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庭園の塔

 広大な敷地を誇るバルタニア王国の王宮の一角には丁寧に整備された庭園が広がっていた。その広さといったら、手入れするのにどれだけの人手と時間が必要なのか考えられないくらいだった。

 赤や白の薔薇が生い茂る植え込みのそばに、金髪の美少女の姿があった。歩きにくそうなドレスを纏った彼女は、頬を膨らませて明らかに機嫌が悪そうだった。その後ろを一人の若い侍女が付いて歩いている。こちらもなかなかの美人で、髪色は目が覚めるような緑色。彼女はレンズの大きなずり下がり気味の眼鏡をかけていて、しきりに指で位置を直していた。


「まったく先生はいったい何を考えているのだろうな! わざわざ庭園の塔に呼び出すとは……」


 面倒で仕方がない! 金髪の美少女の口から、そんな言葉が飛び出した。先程から機嫌が悪いのはそのためらしい。苛々しているためか、彼女はかなりの早足で庭園を進む。

 その後ろを侍女は大変そうに付いていった。息が上がっているところを見るに、運動の得意な人間では無さそうだ。


「……セレスティナ。これしきで息が上がってしまうのは問題だぞ。お前も私と一緒に毎朝走らないか?」


「え、ええ、慎んで遠慮しておきます。エルシリア様……」


 ふぅふぅ言いながら、エルシリアの侍女であるセレスティナ・ベルティは主の恐ろしい提案を丁重に断った。朝の走り込みなど、セレスティナにとっては拷問に等しかったので、例え命令されても拒否するつもりだった。


「しかし、先程の街への使いの時はやけに早く帰って来たではないか。何かあったのか?」


「あ、あの時は不良市民と不良警備兵に絡まれたり、付きまとわれたりして……。無我夢中で帰って来たのです」


 俯き加減でおどおどと話すセレスティナを見て、王女は緑髪の侍女がチンピラに絡まれる様子を容易に想像できた。確かにセレスティナは普段から引っ込み思案で大人しく、カモにされやすそうな雰囲気を醸していた。

 しかし……と、エルシリアは顔をしかめた。柄の悪い市民はともかくとして、警備兵の中に城の侍女に絡んでくるような輩がいることが、彼女は気に入らなかった。警備兵なら街を守り、困っている人間を助けることが仕事であって、チンピラと同じように女に絡むことなどあってはならないはずだ。そう思うとエルシリアは顔も知らない警備兵たちに腹が立って仕方なかった。


 そんなことを考えているうちに、背の高い塔がエルシリアの眼前に現れた。ただ庭園の塔と呼ばれるその白い塔は、静かに庭園の端にそびえ立っていた。この背の高い塔の一番上。そこが、エルシリアに魔術を教えている女教師が今回教場に指定した場所だった。


「全く! あの人の考えていることは本当によく分からない!」


 塔の前で憤然とするエルシリアの後方で、セレスティナは一人溜め息をついた。


 ……今から、これを登るのか……。嫌すぎる。


◇◇◇◇◇



「う~ん、見える。見えるぞ! 旧い友がやって来る……!」


 真っ青な空に囲まれた庭園の塔の頂上部。王宮の建物の中でも群を抜いて高いものなので、常に冷たい風にさらされている場所なのだが、そんな所に女が一人うずくまっていた。彼女はしゃがんで何かを覗き込み、何事かをぶつぶつと呟いていた。


「面白い珍客がやって来そうだぞ!」


 前触れもなく立ち上がった女の名はサネルマと言う。遠い昔からバルタニアの王家に魔術の教師として仕えてきた、年齢不詳のエルフだ。誰も本当の年齢は知らない。噂では彼女は五代前の国王の頃から城に仕えているとも言われていた。まあ、噂があれど誰も本人には聞こうとしない。聞けば何をされるか分からないからだ。


 印象的な金色がかったオレンジ色の長髪をたなびかせながら、サネルマは両手に持った水晶を太陽にかざした。それを覗いて鼻歌なんか歌っているんだから、怪しいことこの上ない。いや、怪しいというよりも変なと言った方が良いかもしれない。どちらにせよ彼女は側から見ると風変わりなエルフだった。


「サネルマ先生。言われた通りに来ましたよ。いったい、どういった授業なのですか?」


 太陽の光を一身に浴びていたサネルマだったが、ようやく塔を登りきったエルシリアの一言で現実に引き戻された。

 エルシリアは渋い顔をしていた。「貴女の奇行に付き合わされるのは疲れるんですよ」と、彼女の顔は言っていた。だが、そんな顔をエルシリアがしたところで、サネルマ先生の奇行と突飛な言動が治まることはない。

 変わり者のエルフは、エルフらしく細く尖った耳をぴくぴくさせ大げさな動作を伴って、エルシリアを指差した。


「エルシリア君!」


「何ですか、先生。指なんか向けて。さては私を魔法でぶっ飛ばす気ですね? 流石です」


「王女として、人の顔を見るやいなやその物言いは良くないよ? エルシリア君!」


 他人を指差すのだって良くないとエルシリアは言いたかったが、疲れきった王女はそれ以上何も言わず、素直に頷いておいた。ちなみに侍女のセレスティナは、主人の後ろの方で乱れに乱れた呼吸を必死に整えようとしていた。凄まじいほどの体力の無さだった。


「今日は特別授業だよ。君に見せたいものがある」


 サネルマは笑い、頭上に広がる天空を指差した。エルシリアは首を傾げる。いったい、何を始めるつもりなのか彼女にはさっぱり分からなかった。サネルマは魔術の教師としては優秀だが、とことん変なエルフでもある。王女は理解することを諦め、じっと空を見つめた。


(……?)


 その時だった。頭上の空を凝視していたエルシリアの視界に、赤い点が映った。不思議なことに、その赤い点は次第に大きくなってくる。輪郭がはっきりと見えてきた。


「……竜!?」


 赤い点が何者なのか、エルシリアが理解したと同時に、真紅の炎竜が塔の真上に降臨した。そのあまりの迫力に、エルシリアは腰を抜かした。彼女の頭は激しい混乱に苛まれて、噴出する疑問でいっぱいになった。

 何故、王宮に竜が? 私を狙っているのか? どうして、城の誰も気づいていないのだ? なんで、サネルマ先生は助けようとしないのだ……?


「空の覇者、炎竜イグニス! 何十年ぶりかは忘れたが……久しいな。何の用で私を訪ねてきた?」


 巨大な竜に親しげに話しかけたサネルマを見て、エルシリアは目を疑った。自分の目がおかしいのかと思い、ついつい腕でこすってしまう。


『挨拶は後だ、サネルマ。オマエでないと助けられない人間がいる……。それから城の人間には見られないようにしているだろうな?』


 切羽詰まった様子の炎竜に、サネルマは胸を張って答えた。彼女は自信満々な笑みを浮かべていた。


「私を誰だと思ってる! とっくのとうに見えないように結界を張ったさ」


 イグニスは満足した風に笑い、背に乗せていた三人をそっと降ろした。動けないケネスはカルロスとミズガルズに担がれている。細身のミズガルズは死にそうな様子で、ヒィヒィ言っていた。


 そんなミズガルズの姿に密かな親近感を覚えたセレスティナだったが、すぐに我に帰った。


「ちょっと待ってください! サネルマ先生! その方たちはいったい……」


 もっともな疑問を呈するセレスティナをサネルマは静かに遮る。いつもはふざけきった人物だが、今は違う。唇は真一文字に閉じ、髪と同じオレンジ色の瞳を細めて、横たわるケネスをじっと見ていた。誰ともなしに黙っている中、遂にサネルマが口を開く。表情は険しい。生来のエルフの美貌が際立って見えた。


「かなり強い毒のようだが……。この男はどんな魔物にやられたんだ? イグニス」


 いつの間にか人型になり、しっかり服も身に付けたイグニス。何とも言えぬ複雑な顔のまま、彼はありのままの事実をエルフに告げた。


「……ミズガルズ」


「なんだって?」


「……オレの相棒でもある蛇神ミズガルズ。この国に住む者なら、当然名前は知っているよな? この男は奴に噛み付かれたんだ。何とかしてくれ。オマエなら出来るだろう? 二千年に一人の治癒師と言われたオマエなら」


 しばらく馬鹿みたいに口を開け、瞬きを繰り返していたサネルマだったが、すぐに全てを悟ったかのように目を閉じ、ただ頷いた。


「……分かった、やってみせよう。幸いにも毒の量は少なそうだ」



◇◇◇◇◇



 サネルマがケネスの胸に両手を当てた。彼女が呪文を紡ぎ出すと同時に、辺りが澄み切った青白い光のベールに包まれる。幻想的な輝きを放つ光が波立つように明滅を繰り返した。

 その場にいる誰もが、息を飲んで神秘の光景を見守った。誰一人として、言葉を発することはしない。言葉を挟んではいけない……そんな妙に強制的な力が、そこには働いていた。

 唐突にサネルマが呻き声を漏らす。エルフは美しい顔を苦痛に歪め、唇を強く噛んだ。そして、彼女の頬を真珠のような汗の玉が流れ落ちていった。治癒の光はより強くなり、彼女はしばらくの間、唸るように呪文を呟き続けた。


「ふぅ、危なかったが上手くいったぞ……」


 やがてサネルマが額の汗をぬぐった。既に青白い光は、嘘のように消え去っていた。カルロスが旧友に駆け寄る。すると、彼の心配に応えるかのように、ケネスがゆっくりとだが瞳を開いた。

 喜びのあまり目尻に涙を浮かべるカルロスを尻目に、ケネスは割としっかりした動作で上体を起こした。視界の端に、彼は冒険者の旧友を見つけた。


「あれ、カルロス? てめえがいるってこたぁ、俺は生きてんのか?」


 カルロスは何度も頷く。彼は思わず涙する大男の肩を笑いながら叩き落ち着かせた。カルロスもまた笑いながら鼻をすすっていた。セレスティナとエルシリアも事情はよく分かっていなかったが、自然と小さく拍手をしていた。奇跡を起こしたサネルマはその脇に疲労困憊といった様子で、胡座をかいていた。


 ……居辛いぞ、これは。何か言われる前に消えとくか……。


 一方、ミズガルズは音も立てずにそろそろと後ろに下がっていった。彼は凄まじい疎外感と罪悪感を覚えて、胃が痛くなっていた。そもそもこうなったのは彼がケネスに噛み付いたからだ。合わせる顔など無いと、少年はその場から消えてしまいたい思いだった。


「おい、ミズガルズ」


 特に抑揚も無い調子のケネスの一言で、ミズガルズはびくりと固まった。地面に足を縫い付けられたのかと錯覚するほど、そこから動くことが出来なかった。何も言えない。言い訳など出来ない。出来るはずがない。何と言っても、ケネスを死なせかけたのはミズガルズだったのだから。


(……ああ、何言われるんだろ)


 歯を食い縛り、彼は両の瞳を強く閉じた。次の瞬間、自分は思い切り殴られるだろう。だがそれも仕方ないと少年は覚悟した。


「ありがとうな、ミズガルズ」


 耳を疑った。今、何と言われた? なんで感謝されるのか、少年はまるで分からなかった。怒りをぶつけられるのなら分かるのに。


「カルロスを殺さないでいてくれてよ」


 晴れやかに言うケネスを見て、いっそう罪悪感を感じるミズガルズだった。

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