魔導師の横槍
その日、バルタニア王国の魔導師団に所属しているダミアン・バティスタは機嫌が悪かった。この頃、敬愛する姫の様子がなんだかおかしいのだ。何をするにも上の空で、時には突然酷く不機嫌になったりする。いったい、何が姫をそうさせてしまったのだろう。悩めど悩めど、一家臣であるダミアンにはまるで理由が分からなかった。
そこで、分からないなりに理由を考えようとしているから彼のますます頭は混乱し、だんだんと苛々が積もってくる。全くもって、見事な悪循環であった。
(あぁ、エルシリア様……)
密かに思いを寄せる姫の名を、魔導師は胸の奥で呪文のように唱えた。身体は既に大人なのに、時折見せる子供らしい表情や仕草、美しい金色の髪、それに輝きが失せることのない翡翠色の瞳。
それら全てが、ダミアンの脳裏にしっかりと焼き付いている。あの笑顔を独り占めしたいと、何度思ったことか。月日を重ねていくごとに、恋慕の情は大きく育つばかり。
(でもなぁ……)
思いを伝えられるはずがない。まず第一に越えられない壁が立ち塞がっている。身分の差だ。愛だけではどうにも出来ない障害が姫と魔導師の間にはあった。
ダミアンの生まれたバティスタ家は、元々商人の家柄だった。ただ、栄えていたのはずっと昔のこと。日々顔色を変える経済の流れについて行けず、没落してしまったのだ。今では荒れに荒れた、小さな屋敷が残るのみである。
そんな家の状況も手伝って、とてもじゃないが、王族のエルシリアに告白することは出来ないのだ。仮に思いが通じたところで、周りの人間たちが二人が結ばれることを許さないだろうが。
負の感情が詰まりまくった溜め息を吐き出し、若き魔導師は露店が並ぶ通りをとぼとぼと歩く。客引きが積極的に寄って来るのだが、ダミアンに買う様子がないと見ると、自然と誰もが彼から離れて行った。
溜め息ばかり吐いているが、これでもダミアンは結構な優男なのだ。色素が抜けたような薄茶色の髪は、肩に先が触るくらいに伸びている。顔の作りも端正だし、城の侍女たちにも人気がある。もっとも、彼はエルシリアにぞっこんで他の女など目もくれなかった。
ピタリ。そんな擬音が相応しいくらい、唐突に魔導師は足を止めた。人混みを抜けた先に、小さな公園が見える。高い生垣に囲まれて、中は見えない。
何故、そこで立ち止まったのか。ダミアンにも理由はよく分からない。強いて言えば、魔導師の勘だろうか。物凄く嫌な予感がしてくる。その正体が何なのかは不明だ。胸の内にモヤモヤとしたものを抱えて、ダミアンは公園の中へと一歩を踏み出した。
そこで、彼が目にした光景は……。
◇◇◇◇◇
……ダミアンは固まってしまった。まるで、魔法をかけられて石像になってしまったかのように。それほどまでに、眼前の光景は衝撃的で言葉の出ないものだった。
飛沫を上げる噴水の前にベンチが置いてある。その上で、二人の少女が絡んでいた。一人は小柄で、白銀の髪と真っ赤な瞳を持った少女だ。王都には様々な人間が集まるが、ダミアンも今まであまり見たことのない珍しい髪色である。そして、もう一人。こちらのほうがダミアンにとっては問題だった。その少女のことはよく知っていた。当たり前である。普段から仕えているのだから。問題なのは、何故彼女がこんな場所にいるのかということだ。王族である彼女が、こんな街中をふらついていいはずがない。
(な、なななな、なっ……)
問題はそれだけじゃない。ダミアンの愛しのエルシリアは、小柄な少女にこれでもかと言うぐらい、身体を密着させているのだ。しかも、頬が赤らんでいる。離れていても、ダミアンのいる所まで荒い息遣いが聞こえてきそうだった。
不純異性交遊……いや、違うか。まさかの不純同性交遊である。憧れの人が、同じ年頃の女の子と危ない意味で絡んでいるのを見て、ダミアンは平静ではいられなかった。絶望的な表情になるが、すぐに自分を奮い立たせ、彼は力強く歩き出した。
「ひ、姫様! こんなところで、いったい何をされてるんですか!」
やや遅れてから振り返ったエルシリア。自らを叱責した人物が誰なのかを理解すると、次第に彼女の顔が羞恥の色に染まり始める。見る見るうちに、顔全体がのぼせたように赤くなる。ミズガルズから勢いよく離れると、立ち上がり身を守るようにして彼女はダミアンから遠ざかった。
「ダミアン!? お前、どうしてこんなところに!?」
「それはこっちの台詞ですよ、姫様! さては、また勝手に抜け出したんでしょう」
まさに、その通りだ。エルシリアは言葉に詰まった。彼女とて、ダミアンが正しいのは分かっている。心配してくれていることも。けれど、ここでどうしても素直になりきれないのがエルシリアという少女だった。
「私だって、この街の住人なんだ。散歩ぐらいしたって良いだろう」
それでも! と言って、ダミアンは険しい顔になる。指を指している相手は、さっきまでエルシリアと絡んでいたリンことミズガルズである。突然、矛先を向けられた蛇神は、少しだけ警戒した。どうしてかダミアンの目の色が普通には見えなかったから。
「女の子同士でいちゃつくのは、絶対に良くないですよッ」
ぷちん。少年の脳内で何かが音を立てて切れた。邪神の怒りの容量はとうに限度を超えていた。仏の顔も三度までと言うが、蛇神の顔も三度までだった。
「俺は! 男だよ!」
少年は聞き取りやすいよう、区切ってしかも大声で言ってやった。それで、ようやく熱くなり過ぎていたダミアンも落ち着いてくれるかと思えば。
「な、なら、ますます許せんんんんんん!」
落ち着いてくれなかった。むしろ、悪化させてしまったようだ。元の好青年の顔はどこへやら、ダミアンは今では怒りの形相でミズガルズを睨みつけていた。蛇神が頭を抱えたくなっていたら、ダミアンは更に頭が痛くなるような行動に打って出た。腰の辺りから、短剣を取り出したのである。狂気の瞳がミズガルズを射る。どうやら完全に敵と見なされたらしい。
容赦なく振られる短剣の刃を、間一髪で避ける。それでも暴走した魔導師は止まらない。魔導師に似合わない剣技を見せながら、ダミアンはミズガルズを追い詰めていく。やがて、ミズガルズの逃げ場は無くなってしまった。目の前には暴走魔導師ダミアンが、目と短剣をギラギラさせているし、後ろは綺麗に刈り込まれた生垣だ。残念ながら、そこを無理矢理突き抜けたり、飛び越えたりすることは難しそうだ。
「ふっふふ……! 死ねい、ガキ……ぶへあッ」
勝ち誇った笑みを浮かべていたダミアンだったが、変な声と共にいきなり倒れ込んだと思えば、脇腹を押さえながら、のたうち回っていた。よく磨かれた短剣が石畳の地面に落ちる。目をぱちくりとさせていたミズガルズに、王女が笑いかけた。
「怪我はないみたいだな」
人に回し蹴りを食らわせたというのに、王女の笑顔は美しかった。
◇◇◇◇◇
「俺は騙されませんよ、姫様」
脇腹を本気で蹴ってきた相手を、まっすぐと見据えるダミアン。彼はエルシリアが言った「リンは、今日出会った友達なのだ」という言い分を全く信用していなかった。もちろん、同様にリンのこともまるで信用していない。むしろ明らかに敵視していた。
「今日初めて会ったこんな小さいのと、姫様があんな行為をするはずがありません」
ダミアンはきっぱりと断言する。まぁ、これは彼の「そうであってほしい」という願いでもある。
「それに、姫様。他に重要なことがあります」
ダミアンがミズガルズを鋭く睨む。睨まれた方は、何が何だか分からない。ただ、首を傾けるばかり。
「……お前から発せられる魔力の波長が、人間のものじゃない! 魔物と同じものだ!」
思ってもいなかったことを言われ、ミズガルズばかりかエルシリアも驚愕に目を剥いた。
二人はダミアンを侮っていた。仮にもダミアンは王国直属の魔導師団で、最も将来を期待されている人間なのだ。日々の努力はもちろんのこと、生まれ持った才能もピカイチなのだ。
そんな彼にかかれば、人がどれくらいの魔力を秘めているのかなど、すぐに知ることが出来るし、ましてや人間に紛れ込んだ魔物を見つけることは、彼にとっては造作も無いことだった。
「姫様、危険です。今すぐ、そいつから離れてください」
有無を言わせぬ口調で、彼は完全に戦闘態勢に入っていた。主君を守るという心意気は大変結構だ。しかし、魔導師の誤算は肝心の主君が特に守ってもらわなくてもいいと感じていることだった。
「……どうするのだ、リン」
「そう言われてもなぁ……」
正体を明かしてしまうのが一番簡単なのだろう、多分。しかし、これ以上誰かにばらしてしまって、良いのだろうか。良くないと思う。正体を知っている人間が多ければ多いほど、リスクは高くなるのだ。
ミズガルズは少し悩み始める。まず、エルシリアは信用出来る。彼女は大丈夫だろう。サネルマについても、口止めしておいてくれとエルシリアに頼めば良い。ケネスとカルロスは……今頃、イグニスに口止めされているはずだ。死にそうな目にあったんだし、彼らは口外しないと信じよう。あと一人、空から落っこちたヤツがいた気がしたが……まぁ、あれに至ってはどうにでも出来るから、良しとする。
(教えちまうか……?)
ミズガルズは一度、深く息を吐いた。彼はいまだに警戒を崩さないダミアンを見つめた。
「セルペンスの森の時もそうだったけど。エルシリアのことになると、やけに気が短くなるんだな? ダミアン」
「なにっ……!?」
少年は意地の悪い皮肉を込めて言った。当然、ダミアンは牙を剥くが、すぐに目の前の魔物の言わんとしていることに気づく。
……セルペンスの森? この魔物はいったい……?
「まさか、お前はあの蛇……」
「そうだよ、俺はミズガルズだ」
ダミアンが絶句する。その驚愕した顔を見ると、何だか良い気分になっている自分を自覚するミズガルズ。今や伝説の魔物であることに、少年は何となく優越感を覚え始めていたのだった。




