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遥か彼方の争い

 魔神アビスパスとのやり取りを終えて、ミズガルズは室外へと出た。ようやく解放されて緊張感が無くなったからなのか、彼は大きくあくびをした。呑気に開いた口から鋭い牙が覗いた。ある程度の距離を保って後ろから付いて来る少年を認識しているような様子は見られない。

 まるで我が家を歩いているかのように城内を堂々と闊歩していたミズガルズだったが、通路の前後から取り囲むようにして現れた兵士たちを見ると、途端に渋面になった。アビスパスの配下である魔物の兵たちがこれ見よがしに武器を見せつけ、低い声でミズガルズを脅した。


『世界蛇殿よ、ここはこの世の全ての王となるアビスパス様の居城だ。自由気ままに歩かれては困るな。其方はもはや王への服属を誓った一兵でしかないのだ。謁見が済んだのなら速やかにお帰り願いたい』


 彼らの言葉は至って丁寧だったが、その瞳にぎらついた危なげな光を灯していた。漏れ出る殺気はミズガルズを敵であると見なしている証しだろう。


『……全く、五月蝿いな、貴様らは。我とてこんなにも歓迎されぬような城になど、これ以上留まっていたくはないわ。お望み通り消えてやろう……』


 嫌そうに溜め息をついてから、ミズガルズは目を閉じて、その場でくるりと一回転してみせた。すると、足元から細やかな銀の粒子が粉雪の如く舞い上がり、青年を包み込んでいった。やがて小さな竜巻のようなそれが消えてしまうと、そこにはもうミズガルズはいなかった。

 その様子に一人感心していた少年の視界がふとした拍子に歪んだ。そうして天地がひっくり返ったような感覚を味わう。過去の記憶の場面が移り変わったのだ。



◇◇◇◇◇



 またもや急に意識が覚醒する。眼前にはこれまた知らない風景が広がっていた。少年は椰子のような木々に囲まれ、青々しい下草に覆われる乾いた地面に座り込んでいた。周りを見渡せば、そこには蜥蜴や小さな虫たちがいて、忙しなく動き回りながら賑やかに鳴いていた。耳を澄ますと、それらに混ざって何処からか滝の音が聞こえた。

 誘われるように彼は歩いていく。耳に届くのは波の音であろうか。徐々に潮の香りも強まっていく。どうやら海が近いらしい。そうして木々の葉を掻き分けながら進んだ先に、その光景は広がっていた。


『……聞いたぞ、ミズガルズ。お主もあの大馬鹿者に呼び出しを食らったそうだな』


 いかにも機嫌の悪そうな低い声が海岸に響き渡った。唸るようにして声を上げていたのは近付くことさえ躊躇われるような真紅の巨竜であった。翼を折り畳み、尾に至っては砂浜にだらりと伸ばしている様だったが、それでも巨体が放つ威圧感は薄まりはしない。


『そういうお主こそ、我より先に誘いを受けたそうじゃないか。行ったのだろう? 何と返事をした?』


 浜に鎮座する流木の上に座った青年が問うた。白銀の長髪が潮風に遊ばれていた。そんな彼を見下ろして、真紅の巨竜イグニスはさも可笑しそうに笑った。


『ミズガルズよ、分かり切ったことを聞くな。あのような蛆虫の下につく気など更々無いわ。その場で罵ってやった。ついでに食って掛かってきた雑魚を数匹焼き殺したな』


『……おいおい、敵の居城のど真ん中でか? 無茶が過ぎるぞ、イグニス』


『ふん、まあな。だが、現にこうして我はここにいる』


『……ま、そうなんだがな……』


 呆れたようにミズガルズが首を振り、溜め息を吐いた。草陰から見物をしていた少年も同じ気持ちだった。


『それで? 我は奴を嘲笑ってやったが、お主はどうしたのだ、ミズガルズ。まあ、想像はつくが』


 イグニスが暢気にあくびをした。すると、ミズガルズもあっさりと言ってのけた。


『ああ、奴には言ったよ。貴様の下についても良いとな』


『ほう、そうか、そうか。やは……り……』


 次の瞬間、天をも割るような悲鳴が聞こえたのだった。



◇◇◇◇◇



『おいおい、ミズガルズ! お主は正気なのか? アビスパスの下につくなど……悪い冗談は止せ』


 イグニスが酷くショックを受けたように唸った。呆れと怒り、あるいは悲しみが混ざったような声だった。


『いいや、冗談でも嘘でもないぞ。我は確かに奴にそう言ったのだ』


 対してミズガルズは淡白に言ってのけてみせた。まるで何も問題と思っていないかのような口ぶりだ。そんな様子が癪に障ったのか、イグニスの態度が瞬く間に豹変した。巨大な体躯が持ち上がり、翼も広がる。大気は熱せられ、熱気に当てられた白砂の地面から煙が上がった。


『ミズガルズ……見損なったと我に言わせたいのか? いくらお主でも返答次第ではただでは済まぬぞ』


 イグニスが明らかに怒りの色を帯びた唸り声を喉の奥から出した。怒る竜というのは迫力があって、実に恐ろしい。認識されていないとはいえ、少年は思わず茂みの奥に引っ込んでしまった。だと言うのに、流木に腰掛けるミズガルズは飄々とした態度を崩さないでいた。


『最後まで聞け、イグニス。我とて、お主と争いになるようなことはせん。焼き殺されたくはないからなあ』


『……どういうことだ、ミズガルズ?』


 要領を得ないとばかりに首を傾げた炎竜を見て、世界蛇はやれやれとでも言いたげに肩を竦めてみせた。


『嘘に決まっておろうが、そんなことは。我もお主と同じよ。あのような輩が魔物の王だと? 冗談ではないわ、少なくとも我は絶対に従いたくない』


『ならば、何故?』


『……それも決まっておる。効果は薄いかもしれんが、少しでも奴に油断してもらうためだ。あのお山の大将のことだ。例え形だけだとしても大勢の魔物の前でこの我を従えたとなれば、多少は気が緩むだろうよ』


 翼を畳み、再び身を伏せたイグニスが口を開きかけた。だが、彼が言葉を発する前にミズガルズが微かに笑いながら、強く言った。


『アビスパス……正直なところ、ずっと昔から奴のことは気に喰わなかったのだ。これは丁度良い機会でもあろう』


 鮮血の色に染まる眼光は鋭く、溢れる魔力は強烈な冷気となって現れ、揺らめいた。そこには少年の知らなかった世界蛇の一面があった。それは実に好戦的で獰猛な毒蛇の本性を露わにした姿だった。竜さえも僅かにたじろぐほど、不敵に微笑む蛇は美しく、そしてそれ以上に危うい。


『我が友よ、我は奴を殺そうと思っておる。お主も手伝ってくれんか? 我らが揃えば勝てない相手などいないのだから』


 呆気に取られて、言葉を紡げないでいる竜を前に、世界蛇は更に続けて言うのだった。それもとても楽しげに。


『……魔王を我らの手で引き裂くのだ。きっと……何よりも楽しかろうよ……』



◇◇◇◇◇



 再び視界が歪み、少年は手も足もつかない闇へと放り出された。黒いガラスの破片のようなものが数え切れないほど、空中を飛び交っていた。目を凝らして見てみれば、それらのガラス片の表面に様々な風景が映っているのが分かった。沢山の魔物が映っている。叫び、争い、誰もが互いに傷つけ合っていた。そこに平和など無い。あるのは血に塗れた風景ばかり。

 その中には見覚えのある者たちが混じっていた。燃え盛る大地の上を飛び回る竜たちの群れの中、一際大きな紅蓮の竜が火炎を吹いて敵を真紅に染め上げた。大軍を操り、弱者たちの集団を蹂躙している魔物の将軍はアビスパスだろうか。彼は酒を片手に勝利の高笑いを上げていた。

 だが、そんな彼らよりも目立つ者がいた。ただ戦場に突っ立っているだけなのに、誰よりも存在感がある青年だった。鮮血が飛び散る中にあっても汚れることなく輝き続ける白銀の毛髪は風に揺られ、全てを達観したかのような鋭い瞳はただただ真っ直ぐに……。




『……やはりな、やはり裏切ったか、ミズガルズ! 貴様はまたもや私との約束を破ったのだ!』


『ふっ、分かりきったことを一々喚くでないわ、アビスパス。貴様の大声は耳触りで喧しい。悔しいならば、それらしく唇でも噛んで黙っていろ』


 血生臭い風が吹き抜ける大地で両雄が相見える。周囲では炎が渦巻き、絶叫が数え切れぬほど上がっていたが、彼らの周りだけは静かだった。静寂が横たわり、互いに鋭くぎらついた瞳で彼らは睨み合っていた。


『聞こうか、愚かなる世界蛇。何故、貴様はいつも私の邪魔をする? 同じ魔物の癖にどうして私の望みに共感出来ないのだ!?』


 魔神は怒っていた。当たり前だろう。世界を手中に収めるという野望をいよいよ実行するところで邪魔立てされているのだから。憤りを抑えられぬのか、筋骨隆々な深緑色の肉体がめきめきと盛り上がりを見せる。が、そんな魔神の怒り様を見てもなお、青年は飄々とした態度を崩そうとはしなかった。


『共感? いったい何に共感しろと言うのだ?』


『貴様……本気で言っているのか?』


 アビスパスがギリギリと歯軋りの音を鳴らした。


『馬鹿なのか、貴様は!? それとも腑抜けか!? 貴様も魔物だろうが! 何故、世界を欲しがらない! 何故、力を持ちながら使わない? どうして、この私に素直に付いて来ないのだ! 我等が一丸となれば世界を手に出来ると知っているはずだろう!?』


 魔神は、吼えた。希望を、願望を、そして野望を。それは魔物たちが、いや彼らに限らず強大な力を手にした者たちが自ずと夢見るもの。熱く燃え上がる野心は冷めることなどなく、実現を見るか破滅に至るまで永遠に続く。アビスパスは信じていた。力を得た者は必ずこうした野心に突き動かされ、それが叶うまでひたすら前進し続ける、と。

 故に彼はミズガルズのことが嫌いであったし、常におかしな物を見るような目で見ていた。彼からしてみればミズガルズの態度はまるで理解不能で信じられないものだった。世界蛇は力や富に目もくれない。惰眠を貪り、たまに起きたと思えばあろうことか人間の街に行く。討伐をしにやって来た人間を殺さないことだって少なくなかった。魔物の癖に意味が分からない。アビスパスからすれば、それ以外の感想は無かった。


『世界を手に入れる……か。生憎だが我はそのようなことにはこれっぽっちも興味が無くてなぁ』


 魔神より遥かに背丈の低い青年は実に気怠げに笑った。そして、緊張感の欠片もないあくびを一つ。魔神の額に青筋が浮かぶものの、そんなことはまるで御構い無しであった。


『悪いがな、我の方こそ貴様の考えはよう分からぬ。力があるからと言って、それが何なのだ? 何にもならんだろう。世界が欲しい? 理解に苦しむなぁ……。そんなものを手にしたところで何をすると言うのだ? これっぽっちも面白くないではないか』


 ミズガルズは笑った。実に楽しげに、実に晴れやかな表情を見せて。それは戦場には似つかわしくない、そして強大な魔物には不釣り合いなほどの晴れ晴れとした笑みだった。


『我はな、この世界が好きだ。好きで堪らない! この世界は時に汚くて不条理なことも多いし、歪んだ部分も数多く在る。人間や亜人、魔族も皆愚か者ばかりだ……。だがな、だからこそ面白いのだ。何者にも支配されず悠遠と続くこの自由な世界を、我は愛している』


 そうして、魔神に冷笑と共に軽蔑の眼差しが突き刺さった。


『故に我は世界の支配などに興味はない。貴様がそれに邁進するつもりならば、ここで討つ。例え、死ぬことになるとしても、な』


 わなわなと肩を震わせてから、アビスパスは静かに言った。


『……つまり、だ。貴様は我にあくまでも歯向かうということで良いのだな……?』


『はっ、何を今更言うか。このミズガルズ、貴様如きの下につく気など毛頭無いわ』


 ミズガルズは肩を竦めて、アビスパスのことを鼻で笑い、指を軽く動かして挑発してみせた。


『さ、掛かってくると良い。お山の大将殿よ』


『ほざくなああああああああっ!』


 冷気と熱が巻き起こり、大地を爆風が削った。血生臭い風と共に紫電が空気中を走り抜け、両雄は真正面からぶつかり合った。そして鼓膜を破るような爆音が鳴り響き、天が割れた。

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