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皆の気遣い

 ダミアンはこれでもなかなか頭が回るらしく、すぐにミズガルズの話を理解した。蛇神は安心のあまり、ほっと息をついた。ただし、最後の最後に言われた、「姫様は渡さないけどな」という言葉の意味は、いまいち分からなかったが。全体的に見れば、ミズガルズにとってダミアンはアレハンドロなんかよりはずっと好印象だった。

 話が終わるとダミアンはエルシリアを連れて、城に帰ることになった。夕暮れを通り越して、もう既に空は暗かった。早く帰りたいのも当然だろう。ミズガルズは名残惜しかったが、王女に別れを告げたのだった。


「……うーん、参ったな」


 そして、今に至る。正確な時刻は分からないが、完全に陽は沈んでいる。辺りは薄暗い。人々の喧騒はまだまだ街から消えることはないけれど、それでも今が夜であることは間違いなかった。そろそろ、蛇神の腹の虫も自己主張を始めようとしている。彼とて急いで帰って、飯を口にしたかったが……。

 困ったことにどうにも帰り道が分からない。というより、今自分が街のどのあたりにいるかミズガルズは分からなかった。彼は今まさに迷子になっていた。仮にも、十六の男が街の中で迷子……最悪である。こんな無様なことがイグニスにバレれば、きっとあの赤髪の相棒は笑うだろうとミズガルズは思った。だいたい、この事態が起きた原因はイグニスのせいではないだろうかと少年の心はざわつき始めた。彼とて大切な連れのことを悪く言いたくないが、十中八九イグニスが原因だろう。ミズガルズを置いて飛び去って行ってしまったのだから。


「置いて行くにしても行き先ぐらい教えてくれよ……」


 少年がぼやいても、相棒は飛んでこない。仕方なく彼は歩き始める。ミズガルズの向かう先は、とりあえず繁華街だった。人が多くいる場所ならば、誰かに道を聞くことだって出来るだろうし、もしかしたら交番のような場所も見つけられるかもしれない。何より、彼は腹を空かしていた。何か小腹を満たしてくれるものが欲しくて仕方がない。そうすると、自然と彼の足は煙を上げる屋台の方へと向かって行くのであった。



◇◇◇◇◇



「…………おかしい。なんか、おかしい」


 右手にスースの串焼きを持ちながら、ミズガルズは呟く。ちなみにスースとは、豚に似た大型の草食性の動物である。以前にミズガルズが森の中で腹に収めた、あの巨大な豚だ。屋台でそのスースの串焼きを買い、しばらく繁華街の通りを放浪していたことは彼も覚えている。だが、ミズガルズは自分でも気づかないうちにこんな場所まで来ていたらしい。こんな場所というのは、人っ子一人歩いていない空き地だった。

 少しだけ不安になり、ミズガルズは周りを見渡す。魔物だからだろうが、これでも夜目が利くのだ。どうやら、そこは何かの跡地らしかった。廃屋なのか、それとも捨てられた工場の残骸なのかは定かではないが、とりあえず言えることは、夜に一人で入っていい場所ではないということだ。だって、明らかに不穏な空気が漂っている。屋根と壁は崩れ、ほとんど骨組みしか残っていない。瓦礫が削れた砂でザラついた地面には、所々に枯れかけた雑草が伸びていた。今にも幽霊が出て来そうな雰囲気に、ミズガルズは顔をしかめた。


「おいおい、お嬢ちゃぁん。こーんな時間に、こーんな場所で何をしているのかなぁ?」


 ほら見ろ、出た。現れたのは生憎幽霊ではなかったが、それよりもタチの悪そうなチンピラたちだった。踵を返して、元来た道を戻ろうとしたミズガルズの前に彼らは立ち塞がる。その数、全部で四人。全員、薄汚い身なりをしていて、少年を馬鹿にするようにあからさまに笑っていた。まだ若そうな男たちで、色々と溜まっていそうだった。

 けれど、当然ミズガルズには男とじゃれあう気は全くないし、持ち金も一枚たりとも渡すつもりはなかったので、そのまま無視を決め込み通り抜けようとする。しかし、やはりお約束と言うべきか、チンピラたちに少年をタダで帰すつもりはない。ミズガルズの進路を塞いで、四人で囲む。

 蛇神の機嫌は目に見えて悪くなる。しかし、チンピラたちはゲラゲラと汚く笑い続けるだけで、全く気にしていない。おまけに彼らもミズガルズのことを女だと勘違いしているようで、そのうち下卑た言葉が飛び出してくるようになった。


「おい、このガキの服、誰から脱がす? かなりの上物だぜ」


「でも、胸がまな板なのがもったいねーよなー」


「生意気そうなツラしてやがる。これから、どんな声で鳴くんだろうな? ははっ」


「いいから、さっさと金盗って、ヤっちまおうぜ。で、いつも通りにぶっ殺して、燃やすんだろ?」


 ……これまた、とんでもないヤツらに出会ってしまったものだと、ミズガルズは呆れて物も言えなかった。この連中は普段からこうして好き放題にやりながら生きてきたに違いない。街の衛兵たちはこんなのを野放しにして、何をやっているのだろうかと、ミズガルズの胸の内に黒い感情が湧いてきた。半分はチンピラに対する怒り……もう半分はあまり認めたくないが、チンピラを痛めつけられる理由が得られたことに対する喜び。後者は、きっと魔物の本能みたいなものだろう。

 

 チンピラの一人が手を伸ばしてきた。襟首を掴まれ、ミズガルズは地面に押し倒された。蛇神は抵抗しない。それどころか、内心でほくそ笑んでいた。チンピラが服に手をかけようとした時、唐突に蛇神は言った。


「次に触ったら、お前は死ぬよ?」


 小柄な体によく似合う、男にしては少し高い声だった。男の声というよりは少女の声といった方が近い。自らの下で訳の分からない戯言をほざく少女をしばらく見つめ、チンピラは思い切り笑った。完全にミズガルズを馬鹿にした笑い声だった。構わずに彼は、少女だと思い込んでいる毒蛇の服を破り取ろうとした。

 その瞬間、ミズガルズは素早く上体を起こし、両手でチンピラをガッチリと掴む。チンピラの腕に、鋭い毒牙が深々と刺さった。チンピラは何が起こったか分からないと言うように、しばし固まっていたが、自分が何をされたのかを悟ると、突然激昂し始めた。


「こ、この、クソガキッ!」


 殴られる前に、ミズガルズはチンピラから飛び退き、距離を取る。蛇神の毒牙からは鮮血が滴り落ちていた。一方のチンピラは、直後に膝頭を地面に付けることになる。身体中の筋肉が全て溶けて消えてしまったのかと錯覚するぐらい、彼の手足から力が抜けた。今や彼は指先一つすら動かせなかった。


(な、ん、だ? こ、れ……)


 思い切り噛んできた少女に凄まじい罵倒を浴びせてやろうと思ったのに、口が動かない。恐怖と困惑にチンピラは支配され始める。次第に呼吸が苦しくなり、身体のあちこちに信じられないほどの痛みが襲いかかってきた。銀髪の少女が自らに何をしたのか、本当のことを知ることなく、男は苦しみの中で息を引き取ってしまった。ミズガルズに噛み付かれてから、わずか十数秒のことだった。あっと言う間のことだが、それは当然の結果だった。ケネスに噛み付いた時は何も意識しなかったのに対し、今回はちゃんと意識して噛んだのだ。相手が一発で死に至るように、毒の量は多く、濃度は濃く……といったように。まさに一撃必殺の猛毒だった。

 口元を拭う蛇神。悠然と佇む彼に、残った三人が襲いかかる。全員がナイフを持ち、殺気全開。それでも蛇神は焦りを見せない。そう、焦る必要など、どこにもない。毒蛇に手を出して命を落とすのは……当たり前だけれども、人間の方なのだから。闇に包まれた廃墟跡が、明るく照らされる。全くの無詠唱で放たれた、氷結の魔術だ。一番初めに飛びかかってきた一人が、瞬時に凍る。飛びかかってきた、そのままの姿勢で。


「はぁ!? 何だ、コイツは!」


 悪漢たちが顔をひきつらせるが、至極当然のこと。魔術を自由に行使すること自体が、日々の修練を経なければ難しいというのに。この銀髪の少年はそれを詠唱も無しにやってのけた。しかも、どう見ても自分たちより年下なのに。


 恐らく、氷漬けにされた仲間はもう助からないだろう。残る二人には、そのことがしっかりと分かっていた。この時点で彼らの腹積もりは既に決まっていたのだが、神は悪漢たちに逃走を許さなかった。


「悪いけど、俺はイグニスみたいに平和主義じゃないんでね。まあ、運が悪かったということで」


 二人が耳にした最後の言葉だった。身体に冷気を感じたと思った時にはもう、彼らは溶けることのない氷像と化していた。



◇◇◇◇◇



 何事もなかったかのように、自らの力試しを終えたミズガルズは来た道を戻る。繁華街だ。沢山の人で溢れかえっている。

 そこで問題が再浮上してくるのだ。どうやって宿に帰るかということだ。単純明快だがそれ以上に解決するのは難しい。もう、いっそのこと、今日の夜だけ別の宿に泊まってしまおうか。


 諦めかけてミズガルズがフラフラと繁華街をさ迷っていると、これまた腹が空いてきた。先程動いたせいもあるのだろう。とにかく彼の空腹はそろそろ限界を迎えようとしていた。どのみち知らない街で、宿まで戻るのはキツそうなので、ここら辺で夕飯を摂ってしまおうか。


 とは言っても、どこも定食屋というよりは酒場ばかりだ。多少、気後れするが、もはや我慢ならなかったので、彼は古びた木の扉を押し開けた。酒飲みたちの陽気な歌声が彼の耳に飛び込んでくる。

 喧騒から離れた席を見つけ、重い腰を下ろす。暇そうにしていた店員を呼び止めて待っている間、ミズガルズは究極の暇潰し……人間観察を敢行する。

 こうして見ると、色々な人間がいるものだ。眼帯を着けた盗賊風の小男、その彼と向かい合って飯を食うのは、怪しげな禿頭の老人。向こうの方では、六人の男女のグループが盃を手にして騒いでいる。何か冗談でも言い合っているのか、大爆笑の渦が巻き起こっていた。


 ミズガルズの元に、飲み物が運ばれてきた。さっき頼んでおいたものだ。もちろん酒ではなく、ただのフルーツティーなのだが、それでも芳醇な果物の香りは少年の気分を酔ったように心地よくさせる。

 酒場の空気に身を任せていると、見覚えのある三人組が入ってくる。ミズガルズは思わず叫び声を上げそうになった。椅子から立ち上がった姿勢のまま、硬直してしまう。

 問題の三人組の足取りは非常に危なげなものだ。フラフラとよろけていて、既に酔っていることが分かる。互いに肩を組みながら、やかましく笑い合っていた。赤らんだ顔は、どれもミズガルズの知るものだ。


「お、お前らぁ! 俺を置いてどこ行ってたんだよ!」


 抗議する蛇神に向かって、ケネスが調子よく手を振る。すっかり、イグニスと打ち解けた様子だ。二人の横には、酒の瓶を掲げるカルロスがいた。目の焦点がいまいち合っていない気がするが、大丈夫だろうか。


「置いてって、悪かったなあ! 相棒!」


 悪びれる様子もなく、炎竜が笑う。怒る気も何だか失せてしまい、ミズガルズはただ溜め息をついた。それを合図に酔っ払った三人がミズガルズの隣に座る。騒がしい宴の席の出来上がりだ。

 イグニスとカルロスが盃を交わす。ミズガルズは信じられないといった風に、彼らを見る。だって、今朝まで敵だったのに……。酒というのは、人間も竜も変にさせるらしい。


 最早、完全に宴会状態となり、ケネス、カルロス、イグニスは浴びるように酒を飲みまくる。自分だけがフルーツティーであることに気づき、複雑になるミズガルズ。


 思い切って酒を頼もうかどうか彼が迷っていると、酒臭い息を吐くケネスが顔を寄せてきた。近づかないでくれと、ミズガルズは内心で思う。


「……で、お姫様とは楽しく過ごせたか?」


「は?」


 ケネスは途端に呆れた風に、顔をしかめた。ミズガルズが理解していないと見るや、ケネスは長い溜め息を吐く。


「あのよぉ、俺もカルロスも、それからイグも! お前と姫様が二人になれるよぉに配慮したんだぜ? 要は気遣いってヤツ」


 頑張れよ! と、そう言い残し、立てた親指をミズガルズに見せると、再びケネスは宴に参加したのだった。ミズガルズはぽかんと口を開けたまま、呆れて物も言えないのだった。

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