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王女との再会

「もう、気にしてねぇからよ」


 そう言って、ケネスは白い歯を見せて笑った。まさかこんな簡単に許してもらえると思っていなかったミズガルズは、信じられないといった目でケネスを見た。


「……それに、俺だってお前のこと思い切り絞めちまったしな。悪かったよ」


 傷つけた相手から逆に謝られてしまい、ミズガルズは言葉に詰まった。色々話したいことはあるのに、いざ口に出そうとすると出せないのだ。そんな、どこか気まずい雰囲気を打ち破ったのは良くも悪くもサネルマだった。


「さてさて、一件落着かな? それにしても、これでまた私の天賦の才が世に示されてしまったなぁ」


 しみじみとした様子で自画自賛をする彼女の横で、イグニスは深い溜め息をついた。完全に呆れている様子だった。しかしエルフは古い知人が送る冷たい視線など意にも介さなかった。彼女の次なる興味はミズガルズに移ったようだ。目を爛々と光らせ鼻息荒く少年に近寄って来る様子は、エルフ本来の淑やかさとは無縁だった。


「イグニスが来るのは水晶で分かってたんだけどね。まさか、その連れがな」


 サネルマはミズガルズにじっと視線を送った。その眼差しはどこか感慨深げだった。人間より遥かに長命なエルフである。もちろん、サネルマもバルタニアに眠る蛇神の伝説は知っていた。人間が昔から言い伝えてきた物語の中にも登場するような魔物だ。知らないわけが無かった。


 夕陽色の髪のエルフは相応に長い時を生きてきたが、実際に地を這う蛇神をその目で見たことはなかった。彼女もあくまで噂でその存在を知っていただけだ。それが今、自分の目の前にいる。それだけで彼女は気分が高揚していた。いかんせん、予想していたよりも可愛らしい姿に拍子抜けしたが、かつて魔界を席巻した魔物に近づいていることに彼女は心臓の高鳴りを抑えられなかった。


(……炎竜と蛇神、か……)


 ひと悶着起こりそうだな、と。エルフの異端児は心中でこっそり笑う。エルフであるサネルマよりも、ずっと長命な炎の竜と白銀の大蛇。彼女はイグニスと友として関わる中で、何度も彼らの武勇伝や昔の話を竜から聞かされていた。今は大人しい炎竜イグニスとて、生まれた時から平和主義者だったわけじゃない。元々は魔界の生まれだから、戦いの日々は避けられなかった。襲い来る魔物の群れに、たった一人で向かい合う毎日。そんな竜の運命を変えたのは、同じく孤独な大蛇との出会いだった。

 やがて、二頭の魔物は手を結び、互いに背中を預け、魔界のみならず世界を震撼させる存在に成長していったが……それはまた別の話だ。今、サネルマを含む世界にとって重要なこと、それは炎竜イグニスと蛇神ミズガルズが再び手を組んで動き始めたということだ。そのことが世界にどのような影響を与えるか、サネルマにもまだ分からないが。


「あんたのこと、よく知らないけど、ありがとう。ケネスを助けてくれて」


 気恥ずかしいのか、顔を赤らめてそっぽを向くミズガルズ。サネルマは唐突な一言に驚く。と、同時に小さく笑いを漏らした。その姿が少年のものと言うよりは、どう見てもか弱い少女のものだったからだ。サネルマは胸がじわじわと熱くなるのを感じた。小さく整った顔を薄く赤く染めているミズガルズを見ていると、彼女はどうも身体が火照っていけなかった。

 このサネルマ、高潔を重んじ、人間とはあまり関わらないエルフにしてはとことん変わり者で、積極的に人間と関わっては人里に入り浸ることもしょっちゅうだった。そこまでは良いのだが、彼女には一つ問題があった。昔から人間の男――特に美形の幼い少年に夢中なのだ。とても高潔を重んじるエルフとは思えない、まったくもって青少年の教育や風紀に有害な人物である。その上、自身が絶世の美貌を誇っているのだから、尚更タチが悪い。更に言えば、彼女にとってミズガルズなんかは好みのど真ん中だった。少年にとっては……不幸なことだろう。


 サネルマから放たれる不穏な空気を察知して、ミズガルズは無意識のうちに一歩ずつ後ろに下がっていった。手を出したら毒牙で噛み付くぞ、とでも言いたげな様子で、警戒心も露わだった。さっきの礼はどこに消えてしまったのだろうか。にも関わらず、怯えるミズガルズににじり寄るサネルマ。欲望のままに動く彼女の細い腕が伸ばされ――。


「こっちだ!」


 ――ミズガルズが第三者の手によって、塔の内部へと連れ込まれて行ってしまった。目をパチクリとさせるエルフの魔術師。事態を理解していない彼女の頭に、二人が階段を駆け下りていく音が響く。

 屋上には呆然と立ち尽くすサネルマ、頭上いっぱいに広がる青空を楽しみながら煙草をたしなむケネスとカルロス、疲労の挙句、座り込んだセレスティナが残され。


「……オマエも大概変わらないよな」


 心底呆れたように呟くイグニスがいたのだった。



◇◇◇◇◇



 庭園の塔の内部には、螺旋階段が築かれている。ゆっくり歩くだけでも目を回しそうなのに、ミズガルズの手首を掴んで離さない少女は早足でそこを駆け下りる。カン、カン、カンと規則正しい音が狭い塔の中で反響する。ミズガルズはつまずかないよう必死だった。彼は自然と無言になった。自らの前を行く少女に対する文句すら出てこない。もっとも、それは目の前の人物が誰なのか既に分かっていたからかもしれないが。

 二人の足音が急に止まる。階段の途中にある踊り場に出たのだ。小窓から陽光が射し込み、真っ白く塗装された床を明るく照らした。そこに伸びる黒い影は二つ。一つは蛇神ミズガルズのもの、そしてもう一つはバルタニア王国第二王女エルシリアのもの。光と影が交差する世界の中で、エルシリアの美貌がくっきりと浮かび上がる。金に輝く髪は窓を通り抜けてやってきたそよ風に揺らされる。静かな沈黙がいったいどれほどの間、続いたのだろう。エルシリアの翡翠色の瞳が一点を見つめる。視線の先は言うまでもないが、ミズガルズだ。そして彼女の形のいい唇が動いた。


「私のことを、覚えているだろうか?」


 わざとらしく、そんな質問をする。もう、返ってくる答えなど分かっているはずなのに。ミズガルズは焼けつくような焦燥に包まれた。答えを上手く返せない。それに彼女の顔も正面から見れない。今の彼は蛇の体ではないのだ。何があろうと、鉄仮面を突き通すことのできる蛇の体ではない。彼は今、ただの人間なのだ。頬だって赤くなるし、心臓だって音を立てて動き出してしまう。汗だってかいてしまうのだ。

 どうしてか、物凄い恥ずかしさを覚え、ミズガルズはまたまた明後日の方向を向いた。そうして、蚊の鳴くような本当に小さな声で言うのだ。――覚えている、と。


「……セルペンスの森以来だな、エルシリア」


 ミズガルズがそう呟けば、エルシリアが静かに笑う。その笑顔は日向に咲く薔薇の如く可憐で、あるいは地を照らす陽光のように柔らかかった。


「凄いな、人間になることができるなんて」


 王女は蛇神を見つめ嘆息を漏らした。それほどまでにミズガルズの人化は完璧だった。長い時を生き、高位に位置する魔物は、その多くが人化の術を操る。最たる例が、イグニスを始めとした竜の種族だ。ミズガルズはその竜と並ぶほど高位の魔物とされていた。


「……私は、人化を簡単にこなせるほどの魔物を見たことが、今までなかった。だから、本当に凄いと思う。それに……今のミズガルズも綺麗だ」


「出来れば格好いいか男らしいと言って欲しいけど」


 口を尖らせるミズガルズに、エルシリアは困ったような微笑を返す。予想通りだ。ミズガルズは溜め息をついて、肩をすくめた。この様ではとてもではないがお世辞でも男らしいとは言えないのだろう。


「……それは嬉しいんだけど、エルシリア。お前は怖くないのか? 知ってるだろ、俺とイグニス……炎竜が冒険者を殺したことぐらい」


 ミズガルズは俯き加減で、無理矢理押し出すように言葉を吐いた。そうなのだ。ミズガルズはエルシリアと同じバルタニアの国民を八つ裂きにした。その事実は何があっても変わることはない。エルシリアは一瞬押し黙り、目を泳がせた。言葉を探しているのだ。


「確かにそのことは私も聞いたし、もちろん死んだ冒険者のことを考えると難しく感じる」


 でも、初めて会った時に優しい態度で接してくれたじゃないか。本当に真顔で、エルシリアはそう言うのだ。それにミズガルズは本気で驚いてしまう。彼にはいまいち理解出来なかった。どうして、出会って間もない魔物のことを、そうも信用しようとするのだろうか。相手を疑うということを知らないのか?


 ……けれど、だからこそミズガルズはエルシリアに惹かれたのかもしれない。思えば、イグニスやケネスなども相手を純粋に信じるタイプの人間だ。

 以前のミズガルズなら理解出来なかっただろう。そんなタイプの人間は見たことがなかったから。周りにいたのは、まず最初に相手を疑い、そして自分も疑われるような人間ばかりだった。かく言うミズガルズだって、その中の一人。だから、余計にエルシリアが新鮮に見えた。


「ミズガルズ、お前のせいなのだぞ?」


 言われた少年は驚いて向き直る。困惑した顔で、「何が」と問えば、エルシリアは笑うのだった。やはり、いたずらっ子のように明るい声で。


「ここのところ、お前のことばかり考えていた。あの時、お前が私を見惚れさせたんだ」


 無茶を言ってくれる。ミズガルズは苦笑しながらも思う。彼女の見惚れたというのは、きっと本来の姿に見惚れたということだろう。それも“Love”の方じゃない。恐らくは“Like”の方だ。

 そう思うと、少し寂しく感じている自分を見つけて驚くミズガルズだったが、それは顔に出さないでおいた。だって、あまりにも恥ずかしい。


「……とにかく、再会することが出来て、私はとても嬉しいよ、ミズガルズ」


 小さく笑う王女を見て、ミズガルズは改めて思う。自分は幸せなヤツだ、と。こんなに美しい少女に信用してもらえているのだから。


「それは……俺も一緒だ」


 だから、ミズガルズも同じ気持ちで答えた。やはり、最強の魔物には到底似合わない、小さな声で。

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