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エルフと寝よう

 巨大な娯楽施設の中では、あまり時の流れは関係ない。ひっきりなしに人は出入りし、賭博場から賑わいが消えることは有り得なかった。現に外では夜が近付いてきても、建物の内側では人々の喧騒が続いていた。

 そんな人の群れから離れた、施設内の一軒の宿屋。店員一人だけのうら寂しい受付に、二人の男女が姿を現した。もじゃもじゃの髭を生やした宿の主は、こんな中途半端な時間にやって来た二人組を吟味する。珍しい奴らだと、彼は思った。この時間は大抵の人間が賭博に乗り出していて、宿にはほとんど誰も寄り付かないからだ。


(ふーん、こりゃまた良い女だな……)


 一人は金色がかった橙色の髪をした女。背は高く、身体の均整が完璧だ。随分、挑発的な服装をしている。耳が尖っているから、恐らくエルフだろう。

 もう一人は少女……いや少年にも見えなくはない。まだ幼い顔立ちだったが、間違いなく美形だ。髪は長い。白銀色と呼ぶのが、一番適切だろうか。完全に酔っ払っているようで、エルフの女に背負われていた。

 主は二人組の客があまりにも美しかったため、少しどころかかなりの嫉妬を抱いていたが、気取られることなく声をかけた。


「いらっしゃい」


「一晩泊まりたい。男女だが、同じ部屋で良い」


「あいよ。バルト銅貨一枚ね」


 主は無愛想なまま、そう告げる。エルフは一瞬、「高い」と思ったが、口には出さず、素直に払った。銅貨を受け取った主は、大事そうにそれを懐にしまった。


「部屋は一番奥の部屋だ。鍵はきちんと掛けときな。賭博場にはスリや盗人もいるから」


「あぁ、ありがとう」


 そう言って、美しいエルフは受付の横を通り過ぎていった。しばらく金勘定をしていた主だったが、ふと顔を上げる。言い忘れたことがあった。受付から身を乗り出して見るが、二人組はいない。既に部屋に入ってしまったようだ。


「あの女、ここが普通の宿だって理解してただろーな」


 あのエルフ、明らかに欲情してやがった。


 主は深い溜め息をついた。息を荒くして部屋に急いだエルフの女の表情を思い出した彼の背中に、今から疲れがどっと押し寄せてきた。


「ありゃ、エルフっつうかサキュバスだぜ……」


 二人組が泊まった部屋を掃除するのは、さぞかしキツいだろうな……と、しばらく女に縁の無い宿屋の主は思うのだった。



◇◇◇◇◇



 一番奥の部屋に入り、サネルマは連れの少年をベッドに転がした。それから急いで扉を閉めた。宿屋の主の助言に従い、もちろん鍵は掛けた。と言うか、それだけでは済まさなかった。その上から、更に魔術でガッチガチに施錠した。

 それが済んでから、ようやくサネルマは安堵の息を吐いた。これで誰も部屋に入って来れない。サネルマが術を解かない限り、宿屋の主でさえも扉を開けられない。


「あとは、防音だな」


 エルフが軽く指を振る。そうすると、光の波動が生まれ、部屋の壁に吸い込まれるようにして消えた。完璧である。こうなれば、この部屋の音は一切外に漏れ出さないのだ。

 全ての準備は整った。これから何が起ころうとも、どちらがどんな声を出そうとも、どんな音が部屋中に響こうとも、全く問題なしだ。部屋の掃除なんか魔術でササッとやってしまえば良いし、主にも迷惑は掛からない。


「やっと……」


 常の彼女からは考えられないような甘い声が、サネルマの口から漏れる。彼女の潤んだ瞳に映るは、伝説の蛇神……ではなく、ただの小さな美しい少年。

 サネルマが一歩ずつ、ベッドに近付いていく。身じろぎする少年の衣服がはだけ、筋肉も何も付いていない胸が露になった。……その胸板は雪のように白く、触ったら割れそうなほど薄い。少年の無防備な姿はサネルマの嗜虐心を刺激した。この胸板にどう悪戯しよう? 考えるだけで、彼女の身体は熱くなった。


 ……我慢なんか、出来ない……。


 夢の世界を歩く少年は起きない。高潔さをかなぐり捨て、ただ本能に従う獣が近付いて来ているとも知らずに。


「……ミズ……ガルズ」


 息を荒くするエルフが呼ぶ名。それはかつて世界中に轟いた、伝説の蛇神のもの。その伝説の存在を好きに出来る。そう思うと、色欲に溺れたエルフは胸の高鳴りが止まらなかった。

 サネルマはベッドに横たわる少年に覆い被さった。すぐ近くに端正な蛇神の寝顔がある。彼はまだ眠りの世界の中だ。いったい、どんな夢を見ているのだろう。さっきから、ゴニョゴニョと寝言が聞こえるが、何と言っているかはよく分からなかった。分かることは、少年がとても幸せそうにしているということ。


「……んん」


 目を閉じたままのミズガルズが何やら唸った。少しだけ開いた口元から、よだれが垂れていた。笑っているようだ。何か良い夢を見ているに違いない。

 サネルマの意識が、少年のその口元……いや唇に向いた。薄いピンク色の小さな唇だ。ふっくらとしていて、何だか艶があって。思わずサネルマは自分の唇を、少年と合わせようとしていた。だが、指一本分の距離まで近付けたところで思い止まる。彼女の頭に、エルシリアのことが浮かんだのだ。仮にも第二王女様はミズガルズに惚れているようだし、最初のキスを横取りするのはまずいのではないか。まあ、部屋に連れ込んで、上に乗っかっている今の状況もかなりまずいのだが……そこはサネルマだ。そこまでは気にしない。

 考えた果てに、サネルマは少年の額に軽いキスをした。ほのかに暖かかった。そこで、少年が吐息を漏らす。自らの下で、幼さの残る美少年が気持ちよさそうにしている。その事実に、サネルマは大いに興奮した。宿屋の主が言っていたことは案外正しかっただろう。今のサネルマはエルフではない。欲望のままに突き進む、淫猥なサキュバスそのものだ。本物との違いは、翼と尾と角がない。ただ、それだけである。


「ミズガルズ! もう、私は我慢できないっ!」


 少年の名を叫び、彼が身に着けていた上着を乱暴に剥ぎ取ったサネルマ。蛇の化身の胸板を、蛇のような舌が這い回る。湿った水音が静かに、部屋に響き始める。エルフの荒い息遣いが激しくなる中で、彼女の右手が少年の下の方へと、あからさまな場所へと伸びていく。エルフのしなやかな指が、そこに触れようとした、丁度その時だった。


「やあっと、見つけた……スース……」


 少年が起きていた。いささか寝ぼけているようだ。サネルマのことを、美味で名高い草食動物と間違えている。そんなことよりも、問題は少年の目が普通じゃないことだった。血のように赤い瞳は、完全に捕食者のそれ。縦に鋭くなった瞳孔はまさに毒蛇のものだった。


「待て! 待つのだ、ミズガルズ! お前の牙には猛毒が……」


 がぶっ。


「いったあああああああああああ!」


 待て、と言われて待つ奴などいない。普通に噛まれた。サネルマは激痛に跳びはね、ミズガルズを突き飛ばしベッドから転げ落ちた。左腕の傷口から凄まじい痛みが生まれる。久方ぶりにサネルマは涙を流した。噛まれた左腕はすぐに赤く腫れ始め、死ぬかと思うほどに痛い。いや、実際あと十数秒長く噛まれていたら、彼女はあの世に旅立っていたかもしれない。ミズガルズはサネルマのことを獲物のスースだと勘違いしていたわけで。生きた獲物を仕留めるために、彼は本気を出していたから。

 彼女は震える指で、急いで最大限の治癒魔術を自らにかけた。それでもまだ気だるさと痺れ、痛みが抜けず、エルフは二、三度吐血した。部屋の床に力無く倒れ伏すサネルマは息も絶え絶えに小さく呟いた。


「で、伝説の蛇神の毒をこの身に食らう日が来るなんて……。たまには、攻めるんじゃなくて、攻められるのも……」


 サネルマは想像する。毒を入れられて、全く動けない自分。身体の自由を奪った張本人である少年が意地悪く見下ろしてくる。冷たい笑みを浮かべた彼が手を伸ばし、身体のあちこちをまさぐって……。


 ぶしっ。


 サネルマが鼻血を噴き出した音だった。やはり、彼女にはエルフが持つはずの高潔さは備わっていないのかもしれない。


「い、良いかもしれない……」


 呟き終えると、彼女は意識を手放した。鼻血を垂れ流しながら。

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