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夜の酒場と、出発前のアレハンドロ

 ケネスとカルロスは、ある酒場に入って行った。以前もケネスが利用していた大衆酒場、「ダリの酒場」である。ダリというのは店主の名字だった。

 やはり良心的な値が客を引き寄せるのか、その夜も店内は人で埋まっていた。至るところ酔っ払いだらけである。彼らの大半は、明日から二日酔いに悩まされるだろう。

 そんな状況の中で、二人が席を確保できたのは幸運だった。しかも壁際の席で、喧騒とは離れている。古い友人同士、静かに酒を飲むのには最適だ。ケネスは喜びを隠さずに腰を下ろした。


「ここは好きなんだが、混んでるのが唯一の欠点だ」


「確かにな。……おごってくれるのか?」


「もちろん。だからと言って、あまり高い酒は頼むなよ」


 近くを歩いていた店員に声をかけ、カルロスは酒を持ってこさせる。しばらくして卓上に二つのコップが置かれた後、二人は話し始めた。

 最初は昔の思い出や、最近の景気、互いの私生活の様子などが話題に上ったが、次第に話のネタは例の炎竜討伐になっていった。カルロスは少しだけ顔をしかめた。罪悪感があるのだろう。なにせ、彼以外は全員が命を落としてしまったのだから。


「噂の炎竜はそんなに強かったのかよ?」


「ああ、話に聞いていた以上の力を目の当たりにしたよ……。俺たちは総出で行ったというのに、いざ本気を出されたらあっという間だったさ。まさに伝説級の強さだった。……おまけにそこにいたのは炎竜だけじゃなかったから堪ったものじゃない。最初から俺たちの負けは決まっていたんだ」


 怪訝そうな様子のケネスに、カルロスは説明した。もう一頭、魔物がいたのだと。そいつの参戦によって、完全に戦況が崩れたのだと。カルロスは悔しげに、そして苦しそうに言葉を絞り出した。


「眩しいくらいに白い大蛇だ。見上げるほど大きく、あまりに強かった。何というか……神々しいとさえ思えたよ」


 肩を落とすカルロス。対してケネスは驚きから目を見開いていた。彼は親友に掴みかかる勢いで、机に身を乗り出した。


「もしや、それはミズガルズ……! そいつはセルペンスの森の蛇神じゃねぇのか? そうだろ!」


 今度は逆にカルロスが驚く番だった。どうして知っているのかと詰め寄れば、ケネスは普段の冷静さを失い簡単に情報を漏らした。件の蛇と既に関わったことがあると言うのだ。


「実は俺以外にも、ヤツと関わった人間が何人かいるんだが……そっちにはこの場だとちょっと言えねえ人間がいる。すまねぇな」


 それはないだろうとカルロスは思い、ケネスに粘り強く食いついた。しかし、旧友は頑として情報を教えてくれない。業を煮やしたカルロスは、自分が持つ取って置きの情報を餌にすることにした。


「こっちだって凄い情報があるぜ。それに教えてもらえないと、今後どこかでお前らが悪いことをしてるのを見た時に、見逃せなくなっちまうかも……」


 意地の悪い笑みを浮かべるカルロス。ケネスは参ったように呻き、やがて降参とでも言うように両手を高く上げた。怒ってはいないようだ。思わぬ反撃に苦笑さえ浮かべていた。


「分かったよ、全く。言うつもりなかったんだがな。いいか、聞いて驚くなよ。俺以外にあの蛇の魔物と面識がある人間は、この国の第二王女と騎士団の副団長、魔導師団の若い団員、それからこの街の警備兵が三人だ」


 カルロスは驚愕で口が聞けなかった。第二王女エルシリア、そんな重要人物とも接点があったなんて。

 そこまで考えて、カルロスは嫌な予感に襲われる。蛇神は人間に化けることが出来るのだ。その目的は何だ? 人里に入り込むためだろう。ならば、既に関わりのある姫は危ないのではないか。古来より、力ある魔物が美女を人里から拐う例は幾つかあった。蛇神の目的もそれだったなら?

 姫が危険だ。なんとしてでも、あの魔物は倒さなければならない。カルロスの闘志が燃える。仲間の敵討ちと、姫君の死守。邪悪なる魔物を打ち倒すには、充分すぎる理由だった。


「ケネス、その警備兵たちの名前は?」


「……ん? 名前なんてそりゃ聞いてないぜ。三人とも随分と若くて、優秀ではなさそうだったけどな。実際やり合ったが相当弱かったぜ」


 再び肩を落とすカルロス。せめて、その警備兵たちが誰なのか分かれば良かった。情報は多ければ多いほど良い。

 気分を落ち着けようと、酒の入ったコップを口に付けた。一思いに飲み干してしまおうか。半分自棄になって、安物のコップを傾けた時だ。妙に上機嫌な若者の大きな声が、カルロスの耳に入る。


 ……先輩、本当にタダで酒が飲めるんですか?


 ……そう言ってんだろ! だって、ここは俺の親父の店だぜ!


 ……てめえ、それ嘘だったら承知しねーぞ。全部お前が払ってくれよ。


 ……馬鹿か、てめえは! 俺の親父は優しい男だ。んなこと、させるわけないって。


「……まっ、今日は俺様のおごりみてぇなもんだ! イニゴ、フォンス! お前ら、好きなの飲めよ」


 喧騒の原因となっていたのは、三人の若い男たち。全員、橙色の制服を着ている。ティルサの警備兵の制服だ。

 一番やかましいアロンソが、隣のテーブルに座るカルロスに絡んだ。アロンソ・ダリ、まだ一滴の酒も飲んでいないのに既に酔っ払っているような男だった。悲しい二十二歳である。


「おうおう、冒険者さん! そいつはこの店一番の安酒ッスよ! 俺が一杯おごってあげましょ……!」


 調子に乗っていたアロンソだったが、カルロスの真向かいに座る人物を見て、言葉を詰まらせた。そして、数秒間硬直した後に。


「なっああああああ!? ケネス! てめえ、なんで俺の親父の店に居やがんだ!?」


 アロンソの絶叫に、ケネスは嫌そうに耳に手を当てて、騒音を遮断した。カルロスはまさか……といった様子で、アロンソとケネスを見比べている。フォンスとイニゴに至っては、口が開きっぱなし。酷い間抜け面になっていた。


「ケネス、もしかして」


 ケネスは黙って頷く。まだ顔はしかめっ面だ。


「……あぁ、コイツらが問題の警備兵三人だよ」


 アロンソ、フォンス、イニゴの顔を見て、カルロスは思うのだった。……確かにコイツらは駄目そうだ、と。



◇◇◇◇◇



 長い長い夜が明ける。鶏の鳴き声ならぬレプラコーンのミシンの音で、ミズガルズは目を覚ました。まだ眠い。差し込む陽の光に照らされながら、大きくあくびをする。隣を見れば、相棒はまだ寝ていた。のんきなものだ。

 ミズガルズが隣の部屋に入ると、アーマンの小さな背中が視界に入った。朝から仕立ててくれているなんて申し訳ないなと思いつつ、朝の挨拶をした。


「おはようございます。大丈夫ですか、こんな朝から」


「あぁ、お前さんか。おはよう。……何、問題ないわい。お前さんはゆっくりしてなさい」


 素直に頷いて、居間に戻る。まだ、イグニスは夢の中に浸かっているようだ。いったい、何の夢を見てるんだか。幸せそうな寝顔だった。ミズガルズは相棒を放置して外に出ることにした。


「うぅ~、さみぃ……」


 早朝の高地は寒い。あまりの涼しさにミズガルズは外に出た瞬間、後悔した。やはりイグニスを起こして火でも噴いてもらおうかと逡巡したほどだ。アーマン老人はよくこんな場所で生きていけるものだと、ミズガルズは感心した。あの小柄な老人は見た目と違って案外頑丈らしい。

 寒さに震えながらミズガルズは、以前に洞窟の中で火を使ったことを思い出した。あの時は確か、冷えきったケネスのためにやったはずだ。思い切り意識を集中させれば、今回だって出来るんじゃないか? ミズガルズのチャレンジ精神にメラメラと火が着いた。まずは早速薪集めだ。


 草木に乏しい崖の上を駆け回り、一通り薪として使えそうな枝を集めて山にする。枝といっても、細いものばかりで貧相な薪の山だったが、そこは仕方ない。なにしろ高い崖の上だ。


「まぁ、これくらいでいいか」


 寂しげな薪の山を前に、あの時と同じように目を閉じ、心を落ち着ける。次第に聞こえてくるのは、風の音だけになった。少年は呼吸を整えて一気に指先に力を集める。身体が熱くなっていく。

 熱が一際強くなった時、彼は心の中で念じた。イメージするのは、赤々と燃える薪の山だ。果たして上手くいっているかどうか。瞳を開ければ、そこには……。


「やれば出来るもんだな……」


 見事に火のついた薪の山があった。それの意味することは、つまり大成功ということだ。少年は自分がこの奇跡を起こしたことに感動して、火に手をかざすことも忘れていた。


「……おっ、凄いな。飲み込みが早いね」


 ミズガルズが振り返ると、相棒であるイグニスがいつの間にか起きていて戸口の外に立っていた。風が彼の真紅の髪をなびかせている。寝癖がついていて、所々が跳ねていた。


「これから色々教えていこうと思っていたんだけど、オレが教えることは少なそうだな」


 センスが良いと竜に褒められて、少年は照れ臭そうに笑った。彼の雪のような白い頬は恥ずかしそうに赤く染まった。


「それで出発のことなんだが、アーマンがいつもより手早くやってくれているおかげで、明日にはここを発てそうだよ」


 ちゃっかり同じように暖をとりながら、イグニスが重要な情報をあっさりと言った。危うく聞き漏らしそうになり、やや遅れてからミズガルズは反応した。


「え、本当か。案外早いな。じゃあ、明日の夜はもう王都か」


「ああ、そうなるね」


 王都……。楽しみでもあるし、心配事でもあった。せっかく異世界にやって来たのだから、楽しく過ごしたいが大丈夫だろうかと少年は呻いた。人間に化けているから、自分たちが魔物だとばれはしないと思うが……。それでもミズガルズの中で不安は消えない。

 しばらく二人で喋っていると、アーマンが呼びに来た。朝食が出来たらしい。聞けば服の仕立ても上手くいっているようで、機嫌が良さそうだ。この分なら、本当に明日には旅立てるかなと思いながら、ミズガルズは家の中に入って行った。




◇◇◇◇◇



 暖炉の炎に淡く照らされた暖かい部屋の中で惰眠を貪っていたイグニスとミズガルズだったが、慌てふためいたアーマンが突然乱入してきたことで、深い眠りから引き起こされた。ミズガルズは起きたばかりで、ぼんやりしている。イグニスに至っては、突然起こされたことで機嫌が悪そうだ。

 アーマンは真っ青な顔で、部屋の扉を乱暴に開け、勢いのままに転がり込んでくる。かなり動転しているのか、何も無い所で見事にずっこけた。


「たた、大変じゃあ! 信じられんだろうが、外に人間が倒れとる!」


 赤と白の魔物は、二人揃って首を傾げる。こんな場所に人間がいるものか。魔物でさえ、寒さを感じるというのに。アーマンは疲労で何か勘違いをしたのだろうと二人は思ったが、とりあえず老人に連れられて外に出ることにした。





「……本当にいたな」


 荒涼とした崖地に一人の男が横たわっている。その時点で既に疑問だったが……。何故だろう、ミズガルズとイグニスはその男に見覚えがあった。


 キラキラと光る派手な衣服は所々に金の刺繍が入っていていかにも高価そうである。男はやけに装飾過多な刀剣を右手に握り、左手にはこれまた装飾過多な盾をひしと掴んでいた。


「アレハンドロ・エルストンド……いったいなんでこんな場所に」


 イグニスが愕然と呟いた。その名前はバルタニア王国の大貴族エルストンド家の長男のもの。ようやく彼のことを思い出したミズガルズが、あぁと頷く。後ろに隠れていたアーマンが遠慮がちにイグニスに聞いた。


「……知り合いかの?」


「ああ、今すぐにこの崖の上から突き落としてやりたいぐらいの知り合いだな」


 三人が押し黙っていた中、突如アレハンドロが起き上がる。周りにいた彼らは一様にギョッとして、一歩退いた。視線があらぬ方向に向いているアレハンドロはいきなり口を開くと、壊れたラジオのように喋り始める。


「このボクの! 優れた頭脳と、生き残った冒険者の話を合わせれば! 炎竜が敗者よろしく逃亡した方向を割り出す程度のことは! 楽勝! 楽勝! 楽勝! 今こそが愚かなる弱竜イグニスを叩き斬る機会! 弱竜よ、出てこい! いつまで待たせるんだ? 隠れてないで、出てきやが……ほぶぅ!」


 狂ったみたいに喋り続けていたアレハンドロが、へんてこな悲鳴と共に地に伏した。ミズガルズが隣を見ると、イグニスが太めの薪を持っていた。そんな凶器、いったいどこから出した。


「オレは弱くないわ!」


 竜ははあはあと肩で息をしている。ドラ息子の言い方がどうやら彼のプライドに障ったようだ。アレハンドロは芋虫のように身体をくねらせて、ピクピク震えていた。自業自得か。


「……なんか、お前が目当てでここまで来たみたいだな。ある意味すごいよ。俺には出来ない」


「確かにすごいが、努力を向ける方向が完全に間違っているだろう! 本当に冗談じゃない!」


 実に面倒くさい事態になった。恐るべき執念により、這い上がってきたドラ息子のせいで、状況はめちゃくちゃだった。夕焼け空にカラスのような鳥が鳴いた。三人を馬鹿にしているような鳴き声だった。


「あのな、イグニス」


「なんだい、アーマン……」


「もう、お前さんの友達の服を仕立て終えてしもうたんじゃ。もう出発できるんじゃがの……」


「…………ああ、分かった。感謝する」


 炎竜の疲れきった声が、オレンジ色の空に染み渡った。

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