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裁きを下せ

 時は遡り、イグニスに置き去りにされたミズガルズは、どうにかしてサネルマに会わなくてはいけなかった。以前に素晴らしい魔法の腕前を披露してくれた彼女に賭けようとしたのだ。


(ぐっ、警備兵が……)


 正門からは入れない。当たり前のことだが、門番がいる。アロンソたちと同じ橙色の制服を着て、腰には剣を差し、槍を手にしていた。どうでもいいが、槍があるなら剣は要らないんじゃないだろうか。いや、やはり剣を差していないと、見た目が悪いか……。


(……そんなことはどうでもいいっての!)


 とにかく、門番がいるなら正面突破は当然無理。じゃあ、正式に許可を貰って王宮に入れてもらう? それも無理だろう。王族御用達の商人でも業者でもなければ、王宮に勤めている人間でもない。ミズガルズはただの一般人なのである。元は魔物じゃないかと言われるかもしれないが、このティルサの中ではその他大勢の人間と何ら変わり無い、一人の町民だ。ただの庶民がどうして王宮に入れようか、入れるはずがない。


「あそこしか、ないな。こうなったら」


 少年の頭に浮かんだ最終兵器。今こそ、活用すべきだ。あれを使えば王宮に潜り込める。そう考えた少年は、一気に目的地へ向かって走った。門番は丁度その時、大きなあくびをしていて、ミズガルズのことなど全く気にもしていなかった。





 ミズガルズがしばらく走り続けると、城壁の外に茂った木立が現れた。最終兵器……つまり、エルシリアが教えてくれた抜け道のことだ。王女が城への抜け道を簡単に教えてはいけないんじゃないか、と少年は思ったが、この際そんなことはどうでもいい些事だった。

 近くに誰もいないことを確認すると、ミズガルズは深い木立の中に飛び込んだ。中には井戸に見せかけた地下道の入り口がある。少年は躊躇せずに地下道へと降り立った。空気は冷え、足元の土は暗く、湿っている。


(サネルマは城のどこにいるんだろう)


 不安を覚えつつ進んでいくと、もう地下道の終わりに突き当たった。壁の外と内を結ぶ程度の長さだから、距離は大分短い。

 上から垂れ下がった縄梯子を掴み、登っていく。随分、古びているようだ。そろそろ交換なり何なりしなければ危ないだろう。


 ボロボロの縄梯子を登りきって、顔を出したミズガルズ。彼は息を飲むことになる。目の前にサネルマがいたのだ。藪の中にぽっかりと空いた空間で、芝生に寝転がり本を読んでいるではないか。


「ふーむ、エルシリア君もなかなか良い場所を知っている。ここはサボりたい時に打ってつけだな」


 ごろごろしていたサネルマが、井戸から顔を出しているミズガルズに気付いた。思わずビクッとなる蛇神の少年。きっと、防衛本能だろう。


「サ、サネルマ! 丁度良かった、頼みがあるんだけど……」


 ミズガルズが緊張気味に言えば、サネルマはニヤリと笑った。大方、水晶で分かっていたに違いない。ミズガルズが自分を頼りにやって来るということを。蛇神の背中に冷たいものが走る。やっぱし来なきゃ良かったかも……なんて。


「用件はもう分かっているよ。だから私の言うことを何でも良いから、一つだけ聞く。それでどうだろう?」


「は?」


 サネルマの要求に目を点にするミズガルズ。彼女の言うことを何でも聞くだと! それはヤバい、何を要求されるのか分かったもんじゃない。けれど、他に当てがないのも事実だった。ここはサネルマの言う通りにしておいた方が得策だろう。だから……。


「良い、よ……」


 蛇神はうつむきがちに言った。そうして、満開の笑顔を咲かせたエルフは声高らかに叫ぶのだった。


「よしっ! では改めて頼みを言ってくれ! 私に出来ないことはない!!」



◇◇◇◇◇



『…………というわけで、今に至る』


『悪かった。置いて行って、本当に悪かったよ、ミズガルズ』


 イグニスは沈んだ雰囲気の相棒を必死に宥めた。まさか、自分のせいでサネルマに借りを作らせてしまうとは。ミズガルズが沈むのも無理はない。サネルマの酷く破天荒な性格はイグニスもよく知っているから。


「諸君! 何故かは知らんが、落ち込んでる場合じゃない! 敵が来たぞ!」


 落ち込んだ原因はオマエ……という突っ込みはさておき、イグニスは巨人たちに向き直った。隣のミズガルズも既に臨戦態勢に入っている。今こそ、身の程知らずを断罪する時だ。


『イグニス。こいつらの頭はお前が殺れよ?』


『もちろん。わかっ……』


 そこで初めて気付く。迫り来る蛮族どもの中に、ヤツがいない。そう、図々しくも水竜の防具を身に付けたアラガンスがいないことに。

 逃げられた。そのことを理解すると同時に、ふつふつと怒りが湧いてくる。たかが巨人が竜を殺し、解体し、汚い身体に身に付けた上、同族すらも見殺しにして、一人だけ逃げるだと?


『頭に逃げられた! ここはオマエに任せた!』


 告げるやいなや、炎竜は翼をはためかせて飛び立った。残されたのはミズガルズとサネルマ、そして相対する巨人たちだけ。けれど、心配することは無いだろう。伝説の蛇神と巨人とでは魔物としての格が違いすぎる。


「ミズガルズ! 来てるぞ!」


『分かってる!』


 巨人が斧を振り下ろす。あれにやられたら、さすがに痛そうだ。蛇神は身体をくねらせて避ける。銀色の巨体が動く度に森の樹々が音を立てて折れていった。

 山には悪いが、このまま本気を出さなければ数に圧されてしまうだろう。蛇神の赤い瞳に決意が宿る。要は想像だ。火を噴いた時と同じようにすれば良いのだ。……そうすれば、後はこの身体に刻まれた経験が教えてくれる。


 冷気が周囲に漂う。木の葉の表面に霜が付き始めるが、巨人たちがそれに気付くことはない。サネルマは急いで、自身に体温を高める魔術をかけた。


『この世界に、魔物として生まれ落ちた以上……』


 ……綺麗なままではいられないのだ。続けるべき言葉を続けず、代わりに放たれたのは全てを氷像に変える絶対零度の波動だった。山に息づく樹々の間を、巨人たちもろとも駆け抜けていく。激しすぎる冷気に晒された樹木は、根本から若葉の先端までもが凍り付いていた。

 巨人たちも同じだ。足の指先から頭の先まで全てが氷に覆われてしまっている。永遠に溶けることのない氷の彫像の群れが完成した。


「まだだ! ミズガルズ! 右だ!」


 初の大技にいささか感激していた蛇神だったが、首の後ろに乗っかっていたエルフの金切り声で我に返った。なるほど、視界の端に一人の巨人が見える。どうやら、生き残りのようだった。馬鹿でかい槍を真っ直ぐに構え、雄叫びをあげながら突っ込んで来るではないか。実に勇敢な巨人だが、この時ばかりは彼の選択は間違っていただろう。自らの十倍以上もの大きさを誇る毒蛇に、槍一本で立ち向かうのだから。結果など、目に見えている。


 突き出された槍をいとも簡単にかわし、丸太を連想させるほど太い蛇の胴体が巨人に巻き付いた。長くしなやかな身体は無尽蔵の力を生み出す。巨人は巻き付かれたまま、空中に持ち上げられた。


『お、思い出した、ぞ。キサ、マが伝説の蛇神……ミズガルズ、か……』


 万力のようにギリギリと締め上げる蛇神を睨み付け、巨人は言った。既に槍は巨人の手から離れ、山の地面に転がり落ちている。


『俺を知っているのか』


『はっ……知らねぇ、ヤツがいる方が、おかしいと……思う、がねっ』


 蛇神の締め付ける力が強くなる。そうすると、骨が砕け折れる音が響き、巨人の口から流れる血の量も多くなった。よく見れば、この巨人は老齢のようであった。顔にはシワが見受けられるし、頭髪も少ない。蛇神の心に、わずかだが迷いが生じた。こんな老人を殺して良いのか……?


『……迷う、な。殺せ』


 蛇神の葛藤を見透かしたように、老齢の巨人が言う。激昂するのでもなく、懇願するのでもなく、ただ諭すように。まるで、年上の者が若者に何かを教えるように。この老齢の巨人は感じ取っていたのかもしれない。自らの行いを迷う蛇神が、本当は見た目よりもずっとずっと若く、そして幼いことに。


『どのみち、ワシ、らは、竜の怒りを……買った。それに、ワシは寿命も、近い。最後に、伝説の魔物と、戦って……潔く敗死したという、のも、悪くない』


 途切れ途切れに言葉を紡ぐ、年老いた巨人。彼は他の若い巨人たちとは違う、曇りのない澄んだ瞳をしていた。複雑でやりきれない感情が蛇神の身体中を渦巻く。どうすることも出来ない自分に、蛇神はもどかしさでいっぱいだった。


「ミズガルズ。……最後の頼みを聞いてやったらどうだ?」


 遠慮がちなサネルマの一言で、蛇神の心は決まった。もう迷いはなかった。


『……心配するな、爺さん。一発で全て終わりにしてやる。きっと、痛みも何も感じない内に、死ねるだろうよ』


 老いた巨人はかすかに頷いた。それが合図だ。白銀の蛇神は巨人の首筋に牙を近付ける。蛇神は目を閉じ、激しく脈動を繰り返す心臓の音を感じながら……一気に毒牙を突き刺した。一瞬、巨人から苦悶の声があがる。だけれども、それきりだった。静寂が氷の森を支配しても、蛇神は毒牙を突き立て続けた。死の猛毒を注ぎ込み続けた。今までで、一番長く、一番強い毒を使ったのではないかと思えるほどに。

 毒牙を抜いた頃には、もう巨人は息を引き取っていた。全てを毒に侵され、静かに世界から去って行ったようだった。これは正しい選択だったのだろうか。蛇神の心に小さなしこりが残ったのは確かだった。


『……気分が悪い……』


 さすがのサネルマも何一つ茶化さず、また何一つ口にしなかった。



◇◇◇◇◇



 背の高い樹々の中を、アラガンスは走り逃げていた。一刻も早く、どこかに隠れなくてはいけない。竜なんかに殺されてたまるか……そう強く改めて思った瞬間だった。前方にあった森の大木たちが燃え上がった。凄まじい熱が行く手を阻み、アラガンスは思わず足を止める。

 立ち止まったアラガンスに追い討ちをかけるかのように、背後に炎竜が降り立った。真紅の身体に、同じ色の炎を纏わせるその姿は、まさに炎の竜。そこにいるだけで、周囲の草木は火に巻かれ、炭となっていく。バチバチと絶えず火の粉が空気中を舞っていた。

 周囲全てを炎に囲まれた形のアラガンス。頬をひきつらせながらも、最後の時までやかましく喚き散らす。


『い、良いのかァ!? この水竜の鱗が欲しいんじゃねぇのか?! 俺様ごと燃やしちまって良いのか! あぁ!?』


『……黙れ! 屑めがっ!!』


 最早、許してやる気など無い。明確な殺意と怒りの感情を乗せて、炎竜は咆哮を放った。大地を、空気を震わせる叫びは、愚かな巨人の一切の動きを止めた。例えるならば、金縛りの如く。


(何だ、何だ、何だ、何だ!? 全然、動か…………!)


 恐怖に目を剥くアラガンスの上半身を、暴れ狂う火炎が飲み込んだ。金縛りにあったかのように微動だに出来ない巨人を、怒りの炎が好き勝手に蹂躙する。アラガンスは断末魔の叫びをあげ、下半身を残して、生きながら焼き尽くされていった。後には黒く炭化し、上半分が原形を留めていない愚かな巨人の成れの果てのみが残された。


『……リューディア。君の恨みは晴らした』


 悲しみの記憶までは消せないけれど。その言葉は胸の内に仕舞い込み、決して口に出さなかった。言ってはいけないと思ったから。

 全く焦げのついていない竜鱗を一枚だけ丁寧に剥ぎ取る。頭上に広がる青空をそのまま写し取ったかのようだ。物言わぬ水竜の遺骸を、炎竜は無言で見つめる。辺りには炎が山を焼く音だけが響いていた。


◇◇◇◇◇



 魔物たちの争いで傷付いた山肌に、だんだんと夕日が照らされる。昼間の明るい青でもない、夜闇の漆黒でもない、不思議な橙色が世界を覆う。

 斜面に二頭の魔物がうずくまっていた。竜と大蛇の鱗に、沈みかけている太陽の光がきらきらと反射する。


『……元気がないじゃないか、ミズガルズ』


『そっちこそ……沈んでるよ』


 お互いに気分が沈んでしまったわけは話したが、話したところでどうなるものでもない。憂鬱な気持ちに拍車を掛けるだけである。

 そうした中、唐突にサネルマが話を始める。落ち込んだ魔物たちを元気づけようという魂胆らしい。その前に下りてくれよと、乗られているミズガルズは思ったりするのだが、結局は黙っていた。


「イグニスがこうして落ち込んでるのを見るのは、二回目だな。確か、あの時は追いかけ回していた竜の娘に思い切りフラれたんだったな~」


『おい! サネルマ! それ以上言ったら、頭から喰うぞ!』


「ははは。ならば、胃袋の中で自爆してやるだけだ~」


 お前はテロリストかよ。心の中で突っ込みを入れてから、ミズガルズは大きくあくびをして、目蓋を閉じようとした。だが、眠りに入ろうとした直前、サネルマからこっそり声をかけられる。


「約束、忘れるなよ?」


『……分かってる』


 何にせよ、一件落着だ。……多分。

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