で溜め息をついた。けれども、この状況で一人だけ行きませんと宣言するのは無理だろう。最初から決まっていたと思うしかない。
「…………あ~あ、しょうがねぇなぁ。行ってやるよ、行けば良いんでしょ? 行けば」
嫌そうな少年の一言に、アレハンドロたちはワッと盛り上がった。まるでお祭り騒ぎだ。半ば呆れたミズガルズが視線をずらした時、彼とフランカの目が合った。瞬間、フランカが明後日の方向に目を逸らした。その時、蛇神の少年は小さくない違和感を抱いた。
それが何なのかは分からなかった。ただ、少年がうっすらと感じたことは、もしかしたらこのフランカと言う少女は喜んでいないんじゃないだろうか……ということだけだった。
彼の感じ取ったことは正しい。フランカはアレハンドロたちが付いて来ることを喜んでなどいなかったし、そもそも望んでもいなかった。それは当然の結果だと言えた。何故なら、全てを失った少女フランカ・カルディナーレの目的はただ一つ。
……誰にも看取られることの無い闇の底で、命を絶つこと……ただ、それだけなのだから。




