水竜リューディア
険しい山々に囲まれた、ラジナス湖。生態系は豊か、周りの景色は風光明媚、一応近くに人も住んでいる。上手くやれば、観光名所にでもなることが出来そうだが、この湖がそうなる様子はない。いつになっても、いつまでたってもない。
何故なのか? そんなことは簡単に説明出来る。しかも一言で。……そう、あまりにも行きづらいのだ。地理的に見て。
まず、最寄りのラジル村まで行くこと自体がキツい。いくつもの山を越えなくてはいけない。ご丁寧にその道中には売店も宿屋も、極めつけには無人の休憩所すらない。どうしても村まで行きたい旅人は、野宿を強いられることになるのだ。
旅人を阻むのは道中の不便さだけではない。魔物が出るのだ、割と頻繁に。しかも、全てが雑魚というわけではない。戦いの訓練を積んでいない人間が遭遇したならば、命に関わるような魔物も出る。
そしてラジル村の発展を妨げる要因は他にもある。魔物だけでは生ぬるいとばかりに、盗賊の連中がせっせと仕事をしているのだ。旅人が男であれば、身ぐるみを全て剥がされ、後は殺される。女の場合はもっと酷い。暴行を受け、最後に娼館経営者に売り飛ばされる。そうなりたくなかったら、基本的に一人旅はやめるべきなのだ。ミズガルズたちはほとんど空路だから、危険はなかったが。
そんな危険極まりない山道をひたすら進んだ先に、ラジナス湖は突如として姿を現す。空を映したかのような、青色の湖面が美しい。山肌を撫でて下りてきた風が時折湖面を波立てるが、それを除けばとても静謐な大湖だった。
「いかにも……出そうだな」
セルジャンとエムレの案内により、ミズガルズたちは無事に湖へ辿り着いた。目を細めて呟くイグニスの横で、ミズガルズは雄大な景色にただただ目を奪われていた。
しかし、絵のような美しい風景は一点の歪みと共に崩れ出す。突然、湖面が大きく揺らめき、巨大な水竜が姿を見せたのだ。
鱗は湖の青よりも明るい水色。鮮やかな黄緑のタテガミを水滴に濡らしている。胴は細長く、ドラゴンというよりは蛇に近い。翼は見当たらず、両腕を始め、体のあちこちにヒレが見受けられた。その姿はまさに水を司る竜そのものだった。
「わわわわ! す、水竜! 喰われるっ!」
「あ、後は、冒険者の皆様に任せます! 私どもは先に村に帰ってますんで!」
金切り声を上げ、セルジャンとエムレは思い切り逃走する。その思い切りの良さは清々しいくらいだ。たちまち、彼らの後ろ姿は遠くに消えてしまった。とは言え、二人の反応は致し方無いだろう。竜を前にして、平静を保っていられる人間は少ない。
『貴様ら、冒険者か……。人間の分際で我を討伐とは、笑わせてくれるわっ!』
イグニスを除いた一同は唖然とする。湖の水がそれこそ竜のように天へと向かって伸び、大波となって一同に襲い掛かった。水の壁が一気に形成され、全てを飲み込まんとした。
「……まだまだ、だな」
しかし、炎竜の呟きとほぼ同時、赤い閃光が宙を走り、水の壁が消え去った。後には白い水蒸気が空気中を漂うばかりである。
水竜を含めた誰しもが言葉を失う中、赤毛の青年だけが不敵に笑いながら佇んでいる。彼の右腕は激しく揺らめく炎を纏い、まさに真紅に輝いていた。その姿はまさに炎竜の名に恥じない姿だった。
『ば、馬鹿な。貴様、人間だよな……?』
激しい動揺を露にする水竜。イグニスは悪戯っぽく笑うと、たちまちその本性をさらけ出した。
力強い二枚の翼、燃え盛る炎の色を写し取った鱗、立ち塞がる者を切り裂く爪。驚愕で声も出せない水竜の目の前に、真紅の炎竜が現れた。
『その姿、炎竜……イグニス……!』
ようやく言葉を発したかと思えば、水竜の影が急速に小さくなっていく。後に現れた者を見て、思わずミズガルズは自分の目を疑ってしまった。
「申し訳ありませんっ! まさか、高名な炎竜様だとは、我は知らなかったもので……!」
湖岸に両手と片膝をつき、イグニスにひざまずく者。恐らくと言うか間違いなく、先程までそこにいた水竜が人化した姿であろう。問題は…………。
…………女、なのだ。それも飛び切り小さい女。例えるならば、小学五年生くらい。どう見積もったところで、小学六年生。中学生の域にはギリギリ達していないだろう、多分。
そう、いわゆるロリータだった。尊大で、生意気なしゃべり方なんかしているが、水竜はれっきとしたロリッ子であった。
(女、女、女の裸が……!)
いくら子供の体型とは言っても、女体は女体。ついつい水竜の方へと目が行ってしまうミズガルズ。よく見れば、水色のロングヘアーも、藍色の瞳も綺麗だった。こんなところ、エルシリアには決して見てもらいたくないものだと、ミズガルズは自分自身に嫌悪を抱いた。
「……君、名前は?」
「はい、炎竜様! 我はリューディアと申します。まだまだ、若輩者で。生まれてから、四百年ほどです」
「ああ、それは若いねぇ。オレも君くらいの年の頃には……」
何やら、竜同士で世間話が始まっている。一見捕食シーンの横で、絶賛放置中の三人はひそひそと話し合う。彼らは三人揃って、思い切り困惑していた。
「カルロス、あれが水竜か? 遥々お前らにくっついて見に来た結果が、あのガキンチョなのか?」
「勝手にくっついて来たのはお前の責任だろ、ケネス。俺だって、困ってるよ」
「で、二人とも。結局、どうすんの?」
いくら考えたところで、行き着く答えは「分からない」だ。彼ら三人は少女の首を狩れるほど、冷徹ではなかった。冷徹だったなら、とっくのとうに水竜を斬り殺している。
コソコソと肩を寄せ合っていた彼らのもとに、水竜の少女が近寄ってくる。もちろん、何も身につけないで。つまり、裸のままで。彼女には特に恥じらいも無いようだった。
「で、貴様らは何だ? 炎竜様の奴隷か? それとも、ただの食料か?」
竜らしく高圧的な物言いである。早速、ケネスが機嫌を損ねた。いや、機嫌を損ねたのではなく、普通にキレた。隠し持っていたのか、懐からよく切れそうな短剣を既に取り出していた。
「おうおうおうおう! 食料たぁ、言ってくれんじゃねーか? その生意気な口の聞き方は直さないとな! えぇ? この、ツルペタチビ!」
今にも短剣を振り回しそうだった為、カルロスが旧友を押さえ込む。ケネスの方が体格が良いので、カルロスは少し不利だ。
押したり、押し返したりを繰り返すケネスとカルロスを尻目に、全裸のロリ少女はミズガルズを強く睨み付けた。裸の女を相手になんかしているものだから、ミズガルズの頬は分かりやすいほどに赤くなった。だが、そんな少年に似つかわしくない様子も、水竜から放たれた暴言によって崩壊する。
「おい! 何を顔を背けているっ! 我が恐ろしいのか? 腰抜けの人間のチビ女が!」
その瞬間、ミズガルズの動きが止まる。電池の切れた機械のように、ピタリと。今更、性別を間違えられたって、ミズガルズはもう気にしなかった。はっきり言うと、もう諦めた。女顔であることは不変の事実なのだから。
でも、チビはないだろう。チビは。だいたい、ミズガルズよりも少女の方が背が低いではないか。自分より背の高い相手をチビ扱いとは。いったい、どういう神経をしているのだろうと、少年の怒りは沸々と湧き立った。
「だいたい、どうして貧相な人間の小娘などが炎竜様と……………………」
リューディアの毒舌はそこで途切れた。ぎこちなく首を動かす彼女の頭上、そこには目を疑いたくなる大きさの白蛇がいた。血色の瞳がリューディアを射抜く。思わず尻餅をついた彼女は逃げることすら叶わず、ただただ伝説の蛇神を見上げていた。
『貧相で悪かったな、貧相で』
「ほ、本当に申し訳なかったっ」
やけに大人びているくせに、謝罪するのもやけに早い水竜である。
◇◇◇◇◇
湖を出て行く。イグニスから事情を知らされたリューディアは、そう約束した。それを聞いたカルロスとケネスは先にラジル村へと戻った。デミレル村長に報告しなくてはいけないからだ。
だから、今ラジナス湖にいるのは三頭の魔物だけだ。竜体に戻った青い水竜と、真紅の炎竜は湖岸に佇む。相棒である白銀の蛇神は湖の中程で好きに泳いでいる。まだ、竜同士の話は続いているようだった。
『オレが言うのもおかしいけど、リューディアはこれからどうする?』
『我……いや、私はまた新しい住み処を探しに行くことになるかと』
当然のように言ったリューディアに、イグニスが一つの提案をした。
『なら、オレたちと来ればいい。同じ竜同士、助け合えるだろう。あそこで泳いでるオレの友人も、根は優しいし』
『良いのですか……?』
イグニスが言ったことをリューディアはなかなか信じられなかった。だが、同時に感激もしていた。あの炎竜イグニスと行動を共に出来ると言うのだ。
リューディアは今はもうこの世にいない父母が話してくれた物語を思い出した。まだ彼女の両親が若かった頃、魔界中を震撼させた魔物がいたと言う。名だたる強者たちを引き裂き、暗黒大陸に轟いたその者の名は……。
(炎を纏いし神竜、イグニス)
リューディアが幼かった時分、イグニスは彼女の憧れだった。水竜である彼女の両親は、強大な炎竜を脅威、または恐怖の対象として見ていたが、彼女は違った。いわば、イグニスはリューディアにとってアイドルだったのだ。
だから、いつかは一緒に肩を並べて戦いたい、色々と話してみたい……とは思っていたのだが。まさか、それが本当に叶ってしまうなんて。リューディアは夢を見ているような気分に浸っていた。
『是非とも、ご一緒させてくださいっ! イグニス様!』
イグニスが快諾すると、彼らの方に大きな波が近寄って来た。ミズガルズである。
『おーい、イグニス。話は決まったのか?』
相棒にイグニスは大まかな説明をする。それを聞いたミズガルズは、特に反対することもなく了承した。彼としても、同じ魔物の仲間が増えるのは良いことだと思っていたからだ。反対する理由はどこにも無かった。
(そうか、この方もいるのか……)
対するリューディアの方は少し複雑な気分を抱いていた。もちろん、彼女はミズガルズのこともよく知っていた。長年、炎竜と手を組んで魔界に名を轟かせ、時の魔王にも刃向かった魔物だ。竜種の中でミズガルズの名を知らぬ者はいない。
それでも、リューディアは自分がなりたいと思っているイグニスの相棒を担うミズガルズに対して、何となく素直な気持ちを抱かなかった。もちろんそれを態度に出すことは無かったが。
『リューディアだっけ? よろしくな』
『……いえ。こちらこそ、よろしくお願いします、ミズガルズ様』
リューディアは胸の内で、ひっそりと溜め息をついた。
(……我が炎竜様の相棒だったら良かったのにな)




