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レプラコーンの家

 蛇神の眼前に立つ赤髪の美しい青年。彼が先程まで巨大な竜だったことを、ミズガルズはなかなか信じられなかった。まさしくファンタジー。これこそが異世界の成せる業か。まじまじと見つめてくるミズガルズに、イグニスは苦笑した。大事な場所が丸見えだというのに、その笑顔はどこまでも爽やかで、ミズガルズは少しだけ友人に妬みを感じた。


「さっきはそれらしく見えるようにわざわざ呪文を詠唱したけれど、オレたちほどの魔物ならそれが無くても人化できるぞ」


 要は想像力、自分の姿を思い浮かべるんだ! 満面の笑みを作って、イグニスは親指をグッと立てる。あそこ丸出しの人にそう言われてもな……と思ったことは内緒にして、ミズガルズは言われた通りやってみることにした。


 ……人間に、人間に。前の俺よりは格好良く、もっと鼻は高めで……。


 大蛇は瞳を閉じて、精神を集中させる。以前の自分、人間だった頃の自分の姿を懸命に思い出す。脳内の引き出しから引っ張り出した記憶はどこかぼんやりとしていた。使い物になるだろうか、どうだろうか。彼は仕方なくそれを基盤にイメージを固めていった。そして。


(人間に化けるんだ!)


 一際大きく強く思いを込めたその瞬間に、眩しい光が周辺を明るく照らした。ミズガルズ自身も思わず目を閉じた。


(これは……)


 目に映る景色。それ自体はさっきまでと変わらない。ただ、目の位置が明らかに低い。人間の目の位置から、景色を堪能することが出来ている。それの意味することはつまり……。

 人化に成功して上機嫌になったミズガルズの視界に、銀色の毛が映った。長い髪の毛をつまむ右手は、紛れもなく人間のもの。ただ、その手のひらのサイズが前世と比べてやけに小さいのは、いったい何故だろうか。

 そう言えば、得意顔になっているイグニスのことも、下から見上げているような感じだ。ミズガルズは次第に嫌な予感に包まれていく。もしかして、背が低いのか……?


「イグニス。今の俺は人間で言うなら、何歳ぐらいに見える?」


「ん? ……まぁ、ぎりぎり十五、いややはり十四くらいかな?」


 十四歳、つまり中学二年生。ミズガルズは愕然とした。どうりで背が低いわけだ。前世では身長が百七十センチを優に超えていただけあって、ミズガルズのショックは大きかった。現在の彼の身長は、どんなに高く見積もっても、百五十センチ程だろう。それすらも希望的観測だ。


『おいおいミズガルズ、背丈ごときで落ち込んでいる場合ではないぞ。オレたちには寄らなくてはいけない場所がある。早く乗れ』


 いつの間にか竜に戻っていたイグニスが催促した。ミズガルズは動揺を隠せない。理由なんて簡単だ。全裸である。全裸のまま、竜の背に乗って空を飛ぶのだ。羞恥心はもちろん、まず寒いに決まっている。ミズガルズはこの世界で風邪を引くなど御免だった。どんな治療法があるか分かったものではないからだ。


「冗談言うなよ。裸だぞ? 寒いじゃないか」


『あぁ、そんなことは大丈夫だ。魔力で周りの温度を上げるからな。それくらい朝飯前だよ』


 拒否権は一切無いようだった。ミズガルズは一声呻くと、諦めて竜の背に跨った。




◇◇◇◇◇


 裸のまま小さくなっていたミズガルズを乗せたイグニスが飛んで、どれくらい経っただろうか。魔物たちが降り立ったのは、断崖絶壁。下から絶えず風が吹き上げてくるような場所だ。気温は低く、草一本も生えていない。

 そこまでは割と普通の光景だったが、ミズガルズにはどうしても目を疑わざるを得ないものが一つだけあった。家があるのだ。断崖絶壁の、崖の上の水も何も無いような場所に。おおよそ、その場とは不釣り合いな木造の小屋で、傍目から見れば随分と立派なものだ。デザインもなかなかだし、建っている場所が崖の上でなければ、是非とも住んでみたいものだとミズガルズは感じた。


『おい、アーマン! 居るんだろう? 出て来てくれないか!』


 寒さで縮こまっている背中の上の友人を放っておいて、イグニスは謎の小屋に向かって声を掛けた。すると、数秒も経たないうちに、小さな扉がきしんだ音と一緒に開いた。

 ミズガルズはまたも目を疑う。小屋から現れたのは、人間ではない何かだった。その姿は人間に似ているが、背がかなり低いのだ。爪先から頭のてっぺんまで、ミズガルズの背丈の半分程しかない。鼻は異様に高く、丸眼鏡をかけ、真っ白なアゴ髭をたっぷり蓄えている。小屋の主は何とも目つきの悪い小さな老人だった。


「誰かと思えば、なんとお前かい。こんな老いぼれ爺の所に何の用じゃ? 勇猛なる真紅の炎竜よ」


 仏頂面で言うアーマン老人にイグニスは苦笑を漏らす。竜らしく、笑う度に牙が顔を覗かせた。


『アーマン。しばらく人間の街で暮らすから、オマエに服と靴をこしらえてもらいたいんだ。オレと友人の分をね』


 それなら、既にお前の分は出来ている。いつか来ると思っていたからな。老人は得意気に胸を張ってそう言った。そして、嬉しそうにするイグニスから視線を離し、今度はいつの間にか地面に降り立ったミズガルズの方を向いた。するとアーマンは何故か目を細め、渋い顔になった。


「まずいのぅ、わしじゃあ、お前さんの身体を測れん。……お前さん、女じゃろ?」


 衝撃、いや衝撃以上の言葉が飛び出てきた。ミズガルズは硬直した。真っ白になった。一瞬、全ての思考能力が停止した。まさか性別を間違われるなんて思ってもいなかったのだ。


「俺は男だぞ! 見て分かるだろ!」


 前かがみになって身体をできるだけ隠していたことも忘れ、ミズガルズは指を突き立てて烈火の如く怒り叫んだ。アーマンは驚いたように目を見開き、まじまじとミズガルズの全身を見つめた。本気で女だと思っていたらしい。未だに信じられない様子で、老爺は再び口を開いた。


「……胸の貧相な女かと思ったぞ。お前さん、鏡を見たことあるのかい?」


 アーマンが投げ渡してきた手鏡を覗いて、ミズガルズは絶句した。口は開きっぱなしで、言葉は出ない。なぜかと言えばこれなら女子に間違われても仕方ないといった顔立ちだったからだ。長い銀髪は肩どころか背中の中程まで伸び、美しく整った顔立ちは中性的。顎は小さく丸みを帯び、頬骨の出っ張りとは無縁。血の様に真っ赤な瞳は宝玉のように大きく輝いていて、胸さえあれば確かに小柄な女子で通るだろう。

 あまりに前世の容姿とかけ離れていて、少年は落胆にも似た衝撃を味わっていた。背が低いにしても、もう少し体型なり、顔なり、男らしければ良かったのに。これじゃ、凄んだって誰も怖がらない。なんだか西洋人形に生まれ変わったような気分で、彼は頭がふらつくのを感じ取っていた。


「まっ、男なら問題ないわい。寸法を測るから、早く入るんじゃ。イグニスのは居間に掛けてあるから、勝手に着てくれ」


 ミズガルズはふらふらとした足取りのまま老人の後に付いて、小屋の中へと入っていった。



◇◇◇◇◇



「わしはな、レプラコーンという種族なんじゃよ。根っからの職人気質でな。周囲からは堅物とか変人とかよく言われておる」


 二人が小部屋に入り、ミズガルズの採寸が行われている間、アーマン老人は堰を切った水の如く話し続けた。レプラコーンは妖精の一種らしい。彼らは他の妖精たちや魔物たち、時には人間を相手に靴や服などの修理・製作をしている。お代に金貨や食料などを貰って生活しているそうだ。

 レプラコーンは本来仕事で忙しく、ゆったりした生活を送る者は少ないのだが、アーマンは数少ない例外だ。彼は仕事に追われる日々に嫌気が差し、こんな辺鄙へんぴな場所に移り住んだ。もっとも、一定の顧客が付いているのと、蓄えがあるために、そこまで酷い生活をしているわけではないと言う。


「……イグニスにはな、恩があるんじゃ。だいぶ昔、オークの連中に襲われてたところを、助けてもらっての。そこから縁が生まれた。オークは野蛮な種族だ。お前さんも旅をする時は気をつけなされ」


 そうこうしているうちに、ミズガルズの採寸が終わった。巻尺を手にしたアーマンは椅子から飛び降り、近くに置いてあった古着をミズガルズに投げ渡した。どうやら、これから服の制作に取り掛かるらしい。大きめのハサミや、針などを棚から取り出している。

 何をしていいやら分からず突っ立っていたミズガルズに、アーマンが声をかけた。衣服をこしらえるのには時間が掛かるから居間にいっていろ、と言う。ミズガルズはそれに素直に従うことにした。




「――やあ、どうだった? 今日はアーマンに泊めていってもらおう」


 暖炉の炎が揺らめく、暖かな居間。人に化けたイグニスが熱いお茶の入ったカップを片手に持ちながら、くつろいでいる。お洒落のつもりなのか、銀縁の丸メガネを掛けていた。それがまた似合っている所が羨ましくてミズガルズは心の中の自分が地団太を踏むのを感じた。なんと爽やかな好青年だろうか。自分もこんな風だったら良かったのに。そんな無駄なことを思ってミズガルズは何度目になるか分からない溜め息をついた。イグニスと比べてしまえば、彼などただのお子様だった。背が低いというのは、なんて嘆かわしいことなのだろう。


「泊まるって、この家にか?」


「それ以外にないだろう? 服が仕上がるまで、少なくとも五日はかかるだろうしね」


 そう言ったきり、イグニスは黙りこくった。彼は先程からお茶と茶菓子の山に夢中のようで、無遠慮な手つきでテーブルの上の焼き菓子を口に運んでいく。変化前の名残と思われる鋭い犬歯が見え隠れした。ミズガルズも部屋の暖かさに心地よくなり、イグニスの隣に腰を下ろした。あらかじめ用意されていたらしいカップを手に取ると、中に注がれた紅茶が優しい香りを放つ。口に含めば、すっきりとした甘味が広がった。銀髪の少年はほっと息をついた。


「ここを発ったら、まずはどこに行くんだ? やっぱり王都か?」


「そうだな。ティルサでは情報が得やすいから。まぁ、その都度考えようじゃないか」


 きっと、不老不死の秘草の話も入るだろうと、炎竜は軽く言った。ミズガルズはイグニスの口から不老不死に関する話が出たことに驚き、少し考えた後に問い返した。お前も不死になりたくて秘草を探しているのか、と。イグニスは苦笑して、首を縦に振りかけ、しかしやめた。


「永遠に興味があるというよりかは……ずっと昔、前のミズガルズ……オマエにその身体を託した先代と、あともう一頭の親友と一緒に世界中を探し回っていたことがあってね。そのもう一頭の親友、まあ竜なんだが、そいつが急に言い出したんだ。我は不死の秘草を食ってこの世の果てを見たいなんてな。で、そいつに付き合って探したけれど終に見つからなかった。……竜というのは一度探し始めた宝を簡単に諦められない生き物なのさ。馬鹿らしいだろう?」


 そこで、レプラコーンのアーマンが部屋に入ってきた。仏頂面で居間を見渡した後に、彼は申し訳なさそうに言った。


「まだ数日かかるから、その間は泊まってくれ。急ぎの用じゃないんじゃろ?」


 もとより泊まるつもりで、居間でだらけきっていた二人は、ゆっくり頷く。ミズガルズには早くティルサの街を見てみたいという気持ちがあったが、いずれは行くことになる。今しばらく待てばいいと考え直した。

 そして一旦裁縫をやめたアーマンが食事の用意を始めた。悪いと思って、ミズガルズも立ち上がって準備を手伝いをする。イグニスは相変わらず、茶菓子に夢中らしかった。



◇◇◇◇◇



 灼熱の太陽が草原を照らす。そこにへたり込むカルロスは昼飯どころか、まだ朝飯すら口にしていなかった。呆然とする彼の鼻に、血の臭いがつく。

 あっという間だった。竜を討ち取らんと意気込んでいた集団は、瞬く間に屍の山となり、無残な姿を太陽の下に晒すこととなった。カルロスは死を免れたが、それは本当に運が良かったのだ。

 今回の討伐隊は炎竜を討つためだけに集められた戦力。そこにもう一頭、想定外の魔物が現れたのだから耐えられるはずがない。敗北は当然の結果だった。


(あの魔物は恐らく……)


 カルロスには、乱入してきた魔物が何者だったのか既に見当がついていた。襲われた時点では混乱の極みにいて、そこまで思考が回らなかったが、今ならば分かった。剣をも通さぬ白銀の鱗、頭に生えた立派な角、ものの数十秒で人を殺める猛毒。それら全てを兼ね備えた大蛇型の魔物など、バルタニア領内に存在するとすれば、答えは一つしかない。


「――蛇神、ミズガルズ――」


 遥か昔、嵐霧の絶海の向こうに広がると言われる魔界で数多の魔物たちに恐れられ、人間の大陸に渡ってからは幾人もの英傑たちを葬った伝説の怪物。最後はバルタニアの領内にあるセルペンスの森で永遠の眠りについた……という言い伝えが残されていた。そこまではカルロスでも知っていた。というより、ティルサで生まれ育った者なら、誰でも知っている言い伝えだ。ただ、一つ。カルロスが知らなかったのは、その言い伝えが真実だったということ。

 作り話の産物だと信じきっていた魔物が生きていた。そして、眠りから目を覚ました。それだけでも、カルロスたちギルドの人間からすれば絶望的な状況だ。その上ややこしいのは、蛇神が炎竜と行動を共にしていること。この二頭が手を組んで、大陸中で暴れまわったら大惨事になる。そこらへんの魔物とは話が違うのだ。一刻も早く対処をしなければならない。放置するのはあまりに危険だった。


 幸いだったことは、最後まで魔物たちがカルロスの存在に気がつかなかったこと。そのおかげで、今もカルロスはこうして息をすることが出来ている。そして、もう一つ。蛇神と炎竜の人化を最初から最後まで見ていたことだ。カルロスは波立つ心を落ち着けて、冷静に考えていく。いくら強い魔物でも、人間の姿をとっている時に刺されたり、斬られたりすれば、ひとたまりもないだろう。まだ勝機はある。終わったわけじゃない。

 それに何より、相手の顔を知っていることは大きな強みだろう。彼らが人間の姿で、人間の中に混じっていても、すぐに分かるのだから。どこかへと飛び去った彼らが戻ってくる様子はない。カルロスはようやく立ち上がった。ギルド本部に報告しなければならない。


「……見捨ててしまって、すまなかった」


 動かない仲間たちに、一言声をかけて、カルロスは重い足を引きずるのだった。

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