表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/109

巨人の山

 アホ貴族アレハンドロと別れ、ミズガルズが隠れ家亭に戻ると、何かがおかしかった。いるはずの人物が部屋にいなかったのだ。宿泊しているのは三人のはずだ。だが、扉を開けてみればリューディアしかいない。ミズガルズの背をおぞましい虫が這いずり回るように、嫌な予感がざあっと走った。


「リューディア。……イグニスはどこに行ったか、分かる?」


 リューディアは力無く首を横に振った。その表情がやけに気になって仕方ないミズガルズ。何があったかは分からないが、何か良くないことが起こったことは分かる。

 今まで黙っていたリューディアが不意に口を開いた。出会ったばかりの時は全く考えられなかった、とても小さい声で。


「……もしかしたら、山の巨人の所に行っちゃったのかも、しれない」


 それを聞いたミズガルズは唇を噛んだ。やはり……という気持ちが強かった。リューディアから親のことを聞かされた時、あの時から既に考えていたに違いない。同じ竜として許せなかったのだろう。ミズガルズは竜ではないが、その気持ちは分かる。分かるけれど。


(一人で突っ走んなよ! あいつは……!)


 悩むのは後だ。とにかく何か行動を起こさなければ始まらない。回れ右をして、部屋を後にしようとした時だ。ミズガルズの背中に、水竜のか細い声がかけられる。一人にしないで、と。水竜はそう言った。ミズガルズは一瞬、迷いを見せる。


「……リューディア。すぐに戻る。何も心配するな」



◇◇◇◇◇



 宿を出たミズガルズだったが、当てがない。彼は竜ではない、蛇だ。泣こうが、笑おうが、その事実は変わらない。蛇がどうやって国境の山まで行くのだ? まさか、飛ぶなんて選択肢はない。当たり前だ。蛇が翼を持っているわけがないのだから。

 この世界に飛行機なんてものは無いだろう。探せば機能的に近い代物は見つかるかもしれないが、少なくともこのバルタニア王国には存在しないことは明白。そんな便利なものがあったなら、とっくのとうに使っているはずだから。残念なことに、大空には飛行船の“ひ”の字も浮いていない。可能性はほぼゼロである。


 そこで、ミズガルズは他の誰かの協力を仰ぐ必要があるわけだが、誰に頼れば良いのだろう。アレハンドロは……駄目だろう。彼にどうにか出来るとは思えない。次にダミアン。いくら魔法が使えようが、さすがに空は飛べまい。アロンソ・フォンス・イニゴの三人は論外だ。カルロスもただの冒険者であって、協力を頼んでも、無茶を押し付けるのと一緒だろう。その点については、ケネスにも同じことが言える。


「困った……! どうしよう……」


 誰にお願いしても、状況が打開出来ない。仮に押し掛けたところで、悩める者が一人、また一人と増えていくだけだ。

 イグニスがたかが巨人なんかに殺られるとは思わない。あれほどの竜がそうやすやすと討ち取られる様子は、あまり想像出来なかった。だが、その一方で嫌な予感もミズガルズは感じ取っていた。もし、相手の巨人族が複数だったら? 誰も巨人は一人だけとは言っていないのだ。複数の巨人に襲われてしまったら? その時、イグニスは無傷で帰って来ることが出来るだろうか。


「誰に頼れば…………」


 顔を上げたミズガルズの視界にチラリと映ったもの、それは王家の威厳を示すかのように建つ王宮。ミズガルズは、そこに解決策を見出だした。

 王宮には、あの女がいたはずだ。蛇神の猛毒に侵されたケネスを死の淵から救い出した、エルフの女が。彼女ならば、今回の事態もどうにかしてくれるかもしれない。


「サネルマに……会わなくちゃ!」


 長い銀髪を風になびかせ、蛇神は王宮に向かって猛然と駆け出した。



◇◇◇◇◇



 真っ白い雲を蹴散らすように、青い空を切り裂くように、炎の色を纏った竜が大空を駆ける。その姿を肉眼ではっきりと捉えることは難しい。竜が本気で飛ぶ時、その速度は他の生物とは比べ物にならない。比較すること自体が、まったくの無駄だ。

 もちろん、その場合は背中に誰かを乗せることなど出来ない。ミズガルズのような高位の魔物はともかく、人間など論外だ。まず、飛び立ってから数十秒で吹き飛ばされるだろう。

 イグニスはそのミズガルズさえ置いてきて、このほど飛び立った。竜は総じて、プライドが高い。イグニスは変わり者だが、プライドが高い点では他の竜と同じだ。侮辱や攻撃を受ければ、相応の報復は行うし、同族が害されたら、しっかり反撃だってする。

 彼としてはミズガルズの力を借りたくなかったのだ、特に今回は。これは竜の問題なのだ。殺られたのは竜。ならば、殺り返すのも同じ竜であるべき。それが彼なりのプライドなのだ。


(……巨人め。蛮族どもがオレを怒らせたな)


 ミズガルズには悪いと思っている。勝手に置いてきたから、今頃は困っているだろう。だが、イグニスはどうしても一人で始末したかったのだ。頭の悪い巨人どもに思い知らせてやらなければいけない。竜を敵に回すとどうなるか、ということを。


 視界に険しい山々が見えた。バルタニアとザラフェの国境地帯で間違いない。何故なら、樹木を薙ぎ倒しながら山の合間を蠢く巨体が複数体、確認出来たからだ。奴らが制裁を食らわせてやるべき巨人どもだろう。


『いたな……』


 イグニスは垂直に降下していった。地面には下りず、そこから十数メートル上辺りの空中に留まる。彼の目の前には、驚きに思わず息を飲む巨人たち。全部で五人もいて、各々が武骨な武器を手にしていた。

 先頭にいた巨人がイグニスを鋭く睨み付ける。対するイグニスはコイツがまとめ役か、と悟った。明らかに後方の四人よりも持っている武器や、身に付けた防具の質が良い。後方の四人の得物は棍棒や斧、または槍だが、先頭の巨人だけは幅の広い剣だった。

 何よりも……そいつは水色の竜鱗を使用した防具を着用していたのだ。巨人の不潔な股間を覆い隠すために使われた同族の亡骸を目にして、炎竜の怒りの炎はますます激しく燃え上がる。

 この場で一思いに焼き尽くしてやってもよかったが、ここで一応話し合いを試みるところが彼らしかった。


『先頭の貴様。名前は何と言う?』


『俺様か? アラガンスだ。だが、それが何だってんだ? 竜がこの俺様に何の用だ? わざわざ首を狩られに来たのか? テメーの鱗は防具の材料にぴったりだなぁ』


 巨人たちが下品な笑い声をあげる。イグニスは話し合いなど無駄だと分かっていた。それでも、我慢強く話を進める。


『貴様ら、五十年ほど前に夫婦の水竜を殺したろう?』


 アラガンスが一瞬昔のことを思い出すかのように眉をしかめた後、ああという風に頷いた。その姿は得意気にさえ見えた。


『オレは今、その夫婦の一人娘を養おうとしているところだ。彼女はずっと泣いている。……オマエたちから、その子への謝罪の言葉をもらいたい』


 謝罪してくれ、と。再度そう言ったイグニス。そんな竜の姿を見た巨人たちは互いに顔を見合わせ、目を見開き、腹に手を当てて。


『…………ぎゃはははははははははははははははははは! こんな馬鹿な竜は初めて見たぜぇ!』


 押し黙るイグニスに向けて、罵声と嘲笑を浴びせ続けた。汚ならしい言葉が飛び交う中、炎竜は静かに呟いた。まるで、感情が全て抜け落ちたかのような調子で。


『竜が……頭を下げてるんだぞ。それでも謝罪をする気は無いのか……?』


 最後の最後まで耐えるイグニスだったが、その努力と忍耐が報われることはなかった。


『あるわけねぇだろ! どこの竜だか知らねえが、お高くとまってんじゃねぇぞ! カス野郎が!』


『……救えない屑どもが!』


 アラガンスの合図とともに、巨人たちが襲い掛かった。それぞれの得物を振り回して、イグニスを仕留めんとする。だが、討たれる気など無い炎竜は空に退避した。


『竜を殺せ!』


 勢いづく巨人に向かい、炎竜が灼熱の吐息を浴びせた。うねる火炎は巨人にまとわりつき、肌を容赦無く焼く。怒る炎竜の火炎が辺り一帯を蹂躙し始めた。火は山の樹々に燃え移り、大規模な山火事が始まる。


(ちっ、この竜、わりと強いな……! 勿体ねえが、やめとくか?)


 悔しさを感じながらも、致し方無く敗走しようとしていたアラガンスだったが、彼はまだ自らの運が尽きていないことを知る。

 向こうの方から、応援が来たのだ。土埃を立て、やかましい足音を鳴らし、樹木を折り倒しながらやって来るのは、同族の巨人たち。騒ぎを聞き付けて来たのだろう。集団を率いる巨人がアラガンスに向けて叫んだ。


『おい、アラガンス! 手伝ってやるからそいつの鱗とか、後で寄越せよ!』


 そう叫ぶのは、ドロサスという名の巨人だ。そのドロサスの提案をアラガンスは一瞬、渋った。ドロサスはあまり信用出来るヤツではない。出来れば組みたくないが……今は仕方がない。


『分かった! 早く手伝え!』


 アラガンスから了承の返事を受け取るやいなや、ドロサスは戦闘に参加する。これで巨人たちは全員合わせて、十五人ほどもいる。既に戦闘不能にした者も数人いたが、それでも数が多い。イグニスは舌打ちしたくなる思いだ。


『ゴミが! 調子に乗るな!』


 今まで以上に高温の火炎を吐き出したイグニス。真紅の炎竜から放たれたその火炎は真っ白に輝いていた。例えるならば、相棒の蛇神の鱗のように。

 白く輝く炎が、巨人たちを包み込む。断末魔の叫びをあげた彼らの姿が明らかになる。凄まじい火傷のせいで、顔が判別出来ない。一言も発することなく、巨人たちは地に倒れ伏した。彼らが起き上がることはもう無い。

 アラガンスの横で槍を握っていた巨人が怖じ気づき始める。じりじりと下がりながら、未だに諦めないリーダーに再三呼び掛ける。


『アラガンス! もう無理だよ! 勝てねぇよ! 撤退しよう!』


『うるせぇんだよ、ボケ! 勝てねぇと思ってっから、勝てねぇんだよ!』


『でもよ! こんな……あぎゃあああああああああああああああああ!』


 突如、悲鳴をあげた仲間に驚くアラガンス。彼は見た、身体の内から発火する同族の姿を。身体は赤く光り、開ききった口からは黒煙と真っ赤な火炎が吹き出ていた。まさに地獄の光景。さすがのアラガンスも身を震わせる。身体の中から焼かれたら、助かる術など何も無い。


(何だよ、この竜……! 普通じゃねぇ、有り得ねぇ!)


 恐怖に駆られるアラガンスの視界に、ドロサスの姿が見えた。後ろから炎竜に迫っているらしい。不意打ちで殺すつもりだ。まだ、炎竜は気付いていない。

 アラガンスが勝利を確信した刹那、天空に巨大な魔方陣が現れ、一帯が目も眩む光に飲み込まれた。誰もが動きを止める。光が収まり、アラガンスが目を開けるとそこには。


『ド、ドロサス!?』


 同胞の胸を剣が貫いている。いや、剣のような何者かの尾だ。鮮血が噴き出した。ドロサスが膝から崩れ落ちる。アラガンスは見ていることしか出来なかった。薄れ行く魔方陣を背景にして、白銀の蛇神がいた。血のように赤い瞳が余裕たっぷりに巨人たちを射抜いている。


『イグニス! 置いて行くんじゃねぇよ!』


「おぉ~! イグニース! 久し振り~!」


 相棒の蛇神と、その上に乗る変わり者のエルフを見て。炎竜は少しばかり残念そうに、けれどもどこか嬉しそうに呟いた。


『はぁ……。また、助けられちゃったなぁ……』


 最早、巨人たちの敗北は確定的だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ