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エルフと街を歩こう

 ザラフェとの国境地帯を根城にしていた巨人族の群れが、一人残らず壊滅してから一夜明けて。


 壊滅させた張本人であるミズガルズは、隠れ家亭のベッドの上で白い毛布に包まっていた。丁度、喉が渇いて目を覚ましてしまったところだ。今は何時だろうか。そう思って、部屋中を見回してみるが、そもそもこの世界での時間の数え方を知らない。窓からうっすらと差し込む明かりを見て、とにかく早朝だろうと投げやりに見当をつけ、ミズガルズはベッドから飛び降りる。

 ふと、隣のベッドに目を向ければ、同じく巨人族壊滅の原因であるイグニスが寝ていた。それ自体は別に問題ないのだが、彼と同じベッドになんとリューディアが眠っているのだ。薄いシーツを掴み、これでもかというくらい、イグニスに体を密着させていた。どちらも幸せそうな寝息を立てているところが、また何と言うか……。


「むかつくけど、羨ましい……」


 ミズガルズは密かに相棒に向けて、祝福と少しばかりのやっかみを込めた拍手をする。手を叩いても起きる様子はない。リューディアがピクッと震え、ギュッとイグニスに抱き着いた。ミズガルズの片眉が思わず上がった。


「馬鹿らしい、馬鹿らしいっ」


 寝間着から普段着に着替え、少年は姿見の前に立った。木製の櫛を手に取り、寝癖のついた長い銀髪を丁寧に梳いていく。そのままだとまとまりが無かったので、彼は黒い髪紐を指で広げ、長髪を頭の後ろで一本にまとめた。未だ跳ねがついていた前髪を手で直すとようや満足したのか、少年は姿見に背を向けた。


 イグニスとリューディアを起こさないように静かに部屋を出て、階段を降りる。受付のアンジェラとの挨拶は、最早当たり前になってしまった。茶色のツインテールを揺らす彼女は、早速ミズガルズをからかってきた。


「おはよう、リン君。その髪型も可愛らしいね」


「出来れば、かっこいいと……」


 アンジェラは笑ってごまかす。つまり、かっこいいとは言えないということか。少し落胆するミズガルズだった。


「そうそう、リン君。外に君のお客さんが待ってるよ」


 にこやかに手を振るアンジェラに手を振り返し、ミズガルズは宿の外に出た。朝日が眩しい。最高の気分に浸っていると、そこに知った声が響き渡った。


「待っていたぞ! ミズガル……やばっ、違う、違う! リン! さぁ、私の言うことを聞いてもらおう!」


 出た。爽やかな朝をぶち壊してくれる存在が。言わずと知れたサネルマである。朝からテンションが高いエルフだ。うっかり溜息を漏らしそうになったミズガルズは彼女の格好を見て、思わず硬直した。

 鮮やかなオレンジ色の髪は風に揺られ、唇にはうっすらと口紅が塗られていた。服に至っては腹とへそが丸見えだ。今までは気にもしていなかったが、サネルマの身体は出るべき場所はしっかり出ていて、引っ込むべき場所はきっちり引っ込んでいる。まるでモデルのようだと、驚嘆の思いに駆られるミズガルズは開いた口が塞がらなかった。上が際どければ、下も際どい。太ももがしっかり覗いている。シミひとつとして見当たらない。白磁器を彷彿とさせる美しい肌だった。ミズガルズはようやく今、サネルマの美貌に気付かされた。


「お前……なんて格好を……」


 唖然とするミズガルズだったが、サネルマに説明する気はないらしい。その場に固まる少年の腕をわしっと掴み、眩しい笑顔のまま言い放った。


「今日は一日中! ずっと! 私の隣に居てもらうぞ!」


 哀れな少年は、どうすることも出来ないまま、引きずられて行ってしまった。



◇◇◇◇◇



 サネルマは市場の真ん中をずんずん進んでいく。ミズガルズはその後を仕方なく付いて行くのだが、これがかなり恥ずかしかった。周りの買い物客や商人たちの視線がグサグサと刺さるのだ。原因はどう考えても、前を歩くサネルマのせいだ。腹丸出し、ヘソ丸出し、胸の谷間も丸出しなんだから、注目が集まるのも無理はない。むしろ当然だ。

 鼻の下を伸ばしている人々の間を抜け、二人は歩き続ける。しばらくしたところで、サネルマが足を止めた。どうやら最初の目的地に着いたらしい。飯屋のようだ。ミズガルズは店の名前を確認する暇もなく、サネルマによって店内に連れ込まれた。早朝にも関わらず、店内は人で埋まっていた。二人は二階の席に案内される。席に座るなり、サネルマは満面の笑みを浮かべて、ミズガルズに言った。


「この店は物凄い人気店なんだ。一度、入ってみたかったんだよ! 好きなものを頼むと良いぞ」


 何だか裏に何かあるんじゃないか……と勘繰ってしまうほど、上機嫌な様子のサネルマ。ミズガルズは戸惑いながらも、お品書きに目を通す。結構、良い値段のものばかりだ。サネルマの懐具合は大丈夫なのだろうかと少年は心配をしてしまった。王宮に勤めているだけあって、それなりに給料は良いのかもしれないが。


「じゃあ、俺はこれで」


「私も同じもので良いぞ」


 ミズガルズが頼んだものは、スースの香草焼きなるものだった。セルペンスの森でも食した草食動物スースの中でも一番脂が乗って、柔らかい部分を香草――つまり、ハーブと一緒に高温で焼き上げたものらしい。単純な料理だったが、スースの肉の味がなかなか忘れられないミズガルズはついつい頼んでしまったのだった。

 数分してからテーブルに運ばれてきたスースの肉は、調理したてであることを示すかのように湯気を立てていた。香草の優しくも香ばしい香りが、二人の食欲を掻き立てる。本来の姿であれば牙を突き立てるところを、代わりにフォークを刺し、ナイフで食べやすい大きさに切り分ける。口に運んだ肉は、まさに絶品。舌の上で溶けるような柔らかさだ。香草の何とも言えぬ風味が、また素晴らしかった。


「美味かった、凄く……」


「そ、そうか。それは良かったなぁ」


 支払いを済ませ、店を後にする二人。幸せそうに呟くミズガルズを見つめるサネルマの頬は、心なしかうっすらと赤い。もちろん、その理由をミズガルズは知らないが。彼はサネルマから熱い好意を持たれているとは、夢にも思っていない。


「なあ、次はどこに行くんだ?」


「えっ」


 ミズガルズが気軽に話しかけてきてくれた。しかも、笑顔で……。そう思うと、サネルマの胸が何だか熱くなった。この一週間に起きた出来事の中で、最も素晴らしいことだ。彼女は感激のあまり、言葉を紡げなくなる。そう言えば、この後の予定を考えていなかった。ここでうろたえたりしたら呆れられてしまう! サネルマは普段では考えられないほど、懸命に頭を回転させる。出した答えは……。


「よ、よし。買いたいものがある。付いて来てくれ」


 実際は買いたいものなど何も無かったのだが、ここでミズガルズとの楽しい時間を終わらせてしまうのは、あまりにも惜しい。何より、サネルマにとって一番の楽しみは最後に待っているのだ。そう、一日の最後に。だから、こんなところで終わらせてたまるか……。そうして、改めて強く決意した後、不道徳なエルフは歩みを再開させたのだった。



◇◇◇◇◇



 ティルサの西部地区には幾つもの市場が開かれている。大抵は食料品や日用品を太陽の下で売る、まっとうなものがほとんどだ。だが、白の反対に黒があるように、まっとうな市場が開かれている一方で極めて怪しげで危なげな市場も開かれていた。そういった場所では、非合法の薬草やら、危険すぎて誰も使用しない魔法薬や魔道具、金持ち向けに乱獲された希少生物……など、とにかく真っ黒な商品ばかりが売られる。しかし、そういった訳のあるものでも需要は常にあり、闇の市場は多くの客でごった返していた。


(どうして、こんな場所に連れてきてしまったのだね? 私という奴はぁあぁあ!)


 ミズガルズを連れ回すついでに、魔道具などを物色してみようか、などと考えていたサネルマ。商品に気を取られて奥へ奥へ進んでいくうち、いつの間にかこんな危険だらけの闇市場に入り込んでしまっていた。幸い、ミズガルズはここが非合法で犯罪にまみれた場所だということに、まだ気付いていないようだった。サネルマの頭は再びフルスピードで回転する。ミズガルズに幻滅される前に、ここを出なくては。

 サネルマはくるりと回れ右をして、闇市場の出口である大階段に向かおうとした。こういう闇の裏市場は大概、人目の届きにくい地下や建物の中、スラム街の近くで開かれるのだ。訝しげに辺りを見渡す銀髪の少年の手を取り、彼女は強行突破を試みたのだが……。やはり、そう上手くはいかない。


「およっ! リンじゃないのか? なんで、お前がこんな場所にいるんだぁ?」


 薄暗い地下空間の中で、野太い声が反響した。サネルマにとっても、ミズガルズにとっても聞き覚えのある声だった。声の主は階段近くで商人たちと談笑していたらしい。だが、二人を見つけると、真っ先に飛んできた。いつでも頭に巻いた赤いバンダナと、黒い身体をびっしりと覆う入れ墨が彼だと教えてくれる。そう、ケネスだ。

 知り合いがいることに、何故だか安心したミズガルズ。けれど、近くに寄って来たサネルマの方はちょっぴり複雑だった。せっかく好意を寄せている少年と二人きりになれたのに、思わぬ邪魔が入ったからだ。

 談笑を始めたミズガルズとケネスを見て、エルフは記憶を辿る。そしてこの黒い肌の大男が、以前イグニスが庭園の塔まで運んできた男だということを彼女は思い出した。目の前の少年の毒にやられていたが、サネルマは彼ら二人の間に何があったかは知らない。眼前の光景を見て彼女に分かることは、ミズガルズとケネスが親しい仲であるということぐらい。


(……いや、もう一つ知っていることがある)


 楽しそうに笑っているケネスを見つめるサネルマの目つきは自然に鋭くなった。イグニスが連れてきた時は焦る彼につられてサネルマも気付かなかったが、この男はケネス・キャロウで間違いない。バルタニアで最も名の知られた、影響力のある犯罪者。長年ティルサに根を張ってきたサネルマも街の噂で彼のことはよく聞いていた。表向きは飄々としているが、王都の裏社会の頂点に君臨し、バルタニアに存在する犯罪組織のほとんどを支配下に置く首領。それがケネス・キャロウ。闇市場の元締めだ。それどころか、オキディニス大陸から他大陸を結ぶ違法品の密輸経路は全てケネスが握っているなんて話もある。さすがにそれは誇張だろうが、とにかくケネスが清廉な人物ではないということは間違いなかった。


「――はぁ? それじゃここって、要するに違法な品物を取引してる場所だってこと?」


「おいおい、リン。知らなかったのか? ここは犯罪者と悪徳商人、それからクズみてぇな貴族どもの集まる場所だぜ? 奥には奴隷商人が競りをしてる所もあるぞ。ここはお前みたいなのは来ちゃいけねー場所だぞ」


 ケネスがぺらぺら喋るのを見て、サネルマは叫びそうになった。幻滅される。がくりと肩を落とすサネルマ。そんな彼女には気付くことなく、少年はもっともな疑問を口にした。


「でも。そしたら、なんでケネスはこんな所に?」


「そりゃあ、この地下市場は俺が管理しているからな。ここにいて当たり前さ」


 楽しそうに言うケネス。彼の周りにガラの悪い連中がやって来て、周囲から頭領を守るようにして立った。薄々、ケネスの本業がそういったものなのだろうと感じ取っていたミズガルズは、そこまで取り乱しはしなかった。ただ、本物の悪党を前にして、さすがに少しは緊張しているのだろう。少年の手は汗ばんで、心なしか表情は硬かった。


「まー、お前は俺の知り合いだからな。この街の地下市場は全部俺のモンだからよ、もし迷い込んで問題が起きたら、俺の名前を出せばいい。滅多なこと以外だったら、それで問題解決だ」


 ――エルフの姉さんを連れて、地上に戻りな――。ミズガルズの肩を叩いて、ケネスはそう促した。悪党とは思えないほどの、優しい態度である。

 そんなことがあり、二人は闇の市場に入ってしまったにも関わらず、怪我一つなく地上に帰ることが出来た。



◇◇◇◇◇



「……すまなかったな。あんな怖い場所に連れてってしまって」


 珍しく殊勝な態度で、サネルマは呟いた。手には複雑な装飾が施された杖を持っている。先程、ケネスから以前に救ってくれた時のお礼として、貰ったものだ。サネルマには分かる。それが相当高価で、尚且つ貴重な杖だということが。そこらのまっとうな市場や、武器屋ではまずお目にかかれない代物だろう。ただ、彼女は杖の持つ欠点もきちんと見抜いていた。恐らく、使用者から吸い取られる魔力の量がかなり大きい。よほど、魔力を多く持っていなければ、人間には扱うことは出来まい。その点を考えれば、エルフであるサネルマにぴったりの武器だ。


「謝らなくても良いよ、別に。おかげでケネスにも会えたし。……それより、次はどこへ?」


 自らの過失を責め立てない少年に、エルフは感動さえ抱いた。なんて優しいんだろう、この少年は!


「な、ならな、リン。酒を飲みたくはないか?」


「酒? いきなり、どうして」


 ここで言いくるめることが出来れば、私の勝ちだ……! 暴れる心臓を押さえつけながら、サネルマは理由を探す。


「ほ、ほら! リンが冒険者になったから、お祝いをしようじゃないか! それに巨人の討伐成功のねぎらいも兼ねて!」


 ミズガルズはしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げると「良いよ」と、確かにそう言った。サネルマは小躍りしたくなるぐらい、歓喜に浸った。恋は盲目、というのは案外本当かもしれない。

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