船旅の始まり
二人の魔物は、久しぶりにカルロスと会って話をしていた。ここはギルドの本部だ。いつも通り、何人もの人間が出たり入ったりをひっきりなしに繰り返していた。ちなみにその中に例の鼻つまみ者、ハビエル・バスケスは見当たらない。ここ最近、彼はずっと自宅に引きこもっていた。心なしか受付嬢たちは普段より嬉しそうだった。
しばらく休んでいたミズガルズたちだったが、そろそろ冒険者業を再開しようということになり、こうして集まった。いつもの面子の三人はもちろん、そこには特別なゲストがいた。前回はケネスだったが、今回はリューディアである。イグニスにどうしても付いて行きたいという本人の懇願が叶った形だ。
「それで、カルロス。どの依頼を受ける?」
「うーん、それなんだがなぁ。どれもあまり多くないんだよな……報酬が」
この仕事で日々の生活費を稼いでいるカルロスにとっては、報酬がどのくらいかということが大切な基準になる。どうせ苦労するならば、高い報酬が欲しかった。何より、今の彼のパーティーは世界最強と言っても過言じゃない。望めば、どんなに危険で報酬の高い依頼だってこなせるのだ。そうやって改めて迷い始めた彼らの背後から、聞き覚えのある声が届いた。
「なら、ボクの個人的な依頼を頼んでも良いかな?」
冒険者たちは一斉に顔を上げる。そこに立っていたのは、アレハンドロ・エルストンドだった。ただ、いつもの豪奢な貴族の服は着ておらず、そこらの町人のように地味な装いをしている。以前暴漢に襲われてから、彼なりに学習したんだろう。
「何だよ、個人的な依頼って」
代表してミズガルズが尋ねる。基本的にアレハンドロが絡むと、厄介事しか起こらない。それを知っているから複雑だった。
ミズガルズたちが話に乗ってきたことに気を良くしたアレハンドロはにんまりと笑った後、蛇神に顔を寄せて外で話そうと囁いた。よほど誰かに聞かれたくないのかもしれない。手招きする彼に、ミズガルズたちは付いていった。
◇◇◇◇◇
アレハンドロが密談場所に選んだのは、ギルドから離れた場所にある川沿いのベンチだった。もうちょっと良い場所無かったのかよ……と口に出したくなるが、ミズガルズは我慢した。
「さて。それじゃあ、ボクの依頼を話そうか」
バルタニア王国の遥か東の海上に、ミグラシアと言う島国がある。東のオキディニス大陸と中央のケントラム大陸の丁度中間地点に位置する国だ。首都サン・ミグリアがあるミグリア島を中心に、全部で五つの島から成り立っている。保養地として名高い国だが、ミグラシア王国にはもう一つ、世界に誇る名所が存在する。
ミグリア島には、広大で謎めいた巨大な洞窟があるのだ。最深部には誰にも抜けない宝剣があると言われ、今まで何百、何千人もの冒険者や旅人が洞窟に入っていった。宝剣を抜いた者はいない。それどころか見つけることが出来た者すらいない。そのまま帰って来なくなった者も数え切れない。
「……その洞窟を探索する為に、ボクの知り合いがサン・ミグリアに今いるらしいんだよ。つい昨日、ボクに一目で良いから最後に会いたい……って、手紙が届いたんだ。それはもう驚いたんだけど、そんな手紙を貰っておいて無下に断れないだろう? でも、父上や母上に言ったところで、会わせてもらえるわけがないし。かと言って、一人で行くのも……怖いしさ」
真剣な顔になって、アレハンドロは頼み込む。ミズガルズたちが迷っていると、青年はなんと頭を下げ始めたではないか。仮にも大貴族の嫡男が、だ。目を丸くしたカルロスが、恐る恐る聞いてみる。
「その、報酬はどのくらいで?」
アレハンドロが口をカルロスの耳に近付け、何やらゴニョゴニョと囁いた。その瞬間、カルロスの表情が驚きに満ちたものとなり、目が輝き始めた。そして、状況の分かっていないミズガルズたちに向かい、一言。
「よし! 皆、アレハンドロを連れて、今からミグラシアに出発だ!」
「はいっ!?」
急すぎる決定に、ミズガルズが突っかかる。二人が言い争いを始めていると、第三者がげんなりした声を出した。イグニスだ。
「待って。行くのは別に良いけどさ……。また、オレが全員を乗せて飛ぶのかい? リューディアも入れて、全部で四人だよ? 竜にも疲労というものはあって……」
「いや、それについては心配ない」
くどくどと言い始めた炎竜を遮ったアレハンドロ。服の内側をゴソゴソと漁って、彼が取り出したものは、何かの券のようだった。ポカンとしている炎竜にそれを手渡す。赤髪の青年はしげしげとそれを眺めた。どうやら船に乗るための乗船券らしい。
「バルタニア最大の貿易港セルベダとサン・ミグリアを結ぶ、大型連絡船の乗船券だ。全部で五人分あるよ。余計に一枚買っておいて良かった」
出港予定時刻を見てくれと、アレハンドロは言った。乗船券を覗いたカルロスが悲鳴を上げる。
「おいおい! あと八時間しか猶予が無いじゃないか! ティルサからセルベダまで、馬車で一日はかかるぞ!」
「大丈夫。偉大な炎竜様に飛んでもらえば、二時間以内で着くだろうさ」
いい加減な奴め……。そう呻いて嘆く相棒を慰めながら、ミズガルズはやはりアレハンドロがやって来ると、ややこしいことばかり起こると思うのだった。
◇◇◇◇◇
ティルサを出発して約二時間。バルタニア王国内で最大の港町セルベダに五人は足を踏み入れていた。こんなに早く着くことが出来たのは、例のごとくイグニスが頑張ってくれたおかげである。
潮風が吹く港の空気に当たり、イグニスの元気も戻ってきたようだった。リューディアが彼の隣で焼き魚にかぶりついている。無邪気な水竜だ。
ミズガルズに至っては、この世界において初めての海を目にして感激していた。試しに海水を少し舐めてみた。塩辛い。眼前には前世と何も変わらない海があった。果てしなく広がる大海は青い。見ていると水平線に吸い込まれてしまいそうだ。
「何だって? 海賊が出る? それは本当か?」
海を眺めていたミズガルズの耳に、そんな声が聞こえた。話し込んでいるのはアレハンドロと一人の見知らぬ男だった。そこにカルロスも加わっている。何やら真剣な表情だ。良くない話なのだろうか。
「あぁ、ここんとこ増えてきてな……幾つも商船が襲われてんだ。今日の連絡船だって、夕暮れ時に出港だろ? 連中は日が暮れてから活発になるからな。嫌になっちまう」
見知らぬ男は溜め息をついている。彼もミズガルズたちと同じく、サン・ミグリアへ向かう連絡船の乗客だ。
「あんたら、どっから来たんだい?」
「ボクたちはティルサからです」
世間話に花が咲く。次第に彼ら三人の表情は明るくなり、笑い声も出始めた。赤と青の竜は離れた所で、のんびりしている。何となくトラブルの予感を感じ取っているのはミズガルズだけのようであった。
「……海賊。なんかヤバそうだよな」
誰も彼の呟きを聞いていなかった。
◇◇◇◇◇
海が、港に停泊する船が、そして街全体が鮮やかな橙色に染まる。太陽が沈もうとしている。ようやく、連絡船の出港の時が来た。
先程の見知らぬ男と違って、前もって優先の乗船券を手にしていたミズガルズたちは滞りなく船に乗ることが出来た。何故、アレハンドロは都合良く乗船券を先に手に入れることが出来たのか。それは彼の貴族としての色々なコネがあったからだ。久し振りに見せた、アレハンドロの貴族らしい一面だった。
ミズガルズは不安そうに自分たちが乗る船を見上げた。連絡船は帆船であった。まさに大航海時代に海軍や海賊が操っていたものにそっくりだ。立派な船で、海賊の標的にされても不思議じゃない。
船には食堂やカジノがあったが、五人共どこにも行く気はなかった。係員の案内で部屋に入ると、睡魔が彼らを襲う。リューディアがベッドに潜ったのを皮切りに、誰もが仮眠を取り始めた。船旅は始まったばかりだ。




