対峙
親切な老人、アンディが営む「隠れ家亭」に寝床を定めてからすぐ、ミズガルズとイグニスは部屋に荷物を置いて、再び街の散策を始めることにした。細い路地裏を抜け、二人は表通りに出る。検問所そばの市場ほどではないが、ここもなかなか人通りが多かった。そうすると、中には色んな人間がいるもので。
「おい、女。お前、人様に肩ぶつけといて謝りもしねぇのか? なあ?」
「ご、ごめんなさい……」
人の往来の激しい通りの路上で、眼鏡をかけ、白黒の質素なメイド服を着た緑色の髪の少女が、ガラの悪い連中に絡まれていた。誰が見ても脅迫だったが、面倒ごとには関わりたくないのか、通行人たちは誰も少女を助けようとしない。このままだと、少女はどこかに連れ込まれて、たぶんろくな目に遭わないだろう。
ミズガルズとイグニスも暫くその様子を眺めていたが、誰一人として一向に救いの手を差し伸べようとしないのを見て、どちらが先ともなく少女の方に向かっていた。
「貴様らー! 何をしている!」
その時、叫び声とともに橙色の制服を身に付けた三人が向こうから走ってきた。それを見たチンピラ数人は、慌てて逃げ去っていくではないか。魔物二人は完全に出るタイミングを失って、立ち止まって様子を窺った。
走ってきた三人の警備兵、アロンソ、フォンス、イニゴは愛想良い顔で、少女を囲む。ミズガルズは三人の顔を見るなり、思わずしかめっ面になった。イグニスは相棒が突然苦い顔をした理由が分からず、目を瞬かせた。
「大丈夫でしたか?」
「は、はい。有り難うございます」
「怪我は?」
「な、ないです」
「怖くて、疲れたでしょう? 僕らと一緒にお茶を飲みに行きませんか?」
「え、ええ? いや、あの」
心配する言葉から、いきなりナンパの言葉に変わってしまったのはどうしてだろうか。鼻の下を伸ばす警備兵たちを遠巻きに見ながら、ミズガルズは聞こえないように溜息を漏らしていた。
「ご、ごめんなさい! これからご主人のところに戻らなくてはいけないので……!」
アロンソたちを払いのけ、少女は駆け出した。ミズガルズはすれ違いざまに彼女とぶつかり、危うく転びそうになった。女の子に肩をぶつけられて、よろけるなんて。少年は気分が沈むのを感じた。
遠くなる少女の後ろ姿を眺める二人だったが、そこにアロンソたちが割り込んできた。なぜか、ヘタレ警備兵はにやけている。ミズガルズは嫌な予感がしてならなかった。この三人が自分の正体を知っているはずはないのだが。
「見ない顔ですね、お嬢さん! 旅の人かな?」
アロンソの予想外の言葉に噴き出しそうになったイグニスが必死に笑いを堪えている。フォンスとイニゴが、アロンソのことを笑いながら肘で小突いている。この状況の中、ただ一人ミズガルズだけが凍りついていた。
二回目である。女に間違われたのは。ミズガルズは酷く心配になってきた。もし、お遊びのつもりで女装なんかしたら、本気で襲われるんじゃなかろうか。そんなの嫌だ、お断りだ。男同士で……と、その先を想像したところでミズガルズの胸焼けは限界に達した。
「向こうで、お菓子でも食べない? おごってあげるよ、お嬢さん」
怒鳴りたくなるが、そこはぐっと我慢する。
「……俺は男だ」
「え?」
「俺は! 男だから!」
ポカーンとするアロンソ。残り二人も間抜け面だ。分かってなさそうだったので、ミズガルズはもう一度繰り返した。すると、アロンソは露骨にがっかりし始める。
「おいぃぃ! マジかよぅ、すげぇ恥かいちまったぞ!」
苦笑いをするアロンソは、そのまま仲間と一緒に人混みに紛れ込んでいってしまった。詫びるようなセリフは一つもない。相手の性別を間違えたんだから、少しくらい謝罪の言葉があってもいいんじゃ……。
「……イグニス」
「プッ、ククッ……! あ、ごめん。なんだい?」
「……髪、切ろうかな。俺」
到着初日から、いきなり脱力感に襲われるミズガルズだった。
◇◇◇◇◇
「一回、ギルドに行ってみたい」
イグニスのその一言から、事態は始まった。ギルドに追われる立場だというのに、二人はギルド本部の前に立っていた。人が行き交う広場には何やら掲示板が立ててあった。イグニスは積極的に読んでいるようだ。ミズガルズは興味を示さなかったが。竜が端から端まで読もうと一生懸命になっている横で、大蛇は何回目になるか分からない欠伸をしていた。
「ほら見てくれ、オレたちが有名になっているよ」
軽い調子で言うイグニス。ミズガルズは目尻に涙を浮かべて、退屈そうにしている。
「まぁ、あれだけのことをやったんだ。当然じゃないか」
きっと冒険者たちのやる気も上がるだろう。追跡は激しくなるはずだ。けれども、それは無駄なことだと、ミズガルズはほくそ笑んだ。何故なら、ギルドは知らないからだ。蛇神と炎竜が人間に化けることが出来ると。
セルペンスの森をいくら探しても、炎竜の草原をいくら探しても、それは無駄な努力でしかない。お目当ての魔物たちはティルサの街中にいる。悔しげな顔をする冒険者たちを頭に思い浮かべると、ニヤニヤしてしまうミズガルズだったが。
「あああ!?」
いきなり悲鳴をあげたイグニスのせいで現実に引き戻される。
「どうしたの、突然……」
「オレたちが人間の姿になれることがバレている……」
「はぁ!?」
イグニスを押し退ける。そして、掲示板を覗く。すると、そこに自分たちの細やかな情報が記されているのを、ミズガルズは見てしまった。大量の疑問が彼の頭に沸いた。
どうしてギルドに知られているのか。そう考えていくと、辿り着く答えは一つしかない。あの時、生き延びていた冒険者がいたのだ。それ以外は考えられない。思えば、全員の息の根を止めたかどうかなど確認もしなかった。
読み進めていくと、ミズガルズはある名前を発見した。カルロス・パルドとあった。ご丁寧に例の炎竜討伐事件の生き残りとも書いてある。記事を書いた人間が迂闊だったおかげで、ミズガルズとイグニスの情報を密告したヤツが分かったわけだ。そこで問題なのは。
「イグニス。このカルロスとかいうヤツ、早いところ消しといた方が良いんじゃないか?」
「……オレも、そう思う。さすがに野放しはまずい」
でも肝心の顔が分からない。カルロスはミズガルズとイグニスの顔を知っているが、逆にミズガルズとイグニスはカルロスの顔を知らない。面倒な状況だ。もしかしたら、今この時も近くにカルロスがいるかもしれない。そうだとしたら下手に動けないと、二人は顔を歪ませた。
「はっはっは、わりぃなぁ、カルロス! 結構、飲ませちまってよ! これから仕事できるか?」
「うっ、大丈夫だから。あまり揺り動かすな……」
野太い大声が響き、ミズガルズは何事かと振り返った。見れば、ふらふらとした足取りの二人が近づいてくる。明らかに酔っ払っている。一人はミズガルズもよく知っている人物、ケネス・キャロウだった。赤いバンダナを頭に巻いている。そして、もう一人は……。
「……平気さ。だいたい、冒険者なんて無職みたいなもんだ」
「おいおい! 後輩の手本になるお前がそんなこと言っていいのかよ、カルロス・パルド君!」
おどけたケネスが呼んだ名は、まさしく魔物たちが探していた男のもの。蛇神と炎竜は顔を見合わせる。本人を見つけることが出来て、炎竜はほくそ笑んだ。蛇神は素直に笑うことも出来ず、複雑な顔をしていた。カルロスを見つけられたのは良いが、それが知った顔のケネスと一緒で、しかも仲が良さそうときた。思ってもいなかったことに、ミズガルズは舌打ちをした。
(厄介だな、おい……!)
ちらっと横を見れば、イグニスが鋭い目でカルロスを睨んでいた。自称平和主義らしいが、その面影はどこにも見られなかった。ギラギラとした危ない目付きは獰猛な竜の本性を如実に表していた。ミズガルズはイグニスが既に臨戦態勢に入っていることをすぐに感じ取った。
酔って赤みを帯びたカルロスの顔がふと前を向いた。と同時に彼の身体が固まる。動きを失ったカルロスの視線の先には、赤い髪の青年と白銀の髪をなびかせる少年がいた。
無意識にカルロスは一歩下がった。靴が地面を擦る音が、やけに大きく聞こえた。他の雑音が全て遮断されたかのように、彼の感覚は異常に研ぎ澄まされていた。
赤髪の青年が殺気を隠さないまま、一歩踏み出す。その瞬間、カルロスは踵を返して、反対方向に走り出した。ケネスが慌てて止めようとしたが、無駄だった。続いて、イグニスもその後を追う。あっという間にミズガルズは置いて行かれてしまった。
「くそっ、面倒だな……」
急いで追いかけようとしたミズガルズだったが、その前にケネスが立ち塞がった。敵意を剥き出しにする大男に向かって、ミズガルズは苦笑を浮かべた。
「おい、ガキ。何がおかしいんだ? 何者だ、てめえは」
「……悪いんだけどさ。そこ退いてくんないかな、ケネス」
ケネスは目を見開いた。彼の眉間にしわが寄る。困惑する彼のためにミズガルズはヒントをあげた。
「セルペンスの森の、蛇神の洞窟以来かな? 顔を合わせるのは」
ほとんど答えと言ってもいい大ヒントだった。いくら頭の回転が遅くても、ここまでヒントをもらって分からない者はいないだろう。もちろん、ケネスはすぐに答えに辿り着いた。
「ミズガルズ……? お前なのか……?」
「あぁ、久しぶりだな」
退いてくれ、と。もう一度、少年はそう繰り返す。小さな体から危険な雰囲気が漂い始める。けれども、ケネスは首を縦に振らない。一歩も動かない。意志の強い瞳で、ミズガルズを鋭く射抜いた。
「……なら、尚更お前を行かせるわけにゃいかねぇ。ミズガルズ。お前、カルロスを殺す気だろう?」
ケネスはそう聞きながらも、期待を持っていた。自分を助けてくれたこの魔物なら分かってくれるかもしれない、もしくは思い止まってくれるかもしれないと。淡い希望を抱き、ケネスは人の皮を被った魔物を静かに見据える。次に放たれる言葉次第では……この魔物と争わなくてはいけない。
ミズガルズが口元をわずかに歪める。見て取れるのは微笑と言うよりは、冷笑と言った方が相応しい笑み。ケネスはゴクリと唾を飲んだ。背中に氷を押し付けられたかのように悪寒が走った。
「分かりきったことを聞くなよ。俺が人間を殺さない魔物に見えるか? 見えないだろ? あいつが生きていると俺たちには都合が悪いんだ」
ケネスは絶句した。動けない彼の頬を生ぬるい風が撫でていった。所詮は魔物、分かり合うことなど出来ないのか。そう思うと、ケネスは悔しさを感じた。あの時は助けてもらったのではない。ただの気まぐれで、生かしておいてもらっただけだったのだ。もどかしくて、どうしようもない気持ちに襲われ、彼は無意識に拳を握った。
(俺は、こいつに勝てんのか……?)
街中を行く者たちは誰一人として気が付かない。一人の男が、とてつもなく強大な魔物と対峙していることに――。